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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
ひゅうず、あるいはかます餅

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122/193

 甘い香りは次から次へと漂ってきて、我慢できないほどになった。


「ねー、矢凪、小雪。なに作ってんのよー。ワシのお腹をそんなに攻撃して、目的はなによ。そんな攻撃されても、日当弾めないわよー! 出せるのは鼻血だけよー!」


 そんなことを叫びながら、厨へ突貫する。


「あ?」


 途端、仏頂面に出迎えられた。


「うるさいよ、間夫。そこで皿でもかじって待ってな」

「鼠じゃあるまいし、皿なんて食べないわよ。……で、なに作ってんの?」


 しっし、と猫の子を追い払うような仕草をする小雪に、わざとらしく頬を膨らませてみせる。口髭を撫でつけながら、矢凪達へ近づいた。

 (かまど)に、大鍋がかかっている。矢凪は湯気の立つそこから何かを次々引き上げ、皿に乗せている。小雪はその傍らに立って、わくわくとした表情で矢凪の手元を覗き込んでいた。

 皿に二十個ほど乗ったものを見て、丞幻は首をかたむけた。

 薄い小麦色の塊だ。大きさは大人の握り拳ほどの、半円形。半円の縁は平たいが、真ん中にいくにつれて大きく盛り上がっている。どうやら丸く形作った生地の中に何かを乗せた後、ぱたんと半分に折っているようだ。


「なあに、これ。大福とは違うわねえ。饅頭?」

「かます餅」

「かます餅?」


 熱さを確かめるように、塊をつついていた小雪が顔を上げた。


「ちなみに、あたしのとこはひゅうず、って呼んでたよ」

「ひゅうず?」


 どちらも知らない名前だ。

 ひゅうず、ひゅうず、と舌触りの面白い言葉を何度か口の中で転がす。


「変わった名前だわね。どういう意味なの、それ?」

「知らないよ。あたしが小さいころから、そう言われてたもん」

「ふうん。矢凪は知ってる?」

「火打ち金に似てる、ってぇ話は聞いたことある。気になんならてめぇで調べろよ」

「そーするわあ」


 甘味を記した本に乗っているだろうか。あとで見てみよう。

 皿の上から一つ、かます餅を取り上げた矢凪が丞幻にそれを差し出した。


「ん」

「あら、食べていいの? ありがとー」


 茹でたてのそれはひどく熱く、「あちち」と小さく声を上げながら丞幻はそれを手の中で小さく跳ねさせた。

 ずっしりと重たい。中は何だろう、餡子だろうか。餡子の匂いではなかったような気がするが。

 見た事も無いものを食べるのは、くじを引く時のようにどきどきする。息をふうふう吹きかけながら、丞幻はそれに歯を立てた。


「あづっ!?」


 途端、中から熱いものがじゅわりと口内に溢れた。熱い熱いと悲鳴を上げながら、口の中のものを咀嚼する。

 餅と言っていたが、どうやら生地は小麦の粉らしい。分厚いすいとんのような食感だ。その中に包まれていたのは、香ばしい匂いの黒砂糖。熱が加わって溶けたそれが、生地に噛みついた瞬間に溢れたのだ。


「あっつ、あつつ……!」


 もう一口。まだ溶け切っていない黒砂糖の塊が、口の中でじゃりじゃりと音を立てた。それに混じって、砕けたくるみがこりこりとした歯ごたえで主張してくる。分厚い生地は食べ応えがあり、少し塩味が付いているのが、またいい。

 はふ、と白い湯気を口から出しながら、丞幻はにっこりと笑った。


「……かなりあっついけど、これ美味しいわねえ。気に入ったわー」

「そりゃ良かった」


 素っ気無く告げて、矢凪は何かを観察するようにこちらを見ている。小雪も同じように、探るような目をして丞幻を見つめていた。

 なんだろう。なんでそんな目を向けてくるんだろう。

 ちゃんと美味しいわよー、嘘吐いてないわよー。

 そんなことを思いながら、もう一口齧った途端だった。


「んっ!? ちょっ、待っ、なに、待って待って、垂れる! 待ってすっごいこぼれる!」


 溶けた黒砂糖がだらだらと零れ、丞幻の手首を伝って肘の方へ落ちていく。慌ててまたかぶりつくも、今度は反対側から黒砂糖が飛び出し、藍色の着物に黒い染みを形作った。


「んー!?」


 一人慌てる丞幻をよそに、矢凪と小雪が顔を見合わせてくつくつと笑った。


「やったな」

「やったね」

「初めて食う奴ぁ絶対やんだよな」

「ねー。あたしも最初、食べた時にやっちゃったよ」

「俺もだ」

「ひょっと!」


 意地悪二人に抗議する間も、あっちからもこっちからも、黒砂糖がばたばた零れる。

 一人慌ててばたばた足を踏み鳴らしていると、それよりも賑やかな足音が二つ、厨の外から聞こえてきた。


「ただいま! なんかおいしそうな匂いがするぞ! 匂い同心だ、しんみょうにしろ!!」

「ちろ! オレとシロにも、しょのおいちそーなのを、けんじょーしゅるのよ!! おかみにも()()はありゅのよ!」


 息を切らせて帰ってきたのか、紅葉のように真っ赤な頬のシロとアオが厨に顔を出す。

 よこせ、よこせとその場でぴょいぴょい跳ね飛ぶシロと、興奮して矢凪と小雪の周囲を駆け回るアオに、小雪が眉を吊り上げた。


「こら二人とも、ちゃんと手は洗ったかい。真っ黒だよ。洗ってこないと、ひゅうずあげないよ」

「う!」

「洗ってくる!」


 電光石火の速さで手を綺麗にしてきた二体は、満面の笑顔で矢凪に向かって両手を突き出した。アオは既に、涎がだらだら零れている。


「見ろ! ちゃんときれいにしたぞ!」

「みちぇ!」

「おー。よし、いいか、あんな風に黒砂糖が出てくっから、気ぃつけて食えよ」

「いいかい。気を付けて食べないと、かわいいおべべが汚れちゃうからね」


 慌てる丞幻を他所に、矢凪と小雪は真面目くさった顔でシロとアオに告げて、かます餅を渡している。両手で受け取った二体も、真面目くさった顔で頷いた。


「分かった」

「まかしぇて!」

「ちょっと! ワシを悪い見本にしないでちょうだい! ワシが食べる前に教えてちょうだいよ!」

「あ、おい丞幻。かじった後に中身吸うと上手いこと食えるぞ」

「遅い!!」



 かます餅、あるいはひゅうず……まあとにかく、それは非常に美味かった。

 厨で三人と二体、もちもちとそれを食べる。最初こそ黒砂糖をだばだばこぼしてしまった丞幻だが、二つ目からは上手いことこぼさず食べることができた。

 シロは振袖を汚さないよう皿に顎の下に用意し、襷までかけて食べていた。かます餅の腹部分に思い切り噛みついて、黒砂糖を四方八方に飛び散らせたアオのせいで、その念入りな対策も無駄になってしまったが。

 あっという間に五つぺろりと食べて、丞幻は満足気に息を吐いた。

 風車と猫模様の振袖に黒い点々が付いてしまい、頬を膨らませるシロの頭を撫でながら、矢凪に視線を向ける。


「ご馳走様あ。結構お腹いっぱいになるわねえ、これ。この辺じゃ見かけないけど、どこのなの?」

「そうなんだよな、この辺じゃあどこも作ってねえんだよな。俺ん村の辺りじゃあ、おやつやら狩りの弁当やらに、よく持ってってたんだが」


 ううん、と矢凪が記憶を辿るように腕を組んで天井を見上げた。

 小雪もうんうんと、黒砂糖まみれになったアオの口を拭いてやりながら同調する。


「ねー。なんでだろうね、美味しいのにさあ」

「ふうん。ところでこれって、黒砂糖以外の味もあるの?」


 生地の味が素朴だから、色々な味と合いそうだ。

 矢凪と小雪は揃って頷いた。


「村じゃあ黒砂糖なんざ、あんまり手に入んねえからな。普段は甘味噌とくるみで作ってた。祭りの時くれえだったな、黒砂糖は」

「ね。甘味噌も好きだけど、あたしはやっぱり黒砂糖かなあ。じゃりっとしたとこが美味しいんだよねー」

「へえ、甘味噌も美味しそうねー。ところでこれ、ちょっともらってもいい?」

「今食ったろ?」


 きょとり、と首をかしげる矢凪に、丞幻は首を横に振った。

 貴墨では見ない、珍しい甘味。しかも美味しい。腹持ちもいい。上手く食べないと中身がこぼれるというのも面白い。


「ワシの作品に出していーいかしらん、ってこと」


 これなら、新しく出す巫女姫に食べさせてもいいだろう。実物を持って行って夕吉に見せれば、きっと気に入ってくれる。あの子も、こういう甘味が好きだ。


「好きにすりゃいいだろ、別に俺だけのじゃねえんだし」

「ありがとー。おかげで夕吉にケツしばかれなくて済みそうよー」


 ほっとする丞幻の横で、アオが小雪の着物の裾をぐいぐいと引っ張った。


「あまみちょ! ねーねー、小雪、あまみちょどこ?」


 ぱたぱたと、その横でシロも足踏みをしてねだる。


「甘みそ、おれも甘みそ食べたいぞ、小雪。甘みそとこれ、食べ比べしたい!」

「えーっとお、そうだねえ……でも、小麦粉使い切っちゃったから、もう一回買いに行かないといけないし。いっぱい食べると、今度は夕餉が入らなくなっちゃうよ。お腹ぽんぽんさんだよ?」


 シロとアオは、左右から小雪の袖を掴んで一生懸命に訴えた。


「だいじょーぶだ! ちょっと小さく作ってくれれば、いっぱい食べてもお腹いっぱいになんないぞ。おれもアオも、お腹は底なし沼だ」

「う! オレも! いっぱいちゃべるの! ちゃべてもおなか、ぽんぽんなんないからだいじょぶ!」

「だからおいしい甘みそ作ってくれ!」

「あまみちょー!」

「……旦那様ー、丞幻」


 弱り切った様子で細い眉を下げて、小雪がこちらに助けを求めてきた。ちび二体にねだられているのが可愛いやら面白いやらで、ちょっと見守っていたが、そろそろ限界のようだ。

 そろそろ助けよう、と丞幻と矢凪はシロとアオに向かって声をかけた。

ひゅうず、美味しいんですけど気を付けないとマジで砂糖が垂れて、手や服が汚れます。


〇 ● 〇


ネクスト怪異ズヒント

「ウロヤミ様」

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