後
甘い香りは次から次へと漂ってきて、我慢できないほどになった。
「ねー、矢凪、小雪。なに作ってんのよー。ワシのお腹をそんなに攻撃して、目的はなによ。そんな攻撃されても、日当弾めないわよー! 出せるのは鼻血だけよー!」
そんなことを叫びながら、厨へ突貫する。
「あ?」
途端、仏頂面に出迎えられた。
「うるさいよ、間夫。そこで皿でもかじって待ってな」
「鼠じゃあるまいし、皿なんて食べないわよ。……で、なに作ってんの?」
しっし、と猫の子を追い払うような仕草をする小雪に、わざとらしく頬を膨らませてみせる。口髭を撫でつけながら、矢凪達へ近づいた。
竈に、大鍋がかかっている。矢凪は湯気の立つそこから何かを次々引き上げ、皿に乗せている。小雪はその傍らに立って、わくわくとした表情で矢凪の手元を覗き込んでいた。
皿に二十個ほど乗ったものを見て、丞幻は首をかたむけた。
薄い小麦色の塊だ。大きさは大人の握り拳ほどの、半円形。半円の縁は平たいが、真ん中にいくにつれて大きく盛り上がっている。どうやら丸く形作った生地の中に何かを乗せた後、ぱたんと半分に折っているようだ。
「なあに、これ。大福とは違うわねえ。饅頭?」
「かます餅」
「かます餅?」
熱さを確かめるように、塊をつついていた小雪が顔を上げた。
「ちなみに、あたしのとこはひゅうず、って呼んでたよ」
「ひゅうず?」
どちらも知らない名前だ。
ひゅうず、ひゅうず、と舌触りの面白い言葉を何度か口の中で転がす。
「変わった名前だわね。どういう意味なの、それ?」
「知らないよ。あたしが小さいころから、そう言われてたもん」
「ふうん。矢凪は知ってる?」
「火打ち金に似てる、ってぇ話は聞いたことある。気になんならてめぇで調べろよ」
「そーするわあ」
甘味を記した本に乗っているだろうか。あとで見てみよう。
皿の上から一つ、かます餅を取り上げた矢凪が丞幻にそれを差し出した。
「ん」
「あら、食べていいの? ありがとー」
茹でたてのそれはひどく熱く、「あちち」と小さく声を上げながら丞幻はそれを手の中で小さく跳ねさせた。
ずっしりと重たい。中は何だろう、餡子だろうか。餡子の匂いではなかったような気がするが。
見た事も無いものを食べるのは、くじを引く時のようにどきどきする。息をふうふう吹きかけながら、丞幻はそれに歯を立てた。
「あづっ!?」
途端、中から熱いものがじゅわりと口内に溢れた。熱い熱いと悲鳴を上げながら、口の中のものを咀嚼する。
餅と言っていたが、どうやら生地は小麦の粉らしい。分厚いすいとんのような食感だ。その中に包まれていたのは、香ばしい匂いの黒砂糖。熱が加わって溶けたそれが、生地に噛みついた瞬間に溢れたのだ。
「あっつ、あつつ……!」
もう一口。まだ溶け切っていない黒砂糖の塊が、口の中でじゃりじゃりと音を立てた。それに混じって、砕けたくるみがこりこりとした歯ごたえで主張してくる。分厚い生地は食べ応えがあり、少し塩味が付いているのが、またいい。
はふ、と白い湯気を口から出しながら、丞幻はにっこりと笑った。
「……かなりあっついけど、これ美味しいわねえ。気に入ったわー」
「そりゃ良かった」
素っ気無く告げて、矢凪は何かを観察するようにこちらを見ている。小雪も同じように、探るような目をして丞幻を見つめていた。
なんだろう。なんでそんな目を向けてくるんだろう。
ちゃんと美味しいわよー、嘘吐いてないわよー。
そんなことを思いながら、もう一口齧った途端だった。
「んっ!? ちょっ、待っ、なに、待って待って、垂れる! 待ってすっごいこぼれる!」
溶けた黒砂糖がだらだらと零れ、丞幻の手首を伝って肘の方へ落ちていく。慌ててまたかぶりつくも、今度は反対側から黒砂糖が飛び出し、藍色の着物に黒い染みを形作った。
「んー!?」
一人慌てる丞幻をよそに、矢凪と小雪が顔を見合わせてくつくつと笑った。
「やったな」
「やったね」
「初めて食う奴ぁ絶対やんだよな」
「ねー。あたしも最初、食べた時にやっちゃったよ」
「俺もだ」
「ひょっと!」
意地悪二人に抗議する間も、あっちからもこっちからも、黒砂糖がばたばた零れる。
一人慌ててばたばた足を踏み鳴らしていると、それよりも賑やかな足音が二つ、厨の外から聞こえてきた。
「ただいま! なんかおいしそうな匂いがするぞ! 匂い同心だ、しんみょうにしろ!!」
「ちろ! オレとシロにも、しょのおいちそーなのを、けんじょーしゅるのよ!! おかみにもじじはありゅのよ!」
息を切らせて帰ってきたのか、紅葉のように真っ赤な頬のシロとアオが厨に顔を出す。
よこせ、よこせとその場でぴょいぴょい跳ね飛ぶシロと、興奮して矢凪と小雪の周囲を駆け回るアオに、小雪が眉を吊り上げた。
「こら二人とも、ちゃんと手は洗ったかい。真っ黒だよ。洗ってこないと、ひゅうずあげないよ」
「う!」
「洗ってくる!」
電光石火の速さで手を綺麗にしてきた二体は、満面の笑顔で矢凪に向かって両手を突き出した。アオは既に、涎がだらだら零れている。
「見ろ! ちゃんときれいにしたぞ!」
「みちぇ!」
「おー。よし、いいか、あんな風に黒砂糖が出てくっから、気ぃつけて食えよ」
「いいかい。気を付けて食べないと、かわいいおべべが汚れちゃうからね」
慌てる丞幻を他所に、矢凪と小雪は真面目くさった顔でシロとアオに告げて、かます餅を渡している。両手で受け取った二体も、真面目くさった顔で頷いた。
「分かった」
「まかしぇて!」
「ちょっと! ワシを悪い見本にしないでちょうだい! ワシが食べる前に教えてちょうだいよ!」
「あ、おい丞幻。かじった後に中身吸うと上手いこと食えるぞ」
「遅い!!」
かます餅、あるいはひゅうず……まあとにかく、それは非常に美味かった。
厨で三人と二体、もちもちとそれを食べる。最初こそ黒砂糖をだばだばこぼしてしまった丞幻だが、二つ目からは上手いことこぼさず食べることができた。
シロは振袖を汚さないよう皿に顎の下に用意し、襷までかけて食べていた。かます餅の腹部分に思い切り噛みついて、黒砂糖を四方八方に飛び散らせたアオのせいで、その念入りな対策も無駄になってしまったが。
あっという間に五つぺろりと食べて、丞幻は満足気に息を吐いた。
風車と猫模様の振袖に黒い点々が付いてしまい、頬を膨らませるシロの頭を撫でながら、矢凪に視線を向ける。
「ご馳走様あ。結構お腹いっぱいになるわねえ、これ。この辺じゃ見かけないけど、どこのなの?」
「そうなんだよな、この辺じゃあどこも作ってねえんだよな。俺ん村の辺りじゃあ、おやつやら狩りの弁当やらに、よく持ってってたんだが」
ううん、と矢凪が記憶を辿るように腕を組んで天井を見上げた。
小雪もうんうんと、黒砂糖まみれになったアオの口を拭いてやりながら同調する。
「ねー。なんでだろうね、美味しいのにさあ」
「ふうん。ところでこれって、黒砂糖以外の味もあるの?」
生地の味が素朴だから、色々な味と合いそうだ。
矢凪と小雪は揃って頷いた。
「村じゃあ黒砂糖なんざ、あんまり手に入んねえからな。普段は甘味噌とくるみで作ってた。祭りの時くれえだったな、黒砂糖は」
「ね。甘味噌も好きだけど、あたしはやっぱり黒砂糖かなあ。じゃりっとしたとこが美味しいんだよねー」
「へえ、甘味噌も美味しそうねー。ところでこれ、ちょっともらってもいい?」
「今食ったろ?」
きょとり、と首をかしげる矢凪に、丞幻は首を横に振った。
貴墨では見ない、珍しい甘味。しかも美味しい。腹持ちもいい。上手く食べないと中身がこぼれるというのも面白い。
「ワシの作品に出していーいかしらん、ってこと」
これなら、新しく出す巫女姫に食べさせてもいいだろう。実物を持って行って夕吉に見せれば、きっと気に入ってくれる。あの子も、こういう甘味が好きだ。
「好きにすりゃいいだろ、別に俺だけのじゃねえんだし」
「ありがとー。おかげで夕吉にケツしばかれなくて済みそうよー」
ほっとする丞幻の横で、アオが小雪の着物の裾をぐいぐいと引っ張った。
「あまみちょ! ねーねー、小雪、あまみちょどこ?」
ぱたぱたと、その横でシロも足踏みをしてねだる。
「甘みそ、おれも甘みそ食べたいぞ、小雪。甘みそとこれ、食べ比べしたい!」
「えーっとお、そうだねえ……でも、小麦粉使い切っちゃったから、もう一回買いに行かないといけないし。いっぱい食べると、今度は夕餉が入らなくなっちゃうよ。お腹ぽんぽんさんだよ?」
シロとアオは、左右から小雪の袖を掴んで一生懸命に訴えた。
「だいじょーぶだ! ちょっと小さく作ってくれれば、いっぱい食べてもお腹いっぱいになんないぞ。おれもアオも、お腹は底なし沼だ」
「う! オレも! いっぱいちゃべるの! ちゃべてもおなか、ぽんぽんなんないからだいじょぶ!」
「だからおいしい甘みそ作ってくれ!」
「あまみちょー!」
「……旦那様ー、丞幻」
弱り切った様子で細い眉を下げて、小雪がこちらに助けを求めてきた。ちび二体にねだられているのが可愛いやら面白いやらで、ちょっと見守っていたが、そろそろ限界のようだ。
そろそろ助けよう、と丞幻と矢凪はシロとアオに向かって声をかけた。
ひゅうず、美味しいんですけど気を付けないとマジで砂糖が垂れて、手や服が汚れます。
〇 ● 〇
ネクスト怪異ズヒント
「ウロヤミ様」




