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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:眆菓の夢座敷

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119/194

本日は豪華二本立て!!

 〽エー、陽之戸に紅葉は多けども。狂い紅葉に花代の(くれない)、忘れ紅葉と言いませど。

 愛し嬰児(みどりご)赤し手のひら、()()()と言うのに赤いのは、エーなぜじゃいな。なぜじゃいなったらなぜじゃいな。


 庭に面した障子は大きく開け放たれ、秋風と共に紅葉が吹きこんでいた。

 太い幹の下にいくつもの玻璃竹行灯が置かれ、庭の中心に植わった紅葉を下から照らしていた。夕焼けで染まった雲のように赤い葉が、風と賑やかな歌声に、はらりはらりと撫でられて揺れる。

 夕刻を過ぎれば空気は冷えるが、板張りの床にはいくつもの大振りの火鉢。厨から次々と運ばれてくる、湯気の立つ兎肉と野菜の鍋。床に並んだ様々な料理。火鉢に突き立て(あぶ)られている丸餅。そして何より、ほど良い熱を保つ熱燗もあるとなれば、寒さなど屁でも無かった。


「いやぁ、しかし鉄坊が無事で良かったぜ。おいらぁ、肝が冷えちまった」「ほんに、ほんに。竹藪の中で寝てたのを、同心の旦那が見つけたってねえ」「たまには黒羽織も頼ってみるもんだなあ! いつも威張り腐ってんだから、たまにはおいら達の役に立てってんだ」「これサ、口が過ぎるよ」「でも本当に何事も無くて良かったよ。ねえお絹さん」


 紅葉見物もそこそこに、火鉢を囲む大人達の口の端に上るのは鉄太行方不明事件だ。

 行方不明になったその翌日、夜も明けぬうちから近所を探していた同心が『竹藪の中で』眠っている鉄太を見つけた事で、事件は終息した。

 目を覚ました鉄太は、何も覚えていなかった。神社に遊びに行った事も、シロと喧嘩をした事も、母に似た誰かに連れて行かれた事も。

 だからなぜ、両親が自分を強く抱きしめて号泣しているのか、友達が喜んでいるのか、長屋の人達が良かった良かったと言い合っているのか分からず、きょとんとしていた。

 何はともあれ、無事に戻ってきたなら何よりだと豆花長屋は沸き立ち、予定通りに紅葉見物が決行されたわけである。

 そして当の鉄太はといえば。


「あっ! そのもちは、おれのだぞ、鉄! ほら、早くおれによこせ!」

「しょよ! オレとシロのおもちよ! はやくちょーだい!」


 ほど良く焼けた餅を、シロとアオにたかられていた。

 丸く平たくした餅に串を刺し、焼けたら後はお好みで醤油や味噌を付けて食べる。くるみ味噌をべったり付けて食べようとした鉄太の左右から、シロとアオが寄こせ寄こせと声を上げ、肩を叩いていた。


「なんだよ! これはおれのもちだぞ! お前らのはそっちにあるんだから、そっち食べろよ!」


 餅を奪われないよう、シロ達に背を向けて隠しながら鉄太が怒鳴る。

 おかっぱを揺らし、シロがふんっ、と偉そうにふんぞり返った。


「うるさい、ばか。お前はおれに、一番うまいもちをけんじょうする約束があるんだぞ」

「しょよ! オレにはおにくにゃのあー!」


 鉄太を挟んだ反対側で、アオも同じようにふんぞり返る。頭が重い為、後ろに引っくり返った。


「そんな約束、してねえよ! あっ、ばか! シロこのやろう!! 返せ!!」


 短い手足をばたばたさせるアオに、一瞬気を取られた鉄太の手から、シロが餅を奪い取った。

 こんがり焼けた部分をかじって、大仰な動作で首を横に振る。


「はー、やれやれまったく。だめだな、ばか鉄。これは二番目くらいのもちだぞ。ちょっと焼きが甘い。ほら返す。次はちゃんと、一番のおもちをよこすんだぞ」

「ちあうの! ちゅぎはおにく! おーにーく!」

「やだよ! 全部おれが食うんだ!! お前らにやるか!」


 もっちゃもっちゃと絡まり合う鉄太達を見て、おみよと久次郎はそっと視線を見交わした。


「……よかったね、きゅうちゃん」

「うん。……うん。よか、よかた……っ」


 狐のように細い久次郎の目から、涙が次々と溢れて手元の餅に吸い込まれていく。

 えぐ、えぐっとしゃくりあげる声に、餅の取り合いをしていた鉄太が驚いて振り返り、くりくりまなこを見開いた。


「ど、どうしたんだよ、久次郎。なに泣いてんだよ、お前」


 おみよに餅取られたのか? それともシロとアオか? 誰に泣かされたんだよ、おれが怒ってやっから、言えよ。

 思いつく限りの原因を口にして、久次郎を宥める鉄太。それでも久次郎は泣き止まず、むしろ更に大粒の涙を流す始末だ。


「おい、本当にどうしたんだよ。なあってば」


 それを見ていたおみよの目からも、ぼろりと涙の粒が落ちた。


「てっちゃ……」

「えっ!? なんだ、なんだよおみよまで! なんで泣いてんだよ!」


 くしゃり、と丸めた紙のように表情を崩すおみよに、鉄太はいよいよ狼狽える。

 鉄太の感覚からすれば、いつものように遊びに行ったのに、気が付いたら竹藪の中で寝ていただけだ。行方不明になったという自覚など無い。だからどうして二人が泣くのか、さっぱり分からない。

 進退(きわ)まって、鉄太は先ほどまで餅の取り合いをしていた友を振り返った。


「シロ、アオ、お前らか!?」

「鉄が悪い」

「てっちゃがわりゅいのよ!」


 なんでだよ、と叫ぶ鉄太の眉尻が、どんどん下がっていく。

 久次郎とおみよはついに我慢ならなくなったのか、鉄太の両側からしがみ付いてわんわんと大声で泣き出した。


「うわっ! だから、なんなんだよ、お前ら! どーしちまったんだよ!」

「よし、アオ。これ食べたら、おれ達もいくぞ」

「う!」


 弱り切った小さな背中を見ながら、シロとアオは、顔を見合わせて頷き合った。



 風の当たらない道場の奥で、団子のようにわちゃもちゃと戯れる白と青の頭を視界に入れて、丞幻は頬を緩めた。


「シロちゃん達、元気になって良かったわー。ずーっと心配してたもんねえ」


 心配していた反動からか、態度がいつもより割り増しで偉そうになっている。相変わらず、素直じゃない子だ。

 紅葉見物が始まってしばらくは、長屋の住人達と歓談していた丞幻だが、現在はその輪から外れて一人壁に背を預け、ちまちまと酒を飲みながら気に入った料理をつまんでいた。

 床に直接置かれた平皿には、戻り鰹のたたきが乗せられている。

 ずっしり重たい一切れをつまんで、一口。炭火の香ばしさが鼻を抜けた。

 脂の乗った戻り鰹は、初鰹より身がもっちりとしている。丞幻は、このもちもちとした食感が好きだ。この時期はついつい、美味い魚料理を出してくれる店に通いつめ、鰹ばかりを頼んでしまう。


「んー、もっちもち。うっまいわー。梅味噌ってのがまた、他と違っていいわねー」


 果肉を叩いて酒で伸ばし、味噌と混ぜた特製の梅味噌が、鰹によく合う。こくのある味噌に、梅が入る事で酸味と爽やかさが生まれていた。

 どちらかというと酒より、米と合いそうな味だ。確か、シロ達の近くにお(ひつ)があったはず。持って来よう。


「ん」

「あ、ありがとー矢凪! ちょーど欲しかったのよー」


 あちこちに座る長屋の人々を避け、傍に来た矢凪が湯気の立つ白米を差し出した。礼を言って椀を受け取り、早速鰹を乗せて米ごと口に運ぶ。

 うん、思った通り、米に合う。美味い。これで三杯は食える。

 向かい合わせに胡坐をどっかとかき、持ってきた徳利に直接口を付ける矢凪が、ぼそりと呟いた。


「結局、なんも無かったな」


 鉄太の父親が、酒の入った掠れ声で小唄を歌い出す。調子っぱずれなそれに、どっと笑声が上がった。

 それを背景に、丞幻はひそやかな声で返す。


「そうねー。ふっつーに侵入できて、ふっつーに呪符切り裂けて、ふっつーに鉄ちゃん助けて、ふっつーに脱出できたもんねー。しっかし、あそこ随分ざるかったわね、警邏」


 いくら盗人の心得がある矢凪が先導したとはいえ、仮にも国屋敷とあろう所が侵入に気づかないとはいかがなものか。


「波平国は海賊の方が多いっつーから、盗人相手にゃざるなんだろ」

「成程ね」


 肩をすくめた矢凪に頷いて、すっと丞幻は表情を引き締めた。


「それはともかくとしても、なぁんも無かったのは、流石におかしいわよ」


 もはや誰もが紅葉そっちのけで、宴に興じていた。道場の周囲は田畑ばかりで民家がほとんど無く、酒も入れば自然と声は大きくなる。

 内緒話をするには都合が良かった。


「……絶対、邪魔が入ると思ったんだがな」

「ね」


 どこかで絶対に、何かが起こると丞幻達は神経を尖らせていた。

 十六夜に鉄太を献上したかったのか、丞幻達へ嫌がらせをしたかったのか、向こうの思惑は不明だが、鉄太救出の妨害は絶対にあると丞幻も矢凪も確信していた。

 しかし実際は、長持の中で眠っていた鉄太――シロ達が戻ってくると同時に、身体は元に戻った――を無事に国屋敷から運び出し、近くの竹藪に寝かせて同心をそれとなく誘導し、鉄太を見つけさせてもなお、何も起こらなかった。

 あまりに首尾よく事が進んだ為に、矢凪など逆に「おい出てくるなら今だぞ何で出て来ねえんだ」と何度も文句を言っていたほどである。

 梅味噌をたっぷり付けた鰹と米を頬張って、丞幻はうーんと首をかしげた。

 考えられる理由はいくつか思いつくが。


「あれかしらねえ、全部ひっくるめてあの女の策でしかなくて、ワシらがどこまでやれるか見たかった、とか? ほら、国屋敷にしか出ない怪異、なんてのもいるのよ。だからそれを狩らせる前に、ちゃんと忍び込めるかどうか確かめたかったんですよ、おほほほほほ……みたいな」


 右手の甲を左頬に当て、指を反らせて丞幻はわざとらしく笑ってみせる。


「似てねえな」


 言葉とは裏腹に、矢凪が笑いをこらえた。


「そーお? いかにも世の中全て自分を中心に回ってますー、って感じでうまくできたと思うんだけどねえ。――ねえ、どう思います? 矢凪さん」


 最後だけ声を高くし、ぴしっと背筋を伸ばして小首をかしげる。

 矢凪がくずおれた。


「やめろ、あほ、それ」


 肩と声がぶるぶると震えている。

 うんうん、ツボに入ったようで何よりだ。

 矢凪が落ち着くのを待ってから、丞幻は口を開いた。


「後は、例えばワシらを監視してる忍が独断で鉄ちゃんを攫ったけど、それがあいつらにばれて、そっちで悶着があったから手出しできなかった、とか。鉄ちゃんをあそこに隠してすぐ国屋敷の連中に捕まった、とか。妨害しようと思ったけど、あまりにワシらが華麗に事を進めるから見惚れたとか」


 銀杏(ぎんなん)と海老を一緒に炒めたものをぱくつきつつ、もう片手で指折り「例えば」を連ねる。海老を強奪しながら、矢凪が唇を片方だけ皮肉気に吊り上げた。


「最後だったら笑えんだけどな」


 矢凪に海老を奪われないよう、皿を遠ざける。


「全くだわね」


 何がおかしかったのか、どっ、と男衆の笑声が弾けた。

 あまりの間の良さに、丞幻は口の中に放り込んだばかりの銀杏を噴き出しそうになった。口に手を当てて、慌ててこらえる。


「んぐっ……」


 拍子に飲み込んだ銀杏が変な所に入り、盛大にむせた。


「一人で何してんだ、てめぇ」


 呆れ顔の矢凪に背中をさすってもらっていると、ふと影が差した。咳込みながら見上げれば小雪が、にこにこと笑顔で矢凪を見下ろしている。


「旦那様、こんな所にいたんだね」

「雪。どうした」


 小雪は、長屋の女衆達に混ざって談笑していた。料理や洗濯のやり方を教えてもらうのだと、張り切っていた筈だが。

 得意満面の笑顔のまま、口が開かれる。


「あのね、こんにゃくと、細く切った烏賊(いか)をね、醤油で焼き付けると美味しいおつまみになるんだって! 後で旦那様に作ってあげるね!」


 矢凪が頷くまで、一瞬間があった。


「……おう」


 任せて! と胸の前で両拳を握る小雪だが、包丁を大上段から振り下ろし、魚とまな板を吹っ飛ばした事は記憶に新しい。

 美しい放物線を描き、厨を舞う魚。それに飛びつくアオ。まな板が額にぶち当たり、ゆっくりと後ろに倒れる丞幻。柄から折れて矢凪の足元に突き刺さる包丁。猫の子のように飛び上がり、逃げていくシロ。

 惨劇を思い出しているのだろう、矢凪の目が遠い。

 茶を飲んで一息つき、丞幻はひらり手を振った。


「まあ、あれよ。怪我しない程度にね。切る時はちゃんともう片方の手で押さえてね、頼むから」


 つん、と小雪は形良い唇を尖らせた。


「分かってるよ。あたしだって馬鹿じゃないんだから、次はちゃんと押さえて切るよ」

「ワシか矢凪かシロちゃんかアオちゃんがいる時じゃないと、包丁使ったら駄目だからね。それと、火を使う時も絶対に一人でやっちゃ駄目よ。こないだみたいに、火が噴き出してびっくりしたからって、凍らせようとするのも駄目だかんね」

「うるさいなあ、間夫は。一回間違ったんだから、もう間違わないよ。ねえ旦那様」

「……やる時は、俺も一緒にやる」

「うん。あたし頑張るから、見ててね旦那様」


 ぱっと表情を明るくして、小雪は矢凪の肩に頭を預ける。好きにさせながら、矢凪がふと視線を滑らせた。


「……おい。あれ」

「あらま。泣き疲れちゃったのかしらねー」

「わあっ、子犬みたいでかわいいねえ」


 車座になった酔漢達の向こうで、シロ達が絡まり合っていた。

 大の字になった鉄太を中心に、左から久次郎がくっつき、右からはおみよが抱き着き、鉄太の頭側でシロが毬を枕にして長く伸び、鉄太の足の間でアオが丸くなっている。

 全員目を閉じて、すぴすぴと可愛らしい寝息を立てていた。

 吹き込んできた紅葉が一枚、穏やかな顔に寄り添うように、ふわりと落ちた。

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