表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:眆菓の夢座敷

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

116/194

〇 ● 〇


 振り上げた足裏が男の耳を掠め、鈍い音を立てて真新しいなまこ壁にめり込んだ。

 ぱらぱらと、漆喰と瓦の欠片が肩に落ち、ひぃっ、と男が怯えた声を上げた。


「おい。さっさと吐けよ、忍」


 足を土蔵の壁にめり込ませたまま、懐手(ふところで)をした矢凪は男を睥睨した。

 店の裏にある土蔵、その更に裏手での一幕である。

 壁に背を付けたまま、ずるずるとへたり込んだのは髭面の、腹が目立つ大男。厨で動き回っているのを見つけ、捕まえて連れてきた男だ。怯えた瞳で矢凪を見上げ、ひっ、ひっ、と息を漏らしている。

 恐怖に上擦った声が、人気の無い裏手に響いた。


「なっ、なんですかい、一体……! き、急に、あんた……!」

「あ? うるせえよ、てめぇが俺とやり合った忍だってなぁ分かってんだ。きりきり鉄の場所ぉ吐きやがれ」


 男は目を白黒させた。


「し、忍……? あっ、あんた、一体何を言ってんだ! 頭がおか……っ」


 無言で、矢凪は足を振るった。


「ひぃっ!?」


 男が悲鳴を上げ、頭を抱えてうずくまる。その背に、頭に、ばらばらと壁の欠片が降り注ぐ。

 頭上ぎりぎりを掠めるように振るった足が壁を薙ぎ、一筋の線を刻んでいた。

 矢凪は男の傍らに膝をつく。うずくまる男の背に手を置き、猫撫で声をかけた。


「なぁ、おい。俺ぁそんなに難しい事言ってるか? とっとと正体表して、俺と戦えって言ってんだよ。なぁー。お前、俺と決着がまだついてねぇだろおー? ちょっと俺とやろうぜ、なぁー。ここには誰もいねえし、お前の正体も他の連中には秘密にしてやるから、な。な? ちょっとだけ、な? いいだろー、なー?」


 忍なら正体を他の奴に見られるのは嫌だろうと、精一杯気を使って人気の無い所に連れ出した矢凪である。だというのに、男はうずくまったまま、許してくださいと震えるばかり。

 む、と矢凪は眉間の皺を一段階深くした。

 なぜ、いつまでも正体を現さないのだ、こいつは。この間、ぶらぶら小舟に巻き込まれた時の帰り道では、すぐに本性を出したではないか。いらいらと、男の後頭部を見下ろす。

 そして良い事を思いついた。

 よし、殺そう。

 まさか、そのまま殺される馬鹿はいまい。いくら凄腕の忍とはいえ、殺されかけたらたまらず化けの皮を脱ぐ筈だ。

 即断即決。

 矢凪は男の首をへし折るべく、日に焼けたうなじに向かって足を振り下ろした。凄まじい音がして、矢凪の足が地面に叩きつけられる。――地面に。

 乾いた土が舞い上がり、視界が砂色に染まる。


「――(アニ)サンよォ、やめてくれや。俺ァ、前にも言ったが、兄サンと戦う気は無ェんだよ。仕事の邪魔ァされるなァ、ちと困るぜィ」


 声。

 反射で身体が動く。土煙を切り裂き叩き込まれた裏拳は、男の頬を(えぐ)る前に(かわ)された。拳の勢いのまま、踊るように背後を振り向いて、矢凪は唇をにたりと歪める。


「出たな、忍。遅ぇんだよ」


 その言葉に、男は心底困ったと言いたげな様子で、首の後ろをかいた。

 弱気で怯えた気配はそのままに、太い眉の下にある瞳は静かな光を宿してこちらを見据えている。思った通り、正体を現した。

 舞い踊る砂煙を払って、忍がしょうがねェなァ、と苦笑した。


「万一、俺じゃァなかったらどうするつもりだったんだィ、兄サン?」

「間違わねえよ。てめぇが一番、厨ん中で強そうだったからな」


 それに、厨でのお前の足運び。前に戦った時と同じもんだったからなぁ。

 そう続けて、矢凪は残念だ、とぶすくれた。


「足運びまで完璧に化けられるくれえの凄腕だと思ってたんだがなあ、てめぇ。それすらできねえとは、見込み違いだったぜ」

「そうかィ。……で、そんな見込み違いに兄サンは何の用だィ」


 矢凪は、満月と称される金色の瞳をぱちりと瞬かせた。

 きょとり、と首をかしげる。

 忍の方が、逆に困惑した様子を見せた。


「……なんで、そんな不思議そうな顔してんだィ、兄サン。俺ァなにか、難しい事ォ言ったかァ? 何の用か、って聞いただけだろ」

「決まってんだろ。戦いに来たんだよ、てめぇと」


 なんで分からねえんだ、こいつ。答えは一つしか無いだろうに。

 山での戦いは、結局こいつが逃げてうやむやになり。先日畦道で会った時は、丞幻に止められて戦えず。

 折角、全力で戦っても文句を言われない強者を見つけたのに、中々戦う事ができず矢凪は密かに不満が溜まっていたのだ。呪詛の枷がある以上、あの女――あいつも戦ったら面白そうだ――とは戦えないが、こいつに対しては何の縛りも無いのだ。

 さあ戦え、やれ戦えと目をぎらつかせて迫る矢凪に、忍が呆れた目を向けた。


「兄サン、本当にそれだけの理由で来たのかァ?」

「おう。面倒なのは丞幻に任せた」


 厨に鉄太はいなかった。あの女の腹心だろうこいつなら、行方を知っているだろう。ならば叩きのめして行方を吐かせる。

 鉄太が心配なのは勿論だが、矢凪の心の大半は現在、目の前の相手との闘争に向けられていた。

 忍がため息を吐く。ひらり、と熊のように毛深い手が振られた。


「ちなみに兄サン、俺ァ兄サンと戦う気はサラサラねェんだが」

「ほーう」


 矢凪は厨のある方角に目線を向けた。ここまでは流石に、向こうの声は届いて来ない。

 くい、と顎をしゃくる。


「今から俺ぁ厨に行って、てめぇの頭の食うモン全部引っかき回したっていいんだぜ」

「そんときゃァ、代わりに氷菓子でも用意するまでさァ」


 その言葉に、矢凪は思わず忍の胸倉を掴んだ。自分より上背があるので、ぐいと引き下げる形になる。


「なんだい、兄サン。俺ァただ、()()()でも用意しようと言っただけだぜィ?」

「あぁ!?」


 見え透いた脅迫。(えり)を掴む指に力がこもる。


「あ、ああ、いたいた! 権蔵(ごんぞう)さん!」


 胸倉を掴んだまま、壁に叩きつけようとした瞬間、背後から慌てた声が響いた。視線だけをそちらに向ける。白い前掛けを付けた男が、砂埃を巻き上げながら駆け寄ってきた。

 走るのが得意でないのだろう、手足をばだばだ大きく動かし、顔を真っ赤にして走ってきている。その一生懸命さの割には、足が遅い。ちっとも進んでいない。

 ちょい、ちょい、と地面を飛び跳ねている雀が、「なんだこいつ、変な生き物だな」みたいな顔をして男を見上げてから、ちょい、ちょい、と抜き去って行った。

 思わず二人で見守っていると、男は矢凪達の傍にようやく辿り着いた。とても長い距離を走ってきたという風情で、ふうふうと息を荒げながら汗みずくの顔を忍に向ける。


「あの、権蔵さん、早く、戻って、ください。汁物、早く、作る、どうすれば、分からない、です」

「あ、ああ、はいはい。今戻りますよ」


 一瞬で忍の表情を消した男が、やんわりと矢凪の手首を握った。力が抜ける握り方をされ、思わず緩んだ指の隙間から布が抜けていく。ちっと舌打ちをして忍の手を振り払い、一歩、二歩、背後に下がった。

 ぜえぜえと荒い息を吐きながら、男が不思議そうに矢凪を見上げた。


「権蔵さん、あの、そういえば、こちらは、どなた、さっき、も、くり、厨に、来て」

「賭け仲間ですよ。恥ずかしい話ですが最近、負けが込んでいまして。金をちゃんと払えと怒られてしまったんですよ」


 それではまた賭場で、と頭を下げた忍が、ようやく息を整えた男と連れ立って去っていく。その足運びは、先ほど厨で見かけた時と違って、普通の人となんら変わりないものだった。


「……なんだよ」


 忍の去った方向を眺めて、矢凪はついと唇を吊り上げた。

 わざと、厨では忍のそれと分かるような足さばきをしていた。自分を見つけて、厨から引っ張り出すように。焦れた矢凪が、厨を滅茶苦茶にしないように。

 まんまと策に引っかかってしまったが、気分は高揚していた。


「やっぱりできるんじゃねえか、あいつ」



 矢凪を探して厨を覗いたが、姿は見えない。どこに行ったのかしらんと首をかしげていると、土蔵の裏手でそれらしい姿を見たと大柄な男が教えてくれたので、礼を言ってそちらに向かう。


「あら、いたいた。矢凪」


 店の裏手にある土蔵の更に裏、人がほとんど通らないだろう壁と塀の隙間に薄茶髪を見つけて、丞幻はほっとして声をかけた。

 矢凪が指を噛み千切った。


「おっまええええぇぇぇぇ!? ちょっと何してんの急にいいいぃぃぃ!!」

「あ?」


 人差し指の欠片を吐き出し、矢凪が視線を向けた。慌てて駆け寄り、その手首を掴む。傷口から噴き出す血は既に止まり、肉が盛り上がってきていた。なんだよ、と首をかしげるその頭を、丞幻は勢いよく引っぱたいた。


「なにしてんの、お前は!」

「あ? 毒ぅ盛られたから食い千切ったんだよ。忍の胸倉掴んだら、あいつ衿に毒針仕込んでやがった。何の毒か分からねえし、だったら回る前に食い千切っちまえばいいだろ」


 さも当たり前のように言う矢凪の頭を、もう一度引っぱたく。


「あのねえ、いつもいつも言うけどお前は自分の身を少し大事にしてちょーだい、この馬鹿。もうお前の身体はお前だけのものじゃないんだからね、この馬鹿。小雪が今の光景見たらどう思うのかちゃんと考えて、この馬鹿。この馬鹿。この馬鹿」

「うるせえ、馬鹿馬鹿言うんじゃねえ」

「馬鹿に馬鹿と言ってなにが悪いのかしらん」


 言って、最後にもう一度矢凪の頭を引っぱたく。三度引っぱたかれてなお、いつものように反撃してこない辺り、自分が悪いことをしたと自覚はしているらしい。悪さを自覚している時はしおらしい所が、まるで実家にいる猫のようだ。

 まあ、矢凪の自分大切にしない病は後で小雪と組んで厳重抗議しよう。丞幻が言うのではいまいち矢凪に響かないようだが、愛しい女が訴えれば流石に聞くだろう。


()()が無茶して馬鹿してぼろぼろになんのは、結構くるもんがあんのよ。この馬鹿」


 無言でそっぽを向く矢凪を、もう一度たしなめる。


「……」


 金色の目が、ばつが悪そうな色を含んだ。一応、反省したのならまあ良し。今は矢凪を説教している場合ではない。


「まあいいわよ、もう。とりあえず一回長屋に戻るから、行くわよ。ここに鉄ちゃんいないみたいだし」


 忍の事や毒の事、聞きたい事は色々あるが優先は鉄太だ。

 再生した指先を動かし、矢凪は頷いた。


〇 ● 〇


「あの兄サン達にも困ったモンだぜィ。よりによってお頭の食事中に突撃した挙句、濡れ衣かけるたァなァ」


 まあ、日方を止めずに静観していた自分にも、責任の一端はあるのだが。

 頼りになる椀方(わんかた)、権蔵の姿のままで汁物の確認をしていた所、呼びに来た春風がどこか萎縮した様子なのを見て、嵐は全てを悟った。

 即座に十六夜の元に馳せ参じれば、


 ――嵐さん、日方さんはどこをほっつき歩いているんですか!? 下らない事をやらかした挙句に、この私に濡れ衣を着せたあの盆暗を、さっさと連れて来なさい!!


 怒号諸共、炎に包まれた膳が飛んできた。


 ――丞幻さん達に嫉妬と羨望を抱くならともかく、己が任務を放棄し独断専行とは何事か! 私は盆暗の忍を配下に置いた覚えはありません!! ええ、ええ、言い訳など結構、息さえしていればどこが欠けていようが構いませんので、嵐さん。


 髪を振り乱し、掻き毟り、血走った目を、ぎゅろり、嵐に据え。

 十六夜は叫怒(きょうど)した。


 ――今すぐにあの阿呆を引きずって来いッ!!


 座敷全体が震える怒号。燃え上がる掛け軸。熱風に煽られ弾ける玻璃竹。

 怒りの中でぎりぎり力を抑えているのだろう、屋敷に炎が燃え移る事はなかったが、それも時間の問題だ。嵐は無言で頭を下げ、迅速に座敷を退室した。

 例えば食事が終わった辺りに丞幻が来たとしたら、満腹ゆえに気分良く丞幻の話を聞いただろう。任務を放棄した日方に眉をひそめることはあっても、怒り狂うまではいかなかっただろう。とにもかくにも間が悪い。


「も、申し訳ありません……嵐様。私が十六夜様の食事中に、声をかけてしまったから……」


 廊下を進む嵐の後ろを着いてきた春風が、塩をかけられたなめくじのように、へこたれている。嵐は春風に向き直り、膝をついて顔を覗き込んだ。


「確かに、お頭の食事中に声ェかけたのはお前の失態だ。だがなァ、今それを理解したから次は間違えねェだろ? ほら春風、お前は早く女中の仕事に戻んなァ。今ちょうど、例の旦那が来てるぜィ」

「は、はい!」


 何度も頷き、春風が表に戻っていく。

 神無月末の大仕事の為に、両替屋の旦那に気に入られて店に引き抜かれるのがあの子の任務だ。

 廊下を曲がる小柄な背を見送って、嵐は表情を引き締めた。


「さて……日方なァ……」


 日方が何をしたのか、今どこにいるのかは、彼に付けた凪を通して嵐に入ってきている。 

 共に丞幻達を監視していた夏風を欺き、任務を放棄して子どもを攫ってはいるが、その根っこは「自分だって同じ事ができる。だから奴らを特別扱いするのを止めてほしい。自分を奴らより重用してほしい。認めて、褒めてほしい」という思考の末の暴走だ。

 口でいくら言っても、日方は止まらない。そういう質だ。ならばいっそ、と嵐は好きにさせた。任務を放り出し、私情で動いたらどのような事態になるのか、きっちり分からせる為に。


「ったく、絶妙の間でお頭の機嫌損ねてよォ。わざとじゃねェかと勘ぐっちまうぜィ、兄サン方」


 しかし嵐がどう言おうとも、十六夜の命は下ってしまった。

 お上の作った法に縛られない盗人一味にあって、頭の命令は絶対。それを(たが)える事は許されない。

 ひとまず日方の潜伏先に赴いて、状況を説明してやろう。


「マ。しょうがねェ事だが、二過は確実だろうなァ」


 後は、怒り狂った十六夜が目の前に現れた日方を殺さないようにしなければ。上手い言い訳と、頭の機嫌を落ち着かせる土産を用意させないと。


「ちと、出かけてきます」


 権蔵の顏で厨に一声かけ、嵐は日方の潜む方角へと爪先を向ける。

 見失う筈も無い大柄なその姿は、寒風に紛れてあっという間に消えてしまった。

懐手=着物の袖に手を通さず、懐に入れている事。

椀方=板前の職位の一つ。椀ものを担当する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ