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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:喪中の家

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110/193

〇 ● 〇


 ぐち、ぐち、ぐち。がりん、ごりん、がりん。

 葬儀の間から、聞くに堪えない咀嚼音(そしゃくおん)がこちらまで響いてくる。


「……もう、声出してもいいわよー」


 身体を震わせ続ける武則に、丞幻は静かに声をかけた。口を塞いでいた手をそおっと外すが、奥歯を小さく鳴らすばかりで反応は無い。

 まあ、無理もないわねえ、と胸中でひとりごちる。

 眼前で、自分達が怪異に嬲り殺された光景を見てしまったのだ。平然としてはいられないだろう。

 流石の丞幻も、自分の頭が囲炉裏に叩きつけられて火に包まれた瞬間は、見ていて胸が悪くなった。

 触れあっている肩が、小刻みに震えている。は、は、と短く速い呼吸が繰り返され、肩が激しく上下していた。まだ幼さの目立つ顏には色が無い。


「だから目を閉じて耳を塞いどけ、って言ったでしょー……」


 ほんの、四半刻前の事。

 捧香から戻ってきた武則が、「うっかり手を叩いてしまいました、すみません」と言った瞬間、冷たい瘴気が這い寄ってきたのが丞幻と矢凪には分かった。

 かたんっ、と棺桶の蓋が外れる音。

 何か、質量のあるものが畳を踏みしめる音。

 ――出てきた。

 そこからの行動は早かった。

 部屋の隅に矢凪と共に武則を連れて固まり、煙管の煙で結界を作る。そうして矢凪に持たせていた三つの紙人形に、霊力を込めてもらった。紙人形が淡い光を放って、たちまち丞幻達と瓜二つの姿に変化する。

 持ってきていた、身代わり用の紙人形だ。

 身代わり人形が囲炉裏で談笑している間、丞幻は武則に説明した。

 この家は怪異であること。間違った葬儀の方法を行わなければならないこと。正しい作法を行えば、棺桶に収められた故人が起き出して食らいに来ること。


「今から、そいつが来るわー。多分、凄くいやーな事が起こるだろうから、目と耳を塞いでた方が良いわよ。この煙の中にいる以上は安全だけど、少しでも声を出したら見つかっちゃうからねー」


 説明を終えてそう告げると、武則は顔色を紙のように白茶けさせて、それでも自分が引き起こしたことだから見届けると言ったのだ。

 丞幻は自分達をうっすらと取り巻く白煙を手で払って結界をかき消し、武則の背をさすった。荒れた部屋の隅で何度もそうしていると、呼吸がゆっくりと、深いものに変わっていく。


「笹辺殿、ほらこれ。金平糖。食べなさいな。甘くて美味しいわよー」


 懐から小さな巾着を取り出し、口を開いて武則の手のひらに中身を出す。橙、白、黄、赤、色とりどりの金平糖が、肌色の地に小山を作った。それを一つずつ、武則はゆっくりと齧り始める。

 甘い物を食べれば、少しは気持ちが落ち着くだろう。

 丞幻は立ち上がって、室内を見渡した。


「しかし、えらく暴れたわねー。ひっどいもんだわ」


 身代わりから飛び散っていた肉片や血は、細かい紙片に変わって辺り一面に散っていた。

 天井には大穴が開いているが、かろうじて吊られた玻璃竹が一つ残っている為、明かりは確保されている。何度も身代わりが叩きつけられていた囲炉裏端も完全に破壊され、灰と木切れが飛び散っている。畳に降り積もる灰が雪のようだ。

 腰に手を当て、天井に開いた真っ黒な穴を見上げる。雨音と風音は依然続いているが、穴の向こうは闇が広がるばかりで何も落ちてはこない。


「大穴開いてんのに雨も風も吹きこんでこないってのは、この家が外と切り離された異界と化してるってことかしらん。まあ喪中の家って、一つ所にあるんじゃなくて街道沿いならどこにでも出るらしいしねえ。家自体が異界化してるのはまあ予想してたけどー」

「……丞幻殿」

「なあに?」


 振り返ると、金平糖を食べ終えた武則が部屋の隅で座り込んだまま、こちらを見上げている。顔色はまだ悪いが、身体の震えは収まってきているようだ。


「あれが、そうなのですか……?」


 あやふやな言葉だが、意味を正しく理解して丞幻は頷いた。


「そ。あれが、葬儀を正しく行うと出てくる、棺桶の中身よー」

「なんで、なんでそれを言ってくれなかったんですか!? あの棺桶には怪異がいると! 襲ってくると! 言われていたら、いたら……!」


 責めるような悲鳴が、喉の奥で絡まって消える。

 言葉に詰まって肩を震わせる武則の傍へ戻り、丞幻は片膝を付く。恐怖に揺れる亜麻色の瞳に、しっかりと視線を合わせた。


「そうね。本当は、ちゃんと危ないって言ってあげたかったんだけどねえ。それもここでは、言ったらいけないのよ。それを伝えてしまえば、あれはすぐに起きてくるからねえ」


 この家が怪異の罠であると気づいても、知らないふりをしなければならない。もしも気づいて騒ぎ、逃げようとすれば、すぐにあれが起きて襲ってくるのだ。

 一度、喪中の家に足を入れた者が無事に朝の光を拝みたければ、何も気づいていない風を装って、一晩中葬儀の真似事をするしかない。


「だから、言えなかったのは本当に申し訳なかったわ。怖い思いをさせて悪かったわね、笹辺殿」


 言って、頭を下げる。


「あのっ、いえ……、すみません……元はと言えば私のせいなのに、丞幻殿に八つ当たりをしてしまって……本当に申し訳ありません。私が、ちゃんと手順を守っていれば、こうはならなかったのに……」

「あら、いいのよー、いくらでも八つ当たりしちゃって。吐かれた罵声は数知れず、ついたあだ名は星の数、海より山より深い心でどんな罵りも受け入れる、八つ当たりの丞幻とはワシの事よ!」


 高らかに宣言し、役者のように大袈裟な動作で裾を(ひるがえ)すと、青白い顏が僅かに緩んだ。


「その二つ名だと、まるで丞幻殿が八つ当たりをするように聞こえます」

「あらやだ、本当ねえー。まあよくある事よ」


 そうでしょうか、と武則は首を捻った。


「あの、そういえば丞幻殿。……その、葬儀の手順を正しく行うと、あれが出てくると言っていましたが」

「そうよー。間違うと出てくる、じゃなくて正しく行うと、って所が嫌らしいわねー」

「では、最初に教えてくれた悪口葬儀の手順は、正しいものではないという事ですか?」

「ああ、あれは全部でたらめよ」


 え、と武則の目が激しく瞬いた。

 教えたあの作法は、喪中の家に誘い込まれて生きて出られた人々の話を集め、対策として考え出されたものだ。異怪奉行所で発刊されている『みんなの怪異~貴墨編~』にもしっかりと記されている。悪口葬儀なんてものは存在しない。

 怪異対策の為のものとは言えず、咄嗟に適当な話をでっち上げたのである。


「ではあの、あちらの部屋で起こった異様な出来事は一体……?」

「罠よー。おかしい事が立て続けに起これば、ついつい正しい作法をして、弔ってやった方がいいんじゃないか、怖いことは起こらないんじゃないか、って思うでしょう?」

「ああ、確かに……」


 頷いた武則が、丞幻の肩越しに襖を見やった。


「ところで、矢凪殿はどこに行ったのですか……?」


 あれが身代わりを引きずっていった後、矢凪は気配を消してそれを追って行った。葬儀の間から聞こえていた咀嚼音は、すでに聞こえない。

 丞幻は軽く肩をすくめる。


「ああ、あれをちょっと封じにね」

「封じに……ということは、丞幻殿と矢凪殿は、祓い屋なのですか?」

「まあ、そんな所かしらねー。今回はちょっと、ここに出るあの亡者を捕まえるよう頼まれたのよ」

「そうなんですね……」


 納得したように頷いた武則に、そうなのよ、と丞幻は頷いた。



「おう、終わったぞ」

「はーい、ありがとー矢凪」


 戻ってきた矢凪を、ひらりと手を振って出迎える。

 眉間に皺を刻んだまま、矢凪は武則に視線を滑らせた。武則は部屋の隅に丸くなり、眠っている。あれは封じたからもう大丈夫だと言った途端に、気絶するように倒れて眠ってしまったのだ。


「寝たのか、そいつ」

「寝たわよ。気が緩んじゃったみたーい」


 ふうん、と興味の無い様子で呟いて、矢凪は丞幻の近くに腰を下ろした。そうしてすぐ、不快そうに眉をしかめて立ち上がる。畳に散らばる木っ端や灰をぱたぱたと手で払ってから、もう一度座った。

 囲炉裏の火が消えた為に、段々と部屋からは熱が消えてきている。剥き出しの手や首が少し冷たい。

 袖に両手を差し入れてさすっていると、矢凪が不機嫌な声を上げた。


「なあ。もう終わったし、帰ろうぜ」

「そうねー。帰りたいのはワシもだけど、もうちょいここにいなきゃ駄目よー。この家ってね、一回入ると夜が明けない限り出られないのよー」

「あ? あの亡者封じたんならいいんじゃねえのか」


 丞幻は、無言で首を横に振った。

 この怪異の核は、家そのもの。棺桶内の亡者を祓えど封じれど、喪中の家自体に痛手は与えられないのだ。次にどこかに家が現れた時、また棺桶の中には亡者が収まっているらしい。

 顔をしかめて、矢凪が吐き捨てた。


「糞が」

「うんうん。お前の愛しい恋女房が来たばっかなのに、置いてきちゃったもんねえ。早く帰ってくっつきたいのは分かるけど、もーちょっと我慢してねえ」


 返答の代わりに瓢箪が飛んできた。


「あっぶなあ! お前ね、照れ隠しに暴力振るうのは止めてってば!」


 酒がまだたっぷり入った瓢箪を受け止め、ついでに二、三口飲んで投げ返す。飲んだな、という目で見られたが、投げて来たのはお前でしょ、と視線で返した。


「しかしほんっと、いやーな時に来たわよねえ。もーちょいこっちの都合ってもんも考えてほしいわー。ワシらが断れないからって、偉そうにあれこれ指図しちゃって、もう! 奉公先が真っ黒ですって奉行所に訴えてやろうかしらっ」


 昼餉後、使いが持ってきた十六夜からの指示は、「喪中の家にいる亡者を起こした後、また封じ直したものを持ってきて欲しい」というものだった。

 亡者を起こすという事は、捧香の手順を正しく行うという事。そして捧香を正しく行えば、起きたそれはこちらを食い散らかしにかかる。

 指示を聞いた丞幻は、あの女こっちを殺す気かしらん、と本気で思った。

 まあ、そうならないように身代わりの紙人形を持ち込んだのだが。

 夜にならないと家は現れないので、出そうな場所を矢凪の霊力を使って占ってもらい、家が出たと同時に中に入る。さっさと亡者を叩き起こして、終わらせるのが当初の計画だった。


「しかしまさか、この嵐の中で歩いてくる奴がいるとは思わなかったわよ」


 隅っこで身体を丸め、眠る武則を顧みる。

 自分達だけならともかく、徒人の目の前で亡者を出すわけにはいかない。今日の所は諦めて、捕獲は明日に回そうとしたのだ。


「いやー。紙人形、三つ持ってて良かったわあ」

「よく人形三つ持ってきたな、てめえ」


 同じ方向に視線を向けた矢凪の言葉に、丞幻はぼんやりと笑った。


「なんとなくね、三つ持っていった方がいいかなーって思ったのよ。勘ね、勘」

「ああ、勘は大事だな」

「ね。ワシの勘ってよく当たるのよー、富くじは当たんないけど」


 笑うと、矢凪が仏頂面のまま肩をすくめた。


「ま、向こうさんは俺を囮に使えばいいとでも思ってそうだけどな」


 丞幻も笑顔を消して、ふんと息を吐く。


「でしょうね」


 生餌の匂いというのは、怪異にとっては得も言われぬ芳香だ。かつて対峙した、夕方以降に現れる怪異・友引娘もその香りに惹かれ、昼間に出現した事がある。

 今は蓮丞の作ってくれた守り紐で押さえられているが、それを外せば怪異まっしぐらな匂いが辺り一面に撒き散らされ、そこら一帯の怪異が軒並みすっ飛んでくるというとんでもない事態になる。

 守り紐を外す事で生餌の匂いを出し、それに惹かれた亡者が棺桶から現れて矢凪を貪り棺桶に戻った後、丞幻が封じの札を貼ればいい、とでも考えているのだろう。敵意と悪意に満ちた推測でしかないかもしれないが、おおむね的を射ているだろうな、と思っている。

 全く、冗談じゃないわよねえ。人の助手を怪異ほいほいお手軽食材扱いしないでほしいわ。

 肩をひょいとすくめて気分を切り替え、丞幻はへらりと笑った。


「ま、一回亡者が封印されるなり、倒されるなりしたら、その日はもう亡者は現れないから、ワシらも寝ましょ。夜が明けたら棺桶あの女ん所に運んで、さくっと帰りましょ。ああそうだ、留守番してくれたシロちゃん達へのお詫びがてら、朝餉はどっか食べに行く? 矢凪、お前どこがいい?」

「あー……」


 腕を組んで顔を天井に向け、しばし唸った後。

 にぎりまる、と矢凪はぼそりと呟いた。

怪異名:喪中の家

危険度:丙

概要:

 貴墨へ向かう街道沿いに現れる家。

 家の中は無人であり、誰のものともしれない葬儀が行われている。

 そこで正しい葬儀を行う、この家は怪異由来のものだと言及する、葬儀を行わなず無視すると、棺桶の中に安置されている亡者が起きだし、家の中にいる者を襲って食い散らかす。


 対処法は確立されており、

 一、割れた鈴を鳴らす。

 二、音を出さずに指先だけで手を二度叩く。

 三、祭壇と棺桶に向かい、悪口雑言を吐く。

 四、半切の根万香を一本、香炉に刺す。


 これを半時ごとに行う。

 夜明けになれば家の外に出ることができるが、夜が明けるまでは家から出ることができない。

 

(追記)

 二十年前に一度封印したが、封印を施した術者の命と封印が直結していた為に封印がほどけた。現在、再封印の準備中。←命と直結するからこんなことになるんだ。自分が死んだら封印が解けるなんて分かってるだろうに。おかげでそいつが封印した他の怪異も逃げ出して、大変なんだ。蘇生させて拷問してやろうか。

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