後
「しょっか! あ、ここね、ここ! おひるねのばしょ!」
「ここな、本がいっぱいあるんだ。日に焼けるから、あんまりあそこ開けちゃだめなんだけどな、一番お日様が入ってくるんだぞ」
自室の隣にある部屋の中は、書物問屋かと思うほどに本が置かれていた。
戸の正面には窓。そこ以外の壁には棚が並び、無数の本や巻物が詰め込まれている。
部屋の中心にも背中合わせになった棚が四つ置かれ、そこには本の他に芝居の面、ぞっとするほど本物そっくりな人形、琥珀の帯留め、錆びた鈴、真っ二つになった刀の鍔、赤茶けた縄束、紐でくくられた数本の筆、割れた硯、鏡面が黒く塗られた鏡……一見すればがらくたに見えるものが無造作に押し込められていた。
「はあー……」
ぐるりと室内を見渡して、お世辞抜きで小雪は感嘆する。
「凄いねえ、この本の量。よくこれだけ集めたもんだよ」
「丞幻がな、いっぱい集めたんだ。本はいくらでも見ていいんだけどな、真ん中の棚はな、呪いの人形とか、いわくつきのやつなんだぞ」
帯留めに伸ばそうとした指を、思わず小雪は引っ込めた。
「……なんでそんなもの、ここにあるんだい」
「ネタにゃの!」
「丞幻が話を書くのに、ネタになるわーって、集めてるんだ」
「ふうん……」
小雪は獣がするように鼻に皺を寄せ、棚から二、三歩下がる。
物書きというのはよく分からない。いくら話のネタになるとはいえ、よくまあ曰く付きをここまで集めたものだ。丞幻は怪異を視る事はできるが、祓う事はできないと矢凪が話していた。もしこの曰く付き達が、暴れ出したらどうするつもりなのだろう。ここには、小さい子達もいるのに。
がらくたにしか見えないそれらを見つめていると、胸の奥が妙にざわついて落ち着かない。小雪は視線をそらして、そそくさと部屋から出た。シロとアオは平然とした顔で部屋から出てくると、また小雪の両手を引っ張った。
「じゃあな、じゃあな、次はこっちだぞ。だいじょぶだ、こっちは怖くないぞ」
「あのねー、矢凪がおしゃけのむ、しゅきなとこ、あうの」
「え、旦那様の好きな所?」
その言葉に、たちまち胸を覆っていた、ざらついたものが消えた。我ながら単純である。
本が収められている部屋の隣にも、いくつか襖があったがそこは空き部屋らしい。ので、通り過ぎて突き当たりまで歩き、そこを曲がった。「口」の一番上に当たる部分だ。
襖も窓も無い廊下の中心辺りに、長火鉢と座布団が置かれている。壁際に寄せるように置かれたそれを、シロが指さした。
「ほらほら、ここだぞ、ここ。ここな、最近矢凪がお気に入りなんだ」
「おじゃぶとんね、ふわふわよ! しゅわっていいよ!」
「ここ? なんで旦那様は、ここが好きなんだい? なにがあるわけでも無いだろ? 長火鉢と座布団があっても、廊下に座ってたら寒いじゃないか」
自分の部屋があるだろうに、なぜここが気に入りの場所なんだろう。
首をかしげる。座布団に早速飛び乗るアオを尻目に、シロはにまにまと唇を緩めた。ぴっ、と白い人差し指が床を指す。
「あのな、おれの立ってる、ここの下に、酒蔵があるんだ。だから矢凪が、だーいすきなんだ、ここ」
居候し始めた頃こそ、持ち出した酒は自室に持ち帰って飲んでいた。それがいつからか戻るのが面倒になったようで、酒蔵から上がってくるなりその場に座って飲むようになっていたのだ。
最近は寒くなってきたからと、わざわざ長火鉢と座布団を買ってきて設置し、温まりながら飲んでいる。つまみを焼く網も万全だ。
「するめとかな、餅とかな、焼いてるんだ。おれ達にも分けてくれるんだぞ」
「ここにかくしてうの! オレしってうの! においでわかりゅの!」
飴色の長火鉢の側面には、小さな引き出しが三つ縦に並んでいる。座布団に腹ばいになったアオが、指を丸めてかしかしと引っかいた。
まるで犬か猫のするような仕草に、小雪は目元を和ませた。
引き出しの取っ手を弄っているアオの頭を、しゃがみこんでくしゃりと撫でる。
「匂いで分かるなんて、アオは凄いねえ。本物のわんこにも、負けないんじゃないかい?」
「しょだよ! だってね、オレね、かい」
「あーおれまだ星粒糖持ってたなーでもおれはお腹いっぱいだからアオにあげるなー」
「おいちい!」
振袖を揺らして腕を振りかぶり、星粒糖をアオ目掛けて投げるシロ。機敏に立ち上がったアオが、すかさず口で受け止めて笑顔になる。
ふぅー……と小雪は長く、細く息を吐いた。
「――すき」
両手で顔を覆い、真顔で呟く。
部屋に戻るのが面倒臭くて、その場で飲み始めるのが矢凪らしい。しかもそんな無精をしているのに、寒いからと長火鉢と座布団を用意するちゃっかりぶりが愛らしい。
「なんでそういうかわいいことするかな、あたしのだんなさま……むり。かわいい。すき」
「……かわいいか、矢凪? おれの方がかわいいぞ」
「しょーよ。オレのが、かあいいしょー!」
「うん、うん。大丈夫。二人も可愛いよ」
二人の方が可愛い、とは言わずに、不満そうなシロとアオの頭を撫でた。二人も十分に可愛いとは思うが、小雪にとってはやっぱり矢凪が一番可愛いのだ。
長火鉢に別れを告げて、ひねもす亭の右側廊下に足を踏み入れる。こちらも左側と同様の作りで、廊下の内側に部屋は無く、外側に襖がずらりと並んでいた。
廊下を何歩か歩いて、小雪は振り返った。細い首をことりとかたむける。
「どうしたんだい、ちびちゃん達。そこで立ち止まっちゃって」
両手が軽いと思ったら、シロとアオが着いてきていない。廊下の横と縦が交わる辺りで、二人は手を繋いで立ち止まっていた。
その眉が、どこか不機嫌そうにしかめられている。
「こっちに来ないのかい?」
「あにょねー、そっち、めーなの。いっちゃめーって、丞幻がいっちゃの」
「あのな、そっちの部屋、壊れるのが多いんだ。だからな、そっち行っちゃだめなんだ。行ったら怒られるんだ」
だから、とシロは続けた。
「そっちは小雪一人で行ってくれ。おれとアオは、お部屋で待ってるから。あのな、本当に壊れやすいのがいっぱいあって危ないから、部屋に入っちゃだめだぞ。見るだけならいいぞ」
「うん、うん、分かったよ」
しつこいくらいに念を押すシロに、小雪は安心させるように頷いてみせた。
「大丈夫だよ、部屋には入らないから。外側から見るだけにするからね」
もう一度約束すると、シロ達はほっとしたような顔をした。手を振って、元来た廊下を駆けて行く。
部屋を見るだけで大袈裟だ、とは思った。
もしかしたらシロもアオも、部屋にあるものを壊して、怒られた事があるのかもしれない。それで小雪も叱られないように、一生懸命注意してくれているのだろう。
そんな事を思いながら、襖を開ける。
「わあっ……」
小雪のぱっちりした目が、更にぱっちりと見開かれた。
八畳ほどの部屋だ。調度品の類はなにも置かれておらず、寒々しい印象を受ける。しかし視線を天井に上げれば、その印象は一変した。
天井には、わずかに青みを帯びた水晶で作られた風鈴が、吊るされていた。それも木目が見えないほどに、びっしりと。
襖を開けた際の僅かな風の動きで、風鈴がちりちりと音を立てる。
細かな模様の彫り込まれた風鈴は見た目も美しいが、こうも多いと逆に不気味だ。小雪は無言で襖を閉めた。
「わあ、こっちもかい」
隣の部屋も同じだった。
天井一杯に、水晶の風鈴が吊るされて涼やかな音を立てている。よく見れば風鈴の短冊までが水晶で作られていた。
次も、その次の部屋も。右側廊下の部屋に全て、水晶の風鈴が天井から下がっていた。
「前に、魔除け売りでも住んでたのかなあ。凄い数だねえ」
全部の部屋に吊るされた風鈴を数えれば、ゆうに百を超えるだろう。
水晶で作られた風鈴は、魔除けの呪具になる。下げておけば、その涼やかな音色で怪異を遠ざけるのだ。
成程、と小雪は納得した。
ちび達が部屋でばたばた暴れれば、風鈴が落ちてしまう。一個だけならともかく、連鎖して次々風鈴が落ちれば戻すのも苦労するし、割れた破片で怪我をしたらことだ。
シロとアオが、入るなと厳命されるわけである。
「ただいま。凄い数の風鈴だったねえ」
シロとアオの部屋に顔を出すと、愛らしい顏が二つ、ぱっとこちらを振り向いた。
「おかーり! ふーりん、しゅごかたでしょ! いっぱいでしょ!」
「うん、凄かったよお。あそこで遊んだら、風鈴が落ちちゃうから入っちゃ駄目なんだねえ」
「そうそう、そうだぞ。危ないから、小雪も入っちゃだめだぞ」
「うん、そうするよ」
散らばった独楽やおはじきを避けながら、畳に腰を下ろす。
飴玉のようなおはじきを手慰みに弄りながら、小雪は何の気なしに呟いた。
「そういえばここって、中庭には行けないんだねえ」
回廊型の屋敷なら、中庭があってもおかしくない。屋敷を一周してみたが庭を見る窓も、庭に出る戸も見当たらなかった。
「そうだぞ。だからな、中庭に行く戸があったら、そこには入っちゃだめだからな。怪異がいたずらしてるんだ。怖い目に合うから、だめだぞ」
「ああ、そういう話、聞いた事あるよ。見慣れない戸に入ったら、怪異に食べられたり、別の所に飛ばされたりするんだっけ」
きりっと顔を引き締めたアオが、小雪の袖を引いた。
「しょ! こあいの! あんね、なかにわはね、かたしゅ」
「うわーどうしたことだ、こんな所に丞幻が隠してたまんじゅうが」
「おまんじゅ!!」
ぽーん、と部屋の隅に投げられた饅頭を追いかけるアオ。
犬の子のような動きに、ころころと小雪は声を立てて笑った。
シロとアオが――というよりは、丞幻だろうか。とにかく彼らが小雪に対して、何かを隠しているのは分かる。
先ほどからアオが何かを言いかけて、それをシロが止めているのがその証拠だ。
小雪に対して、よからぬ企みをしているとか、意地悪をしてやろう、とかではない。むしろ逆。怖がらせないよう、不安にさせないよう、気を使ってくれているように感じた。
「旦那様達、今日中には帰ってこれないかもって言ってたねえ。財布は置いてってもらったから、もう少ししたら夕餉のおかずを買いにいこっか。あたしは買い物とか、まだ慣れてないから、二人に色々教えてもらうけど、いいかい?」
「分かったぞ、おれ達に任せろ!」
「う!」
「ありがとうね」
だから小雪は、何も言わないし聞かないことにした。その必要が来たら、話してくれるだろうと考えて、のんびり待つ事にする。
「買い物に行くには、ちょっと早いかなあ」
「じゃあ小雪、これ読んでくれ、これ。『治郎兵衛笑覧旅草子』」
シロが絵草子一冊、胸に抱えて小雪の膝に座った。足袋に包まれた足を畳の上に投げ出して、ぱたぱたとさせる。
「いいよ。これ、面白いよねえ。あたしも好きだよ」
「オレも! オレもよむー! きくー!」
小雪はシロの前に腕を回し、絵草子をぺらりと開いた。饅頭を頬張りながら、アオも小雪の脇から頭を出す。畳に腹ばいになり、頭だけを脇から出している姿は、犬の子のようで愛らしい。
「『笑覧、笑覧、大笑覧。貴墨は藤南、何処其処長屋。本日治郎兵衛草鞋を履いて――』」
絵草子の読み聞かせは、禿達にもよくやっていたから得意だ。ありまもこれが好きで、読んで欲しいと何度せがまれたことか。
「あの子は大丈夫かなあ……」
ありまとは、あの時以降会えていない。あの子が一番ひどかったようで、別の場所で療養させるのだと同心達が言っていた。
またどっかで、元気な姿を見たいなあ。
ぼんやりとそんな事を思いつつ、小雪は新しい家族達にのんびりと絵草子を読み聞かせた。
いつも「ひねもす亭は本日ものたり」をお読みいただきありがとうございます。
私事ではありますが、インフルエンザのあん畜生にかかってしまいました(;・∀・)
熱、頭痛がひどく、本編を更新できない状況なので、「ひねもす亭探検隊」の後編を出した後で、しばしお休みさせていただきます。感想返信もできませんが、申し訳ありません。
次回更新日は12月14日を予定しています。




