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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
呪術:廽子呪胎

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102/194

二十

 板間に放り出された矢凪の草履を片付け、両手を頭上に上げてぐうっと伸ばす。ぱきぱきとあちこちが鳴った。


「さて、そろそろ落ち着いたかしらん」


 耳を(つんざ)かんばかりに響いていた泣き声は、少し前からすすり泣くような声に変わり、どんどん小さくなっていき、丞幻が廊下に足を踏み入れた時にはすっかり聞こえなくなっていた。

 矢凪の部屋の襖に、シロとアオがぴったりとくっついて中の様子を伺っている。


「……なーにしてんの、シロちゃんアオちゃん」


 二体は、襖に開いた僅かな隙間から目をそらさずに答えた。


「のぞきみ」

「のじょみみ」

「こら、駄目でしょ。矢凪と泡雪花魁がお話してるんだから、そっとしといてやりなさい。行儀が悪いわよ」


 そう言いながら、丞幻も襖に近づいて隙間に目を押し付けた。下から「お前が言うな」とでも言いたげな視線が二つ、ぶすぶす突き刺さる。

 細い隙間の向こうで、矢凪はこちらに背中を向けていた。胡坐の上で花魁を横抱きにしているのか、矢凪の右脇の辺りから着物の裾と裸足の足が二本見えている。

 ひしょぽしょと、シロが口元に手を当てて囁いた。


「さっきまでな、いっぱい泣いてたんだけどな、今は静かになったぞ」

「すぴすぴしてらの」

「あら、泣きすぎて疲れて寝落ちしちゃったのかしらん」


 くふくふ、と小さな手を口元に当てたシロが笑った。


「子どもみたいだな」

「しょーがないでしょ、色々あったんだから」

「いりょいりょ?」

「そうよアオちゃん。色々あったの。ほら、おしるこの姐さんと別れて一回ここに戻って、呪具用意して蒼一郎ちゃんに羽二重楼まで送ってもらって、そっからアオちゃんに異怪に行ってもらってる間ね、花魁は大変な思いをしてたの。それでいっぱい頑張ったから、疲れちゃったのよー」

「う!」


 成程、と言いたげにアオが長い尾を振る。


「おい」


 襖の前でひそひそ話していた丞幻達は、室内から飛んできた鋭い声に飛び上がった。

 恐る恐る隙間の向こうを見れば、矢凪が肩越しに振り向き、半眼でこちらをねめつけている。何してんだてめぇら、と言いたげな眼光に、丞幻達は襖を引き開けた。

 あはは……と取り繕うように笑って室内に入る。


「悪かったわよう。いつ入っていいか、ちょーっと分かんなくってねえ」

「ごめちゃい」

「ごめんなさい」


 頭を下げる一人と二体に、ふん、と矢凪は不機嫌そうに鼻を鳴らしてそっぽを向いた。その腕の中にいる泡雪花魁は、矢凪の胸にぴったりと頭を預けて目を閉じていた。

 雪のように白い肌が、泣きすぎて赤くなっていて痛々しい。特に真っ赤になって腫れているのが目元と鼻で、目がちゃんと開くのだろうかと心配になる。

 あれは、後で冷やさないと痛いわねえ。


「笹山殿は帰ったわよ。泡雪花魁からも話を聞きたいから、落ち着いたら異怪に連れてきてほしいって言ってたわー」


 よっこいしょ、と爺臭い掛け声を上げながら、矢凪の真正面に腰を下ろして胡坐をかく。すかさずそこに、アオを抱っこしたシロがちょこんと腰かけた。


「なにか危ない事に巻き込まれてるんじゃないか、って心配されちゃったわ。ひとまずはワシらで考えた言い訳で通してくれるみたいだから、泡雪花魁にも口裏合わせてもらうように頼みましょ」


 花魁の細い指が、矢凪の腕を掴んでいる。袖にはくっきりとした(しわ)ができていて、絶対に離すものかという強い意思が見えた。

 それでも表情は穏やかで、悪夢に(うな)されてはいないらしいとほっとする。


「まあ、そん時は矢凪、お前任せたわよ。花魁に頼んでちょーだいね」

「なんで俺なんだよ」


 不思議そうに首をかしげる助手に、丞幻は己の喉元をすーっと親指で横になぞった。


「ワシの言う事、そちらの姐さんがまともに聞くわけないでしょ。人の事『間夫』だって言って殺そうとしてくんのよ。お前の言う事なら素直に聞くでしょーよ」


 だからよろしくね、と重ねて頼むと、矢凪は不承不承頷いた。


「そういや、よお」


 少しの間を置いて、仏頂面のまま矢凪が口を開く。


「んー?」

「為成の野郎には言わねえのか」

「んー」


 生返事をして、丞幻はシロのつむじに顎を乗せた。そのままぐりぐりと顎を動かせば、きゃっきゃと楽しそうに笑う声が下から聞こえる。


「やめろ、ばかー。痛いぞ」

「オレも! ちゅぎ、オレもね!」

「はいはい。……話そうかとは思ったんだけどねえ。異怪の方に、あの女の手下が潜り込んでるかもしれないでしょ? あんまり疑われる真似はしたくないのよ、今ん(とこ)


 すっかり短くなった泡雪の髪を撫でながら、矢凪は納得したような顔をした。


「あー、そっちの線か。俺ぁてっきり、あいつも疑ってんのかと」

「まあ、ちょっとはね。お前の友達とはいえ、頭っから信頼できない、ってのはあるわよー。お前と違って、ワシは笹山殿とは付き合い長くないんだから、人となりもしっかり分からんし。しょーじき、向こうと通じてたって言っても驚かんわよ」


 別に、隠す事でもない。あけすけに本音を言うと、矢凪は唇の片端を吊り上げて皮肉気に笑った。


「安心しろ。あいつぁ気兼ねなく悪党を拷問できるから、善良な奴等の味方やってんだよ」


 だって悪党になったら、自分(てめぇ)が同じ目に合う日が来るだろうからな。拷問は好きでも、されるなぁ嫌いなんだあいつは。

 ふん、とふんぞり返る矢凪に、「誰だって嫌いだわよ、拷問されるのは」とこっそり呟く丞幻である。


「まあ、そういう事だからあいつはあの女に擦り寄りゃしねえよ」


 どうやら矢凪なりに、為成を庇っているらしい。

 友人が疑われるのは不本意なのだろう。本当に身内や友人に甘い男だ。

 少し伸びてきた口髭を引っ張りながら苦笑した丞幻は、ふと小首をかしげた。そういえば。


「ところで雇い主のワシが『間夫』なら、笹山殿は何なのかしらね。妾か、ワシと同じ間夫か。どっちかしらねー」

「あ? 普通に友達だろ」

「えー、どうかしらん。だってただの友達ならともかく、お前を拷問して殺したでしょ、笹山ど……ん? てことは、泡雪花魁にとって笹山殿って間夫どころの話じゃないわね。だって愛しいお前を殺した挙句に埋めてるんだもんね?」

「あ」


 思わず視線を見交わす。冷や汗が一筋、丞幻と矢凪の頬を伝った。


「えちょっと待って待って待って。今ワシの頭の中で、頭に白い鉢巻してそこに刺身包丁二本挟んで両手に鉈持った花魁が笹山殿追っかけ回してるんだけど」


 物凄く恐ろしい光景が脳裏に浮かんだ。

 一つ屋根の下で過ごしていた丞幻にすら、「間夫」と怒鳴って氷塊をぶん投げてくる女だ。もし、もしもの話。うっかりどこかで為成の所業を知ったとしたら……やりかねない。


「ああぁ……鍛えに鍛えた作家としての想像力がワシを追い詰めていく……」


 髪を振り乱し目を吊り上げ、蟷螂のように両手の鉈を振りかぶる泡雪が、脳裏から消えない。頭を抱えて呻いていると、向かいの矢凪も頭を抱えていた。

 きょとり、とシロが大きな瞳を動かして丞幻を見上げた。


「なんだなんだ、芝居の話か? 心中物か?」

「違うわよー、シロちゃん。どっちかと言えば花魁による同心仇討ち物っていうか……」

「いちゅやるの、それ! オレみちゃい、みうー!! ちゅれてて!」

「いやー、できれば幕が一生上がってほしくない芝居だわねえ」

「………………絶対(ぜってぇ)、泡雪と為成は合わせねえ。絶対(ぜってぇ)


 泡雪を抱えながら頭も抱えるという、器用な真似をした矢凪がぼそりと零した。一も二もなく、丞幻も頷く。


「そうしましょそうしましょ。知り合いが瓦版の顔になるのはごめんだわ」


 こほん、と咳ばらいを一つ。だいぶ話題がそれてしまった。


「えーと、なんだったかしらん。あー、そうそう。笹山殿の手を借りるかどうかだったわねー。とりあえず、今の所は大丈夫よ。だからお前も、うっかり笹山殿にあれこれ漏らさないようにね」

「おう」

「う!」


 大人二人の話が終わったとみるや、シロに大人しく抱かれていたアオが甘えるように鼻を鳴らした。撫でろ撫でろ、と首を伸ばしてくる。

 はいはい、と青い毛並みに包まれた頭に手を伸ばし、三角の耳をくすぐる。尻尾を千切れんばかりに振りながら、アオは穏やかに眠る泡雪に鼻先を向けた。

 襟足の辺りでばらばらになった氷色の毛先を、不思議そうに見る。


「ねー。なっで、矢凪のしゅきなひと、かみ、みじかーの?」


 言われて、そういえばと丞幻も目をやった。

 蛍声か、操られていた連中に切られたのか。素人がやったような、乱雑な切り口だ。撫で肩を流れる美しい氷色を昨日目にしていただけに、余計に無惨さが際立っている。

 あのな、と頭を振って丞幻の顎を追い払ったシロが、くりっと顔を上向けた。


「なーに、シロちゃん」

「矢凪の恋女房な、自分で髪を切った、って言ってたぞ」

「自分で?」


 一体どうして、そんな事を。

 問うように見やった矢凪の顏が、痛みをこらえるようにしかめられる。労わるように、何度も何度も、武骨な指が泡雪の髪を滑った。

 分かりやすいくらいにしょげ返った矢凪を無言で見守っていると、もそもそと口が開かれた。


「……これを、取りに戻ったんだと。したら、連中に追い詰められて髪掴まれたから、切って庭に飛び降りた、らしい」

「あらなぁに、それ。菫?」

「ん」


 髪を撫でていない方の手に乗っていたのは、この辺では珍しい紫色の菫だ。

 淡い色の花弁が、小さな氷柱の中に閉じ込められている。矢凪の手の中で溶ける様子を見せないので水晶かとも思ったが、触ってみると背が震えるほどに冷たかった。

 泡雪花魁が凍らせた菫だろうか。

 膝から下りてちょこちょこと近寄ったアオが、菫の匂いを嗅いで尻尾を振った。


「おいちいやちゅ?」

「お前、本当に食べることしか、頭に無いんだな、ばかアオ。よく考えろ。これはな、お宝だ。だって、とけない氷に入ってるすみれだぞ。すごいぞ。きっと、五両も十両もするんだ」

「しょーなの! しゅごいね!!」


 はしゃぐシロとアオと裏腹に、矢凪の表情は浮かない。金色の瞳は(かげ)りを帯びて、傷ついたような色を(はら)んでいた。

 ころり、と手の中で氷柱が転がる。


「…………てめぇと、会った日に、よお」

「うん。お前が埋められた日ね」

「この、菫。こいつが久しぶりに見てえって言ってたの思い出して、持ってったんだよ」


 ああ、と丞幻は納得した。

 確かにそれは、泡雪にとってのお宝だ。ただの野端の花だが、惚れた男が自分だけの為に、故郷の色を持ってきてくれたのだ。ならば、何を犠牲にしてでも取りに戻るだろう。


「気持ちは分かるけど、髪切って逃げるとか本当無茶する姐さんだわ。一歩間違えりゃ、骨を折ってもおかしくなかったでしょーにねえ」

「なあんだ、お宝じゃないのか」


 残念そうな口ぶりで肩を落とすシロの額を、丞幻は軽く指弾(しだん)した。


「いたっ」

「シロちゃんにとってはお宝じゃなくても、あちらの姐さんにとってはお宝なのよ。シロちゃんだって、いつも遊んでる大事なお鞠を、五百両で売ってくれって言われたら嫌でしょ」


 振袖を揺らして、シロはむんと胸を張った。


「当たり前だ。あれは、おれの宝物だぞ。そんなこと言うやつは、ぶっ飛ばしてやる」

「オレはねー、オレはねー! しゅきなのね、シロでしょ、丞幻でしょ、矢凪でしょ、えとねー、あとねー、おいちいやちゅ!」


 四つ足で跳ねるアオの頭を撫でながら、ちび二体に丞幻は柔らかい声をかけた。


「それと同じことよん。あの氷の菫はね、泡雪花魁にとってはシロちゃんのお鞠と、アオちゃんのワシらと同じくらい大事なものなの。だからあれも、立派なお宝ねー」

「そうなのかあ」

「わかっちゃ!」

「あとシロちゃん、ぶっ飛ばすなんて乱暴な言葉使っちゃ駄目でしょ。矢凪の真似しちゃだーめ」


 め、と眉を吊り上げてみるが、ぷいとシロはそっぽを向く。その頬をむにっ、とつまむとぺちんと叩かれた。


「こんなもん……」


 喉の奥から無理やり押し出すような、掠れた声が耳朶(じだ)を打った。


「……置いて、逃げりゃ良かったんだ……こんな、菫くれぇ、いつでも摘んできてやんのに……」


 馬鹿野郎、と呻く言葉尻が、妙に上擦った。

 ちらり、と丞幻は目線だけを投げた。

 寝息を立てる泡雪を見下ろす、矢凪の顏は(うつむ)いている。影に隠れた顔にどんな表情を浮かべているのか、こちらからは伺い知れなかった。

 さて、と殊更(ことさら)明るい声を上げて、丞幻は腰を上げた。


「さて、シロちゃんアオちゃん。そろそろ夕餉のおかず買いに行きましょうねー」

「おかず! おれはな、おれはな、えびが食べたいぞ!」

「オレおにく! しょーがみしょのおにく!」


 途端にまとわりついてくるちび二体の頭を撫でながら、丞幻は矢凪と泡雪花魁を残して部屋を出た。

 細く柔らかな髪を撫でる指先が、小刻みに震えているのは見なかった事にした。


〇 ● 〇


「……ん」

「起きたか。も少し寝てろ。夜だ」

「うん。……ねえ旦那様」

「ん」

「ごめんね」

「なにが」

「旦那様をね、凍らせようとした時に、旦那様、『寂しい』って言っただろ?」

「言ったか」

「言ったよ。なんで、寂しいって言ったのかなって、あたしずっと考えてたんだけどね。分かったよ」

「……」

「ずっと一緒にはいれるけど、凍らせちゃったら、お喋りできないし、こうして一緒に寝る事もできないし、旦那様があたしに触る事もできないんだもんね。……あたし、あの時はそこまで考えてなかったんだ。ごめんね、旦那様」

「別に、怒ってねえよ」

「怒ってよ。旦那様に酷いことしたんだから」

「怒ってねえってんだろ。寝ろ」

「……ねえ、旦那様。あたしね、凄く怖かったんだよ。旦那様が、あいつに刺されて、血まみれになって、旦那様が……、死んだ、んじゃ、ない、か、て……」

「おい、泣くな。……泡雪、泣くな。生きてるから、泣くな」

「それで、見て、怖くて、あたし、旦那様がいなくなったら、て思ったら、そしたら、も、ずっと話もできな、て思ったら、こわ、て……!」

「泡雪。泡雪、泣くな。あんくれえじゃあ、俺は死なねえから。だから泣くな」

「ほんとに? あたし、旦那様が死ななくても、傷つくの、やだよ。血まみれの、旦那様、もう見るの、やだよ……」

「……分かった。分かった。だから、もう泣くな。寝ろ。な」

「うん。……絶対だよ」

「分かった。…………泡雪」

「なあに」

「お前、これからどうしたい」

「どうしたいって?」

「羽二重楼に戻るか。治ったら」

「…………ありまは、心配だし」

「おう」

「楼主様達や、千鳥の事も、嫌いじゃないよ。羽二重楼は、遊女(あたしら)にとっては、優しい所だし。本当に、嫌いじゃないんだよ」

「おう」

「でも、さ……でも……顏がね、ずっと、消えないんだよ。こっち見てた、みんなのあの顏がね、ずっと消えないんだ。頭の中で、ずっと、こっち見てるんだ」

「おう」

「操られてたって、本心じゃないって、分かってるんだよ。でも、でもね、あたし、あのね……」

「分かった。もう言うな。分かった。……全部、何とかしてやるっつったろ」

「…………うん」


〇 ● 〇

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