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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
呪術:廽子呪胎
100/189

十八

 股の間から這い出た()()が、畳の上で蠢きながら膨らんでいく。


「が……ぁ……っ」


 尋常でない()()を終えたありまが、首をがくんと布団に沈めた。

 白目を剥き、ぜえぜえと荒い息を吐くありまの腹はべっこりと凹んでいる。はちきれんばかりに膨らんでいた皮膚はだらりと(たる)んでおり、それが這い出てきた股は裂けたのか、布団に鮮血が染みていた。

 幼い童の無惨な姿に、丞幻は眉根をきつく寄せた。

 口に丸薬――強めの痛み止めだ――を含ませ、羽織を脱いで彼女の上にかける。

 ゆらり、と矢凪が立ち上がった。


「成る……神の子…………私、が、神の子に成る、のは、私私、私、神……」


 ふくふくとした手のひらが、畳をかく。

 どろりとした液体に塗れた巨体が立ち上がろうと足を動かし、しかしできずに畳に突っ伏する。

 卵の白身のように、真っ白な身体だ。樽のようにむっちりと太い手足に、膨れた腹。髪の一本も無い、丸い頭。


「私が、神の子に、成る、は……私は……わた、し」


 成人男性ほどの体躯を持つ、全裸の赤ん坊だった。

 手足が動く度に、畳に張り巡らされた糸に触れる。糸が巨体を拘束しようと動くが、触れた瞬間にぱちんと小さい音と共に弾かれて、力無く落ちた。

 畳に伏せられた顏が、ゆっくりと上がる。


「……なんだぁ、てめぇの、その面ぁ」


 畳の上でのたうつそれを見下ろして、矢凪が呻くような声を上げた。

 泣き声の代わりに、途切れ途切れに呟く小さな口は、顎でなく額の辺りに。

 半分だけ開かれた目は、右頬に「二」という文字のように並んでくっつき。

 小さな豆のような丸い鼻は、顎の辺りにぽつりと。

 赤子の顏は福笑いのように、目鼻がぐちゃぐちゃにくっついた異様な顔面をしていた。

 額についた唇から、唾液がだらだらと零れる。そこからしゃがれた男の声が、延々と響いていた。

 痛み止めが効いてきたのか、呼吸が深いものになってきたありまから視線を外し、丞幻は畳の上の赤ん坊を冷たい目で見やった。


「術が失敗した代償よ。それで済んだだけで、十分ましだと思うけどねー」

「ふうん」


 金色の瞳に殺意を(みなぎ)らせ、べき、ぼき、と矢凪が拳を鳴らす。


「まあ、どーでもいいがな」


 芋虫のように畳を這う赤ん坊に、糸を避けつつ近寄る。その背に、丞幻は静かに声をかけた。


「殺しちゃ駄目よ、矢凪」

「……」


 ぎっ、と矢凪が肩越しに睨んだ。

 無言の抗議に、丞幻もそれを真っ向から見返す。


「嫌なのは分かるわよ。ワシも嫌。お前の惚れこんだ相手と、その店を散々な目に合わせた相手を、生かして捕らえるのが嫌なのは分かるわ。けじめ取りたいのは分かるわよ」


 静かに肩を上下させて呼吸する矢凪を見上げゆっくりと、噛み含めるように話す。


「でもね、そいつを生かして引き渡すのが、向こうさんの望みなのよー。持ってってもらって、煮るなり焼くなり好きにしてもらいましょ。ねえ矢凪、考えてもみなさいって。ここでお前がぼこぼこにして殺しちゃうより、向こうで料理されて食われる方が、絶対にこいつにとっては屈辱的よー。なりたかった神の子に成れないで、何度も生まれ変わった努力もぜーんぶふいになって、人として死なせてすら貰えずに、ただの『()』として調理されるのって、こいつにとってただ殺されるより、とーっても嫌な死に方だと思わない?」

「……」


 薄茶の髪を揺らして、矢凪が顔を前に戻した。


「神の、子……私が、神の子に成る成る成る理由、り、ゆゆゆゆゆゆゆゆ…………? 神、神の子、神の子……」


 壊れたように同じ言葉を繰り返す、元は蛍声だった異形の赤子。

 それをどんな目で見下ろしているのか、丞幻の位置からは見えなかった。矢凪は赤子の前に立ったまま、じぃ……と顔面が崩れた赤子を見下ろした。

 一つ、二つ。呼吸を十まで数えた所で、矢凪が動いた。握りしめた拳を、ゆっくりと振り上げる。

 ばぢゅんっ。

 たっぷりと水気を含んだ着物を、地面に叩きつけたような音がした。太短い手足が痙攣し、畳にぐったりと投げ出される。


「……泡雪を怖がらせて、酷い目に合わせた分だ。受け取れ、糞野郎」


 低く告げて、拳についた血を振るう。


「か……か、み…………の、こ……」


 叩きつけられた拳で顔面を陥没させられた赤子は、いぼのように顎についた鼻から血を滴らせつつも、ぶつぶつと呟き続けていた。



 矢凪にもう一度、くものいに霊力を流してもらい、呪具を解除する。

 赤子となった蛍声を無力化した為か、その場に集まっていた羽二重楼の人々は糸が解けた途端に、その場に倒れ込んだ。

 矢凪と協力して、気絶している彼らを広間に並べて寝かせていく。怪我をしている者も幾人かいるが、命に関わるほどのものは無い。

 軽い遊女の身体を抱え上げながら、丞幻は感嘆した。


「しっかしお前、よく頑張ったわねー。みんな怪我が浅いじゃないのよ」

「あ? ただ操られてるだけの奴なんざ、壊したり殺すわけにもいかねえだろうが」


 がたいの良い男を畳に寝かせ、流血した箇所を止血しながら矢凪は、「そういや」と声を上げた。


「よくてめぇ、ここの場所が分かったな」


 人払いの術とやらがかかってただろ。そう言って首をかしげる矢凪に、丞幻は笑って自分の胸元をとんとん叩いた。


「煙管よ、きーせーる。これ使ったの」


 まあ使った結果、煙管に溜まっていた霊力をかなり消費してしまったが。

 実家に帰らない限り、消費した霊力を溜める(すべ)は無いので節約しないと。正月に帰る予定はあるが、なにがあるか分からないし節約するに越したことはない。

 丞幻が密かにそう決めている間、矢凪は畳の上で痙攣している赤子に視線を向けた。


「ていうか、どうなったんだよ、一体。俺ぁ何が何だかさっぱり分からねえんだが」

「あー、なにが分かんなかった?」

「結局、あいつの目的は、人の身を捨てて、神の子に成りたかったってことでいいんだよな?」


 丞幻はのんびりと頷く。


「そうねー。おおむねそれで合ってるわー」

「んで、その為に……あー、気色(わり)ぃ事して、自分の母親になってくれる奴を選ぶだろ? んで、てめぇが生まれる為に滋養を食って、周囲の連中を操って自殺させて、その命を取り込んで、てめぇの力を底上げしてたんだよな」

「そうそう。嫌よねえ、きっしょく悪いわほんっと。なーに食べたらそんな事思いつくのかしらん」


 こめかみの辺りをかいて、矢凪は眉間に皺を寄せた。


「んで、なんでてめぇがあれこれまくしたてたら、あいつぁ急におかしくなったんだ? そこが分かんねえ」

「ああ、えーっとねえ。とりあえず、あいつは転生の術っていうのを使ってたのよ」

「転生の術?」


 みどりと庄十郎を隣同士に寝かせてやりながら、丞幻は苦笑いした。


「そ。要は生まれ変わりの術、禁術中の禁術よー。使えば極刑は免れないくらいのねー」

「へえ」

「えーっとねえ、まず転生の術は、術者が死んでから発動するわけ。死体から抜けた魂は、一番近くにいる孕み女の胎の中にいる赤子に、するっと入り込むのよー」

「あ? ……じゃあ、その赤ん坊の魂はどうなんだよ」

「術者の魂に取り込まれちゃうわね。だからどっちかっていうと、転生っていうよりは憑依、成り代わりねー」


 不愉快そうに顔を歪める矢凪に構わず、丞幻は痙攣を続ける赤子を一瞥した。


「まあ、あいつの使ってた術は多分、転生の術を下地にして色々と手を加えてるっぽいけどね」


 己が『神の子』として生まれる為、まだ子を生む準備も備わっていない女童の身体を歪に作り変え、己の身を一から作らせて生み落とさせる。それと同時に周囲の人々を操り、自分の誕生と同時に魂を捧げさせる。

 通常の転生の術からは、すっかりかけ離れてしまった異質な術だ。


「ただでさえ、転生の術は霊力を多量に消費するってのに。そこに色々手ぇ加えたらそりゃ、呆れるほど莫大な霊力を消耗する、馬鹿げた術になるわよ。そりゃあ滋養も必要になるし、周囲の人間の命だって吸いまくるわよ。到底、一人の霊力だけじゃ(まかな)えんもの」


 他者の魂や生気を己の霊力に還元する事は、やろうと思えばやれるしねえ、と顔をしかめる。

 勿論、他者の生気や魂を奪う事も重罪。実行すれば厳罰が科される。


「とりあえず、ここまではいーい?」

「おう」


 頷いた矢凪に、丞幻は続ける。


「んで、なんであいつがおかしくなったかっていう話ね。また転生の術の話に戻るんだけど、この術ってまあ何度も使える訳なのよ。だから、何度だって転生する事ができるのね」

「なら、使い続けりゃ実質不死身じゃねえか」


 全員を広間に並べ終わり、ふうと息を吐いた矢凪がその場に胡坐をかいて頬杖をつく。その近くに丞幻も腰を下ろし、ちちち、と舌を鳴らした。


「そう上手くはいかんのよ。そもそも、生命の理を捻じ曲げて無理やり記憶も人格も元のままで生まれ直してるんだから、どうしたって(ほころ)びは出てくんのよ」


 大岩が、川底を転がっていくうちに角が取れて丸く小さくなっていくように。転生を繰り返すごとにその魂は、段々と削れていく。


「一回ならともかく、重ねるごとに両親の顔、無意識の癖、自分の好物、性格、考え方、思考力、ぜーんぶ零れ落ちてって、最後には妄執の塊になるってはーなし」

「……?」


 いまいち良く分かっていない様子で、矢凪は首をかたむける。ええとね、と丞幻は指を立てた。


「例えばね、『茶色い毛並の獣みたいな怪異』に家族を殺された術者が、仇を探すとするでしょ。でもその仇の怪異は見つからなくて、もう一度人生を繰り返して見つけようと転生の術を使うのよ」

「へえ、良い筋書きじゃねえか。いつものよりずっといいぜ」

「うるさいわよ」


 茶化す矢凪に、丞幻は唇を曲げた。こほん、と咳払いを一つして先を続ける。


「でもその人生でも仇を見つけられなくてねー、探す為に何度も何度も転生するの。そうしてるうちにねえ、自分の過去とか考え方とか家族の事を、色々ぜーんぶ忘れちゃうの。で、最後には『茶色い毛のものを探している。それは憎い相手だ』ってのが残っちゃうのよ」


 矢凪は次の展開を察したのか、嫌そうに顔をしかめた。


「お前が予想してる通りよー。そうなるともう、仇に限らず茶色い毛並みの動物、怪異、果ては茶色い髪の人間まで、片っ端から殺しちゃうことになるでしょうねー」


 そうなりゃ、それはもう人とはいえんわね。怪異か獣と一緒よ。

 丞幻は肩をすくめた。


「蛍声は、八度も転生を繰り返したって言ったでしょ? だからもう、成りたい理由なんかすっかり忘れて、『ただ神の子に成る』それのみに固執してる、って思ったのよー。で、成りたい理由はなんだ、って問いかけてみたわけ」

「神の子に成りてえ理由を忘れちまってたから、そこを突かれて動揺した?」

「まあ、そんなとこよ」


 うん、と丞幻は首を縦に振った。

 聞いた話によれば赤子に入り込んだ魂は、まだ身体に定着していない為、生まれるまで非常に強靭な精神力が必要になるらしい。そうしないと赤子の魂と混ざってしまい、術が失敗してしまうのだとか。

 そんな転生の術に、蛍声は自分なりに手を加えていた。であれば術を維持するのは、通常よりも難しいだろう。

 頑丈な(つつみ)も、蟻の一穴で崩れるもの。

 自分が神の子に成るのだという、強靭な自信で支えられていた術は丞幻の一言で崩れ、そして矢凪に歌ってもらった石子唄。霊力を乗せて術者が歌えば、あれは本当に効果が出る。それによって蛍声は、不完全な形のまま()()()()()しまった。


「でもよお」


 と、納得していないような声を、矢凪が上げた。

 丞幻が視線を向けると、釈然(しゃくぜん)としないような表情を童顔に乗せている。


「どしたのよ」

「てめぇの都合通りに運んだからいいけどな、上手くいかなかったらどうするつもりだったんだよ」

「そん時の対策も考えてたけど、最初にあいつと話した時、これは大丈夫だと思ったわよー。ほら、あいつ滅茶苦茶ちょろかったじゃない?」


 確かにちょろかった、と矢凪が呟く。


「普通、目の前で獲物を逃がした相手に、あからさまによいしょされて、素直に話を聞くと思う?」

「俺なら殴る」

「拳作るのやめて」


 すかさず拳をぐっと握った矢凪から一歩離れて、おほんと丞幻は咳払いを一つ。

 少し彼を持ち上げるような事を言うだけで、話に乗ってきた。普通は罠だと警戒する所なのに。


「……まあ、だからね。大丈夫だって思ったのよー。こっちの油断を誘う為に話に乗ったってのも考えたけど、あの様子だと違うなーって感じだったし。世間体を取り繕う頭くらいはあったみたいだけどねー」


 あ……あ……と呻きながら、手足で畳をかく赤子に視線を向ける。

 異怪奉行所の連中が来るまで少しのんびりしていたいが、もうひと働きしなければならない。


「さ、矢凪。異怪の連中が来る前に、こいつをどうにかしちゃうわよ。異怪に見つかったら面倒になるわ」

「おう」

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