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ひねもす亭は本日ものたり  作者: 所 花紅
怪異:友引娘
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 周囲を取り巻いていた瘴気が空気に霧散するように消えて、人のざわめきが戻ってきた。ちらほらと通りを行く通行人の姿が、煙越しに見える。

 良かった、戻ってこれたようだ。

 煙を手で払って、丞幻は結界を解く。たまたま近くを通った大工が、急に姿を見せた男二人の姿にぎょっと目を剥いた。

 じぃわじぃわと、蝉の声と暑さも戻ってきて、あっという間に汗が額に浮く。煙管を仕舞って手拭を代わりに取り出せば、矢凪が低い声を上げた。


「おい」

「んー?」

「無理やり引き千切れば良かったろうが。出直してあの女が食われてたらどうすんだ」


 引っ張られていた人々の魂は既に食われ、怪異の一部と化していた。例え先頭の友引娘を祓った所で、連中も一緒に祓われる事だろう。おそねだけは今の所、魂を食われず正気を保っていたようだが、それもいつまで持つ事か。

 おそねを心配するような言葉に、おや、と丞幻は首をかたむけた。


「だいじょーぶ、死なんわよ。なーに、おそねちゃんの心配してんの? 意外と優しいのねえ、お前」

「白和えが食えないのは困んだろうが」

「あーそっち。まあいいけど」


 汗を拭って、丞幻は己の首をとんとんと指で叩いた。


「あいつの首から伸びてた縄、後ろの連中の付けてる紐に結ばれてたの、気づいた?」

「ああ」


 犠牲者はみな、腕や首、足などに友引娘の麻縄が繋がれていた。成程、あの娘達の言っていた事は正しかったわけだ。


「そんでさ、おそねちゃんは右手首の紐に縄が巻かれてたじゃない。あれね、異怪奉行所の守り紐」

「……守り紐」

「ありゃま、知らない? 奉行所で売ってる怪異避けの組紐よ。あれ持ってれば、そんなに強くない怪異相手なら身を護れんのよー。あれがあるなら、少なくとも今日中は大丈夫じゃろうね。っていうか、守り紐が紐に数えられて狙われるって、やーね。安心した所に付け込まれる感じー」

「へえ」


 さて、と気分を変えるように手を一つ叩く。


「とりあえず。おそねちゃんが生きてたのは良かったし、友引娘から取り返せば解決だわねー。そうと決まれば矢凪、昼餉食べて情報収集してー、ひねもす亭に帰って、おそねちゃん救出の準備よー」

「……ひねもす亭?」


 薄茶色の癖毛を揺らし、こくりと首をかしげる矢凪。

 不思議そうに目を瞬かせる様子に、丞幻は、ああ、と一つ頷いた。そういえば。


「そういや言ってなかったねー。ワシらの暮らすお屋敷って名前付いててねえ、『ひねもす亭』って言うのよ」

「ふうん」

「さ。途中でシロちゃんとアオちゃん拾って、昼餉行くわよー。今日はあっついし、冷たいうどんか蕎麦にでもしましょかねー」


 〇 ● 〇


 一体、自分はどうしたのだろう。

 記憶が曖昧で、分からない。

 あの時、怖くてうずくまって、助かったと思って顔を上げたら、そこにいたのは虚ろな目でこちらを見下ろす、青白い顔の人々だった。手や首に巻いた紐に麻縄が巻き付いている人々が、じっとこちらを見下ろしていて、あまりの恐怖に絶叫して、そこからが分からない。

 どうして、歩いているのだろう。この、手首の紐に絡む縄はなんだろう。

 夕餉の支度をしなければいけないのに。坊への土産を持って帰らないといけないのに。

 


 ――寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい。

 ――どうしてどうしてどうしてどうしてどうして。

 ――私だけ私だけ私だけ私だけ私だけ。

 ――一人は嫌だ一人は嫌だ一人は嫌だ一人は嫌だ一人は嫌だ。

 ――ともだちともだちともだちともだちともだち。


 頭の中で、自分以外の声がする。わんわんと、わんわんと、何度も響く。

 響く声が、思考を鈍らせる。どろりと溶けた思考の中に「寂しい」と泣く声が染みわたってくる。

 そうだね、寂しいね。だから、友達は一緒にいないといけないね。友達だからね。

 だけど、あたしには坊が待っている。あの人が待っている。遅くなったから、きっと心配している。

 帰らないと。帰りたい。ああだけど、どうやって帰ればいいのか分からない。


「……たすけて」


 何度か目になる呟きをおそねは漏らして、引っ張られるままに足を進めた。



 ぶぅらり、しゃぁらり、友引娘。友を呼び寄せくるりと縄かけ。

 ぶぅらり、しゃぁらり、友引娘。友を引きずり友引娘。


 〇 ● 〇


 昼餉を食べながら聞き込みをした所、友引娘はこの辺で最近よく出る怪異らしい。

 ちょうど夕刻頃、紐を身に着けた人の前に出るらしく、近所の皆々様は紐を持ち歩く事も無いし、この時間になると家へそそくさと帰るのだとか。

 つまり空が茜に染まる時、身体に紐を巻いていれば友引娘が釣れるということで。


「ワシさー、釣りって結構好きなんじゃよ。まあ下手なんだけど。毛針作ってさあ、魚引っかかるの待つのって面白くなーい?」

「それとこれと何の関係があんだよ」

「紐持ってれば出てくるなら、紐を巻き付けてりゃ寄ってくるでしょ。題して『友引娘一本釣り大作戦』」

「……」

「じょーげん、後でまんじゅう買ってくれ」

「オレおにゃかすいたー!」


 じゃーん、と丞幻は両手を広げてみせたが、三者三様に冷ややかな反応が返ってきた。

 手首に巻いた紐をいじりながら、なによぅ、と唇を尖らせる。そんなに冷たくしなくてもいいじゃないか。傷つくぞ。

 シロとアオを拾って昼餉に蕎麦をかっ込んだ後、ひねもす亭に戻って準備を整えた丞幻達は、夕暮れ近くになってまた蛙田沢に戻ってきた。

 友引娘は紐を好むらしい。というわけで、全員手や足、首などに紐を幾重にも巻き付けている。これで怪異が釣れれば御の字なのだが。


「日が暮れてきたしー、来るならそろそろだと思うのよねー」


 ちら、と西の空を見る。赤い夕焼けが、山の向こうに隠れて行くのが見えた。道の両脇にある背高提灯が、仄かな白い光を放ち始めている。

 飲み屋などにはぽつぽつ人が入っているようだが、通りを歩く人影はほとんど無い。まあ、最近怪異が出るという所に長居したい奴もいないだろう。


「シロ、シロ。さっきのね、おもちろかたねー! オレね、おんまさんごっくんしたの、しゅきー! おいしそー!」

「な。おもしろかったな。おれはつづら抜けが好きだぞ、なんでつづらに入った奴が、別のとこから出てくるんだろうな。どんな術を使ったら、あんなことができるんだろうな」

「おみずぴゅーって、いろんなとっから、ぴゅーって!」

「紙のひもが、うどんになったのもすごかったな。あれ、うまそうだったな」


 丞幻の足元にしゃがんだシロとアオが、昼に見た手妻の感想を興奮気味に語り合っている。童が二人、きゃあきゃあ笑っているのを微笑ましい気分で見下ろしていると。


「おい」

「んー? なぁに、どしたの。お腹空いたー? 夕餉はこれ終わってからって言ったでしょー」


 少し離れた所で、持ってきた酒をちびちびやっていた矢凪に声をかけられた。瓢箪に直接口を付けて酒をあおりながら、人差し指がこちらを手招くように動く。

 話に夢中になっているシロとアオを置いて、矢凪の元へ向かうと、不機嫌そうな顔に出迎えられた。


「あれで本当になんとかなんのか」


 あれ。

 出し抜けに言われて、丞幻は一瞬、意味を掴みあぐねて目を瞬かせた。


「あ、あーあー、これね。まぁ、だいじょぶだと思うぞい」


 すぐに思い当たって、懐から矢凪の言う「あれ」を取り出す。

 手にすっぽりと収まる大きさの糸切鋏だ。鋏は鉄製が普通だが、これは木で作られている。よく磨かれた飴色の表面が、背高提灯の明かりに照らされて輝いていた。


「糸切鋏ならぬ、縁切鋏。一回こっきりの使い捨て呪具だけど、力は強いからだいじょーぶよん。なんてったって、縁切りで有名な神社の御神木を切り出したものらしいからねー」

「ふん……」


 おどけて鋏をしゃきしゃき鳴らすと、矢凪はならいい、とでも言いたげに鼻を鳴らして、また瓢箪をあおった。


「じゃあ確認だけど、友引娘が出てきたら、お前に渡した札を友引娘に貼ってちょうだいねー。したらワシが縁切鋏でおそねちゃんの縄切るから。しょきんっとね」

「こんな紙っ切れで大丈夫なのかよ」

「怪異の動きを封じる呪文の書かれた、ありがたーい呪符よん。効果は折り紙付きだから心配しないでちょーだい」


 懐から出した紙をひらひらさせて、矢凪は胡散臭そうな顔をした。


「裏に二人は巫女姫がどうの、煌く紅水晶の力がどうとか書いてんだが」


 丞幻は札をひったくった。


「あらー! そこにあったのワシのネタ!! こないだ書いたはいいけど、どっか行っちゃったんで探してたのよー! 会いたかったわワシのネタ、もう離さないからね……!」

「……」


 札に熱い口付けを浴びせて、ひっしと抱きしめる丞幻を、道端の汚物でも眺めるような目で見る矢凪。

 しばしして我に返った丞幻は、こほんと咳払いを一つした。


「とりあえず、こっちのネタはネタ帳に書いとくとしてー。まあ表の方は無事だから使えるでしょ。だいじょーぶだいじょーぶ」


 ついこの間、半分眠りながら小説のネタを書き留めていた紙が無くなっていたので、探していたのだが。まさか呪符に書きつけていたとは。散らかり放題の自室を思い返して、丞幻は渋い顔をした。少しくらい部屋の整理をした方がいいかもしれない。

 でもねえ、あれでどこに何があるかは分かるし、手が届く位置に資料とか紙があるから楽なのよねえ。あとあそこの掃除に半日かかりそうだから面倒だし。

 ぶつぶつと呟きながらネタ帳の方に書き写して、呪符を矢凪に返す。


「さて……準備は万端だし、後は友引娘が現れてくれればいいんだけど」


 ひたひたと闇が迫ってきた通りに、人影は無い。近くの居酒屋から酔漢の笑い声が響く程度で、物音も無い。

 丞幻は目をすがめ、奥の闇を凝らすようにした。

 昼間から引っかかっている事がある。

 友引娘が最近この辺で危険視されているのはいうまでも無いが、奴が出るのは決まって夕方から夜にかけての時間帯なのだという。夕焼けが空を覆う前に出た事は無く、ましてや昼前に出るなど聞いた事が無い。らしい。


「でもねえー……出てきちゃったからねえ……」


 しかし丞幻と矢凪は、昼前にかの友引娘に遭遇している。

 怪異の活動時間帯は、主に夜。昼日中に出る怪異もいる事はいるが、話を聞く限り友引娘はそれに当てはまらないように思える。

 ではなぜ、あんな時間帯に出てきたのか。

 それが魚の小骨のように引っかかり、丞幻は何とも言えない収まりの悪さを覚えていた。

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