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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

スクロール製作師と名乗る天才錬金術師~安い!早い!大量!の三拍子を揃えたスクロール店へようこそ~

作者: 陽和

「…………客が来ない」


 お店を開業してから数ヵ月。


 錬金術師のニックは、暇を持て余していた。


 この店は、王立錬金術師養成学校を主席卒業したニックへ王様が直々にくれたものだ。


 王都の一等地であるこのお店が開店してから間もなく、人が寄り付かなくなってしまった。


 今にも崩れてきそうな大量の魔法スクロール。


「どうしたものかな……絶対に流行ると思ったんだけど……」


 魔法が日常的に使われている世界だが、魔法の才能がある者は多くない。


 そこでニックは誰しもが簡単に魔法を使えるような世界を目指し、スクロールの研究を始めた。


 スクロールは丸めてある羊皮紙を広げれば発動するのだが、使い捨てで高価だ。


 スクロールは対費用効果が悪く、火を起こすのにステーキが食べられる金額を出す者はいない。


 しかし、そんな問題をニックが自身の研究で解決してしまった。


 彼は【魔力充填式スクロール】を開発し、同じ羊皮紙を何度でも使用できる。


 羊皮紙の内側に特殊な塗料を塗り込み、そこに魔力を込めると再度魔法が発動する。


 これは画期的な発明であり、誰もが欲しがる魔法のアイテムになるとニックは思っていた。


「値段もパン1つと同じような金額なのにどうして売れないんだろう?」


 ニックは店のカウンターで頭を抱えながら呟いた。


 彼の店には商品となる品物がスクロール以外にはない。


 売れ残ったスクロールが大量に積まれているだけだ。


 そのせいで店内は薄暗く、怪しげな雰囲気になっている。


──カランカラン。


 数日ぶりにドアの鐘が鳴り響く。


「いらっしゃいま……なんだお前か」


 ニックは嬉しさを隠しきれない様子で声を上げたものの、入ってきた人物を見て落胆する。


 そこには見慣れた学友の姿があったからだ。


 彼女はいつものように、宮廷錬金術師のトレードマークである白いローブを着ていた。


「なんだとはなによ! 同級生のよしみで来てやっているんじゃない!」


「こなくてもいいよ。どうせ他の商品を作れとか、スクロールの値段を高くしろとかを言いに来たんだろう?」


「そうよ! 私以外にスクロールを買う人はいたの!?」


「前にお前が来てから2枚も売れたぞ!」


 彼女の名前はクロエ。


 ニックと同じ王立錬金術師養成学校を次席で卒業している。


 卒業後は宮廷錬金術師として働いているはずだが、何故か定期的にニックのお店へ来ている。


 金髪碧眼で金色の髪が肩にかかっており、眼鏡をかけた可愛らしい顔立ちをしている。


 背が低く胸が小さいため子供っぽく見えるが、年齢はニックと同じだ。


「2枚も!? 1枚はあの子だとして……もう1枚はどこから来たのかしら?……まさかあんたが自分で買ったわけじゃないわよね?」


「そんなわけないだろう。買っていった人はフードを被っていて顔が見えなかったけど、声が男性だったよ」


「ふーん。まぁ、いいわ。それで今日のおススメは?」


「そうだな……このヘルファイアが使えるスクロールはどうかな?」


 ニックが軽い様子で丸めてあるスクロールをカウンターへ出す。


 クロエはそのスクロールを手に取り、恐る恐るニックの顔を見た。


「ヘルファイアですって? 最上級魔法もスクロールで使えるわけ?」


「あぁ、もちろんだ。魔力さえあれば誰でも使えるようになるさ」


 自信満々に答えるニックをよそに、クロエがヘルファイヤのスクロールをじっと見つめていた。


「これ……いくら?」


「いつも通り銀貨1枚に銅貨2枚だよ。それで──」


「使った後のスクロールを持ってくれば銀貨1枚で買い取ってくれるのよね?」


 ニックの言葉を遮り、クロエは確認するように質問をした。


 彼は不思議そうにうなずきながら答えた。


「そうそう。でも、クロエは1度も返してくれないけど、貯めているのか?」


「えぇ、まぁね……それじゃ、またあとで来るわ」


 クロエは少し困った表情を浮かべて微笑むと、スクロールをカウンターへ置き、店から出て行った。


 そして、数時間後。


 再び店に訪れたクロエは手に持っていた大袋をニックへと差し出した。


「最上級魔法が使えるスクロールを全部売って」


「すごい助かるけど、本当に良いのか? かなりあるぞ?」


「問題ないわ。お金はここに置いとく」


 クロエはそう言うと金貨の入った小包を机の上に置いた。


 ニックは早速、最上級魔法が使えるスクロールを袋へ入れ始める。


「この束がヘルファイアで、こっちがダイヤモンドダストね。それと──」


「ちょっと待って。いくつあるわけ?」


 クロエが信じられないという目でニックを見つめた。


「魔法の種類? それともスクロールの数?」


「両方よ! ヘルファイアだけでも20枚以上あるんだけど!?」


「そうだけど何かおかしいかな?」


「はぁ……なんでもないわ。使う用途はモンスターの討伐よ」


「常連さんは勝手がわかって助かるよ」


 そう言いながら、ニックは袋へ入れたスクロールへ手をかざす。


 ニックの手が青く光り、光の粒子が袋へ降りかかる。


 その作業を見ながら、クロエが笑顔を引きつらせた。


「相変わらず反則的だわ……同時にいくつの魔法を処理しているのよ……」


 作業に集中しているニックはそのつぶやきを聞き逃していた。


 しばらくすると、彼の手から光が消える。


「はい。用途指定完了! 今後共よろしくお願いします!」


 大量のスクロールが売れて上機嫌になったニックが声を上げると、クロエがジトッとした視線を向けた。


「こちらこそ……ところで、こんなに大量のスクロールがあるなんて、どうやって1人で用意しているの?」


「部外秘だから教えられないよ。クロエが従業員になったら教えてあげる」


「宮廷錬金術師の私がこのお店で働くと思っているの?」


 クロエは呆れたようにため息をつくと、カウンターから袋を持ち上げる。


 両手で重そうに袋を持つクロエへニックが笑いかけた。


「宮廷錬金術師様は忙しいだろうから、僕も無理には誘わないさ。これはサービスね」


 クロエは両手で抱えていた袋が一気に軽くなるのを感じ、苦笑いを浮かべる。


「軽量化魔法……魔法学校も卒業した天才さまは何でもできるのね……」


「魔法が得意な錬金術師ってだけだよ」


「はいはいそーですか。私はもう帰るわ。明日も早いし」


 クロエは面倒くさそうに返事をしながら、店を出ようとする。


 しかし、ドアの前で振り返ると、ニックを真剣な眼差しで見つめた。


「ねぇ、ニック。今からでも宮廷錬金術師に──」


「クロエ。君が何を言おうとしているのかはわかる。でも、僕はこのお店を辞める気はない」


 ニックはクロエが言葉を言い終わる前に話し始めた。


 クロエは一瞬、躊躇したが、首を横に振ると、店の外へ出て行った。


 店のドアが閉まってから、ニックは小さくため息をついた。


「心配してくれて、ありがとうクロエ」


 誰もいなくなった店内でニックは呟いた。


 クロエが大量にスクロールを購入してから数日が経った。


──カランカラン。


 来客を知らせる鐘の音が鳴ると、ニックはいつものように声を上げた。


「いらっしゃいま……なんだ──」


「……よう、ニック。来たぞ」


 ただ相手がクロエだったために落胆したが、その姿を見て【またお前か】という言葉が続かなかった。


「クロエ、いつものローブはどうした?」


 ニックが尋ねると、クロエは恥ずかしそうに口を開いた。


「えっと……その……実は……前に誘ってくれただろう? ここで働かせてくれ」


「…………宮廷錬金術師を辞めたのか?」


 ニックが質問を投げかけると、クロエが苦笑しながら答えた。


「ここで働くには辞めるしかないだろう?」


「宮廷錬金術師を辞めるなんてそんな……」


 ニックはクロエの予想外の行動に驚きを隠せなかった。


 クロエは学生の時から必ず宮廷錬金術師になると宣言しており、卒業後は当然のように王国に仕えていた。


 彼女が宮廷錬金術師の仕事に誇りを持っていることをニックも知っていたため、それを辞めたということが理解できなかった。


「どうして……どうしてなんだよ! どうしてクロエがここで働く必要があるんだ!? 俺が言うのもなんだけど、潰れそうな店だぞ!?」


「本当でも店主がそういうことを言っちゃダメだろ……」


 クロエがニックの言葉に苦笑する。


 ニックは慌てて咳払いをすると、改めてクロエへ尋ねた。


「それで……なんで辞めたんだ?」


「んー……ここで働きたくなったからとしか言えないわね。他に理由がないもの」


「そうか……。まぁ、クロエが一緒に働いてくれるなら歓迎するよ」


「ふふっ、そう言ってくれるとありがたいわ」


 クロエは嬉しそうに笑うと、ニックのいるカウンターの向かい側に腰を下ろした。


 そして、カウンターの上に積まれているスクロールへ目を向ける。


「それで、あれからどれくらい売れたの?」


「クロエが買って以降、誰も買っていない。どうしてだと思う?」


 ニックは自分がいくら考えても解決しなかった問題をクロエへ投げかけてみた。


「そりゃ、ここの商品が良す……なんででしょうね……」


 クロエはごまかすように腕を組み、考えるように天井を見上げる。


 クロエが何か言いかけたことに疑問を持ったニックだったが、あえて何も言わなかった。


「錬金術師組合からはなんて言われているんでしたっけ?」


「商品が安すぎるからもっと高く設定しろって言われてるけど、無視してる」


「それが原因なのよ……」


 クロエが大きなため息をつく。


 その様子を見ながら、ニックが不思議そうに首を傾げた。


「どういうことだ? ……安いのに越したことはないだろう? 他の店は初級魔法のスクロールでさえ、金貨1枚取るのよ?」


 金貨1枚あれば1ヵ月は働かなくても生活ができる。


 だからこそ、ニックは誰もが手の届く値段でスクロールを販売していた。


 そんな考えを打ち壊すようにクロエが話し始める。


「ニック、あなたは本当に頭がいいの? 値段が安ければ売れると思っていない?」


「え? 違うのか?」


 今度は逆にニックが聞き返すと、クロエが大きくうなずいて見せた。


「スクロールに求められているのは緊急時に必ず発動することよ。値段が安いと粗悪と思われるわ」


「んー……そう捉えられるのもわかるんだけど……値上げはな……」


 値上げを渋る理由をクロエは、学生の時にさんざんニックから説明されているため、知っている。


 ニックが頭を悩ませていると、クロエがカウンターへ肘をつきながら話しかけた。


「しないのよね。私のお給料はしばらくいいから、別の方法を考えましょう」


「ええっ!? 給料がなかったらクロエはどうやって生活するんだ?」


「宮廷錬金術師の時の貯えがあるから大丈夫よ」


 クロエの言葉を聞いて、ニックは自分の無力さを痛感していた。


「わかったよ……俺も別の方法を考えるから、クロエもよろしく頼む」


「任せておきなさい! 」


 クロエは自信満々の様子で胸を張る。


 その様子を見て安心したのか、ニックが小さく微笑みを浮かべた。


***


<side:クロエ>


 ニックのお店で働くことになった翌日、クロエは朝早くから王城へ向かっていた。


 理由は、宮廷筆頭の錬金術師で、王立錬金術師養成学校の校長でもあるデニス・モーガンに会うためだ。


 人目を気にするように紺色のローブに身を隠したクロエは、門番へ宮廷錬金術師の証であるバッジを提示して、城内へ入っていく。


 そして、目的の人物がいるであろう部屋へ向かった。


「失礼します」


 扉を開けると、そこには書類の山に囲まれて仕事をしている初老の男性が座っていた。


 白に近い灰色の髪を後ろで束ね、いかにも真面目な人物といった雰囲気を出している。


 デニスは、入ってきたクロエへ目を向けた。


「おぉ、クロエくんかい? 待っていたよ」


「お待たせしてしまい申し訳ありません」


 クロエが頭を下げると、デニスは笑顔で答えた。


 そして、椅子から立ち上がると、クロエへ近づき握手を求める。


「無事に彼の店で働けるようになったみたいだね」


「はい。ありがとうございます」


 クロエが返事をすると、デニスは近くのソファーへ移動し、腰を下ろす。


 それを見て、クロエも対面に座り、真剣な表情で話を始めた。


「私たちと魔法協会以外で、ニックのスクロールを購入した人物はわかりましたか?」


「すぐにわかったよ。衛兵所へ粗悪品を売りつけられたと訴えていたらしい」


「やっぱりそうですか……」


 クロエがため息をつくと、デニスは懐からスクロールを出して話を続ける。


「これがそのスクロール。パラライズチェーンの術式が組み込まれているようだ」


「パラライズチェーンですか……」


 上級の雷魔法であるパラライズチェーン。


 指定した集団を一気に麻痺して無力化する魔法であり、その威力は凄まじい。


 クロエが思わず唾を飲み込むと、デニスが難しい顔をしながらつぶやいた。


「彼が制約をかけていなかったら、危ないところだった」


「そうですね……どうなっていたのかわかりません……」


 誰もが上級魔法や最上級魔法を手軽に使えるニックの願い。


 正しい使い道をされるのなら、それは素晴らしいことだっただろう。


 しかし、世の中には今回のように悪用しようとする人もいる。


 それを少しでも阻止し、ニックの活動を支援するためにクロエはここにいた。


 ニックの状況をデニスに報告し、危険なスクロールがあれば回収する。


 今まではそれでよかったが、最上級魔法のスクロールが大量に生産できるとなれば話が変わってくる。


 少しでも早くニックの情報を手に入れるため、クロエはデニスからニックの店で働くように要請されたのだ。


「ところで、クロエくん。本当に給与は半分でいいのかい? 今からでも──」


「いえ、普通に働いている方に申し訳ないので、半額でも多いです」


「そうか……君には学生時代から苦労をかけるね」


「そんなことはありませんよ」


 クロエは小さく首を横に振ると、悲しそうな笑みを浮かべて答える。


 そんな彼女の反応を見たデニスは、それ以上は何も聞かなかった。


 報告を終えて王城を後にしたクロエは、ニックのお店へ向かう。


 ニックスクロール店と書かれた看板の前で、クロエはある黒いとんがり帽子を被った少女を発見した。


 あどけなさが残る幼い容姿だが、表情は大人びており、どこか神秘的な印象を受ける。


 その姿を見て、クロエが深呼吸をしてから名前を呼ぶ。


「ルナ!」


「……クロエ。どうしてお兄ちゃんのお店で働くことにしたの?」


 名前を呼ばれたルナはクロエを睨みつけながら質問をした。


 クロエは少し悩み、周囲に人がいないのを確認してから口を開く。


「ニックが最上級魔法の大量生産に成功したわ」


 小声で囁かれた言葉に、ルナは目を大きく見開いた。


「……嘘でしょ? ありえない……発動の確認はしたの?」


「当り前よ。それがあって、私はデニスさんにこの店で働くように要請されたわ」


「…………」


 ルナはクロエの話を聞き、黙って考え込んだ。


 そして、何度か頷き、納得したように口を開いた。


「私も組合長に相談をしてくる」


「待っているわ。またね」


 クロエが手を振ると、ルナは大きくうなずいてから駆け足で去って行った。


<side:ニック>


「えっと……ルナもここで働くの?」


 踏み台の上で商品を整理していたニックは急に自分の店で働くと言い出した妹分のルナを困惑しながら見ていた。


 ニックが魔法を教わっていた時に懐き、彼のことを兄と呼ぶルナ。


 彼女の魔法の才能は秀でており、優秀な魔術師として名を馳せている。


 そんな彼女がどうしてこの店で働くと言い出したのか、ニックは理解できなかった。


 ルナは一切表情を崩さず、ニックの問いかけに淡々と答える。


「うん。ダメ?」


「ダメじゃないけど……ジェシカさんが怒るんじゃないかな?」


「師匠の許可は貰ってきた。あとはお兄ちゃんが許してくれれば、私はここで働ける」


「ジェシカさんが許可を!?」


 ニックは心の底から驚嘆の声を上げた。


 ジェシカとは、ルナの保護者にして、ニックに魔法を教えてくれた師匠でもある女性だ。


 普段は優しいが、弟子に関することになると見境がなくなるため、ニックは彼女が苦手だった。


 彼女なら、絶対に止めてくると思っていただけに、ニックは驚きを隠せずにいる。


「お兄ちゃん。なんで驚くの?」


「え? いや、だって……魔法使いがスクロールを使うなんて言語道断ってジェシカさんに怒られたじゃないか。それなのに許可を貰えるなんて……」


 棚を整理するために乗っていた踏み台から降り、真正面からルナを見据えた。


 ニックはジェシカに魔法を教わっていたものの、スクロール店を開くと言ってから彼女が取り仕切る魔法協会の敷居を跨げなくなった。


『魔法使いがスクロールに頼るようになったら権威にかかわる』ということらしい。


 何の権威だろうと思うニックだったが、ジェシカのスクロールに対する嫌悪感はすさまじかった。


 そのため、ニックはスクロール店を開業してから一度もジェシカと会えずにいる。


 魔法協会に所属しているルナにジェシカがスクロール店で働く許可を出すはずがないとニックは考えていた。


「私がスクロールを使わなければいいだけ」


「それで本当に大丈夫なのか?」


「平気」


 ニックが心配そうに声をかけると、ルナは力強く答えて見せた。


 その様子から、何かしらの心積もりがあるのだろうとニックは判断する。


 あまり自分の意見をニックへ言わないルナがここまではっきりと答えたのだ。


 これ以上言うのはルナを傷つける。


 そう判断したニックは、ルナへ笑顔を向けて手を差し出す。


「わかった。よろしく頼むよ」


「ん」


 ニックの言葉を聞いて、ルナは満足そうに大きくうなずいた。


 彼が差し出した手を握り、ルナはこの店の入ってから初めて笑顔を見せる。


 こうして、ニックスクロール店に新しい従業員が増えた。


 ニックがそんな感傷に浸る間もなく、お店の奥からクロエが現れる。


 クロエはニックの店で働くことになったルナを見て、納得するようにうなずく。


「ニック、倉庫の整理が終わったわ。ルナもここで働くの?」


「ん。よろしく」


「えぇ。よろしくね」


 クロエの問いに対して、ルナは表情を変えずに返事をする。


 すでに表情を元に戻して不愛想に返事をするルナに対し、クロエは小さく微笑む。


 二人が挨拶をしている間に店舗の整理を終えたニックは、お店の入り口にひっかけている札をクローズにした。


 そして、クロエとルナを店内のカウンター席へ座らせると、自分も二人の正面へ座った。


「さて、二人とも。これからスクロールを作ろうと思うんだけど、一緒に作る?」


「もちろん」


「教えてほしいわ」


「じゃあ、奥の工房へ移動しようか」


 そう言ってニックは立ち上がり、二人をお店の奥にある自分のスクロール製作工房へ案内をした。


 工房へ入ると、クロエが興味深そうに周囲を見渡す。


「ここがニックの工房なのね」


「そう。あんまり広くないから、3人だとちょっと狭いかも」


「確かにそうね。でも、1人だとこれくらいの方が使いやすいんじゃない?」


「まぁね」


 クロエに言われて、ニックは苦笑いを浮かべた。


 スクロール店にあるニックの工房はそこまで広いわけではない。


 せいぜい十畳程度の大きさだ。


 ニックとしてはスクロール以外に作る気がないため、この広さで十分だった。


 羊皮紙がきれいに積み重なっている机に、木の板が収納されている戸棚。


 そして、天井からは夜でも明るい魔石がついた照明器具。


 この中にある全てがニックのこだわりであり、彼なりの美学である。


 そんなニックの工房眺めていたクロエが小さくため息をつく。


「相変わらず綺麗好きなのね……昔からかわらないわ……」


「そうかな? そんなことはないと思うけど……普通じゃない?」


「これが普通だったら私の工房は……」


 クロエがぼそりとつぶやくと、ニックは不思議そうに首を傾げた。


 その反応を見たクロエは小さく肩を落とす。


「お兄ちゃん、スクロールを作るには最初に何をやるの?」


 落ち込んだクロエの代わりに、ルナがニックへ質問をした。


 その言葉を聞いたニックは嬉しそうな笑みを見せた。


「本当はインク作りからだけど、もうたくさん作ってあるんだ」


 そう言いながら、ニックは1枚のスクロールを取り出して机の上へ置いた。


 スクロールを開くと、濃いピンク色の液体が並々入った壺が姿を現す。


「これがインクなの?」


「そうだよ。インクの素材はトレントっていう魔物の樹液をベースにコカトリスの髄液や──」


 インクの製造方法を惜しみなく伝えるニックだったが、クロエとルナは言葉を失っていた。


 クロエはインクの入った壺を出現させた収納魔法が使えるスクロールを見て。


 ルナはニックが口にしたモンスターのほとんどが討伐の難しい相手だったからだ。


 二人とも話に聞き入ってくれている。そんなに興味があったんだ。よかった!


 二人が黙っているのを好意的に受け取ったニックは上機嫌に説明を続けた。


「──最後に煮詰めた液体を濾して完成だ!」


「えっと……その……ニック?」


「どうしたの?」


 興奮気味に説明を終えたニックにクロエが声をかける。


 その表情はどこか引きつっており、冷や汗を流していた。


 クロエの様子を見たニックは、首をかしげながら問いかける。


 すると、クロエはおそるおそる口を開いた。


「このインク……一体いくらするの?」


「材料費は考えたことがないけど、全部僕が取ってきたからほとんどタダさ」


「……そう」


 ニックの説明を聞き、クロエはさらに顔を引き攣らせた。


 モンスターの脅威を身に染みて理解しているルナは、ピンク色の液体が入った壺を真顔でじっと見つめていた。


 ニックの発言がすべて真実ならば、このインクの材料となる魔物を倒すだけでも命懸けだ。


 それをすべて1人で倒してきたというのだから、ニックがどれだけ規格外の存在かがよくわかる。


 クロエはニックが冗談を言っているのではないかと疑ったが、彼の性格を考えればありえないとすぐに否定した。


「クロエさん、一つ聞いてもいい?」


「なにかしら?」


「普通はどうやってスクロールを作るの? 私は魔力しか込めたことがないからわからない」


「えっと……そうね……」


 ルナの純粋な疑問に、クロエは思考を切り替えて自分が学校で学んできたことを思い出す。


 まず、スクロールを作成する手順だが、これは大きく2種類の作業が存在する。


 1つ目は、羊皮紙へ術式を書き込む工程。


 2つ目は、書き込まれた魔法陣に魔力を込める工程。


 前者はスクロールへ魔法陣を定着させるため、ペン先の黒インクへ自分の魔力を込めながら羊皮紙へ書き込む。


 後者は魔法の発動に必要な魔力を魔法陣へ送り込む。


 ただ、どちらも大量の魔力や手間が必要になるため、作業代がかさんでどんなスクロールでも金貨1枚程度の値段になってしまう。


 クロエがルナへ授業のような説明をしたところ、彼女は小さくうなずいてからニックへ視線を向けた。


「それならお兄ちゃんはどうやってスクロールを作るの?」


「実際に見た方が早いから、作りながら説明をするよ」


 ニックは積んである羊皮紙を1枚だけ手に取り、作業机の上に置いた。


 クロエとルナがニックの作業を興味深そうに見守る中、彼はゆっくりと説明を始める。


「僕はこの板を使って魔方陣をスクロールへ写し込むんだ」


 そう言ってニックは、戸棚から取り出した模様が描かれた金属製の板を二人に見せた。


 ニックの持っている板は、魔力を効率良く伝達してくれるミスリルを加工したものだ。


 上級の武具に使われる素材であるミスリルを加工するのは非常に難しく、精巧な魔方陣を彫るのにも熟練の技術が必要だ。


 ニックはそんなミスリルの板を何十枚も用意しており、それだけでニックのスクロールにかける情熱が伺える。


「すごい……こんなに細かく……」


「本当ね……私でもミスリルへこんなに細かい作業はできないわ……」


 クロエとルナは、ニックが手に取ったミスリルの板に刻まれた魔方陣を食い入るように見つめる。


 二人ともニックが作り出したミスリル盤の出来栄えに驚いているようだった。


 ニックは持っている板をインクを染み込ませた布へ押し付けてる。


「これにインクを付けて、ペタン! はい、これで魔法陣の完成」


「「……」」


「あれ? 二人ともどうしたの?」


 二人が黙り込んでしまったことに気が付いたニックは、不思議そうに首をかしげる。


 しかし、クロエとルナは答えることなく、ただ呆然とニックの手元を見続けていた。


 ニックは2人の様子を気にすることなく、羊皮紙を丸めて魔法名の書いたシールで止める。


 そして、筒状になった羊皮紙を満足そうに見つめた。


「スクロールの製作終了。どうだった?」


「「……」」


「あれ? もしかしてわからなかった?」


「「違う!!!!」」


 ニックが不安そうに尋ねると、クロエとルナは勢いよく反論した。


 二人の様子に驚いたニックは、目を丸くして驚きを露わにする。


「えっ!? じゃあ、なにがダメだったの?」


「何もかもがダメに決まっているでしょうが!! 魔力を込める作業もないし、本当にスクロールが完成したの!?」


 クロエが声を荒げてニックに詰め寄る。


 あまりの剣幕にニックはたじろぎ、完成したばかりのスクロールをクロエへ手渡す。


 クロエはスクロールを受け取って開こうとする直前に、手を止めた。


「これは何の魔法が使えるの? 最上級魔法じゃないわよね?」


「普通のライトボールだよ。これこれ」


 ニックはそう言って、指先から手のひらよりも少し大きな光の玉を宙に浮かべる。


 ライトボールは光を放ち、部屋を明るく照らし出す。


 下級魔法であるライトボールは魔法使いならば誰でも使える魔法である。


 洞窟の探索や野宿をする際の光源として活用されており、生活には欠かせない一般的な魔法だ。


 ニックはクロエへライトボールを見せると、彼女の目つきが鋭くなった。


「わかったわ。信じる……開けるわよ」


 ゴクンと唾を飲み込んだクロエは、覚悟を決めてスクロールを開いた。


 スクロールが開かれると中に描かれている魔方陣が白く発光し、光の玉を生み出した。


 ニックが生み出した光の玉と同じ大きさの光源がもう1つ生まれ、2つの光が輝く。


「ライトボールだっただろう? こんなことでウソはつかないよ」


「……確かにライトボールね……はぁ……よかった……普通で……」


 クロエは【普通】にライトボールが発生して安堵のため息を漏らす。


 クロエの反応を見たニックは嬉しそうに微笑む。


「ふっふっふ。普通に使えるだけが僕のスクロールじゃないんだ」


「どういうこと?」


「見ててごらん」


 ニックは得意気にクロエの持っているスクロールを受け取ると、再びクルクルと丸める。


 すると、光の玉が消えてしまう。


 何をしているのだろう。そう思ったクロエは眉間にしわを寄せた。


 スクロールは1度使ってしまえば終わりだ。


 クロエはそう思って彼の顔を覗き込むと、ニヤリと笑みを浮かべていた。


「また開けばライトボールが出てくるんだ!」


「「……」」


 そこには先ほどと同じ光の玉が現れ、再び部屋を明るく照らす。


「僕が込めた魔力が尽きるまで何度も使えるんだよ」


 ニックが楽しそうに、スクロールを何度も開くと、そのたびに白い光が生み出されて、周囲を照らしていく。


 クロエはそれを見ながら全身が硬直する感覚に襲われた。


 彼女は目の前にいるニックが、天才という言葉では表現できないほどの存在だと改めて認識する。


 一連の流れを見ていたルナの頬には冷や汗が流れており、表情は強張っていた。


<side:ルナ>


「それでニックの様子はどうだったの?」


「驚異的なスクロールを開発していた。これがそう」


 魔法協会本部の一番奥にある会長室。


 そこでルナは師匠であるジェシカへ報告を行っていた。


 ジェシカは椅子に座りながら足を組み替えると、真剣な眼差しでルナからスクロールを受け取る。


「普通のライトボールじゃない。これがどうしたの?」


 ルナから受け取ったスクロールを開いたジェシカが拍子抜けしたように言う。


 ジェシカの言葉を聞いたルナは数回首を横に振ると、自分の考えを伝えるために口を開く。


「そのスクロールは魔力が続く限り何度も使うことができる」


「なんですって!?」


 ルナの発言を聞いて、ジェシカは大きな声で叫んだ。


 ルナに言われた通り、彼女はスクロールを閉じて、もう1度ゆっくりと開いた。


 すると、白い光を発する球体がスクロールから飛び出した。


「上級や最上級の魔法ばかり気にしていたら、下級魔法でもやからしてくれていたのね……」


「このスクロールは革命的」


 ジェシカは、ニックが作り出したスクロールの性能に驚愕しながら、無意識に両手を握りしめていた。


「こんなスクロールが世に出回ったら、私たち魔法使いの存在意義が揺らいでしまうわ……」


 ジェシカの独り言にルナは同意するようにうなずく。


 魔法使いは、魔力の扱いに長けた者のみが就くことができる特別な職業である。


 そんな魔法使いたちのプライドを崩してしまうようなスクロールが世の中に広まってしまった場合、魔法協会の権威は失墜してしまうかもしれない。


 ジェシカはそう思い、険しい顔をしながらルナへ視線を向ける。


「一段と強く冒険者組合へニックの店からスクロールを買わないように忠告を出すわ」


「今まで通り私たちが研究のために買うのは良い?」


「もちろんよ。新作が出たらすぐに確保しなさい」


「わかった」


 ルナは力強くうなずいた。


 魔法協会は、魔法の研究をするための機関であり、魔法に関するすべての権利を有している。


 だからこそ、魔法協会のトップに君臨するジェシカはニックの作るスクロールを人一倍警戒しなければいけない。


 魔法協会の会員たちも同様で、ニックのスクロールに負けないように、より一層魔法の技術を高めようと励んでいる。


 それでも、銅貨数枚で販売されているニックのスクロールが普及することに危機感を覚えていた。


 そうなってしまう前に、魔法協会は宮廷錬金術師や冒険者組合と協力して、ニック包囲網を構築した。


 ルナの報告を受けたジェシカは、大きくため息をつく。


「最初に販売していたのが下級魔法ばかりで助かったわ」


「本当にそう……」


 たかがスクロール店だと侮っていた初期、その安さから冒険者や一般市民までもがこぞってニックのお店へ押し寄せた。


 その結果、スクロールが飛ぶように売れてしまい、ようやくそこで危険性を理解できたのだ。


 一般市民が喧嘩でファイヤーボールやマジックミサイルなどを使ってしまい、大惨事になってしまった事件があった。


 それを阻止するべく、王都では一般市民がスクロールを所持するだけで罰則を受けることになった。


 ニックも製作者として一般市民には販売しないように厳重注意を受け、使用目的を限定しなければならなくなった。


 そんな経緯もあり、ニックのスクロールは全く売れなくなってしまっている。


「それじゃあ、今日はこれで帰る」


「えぇ。気を付けて帰りなさい」


 ルナは魔法協会会長であるジェシカへ挨拶を済ませると、魔法協会を後にした。


「お兄ちゃん……私はあなたの力になりたい」


 ルナは自宅へ向かう途中、そう呟いて拳を強く握った。


<side:ニック>


 ニックはいつものように朝早くから起きて、店の開店準備をしていた。


 彼は店内に並ぶ売れないスクロールの数々を眺めて、頭を抱える。


「どうすれば冒険者の人が買ってくれるんだろう……絶対に売れると思うんだけどな……」


 魔法協会が手を回していることを知らないニックは、ただただ頭を悩ませている。


 ニックは、自分が作ったスクロールが全然売れないことに納得がいかなかった。


「みんながみんな魔法を使いたいとは思っていないんじゃないの?」


「そんなことないと思うんだけどな……」


 クロエがそう言いながら、ニックが作り置きした紅茶を飲んでいる。


 クロエもルナと同様にニックの動向をその都度、上司であるデニスへ報告をしている。


 何もしないと助かるんだけどな。と、クロエが心の中でつぶやくと、ニックが勢い良く立ち上がった。


「そうだ! 僕が冒険者になって宣伝すればいいんだ!!」


「えっ!?」


「クロエさんも手伝ってよ」


「いや……私……は……その……」


 ニックはやる気満々で、今にもお店を飛び出していきそうな雰囲気だ。


 クロエはニックの勢いに圧倒され、助けを求めるために窓拭きをしているルナへ視線を投げる。


「お兄ちゃん、冒険者になるのは良いけど、お店はどうするの?」


「そう! お店よお店! あなた、店主じゃないの!」


「大丈夫だよ。従業員が2人もいるからどっちかに任せられるし、スクロールの場所も札があるから分かるでしょう?」


 ニックは自信ありげに答える。


 しかし、クロエとルナは不安そうにお互いの顔を見合わせた。


 数秒間見つめ合った2人は、同時に大きく頷いた。


「ニック……ちょっと待って……」


「ん? どうしたの?」


「ルナがスクロールの製作方法をまた詳しく聞きたいって言っていたわよ?」


 クロエはなんとかニックを引き留めるために言葉を絞り出した。


 クロエの提案を聞いたルナは、そうそうとうなずくと、ニックの方を見る。


「本当かい!? 教えてあげるよ」


「ん。お願いします」


 ニックはルナに教えを請われて嬉しそうにする。


 クロエはホッとした様子で胸を撫で下ろし、ニックがルナと話を始めてから出入口の取っ手を掴む。


「ちょっと私は買い物へ行ってくるわ」


「いってらっしゃーい」


 クロエは、扉を開けて外へ出ると、振り返ることなくお店を後にした。


 ニックはクロエの背中に向かって手を振ると、ルナとの話を再開した。


「それで、どこを詳しく知りたいの?」


「魔法陣へ魔力を注入する方法。昨日は分からなかった」


「そういえばそこは途中だったね。工房で説明をするよ」


「ん」


 ルナの質問をニックは相槌を打ちながら聞く。


 工房に移動すると、ルナは手のひらで包めるほどの大きさがあるガラス球を取り出して、それに魔力を流し込む。


「そんな物まで用意したの? ルナは勉強熱心だな」


 ニックは感心しながらルナが持っているガラス球を指差すと、彼女はコクリとうなずいた。


「後で見直せるようにこれで記録取ってもいい?」


「もちろんだよ。記録球なんてよく借りれたね」


「ん。師匠に頼み込んだ」


 ルナは手に持っていた周囲の様子を記録できるガラス玉を机の上へ置く。


 ニックはルナの用意周到さに感服し、彼女へスクロール製作の方法を丁寧に始めた。


「魔力注入は、羊皮紙に魔法陣を書いた時点で終わっているんだ」


「どういうこと?」


「やりながら説明するね」


 ニックは何も書かれていない羊皮紙を机の上へ広げ、ミスリルの板を手にする。


 板へインクを染み込ませると、そこで作業を止めた。


「この時に魔力を板へ注入していたんだ」


 ニックは板の両脇にある取っ手を持ちながらルナへ見せた。


 ミスリルは魔力を効率良く流すことができるとルナは認識していたが、ニックはそこへ魔力を溜めているという。


「どうして板に魔力を溜められるの? 飛散しない?」


「そこがポイントなんだ。板に加工をしてあってね、3重構造になってる」


「3重? こんなに薄いのに?」


 ニックは羊皮紙に板を押し付けた後、完成したスクロールを脇に置いた。


 そして、先ほどの板をルナに手渡す。


「そうだよ。よく見てみて」


 ルナは渡された板を色々な角度から観察すると、あることに気が付いた。


「ここだけ厚みが違う」


「そう。魔力を溜める事ができるオリハルコンをミスリルで挟んでいるんだ」


「…………」


「魔法に対して適切な厚さじゃないと十分な魔力が溜まらないし、多すぎても失敗するんだよ。それで──」


 ルナはニックの説明を聞きながら、無言のまま板を裏返したりして、じっくりと見続けている。


 魔力を溜めることができる物質が希少であることは、ルナでも知っている。


 それなのに、オリハルコンというその中でも超希少な金属をスクロールのためだけに使っている事実がルナの思考を停止させた。


「最近は感覚で厚さを調整できるようになったから、新しいスクロールがどんどんできるんだ」


「すごい……」


 ルナは自分の知識では到底理解できないニックの技術力に驚きながらも、持っている板へ視線を落とす。


 鍛えていない自分でも持てる薄さの板に3枚の金属が重ね合わされている。


 ルナは自分がスクロールの作り方を教わっている最中だと忘れ、板を何度もひっくり返していた。


 ニックはそんなルナの様子を見て、嬉しそうに笑った。


「ルナもやってみるかい?」


「え? ……うん。試してもいい?」


「もちろん」


 ルナはニックの座っていた椅子へ座り、板を自分の方へ向けた。


 ニックはルナに使い方を教えるために、羊皮紙を机の上へ広げる。


「インクを付けるときには偏らないように均一にね」


「分かった……」


 ルナは緊張した面持ちでうなずいた。


 ニックはインクの付け方を簡単にレクチャーした後、ルナの様子を見守る。


 ルナは深呼吸をしてから、ゆっくりと板をインクの染み込んだ布へ押し付ける。


 インクが均等に行き渡るように、少しずつ慎重に。


「できた……」


「上手だよ。次は板へ魔力を流し込んでみるんだ」


「うん……」


 ルナはじっと手に持っている板を見つめ、集中している。


 ニックも真剣な表情を浮かべ、ルナの作業を見守っていた。


「ぺ……ペタン!」


 ニックと同じ掛け声を真似ながら、ルナは板を羊皮紙に押し付けた。


 その様子を見ていたニックは、ルナに気づかれないように難しいかとつぶやく。


 ルナが板を持ち上げるとインクが宙へ飛散して、魔法陣が消えてしまった。


「あれ……失敗……?」


「板に魔力が均一に行き渡らないとこうなるんだ。練習すればできるようになるよ」


「ん……」


 ルナは残念そうに板を眺めて、ため息をつく。


 ニックはルナに気を遣わせないように明るい声で話しかける。


「インクを板に付ける作業は完璧だった。あとは魔力の調整だけだから、ルナはセンスが良いよ」


「……ありがとう」


 ルナは少し落ち込んだ様子で返事をした。


「あっ! そうだ。ルナ、練習用にスクロールを作る道具や材料を貸してあげる」


 ニックはそう言うと、紙袋の中にミスリルの板やインクなどを入れ、ルナへと差し出す。


 ルナは戸惑いながら受け取ると、ニックへ問いかける。


「いいの?」


「いいよいいよ。僕以外にスクロールが作れるようになったら、どんどん増やせるだろう? だから練習してくれると嬉しいな」


 ルナはニッコリと笑うニックの顔を見ると、嬉しそうな笑顔を見せた。


「ありがとう」


──カランコロン


「帰ったわよー。2人とも工房?」


 スクロールの製作方法を説明し終えてからしばらくしてクロエがお店へ帰ってきた。


 工房からニックがお店を覗き込み、手を振ってクロエを出迎える。


「クロエ、おかえり」


「ただいま。作り方は教えてもらえたの?」


 クロエが工房へ入り、椅子に座ってスクロール製作の練習をしているルナへ声を掛ける。


 ルナは手を休め、ガラス球を持ちながらクロエの言葉に力強くうなずく。


「ん!」


「それは良かったわね」


 クロエは微笑みながらルナの隣へ腰掛けると、ニックへ視線を向ける。


「ニック、お店を見ているから、冒険者組合へ行ってきたらどう?」


「ありがとう! そうするよ!」


 ニックはクロエの提案を聞くと、嬉しそうに外出する準備を始めた。


 その後ろでクロエがルナへ「連絡をしてきたから大丈夫」と耳打ちをする。


 ルナはクロエの言葉を信じると、再びスクロールの製作に取り掛かった。


 ニックはクロエの勧めに従い、王都の冒険者組合へ顔を出すことにした。


 冒険者組合の建物に入ると、多くの職員たちが忙しそうに働いている。


 ニックが辺りを見回しながらカウンターへ向かうと、受付嬢と目が合った。


「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか?」


「冒険者登録にきました」


「かしこまりました。こちらの用紙に必要事項を記入してください」


 ニックは紙を受け取ると、近くに置いてあった椅子に座り、名前、年齢、出身地、学歴などを空欄を埋めていく。


「これでお願いします」


「はい。お預かり致しました……ニックさん……ですか? スクロール店の?」


「はい、そうです」


 ニックは書き終えた紙を受付嬢へ手渡すと、彼女は内容を確認している途中で固まってしまった。


 ニックは何かまずかったのかと思い、恐る恐る確認をする。


「あの、どこか間違っていますか?」


「いえ……いえいえいえ。しょ、少々お待ちください!」


 彼女は慌てた様子で奥の部屋へ入っていった後、別の女性を連れて戻ってきた。


 連れられた女性は20代後半くらいの女性で、落ち着いた雰囲気がある美人だった。


 その女性がニックの方へ視線を向け、優しくほほ笑む。


「初めまして。私はこのギルドで受付の副主任を務めている、リリアナと言います」


「あ、はい。よろしくお願いします」


「今日は冒険者登録に来られたんですよね? 私が対応させていただきますので、奥の応接室へどうぞ」


「……わかりました」


 ニックは副主任のリリアナに促されて、奥の部屋へ向かう。


 ニックが歩き出す前にリリアナが元々対応していた受付嬢へ目配せをし、通常の業務へ戻らせる。


 応接室と書かれた札が掛けられている部屋へ入ると、ニックはソファーに座るよう案内された。


 2人が向かい合うように座ると、リリアナが申し訳なさそうな表情をする。


「書類を拝見させていただきましたが、登録には少しお時間をいただいてもよろしいですか?」


「どういうことでしょうか?」


 冒険者登録は書類を書いて終わりだと思っていただけに、ニックは状況が理解できず、混乱している。


 そんなニックの様子を察したリリアナは、丁寧に説明を始める。


「実は先ほど提出されたニックさんの情報が正確なのか確認する必要があるのです」


「えーっと……? 特に特別なことは書いていないような気がするんですけど……」


 ニックは自分が書いた内容を振り返り、おかしなところはなかったか思い返す。


 特に問題のある記載は無かったはず。


 ニックは首を傾げながらリリアナへ質問をした。


「ええと……何を確認したいんでしょう?」


「ニック様が王立錬金術師養成学校を主席卒業したかどうかの確認です」


「それが必要なんですか?」


「はい、とても重要です」


「理由をうかがっても構いませんか?」


「もちろんです」


 リリアナは応接室の壁側にある棚から、何枚かの書類を取り出す。


 そして、ニックの目の前へ置くと1枚の紙を指さす。


 そこには冒険者ランク制度と書かれており、その下に注意点が記載されていた。


「冒険者のランクは初心者であるウッド級から始まり、アイアン、ブロンズ、シルバー、ゴールドと上がっていきます」


 ニックはリリアナの説明を食い入るように聞き、なぜ自分の登録がすぐにできないのか理解しようとしている。


「この注意点なのですが、実力に応じてスタートする階級が違うということが書かれております」


「……なるほど、確認をするのはこれが理由なんですね」


「はい。王立錬金術師養成学校卒業するとアイアン級からスタートになり、主席卒業ではブロンズ級と判断されるためです」


「だから王立錬金術師養成学校に僕のことを確認をする必要があるんですね」


 ニックは少し考え込む仕草を見せる。


 しかし、リリアナに返事をしてすぐに姿勢を正した。


「ええ、そういうことです」


「分かりました。それでいつ頃確認ができるんでしょうか?」


「今からだと……早くて明日か明後日になると思います」


「そうですか……」


 ニックは残念そうに肩を落とす。


 自分のスクロールを駆使し、他の冒険者へ宣伝することができなくなり、落胆してしまった。


 そんなニックの様子を見かねたリリアナは、ニックへできる限りの笑顔を向ける。


「できるだけ早く確認できるように努力いたしますので、どうかもうしばらくお待ちください」


「はい、よろしくお願いします」


「いえ、こちらこそ申し訳ありません」


 ニックは規則なんだからリリアナさんが謝る必要はないと伝えると、席を立つ。


 そして、リリアナに案内をされながら、ニックが冒険者組合を後にしようとした時だった。


「どうしてニックスクロール店のスクロールを使っちゃいけないんだ?」


 ニックの後ろから突然声が聞こえた。


 振り向くと、金髪の少年が最初にニックを対応した受付嬢に対して不満げに口を尖らせている。


 ニックは少年と受付嬢の話に聞き耳を立てると、どうやらニックの作ったスクロールを使用できないということを説明しているようだった。


「それが規則なんです。すみません」


「でもさぁ……せっかく手に入れたのに……」


「申し訳ございません」


「ちぇっ……」


「その話、もう少し詳しく聞かせてもらっても良いですか?」


 ニックが2人の元へ近づき声を掛けると、受付嬢は驚いた様子で返事をした。


 後ろからは「まずい」とリリアナさんが呟いているのが聞こえる。


 ニックが睨みながら受付嬢へ質問をしたところ、オロオロしてしまい、答えてくれそうな雰囲気ではない。


「どうしてスクロールを使用してはいけないんですか?」


「い、いえ……そういうわけではありませんが……」


「じゃあ教えてください」


「そ、それは……」


 受付嬢はどうすればよいのか判断できず、言い淀んでしまう。


 そんな中、隣にいる男の子は、ニックが自分を対応してくれている受付嬢と会話を始めてムッとした表情をした。


「にいちゃん、横入りはやめてくれよ。今は俺が登録しているんだぜ?」


「それは悪かったね。ごめんよ。ところで、きみもどうしてスクロールが使えないのか聞きたいよね?」


「ああ! 俺のお小遣いでも買える値段のスクロールだから、使えるなら使いたいよ!」


「それは僕も同じだよ」


 ニックはニッコリとほほ笑むと、自分の後ろにいるリリアナへ視線を向けた。


「リリアナさん?説明していただけますよね?」


「…………」


 周囲の目があり、ニックの横にいる少年も不機嫌そうに腕を組んで立っているため、リリアナは毅然とした態度で頭を下げる。


「規則のためとしか言えません、説明致しかねます。申し訳ございません」


 リリアナが頭を下げると、受付嬢も同じように頭を下げ、ニックへ謝罪をする。


 ニックはリリアナの返答を聞くと、目を閉じて考える。


 ニックは口角を上げ、目を開くと、受付嬢とリリアナへ視線を向け、にっこりとほほ笑んだ。


「そうですか……わかりました。僕のお店の営業妨害をしているわけですから、強硬手段を取らせていただきます」


「え?」


「ニックさま?」


 頭を下げていた2人がニックの言葉を聞き、顔を上げる。


 それと同時に、ニックは収納していたスクロールを複数取り出して、一斉に広げた。


「プロテクトウォール、サイレント、インビジブル、コンフェッション」


 スクロールに描かれた4つの魔法陣がほぼ同時に光り輝く。


 逃げられないようにプロテクトウォールで障壁を張り、サイレントで周りに聞かれないように音を遮断。


 同時に、インビジブルで中の様子を外から見えないようにし、コンフェッションでリリアナが隠しごとができないようにした。


 4つ魔法が同時に発動するというありえない状況を見て、受付嬢は驚きの声をあげる。


「え!? こ、これは一体……」


「これで邪魔はされないでしょう。さて、リリアナさん? あなたにいくつか質問をしますね」


「え? ええ? あの……え?」


 リリアナは動揺し、冷や汗を流しながら言葉にならない声を発している。


 受付嬢はというと、リリアナと同様に混乱しており、状況を把握できていないようだ。


「巻き込んでごめんね。でも、これから聞くことをみんなへ伝えてほしい。お願いできるかい?」


 ニックは少年へ微笑みながら頼み事を行う。


 その瞳からは絶対に伝えてくれよという感情が漏れ出していた。


「あ、あぁ……わかった」


「ありがとう。助かるよ」


 ニックはお礼を言うと、リリアナへ顔を向け、にっこりとほほ笑んだ。


「さて、受付嬢のリリアナさん。あなたに聞きたいのは2つです。どうして僕の作ったスクロールを冒険者が使えないのか。そして、その指示を誰が出しているのか教えてください」


「冒険者が使えない理由は──ムグッ!」


 ニックに質問をされたリリアナは勝手に動く口を止めるために、自分の両手で塞ぐ。


「そこまで抵抗しますか……仕方がない、バインド」


 ニックがバインドのスクロールを開き、魔力の紐がリリアナを拘束する。


 口を塞いでいた手も元に戻され、リリアナは自分の意思とは関係なく、強制的に喋り出す。


 無理矢理話をさせられて悲しいのか、リリアナの目からは涙がこぼれる。


「ニックスクロール店のスクロールは格安すぎて、冒険者が簡単に実力以上の成果を出してしまうため、ギルドマスターが使用を禁止しています」


「実力以上の成果? 道具を使うのも実力でしょう?」


「スクロールを大量に使えば初心者が中級モンスターであるオーガを倒し、上級モンスターにも手が届いてしまいます。それではスクロールを使わない冒険者との差があまりにも大きくなってしまうのです」


 リリアナはニックに問われた質問をよどみなく次々と答える。


 同じように話を聞いている受付嬢や少年は、目の前で行われている出来事が信じられず、ただ呆然と立ち尽くしていた。


「それでは次です。スクロールを禁止しているのはギルド長が単独で判断したんですか?」


「ギルド長は、宮廷筆頭の錬金術師のデニスさまや魔法協会の会長のジェシカさまに相談して決められました」


「なるほどなるほど、宮廷錬金術師と魔法協会もスクロールには反対しているんですか」


「ふーん、そうなんですねぇ……」


 ニックはリリアナの回答に納得すると、顎に手を当てて考え込む。


 考えているのは、自分の店で働いている2人のことだ。


 2人はそれぞれ所属していた組織よりもニックのお店を優先して、仕事を手伝ってくれている。


 クロエにいたっては、宮廷錬金術師を辞めてまでニックについてきてくれた。


 そんな2人をニックは心の底から大切に思っている。


「リリアナさん、ありがとうございました。話は以上です、ディスペルマジック」


 話を聞き終えたニックは、周囲にかかっている魔法を消滅させるディスペルマジックのスクロールを起動させた。


 魔法陣から光が放たれると、先程までの周囲に展開していた魔法がすべて飛散するように消えた。


 リリアナは戸惑いながらも、自分の体が自由になったことに気づくと、涙目でニックを睨む。


「ニックさま……なぜこのようなことを……」


「なぜこんなことをしたか? そんなの決まっているじゃないですか」


 ニックはリリアナの質問に対して、笑顔で即答した。


「僕はスクロールをみんなに使ってもらいたいんです。あなたのおかげで、王都の権力者が結託して僕が作ったスクロールを普及させないようにしていることがわかりました……失礼します」


 ニックの笑顔を見たリリアナと受付嬢は、背筋が凍るような寒気を感じた。


 リリアナと受付嬢は、ニックが冒険者組合を出て行くのを黙ったまま見送ることしかできなかった。


 冒険者組合から出たニックは、王都の大通りを早足で歩く。


 ニックは自分が作ったスクロールが使われなくなっていることに怒りを覚えていた。


「許せない。せっかくみんなの役に立つと思って作っていたのに……こうなったら……」


 ニックはある決断をして、自分の店にへ向かって歩いていった。


「2人とも、王都を出るよ」


 ニックは自分のお店に到着すると、働いてくれている2人へ自分の決心を伝える。


 突然のニックの言葉に、2人は驚いて固まってしまった。


「に、ニック? いきなりどうしたの?」


「お兄ちゃん、意味が分からない」


「うん、もう王都に留まっている意味はないからね」


 ニックはいつも通りのほほ笑みを浮かべながら、2人に返事をする。


 そして、自分が冒険者組合で聞いた話を掻い摘んで説明した。


 ニックの説明を聞く2人の表情がどんどん曇り、最後には諦めたような顔つきになる。


「こ、このお店はどうするの? とても大切にしていたじゃない」


 クロエの言葉にルナもうんうんと頷き、同意をする。


 ニックは少しも考えることなく、2人に対してにっこりとほほ笑んだ。


「大丈夫だよ。お店を畳むわけじゃなくて、場所を移すだけだから。さあさあ、外へ出てくれる?」


 ニックは2人を追い出すように店の外へ押しやる。


 2人は困惑しながらもニックの指示に従い、店の扉が閉められる。


「じゃあ、始めるよ」


 ニックはそう言うと、普通の物よりも2回り以上大きなスクロールを取り出す。


「お店を収納!」


 ニックがスクロールを広げながらそう叫ぶと同時に、ニックのお店が一瞬にして消え去った。


 まるで最初から存在しなかったかのように跡形もなく、綺麗さっぱりなくなったのだ。


 その光景を見ていた2人は開いた口が塞がらない。


「さて、2人とも、僕はこれからスクロールを普及させるために王都を出るよ」


 2人は言葉を発することなく、ニックを見つめることしかできない。


「ああ、心配しないで。強制じゃないから、2人に無理強いはしないよ」


「「え!?」」


ニックは驚く2人へにっこりとほほ笑んだ。


「でも、できれば一緒に来てほしい。僕と一緒にスクロールを普及させるために世界を旅しない?」


「「…………」」


「あれ? ダメかな?」


 ニックの言葉に2人はお互いに顔を合わせる。


 しばらく考えた後、2人はニックへ向き直り、力強く宣言をした。


「私もニックと旅をするわ! あなただけにしたら何をするかわからないし!」


「私も行く」


「ありがとう2人とも、こちらこそよろしく。よーし! スクロールを普及させるぞ!!」


 こうして、3人で旅に出ることになった。


 意気込むニックの後ろで、クロエとルナは不安げに顔を合わせていた。

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