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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

五十里くんは私を食べたい

作者: 黒崎リク



「文野さん、好きです。僕と付き合ってください」



 高校一年生の夏。

 放課後の図書室の隣、人気のない書庫(という名の物置き場)。


 私、文野百花ふみの ももかは、初めて男子から告白された。


 幼稚園の時にヒヨコ組のまー君に「付き合ってやってもいいぞ!」と上から目線で言われたのと、自宅のセキセイインコ(オス、三歳)に「モ~モチャンっ、ダイスキっ」と求愛されたのをカウントしなければ、初の快挙である。

 

 しかも、告白してきたのは学年一、いや、学校一の美少年と名高い五十里いかりつかさくんだ。

 淡い茶色のふわっとした髪に白い肌。長い睫毛に覆われたアーモンド形の褐色の目。名家の御曹司のように上品で柔らかな物腰に、禁欲的ストイックな黒い学ランがよく似合う。

 図書室で窓辺に座り本を読む姿には誰もが見惚れながらも、容易に近づけないような、俗世からかけ離れた雰囲気がある。

 優れているのは容姿だけではない。成績は常に学年トップなうえ、運動も各部活のエース張りに活躍する、万能の生徒。


 まさに、ザ・王子様。


 そんな彼が白い頬を薄紅色に染めて、潤んだ眼差しで告白してきて。

 私は喜ぶよりも戸惑った。


 私と五十里くんは、同学年とはいえクラスが違うため、接点はほとんど無い。

 唯一の接点は、図書室だ。

 図書委員の私は、昼休みや放課後に図書室で本を読む彼の姿をよく見かけた。しかしながら、ほとんど会話を交わしたことがない。

 なので、いつどこでなぜ私を好きになったのか、さっぱり思いつかなかった。

 私は、五十里くんのように一目惚れされるような顔は持ち合わせていない。身長体重は平均……いや、ちょっと小さくて重いくらいで、スタイルがいいわけでもない。髪を染めることも化粧をすることもなく、地味な見た目の女子高生だ。

 青春っぽいことしてみたいと漠然と思いながらも、積極的に何かするでもなく、平穏に日々を過ごすことが幸せな凡人である。教室の片隅にひっそりといる私は、男子の話題に上ることも、風の噂も流れない存在なのだ。

 

 だから、五十里くんの告白には驚いた。

 私は動揺しながらも考える。

 五十里くんのことは、『好き』とか『付き合いたい』とか考える以前の問題で、『目の保養になる美少年』という認識しか無かった。本を読む彼の姿をちらちらと見ては、海外ドラマの○○に似てるなー、綺麗だなー、と感想を抱く程度だ。

 テレビの中の憧れの人物に告白されているような心持で、実感が無い。

 だが、ごめんなさいと速攻で断るのも躊躇われる。

 だって、なんか勿体ない。

 いや、自分が彼に不釣り合いなことは十分わかってるけど。彼と付き合ったりなんてしたら、女子のやっかみをくらって面倒そうだから、断るのがベストなのは十分にわかってるけども!

 でも、やっぱりなんか勿体ない。


 ……とりあえず、まずは告白へのお礼を言って、それから「返事は少し考えさせてくれ」と言うのが無難だろうか。

 付き合う云々は、メリットデメリットを考慮して、今晩じっくり考えよう。

 よし、と頭の中で一度台詞をリハーサルした後、彼を見上げる。


「五十里くん、どうもありがとう。返事は、その……」

「うん。こちらこそありがとう、文野さん。これからよろしくね」

「いやちょっと待ってまだ了承してない」


 まだ告白の了承どころか返事すらしてないのに先走る五十里くんに、反射的にツッコミを入れてしまった。

 五十里くんがきょとんと私を見つめてくる。


「でも、ありがとうって」

「いや、それは五十里くんの気持ちはありがたいって意味で……」

「つまり、いいってことだよね?」

「いや、だからね。ありがたいけど、少し考えさせてほしいって言いたくて……」

「え?好きとか嫌いとか、考えること?」

「……す、好きか嫌いか、そこまで判断できるほど、五十里くんを知らないって言うか……」

「そっか……じゃあ僕のこと少しずつでいいから知ってほしい。僕と付き合って下さい、文野さん」

「だから、付き合うこと自体を考えさせてってば」

「でも、付き合わなきゃ僕のことわからないでしょ?」

「そ、それは、そうだけど……」


 不思議そうに小首を傾げる五十里くんに、私は言葉に失った。

 言われてみればその通りである。

 五十里くんは意外にも押しの強い人だと思うと同時に、付き合うメリット考えるーとか私は何様のつもりだったんだろう、と今さらながら反省した。

 美少年から告白されたからって何を調子に乗っているんだ、自分。自分の浅はかな欲を五十里くんに見透かされたような気がして、猛烈に恥ずかしさが押し寄せてきた。


 ……いかん。駄目だ。ここはやっぱり断ろう。

 だいたい、彼と付き合って女子のやっかみを受けたくない、面倒だ――なんて考える時点で、私は彼のことを好きではないのだ。

 本気で好きじゃないのに、勿体ぶって待たせるなんて失礼だった。思い上がりも甚だしい。

 反省の意味も込めて、私は断るために頭を下げる。


「……五十里くん、ごめんなさい。付き合えません」


 そう答えると、五十里くんが悲しそうに眉尻を下げた。


「……僕のこと、嫌い?」

「いや、嫌いってわけじゃないけど」

「じゃあ、どうして?」

「どうしてって……」


 五十里くんの悲しそうな眼差しに、私は「嫌いじゃないけど好きでもないし、付き合うのが面倒そうだから」と答えるのを躊躇う。答える代わりに、気になっていたことを逆に尋ねてみた。


「五十里くん、私も聞きたいんだけど……なんで私のこと好きなの?あんまり話したことないよね?」


 どうして私を好きになったのか。私のどこを好きになったのか。

 できれば、その理由を聞いてみたかった。だけ、なのだが――


「ああ、うん、そうだね。文野さんとは、あまり話す機会は無かったけど……実は僕、前からずっと、君のことが気になっていたんだ」

「そ、そうなんだ……」

「僕、文野さんを一目見たときから……」


 淡く頬を染めた五十里くんが、にっこりと微笑む。


「おいしそうだな、って思って」

「……へ?」

「それで、気づいたら君をずっと目で追っていてさ。君を見る度に何だかドキドキして」

「は、はあ……」

「女の子に対してこんなにドキドキするなんて、初めてなんだ。これって好きってことだよね。今、すごく、君のことを食べてみたいと思っているよ」

「……」


 おいしそう → ドキドキする → 好き → 食べたい。

 ……うん、ちょっと意味が分からないよ五十里くん!

 高校生男子だしやっぱり下ネタ?けっこう大胆だね五十里くん!上品な王子様系と思ってたけど実は肉食系なの!?


 脳内で混乱しながら、とりあえず『おいしそう』『食べたい』の意味を確認したくて尋ねる。


「五十里君、それはどういう意味で?その……食欲的な意味で?それとも……」


 性欲、とはっきりとは言わずに言葉を濁した。一応自分は、花も恥じらう十六歳の乙女である。あからさまな言葉を口にするのは憚られた。

 五十里君はぱちりと瞬きした後、三十秒ほど経って(その間の沈黙の居たたまれないことこの上なかった)ようやく私の言いたいことが分かったようだ。

 白皙の頬に、さっと朱色を走らせる。


「ふ、文野さんって……けっこう大胆なんだね……」


 細い指先を赤い唇に添えて、頬を染めてそっと俯き恥じらう――五十里くんの姿は、私よりもよっぽど乙女であった。

 なんだかイラっとする。私の方が性欲に関するうにゃうにゃを妄想した男子みたいじゃないか。

 学校一の美少年に対する愛想を放り投げ、私は眉を顰めて問い質す。


「いいからちゃんと答えて」

「ええっと……もちろん、食欲の方だよ」


 いまだ恥じらいの色を見せながらも、きっぱり答えた五十里くん。

 食欲……駄目だ余計に意味が分からない。性欲と言われた方が(若干引くけど)まだ分かりやすかった。


「……意味が分からないんだけど」

「え?そのままの意味だけど」


 ほら、と五十里くんが手を伸ばしてきて、私の左の手首を掴んで引っ張る。

 それはけっこう強い力で、不意打ちだったこともあって私は前へとよろめく。

 右手をついた先は、白いシャツに覆われた、しっかりとした胸板。……おお、意外だ。王子様は細マッチョだったか。

 頭の片隅で考える私の腕を、ひやりと冷たい指先がなぞった。半袖から伸びる腕。二の腕の、柔らかい部分を摘ままれる。


「こことか。柔らかくて程よく弾力もあって、すごくおいしそうだよ?」

「……はい?」

「文野さん、いつもいい匂いがするんだ。整髪料とか香水とか、何もつけてないでしょう?ちゃんと……女の子の、甘い匂い」


 頭の上から響く声が、息が、近い。

 傍から見れば、抱き寄せられているように見えるのだろう。若い男女がいちゃいちゃしているように見えるかもしれない。

 胸がドキドキするけれど――

 そんな甘い雰囲気じゃない。

 五十里くんは私の肩を軽く押さえているだけなのに、万力で挟まれたみたいに外すことができない。五十里くんの胸元を押す私の手には、彼から離れようとけっこう力を込めているのに、距離はぜんぜん開かない。

 背中に伝うのは冷や汗で、首筋には鳥肌が立つ。胸の高鳴りは、トキメキではなく恐怖から来ていた。

 何でこんなに怖いのだろう。蛇に睨まれた蛙とか、猫に首根っこ咥えられた鼠って、きっとこんな気持ちになるのだろう。


「い、五十里くん……」

「ねえ、文野さん。少しだけかじってもいい?」

「か……」


 齧る?誰が?何を?……誰を?

 

「ああ、でも、いきなり齧り取るのは痛いよね。噛み付くだけにしとくから、いいかな?」


 私が答える前に、二の腕に触れていた五十里くんの手が下がり、手首を掴まれる。そのまま、ゆっくりと彼の口元まで持ち上げられた。

 そっと開く赤い唇が、綺麗に並んだ白い歯が。

 日に焼けていない前腕の内側の肉に触れて。

 

 がり、と噛まれた。


「いっ――!?」


 痛い痛い!マジで痛い!甘噛みなんてもんじゃない。本当に噛み付かれている。

 これ絶対血が出てる――ってほら、やっぱり血が出てる垂れてるじゃん!何してんの何で血ぃ舐めてんの!?「ほら、やっぱりおいしい」って笑うとか変態なの五十里くん!?


 痛みと恐怖と困惑で混乱する頭の中で、我が家の飼い犬のゴロー(シェパード、オス、八歳)が幼い頃、わが父の手に本気で噛み付いたときのことを思い出す。この馬鹿もの!と父が鉄拳制裁を食らわせて、以来、ゴローは父に従順になったものだ(母は非難していたものだが)。 

 無意識に私は自由な右腕を後ろに引き、前に突き出した。

 脇を占めて、拳を横ではなく縦にまっすぐ出すことで速度が速くなる……とか何とか、小学生時代に少林寺拳法を習っていた折に先生から聞いたような気がする。

 そして狙うのは身体の中心を通る線。先生は、喉や鳩尾、股間といった急所を狙いなさいと言っていた。もっとも、相手に掴まれる前に「きゃー」とか「ぎゃー」とか大声を出して相手を怯ませ、その間に逃げることが一番良いそうだが。


 なんて回想を一瞬で終わらせた私は、五十里くんの腹に遠慮せず鉄拳を叩き込んだ。

 まあ、あまり効いていないかもしれない。だって細マッチョだもの。だが、五十里くんは驚いたように私の腕から口と手を離した。

 ここですかさず足を振り上げて、躊躇わずに五十里くんの股間を蹴り上げる。これはさすがに効いたようだ。

 前のめりになる五十里くんから距離を取り、私は息を吸い込んで、叫んだ。「きゃあああああ!」と。さすがに「ぎゃあ」は女子らしくないかと、残っていた理性が律儀に働いた。

 私の悲鳴に、五十里くんがはっと顔を青ざめさせて怯む。

 よし。あとは――


 逃げるだけである。


 回れ右して、私は脱兎のごとく駆け出した。

 噛まれた腕が痛い。血はまだ滲んでいる。制服が血で汚れてしまう。ていうか舐められた。口の中にはたくさんの菌がいるってテレビで見た。あ、ゾンビの映画とかだと、噛まれたら感染して……消毒しないとぉぉぉ!ワクチン、保健室ぅぅぅ!

 私は階段を駆け下りて、途中、膝が震えて思いっきり転んでしまったけれども、保健室に何とか辿り着いた。


「先生!消毒してください!!ワクチンありますか!?」


 勢いよく扉を開ければ、幸いにも残っていた保健室の先生が目を丸くしてこちらを見てくる。

 今年赴任してきた、若い女性の先生――九重都ここのえ みやこ先生だ。

 美人でスタイルもよくて、気さくでさっぱりとした性格のためか、男子からも女子からも人気があり、みやこ先生と親し気に呼ばれている。


「どうしたの、そんなに慌てて……って、あなた膝!血が出てるじゃない」


 みやこ先生は、顔色を変えて私の方へと近づいてくる。

 いや、膝は別に……と思って下を見たら、本当に膝からダラダラ血が出ていた。どうやら、転んだ時に派手に擦りむいていたらしい。

 血を見た途端、私の身体から力が抜ける。みやこ先生が慌てて支えてくれた。清潔な白衣の匂いと暖かな女性の感触にほっとする。

 さっきの五十里くんの抱擁と違って、なんて安心するのだろう。


「みやこ先生~」


 思わず縋りつくと、「そんなに痛いの?」とみやこ先生が首を傾げて、その動きを止めた。

 彼女の白衣を握る私の左手。その前腕の内側に流れる血と、傷に気づいたのだ。

 くっきりと点いた歯形は傷の深さと共に、誰かに――人間に噛まれたことを明らかに示していた。


「……それ、どうしたの?」


 みやこ先生の声が、硬いものになる。見上げれば、彼女の頬は強張り、フレンドリーな笑顔が無い。

 え、何、この展開。

 もしかしてゾンビ映画が正解?感染した?私感染したってこと?


「せ、先生……?」

「答えなさい」


 態度を一変させたみやこ先生に、私は少し怖くなりながらも答えた。


「か……噛まれ、ました」

「誰に」


 言っていいものかと迷った私を、みやこ先生の鋭い眼差しが射貫く。私を抱き留めた先生の腕に力が籠っていた。私は恐る恐る答える。


「……五十里くん、です」

「…………………………あの馬鹿が」


 たっぷりの沈黙の後、みやこ先生の口から、恐ろしくどすの利いた、低い声が零れた。

 ぎょっとする私をよそに、みやこ先生は無表情で私を保健室の中に引っ張り込んで、扉を閉める。

 ベッドの一つに私を座らせたみやこ先生が、白衣のポケットからスマホを取り出した。すすっと片手で操作して――もう片方の手は私の肩に置かれている――、誰かに電話を掛ける。

 相手が出た途端、みやこ先生が冷たく言い放った。


「――今すぐあの馬鹿連れてこい」


 りょーかい、と電話口から声が返ってくるのが聞こえた。

 みやこ先生に肩を掴まれたままの私は、ただ唖然と見上げる。みやこ先生はスマホを切ると、にっこりと微笑んだ。いつもの笑顔のはずなのに、何だか怖い。


「ごめんねぇ、待たせちゃって。今すぐ消毒するから」

「あ、あの……もうそんなに痛くないし、私そろそろ帰り――」

「消毒するから、大人しく待っていなさい」

「……はい」

 

 みやこ先生の笑顔の裏に潜む脅しに屈し、私はベッドに背筋を正して座った。




***




 その五分後、膝の傷も腕の傷も綺麗に消毒して手当てが済んだ頃。


「失礼しまーす」


 がらっと扉を開けて入ってきたのは、学校一有名な生徒だった。

 焦げ茶色の髪に、くっきりはっきりした顔立ちを持つ、背の高い少年。後ろ手に何かを引きずっていた。


「遅いわよ、ほまれ

「仕方ないだろ。連れてくるの、けっこう大変だったんだから」


 みやこ先生の言葉に苦笑を浮かべるのは、文武両道、眉目秀麗、明朗快活、品行方正といった羨ましい四字熟語を備えた優等生であり、我が校の生徒会長。

 二年生の一条誉いちじょう ほまれ先輩であった。


「一条先輩……?」

「あ、もしかして、君が文野さん?」


 一条先輩は、ベッドに座った私を見て困り顔をする。


「ごめんな、こいつのせいで」


 そう言って、一条先輩は片手で引きずっていたものをずいっと前に出す。

 それは、学ランの襟元を掴まれた絶世の美少年の屍――のように四肢の力を失って打ちひしがれている五十里くんだった。


「ひぃっ!」


 私は咄嗟にベッドへと乗りあがって奥へと逃げる。

 そんな私を、みやこ先生は「はいはい大丈夫よもう手出しさせないから」と元の位置に引きずって戻した。


「ああ、大丈夫だよ。一応こいつ、鎮静剤打って動けないようにしているから」


 一条先輩は物騒な台詞を言いながら、屍状態だった五十里くんを土下座の体勢にしていた。首根っこを押さえつけられた罪人のようになっていた五十里くんが、わずかに顔を上げる。


「文野さん……」

「っ……」


 五十里くんは動けない状態だが、それでも傷の痛みと恐怖を思い出し、私は隣に座る先生の白衣にひしっとしがみついた。

 怯える私に、五十里くんは心底悲しげな顔をする。お前がそんな顔をするなと言いたい。

 だって私噛まれたんだよ怖かったんだよ!なのに……

 な、なんでそんな雨に濡れた捨て犬みたいな悲しい目をするんだ!

 きゅーん……と切ない声が聞こえてきそうな五十里くんの眼差しに、私の胸中ではじわじわと罪悪感が湧いてくる。

 が、ここで厳しい態度を取らねば。犬の躾けもそうではないか。


 白衣を盾にしてじっと隠れる私と、それを目線でずっと追う五十里くん。

 みやこ先生と一条先輩が顔を見合わせて首を傾げる。


「何これ。どうなってるのよ」

「どうもこうも……叔母さ」

「みやこさんと呼びなさい」

「みやこさんから電話がかかってくる前に、司から電話が来てさ。『どうしようふられちゃった誉くん齧ったら駄目だったのかなもう食べるしかない』って喚いてて」

「はあ?」

「とりあえず行ってみたら、書庫で挙動不審になってたから、鎮静剤打っといた。ここまで引きずって連れてくるの大変だった」

「……つまり、この馬鹿が、彼女に告白してふられたってことよね?」

「ああ。で、たぶん告白のときに噛み付いたんじゃないの。そりゃふられるよな」


 二人の会話を聞きながら、私も頭の中で流れを整理する。

 確かに、告白の後に噛まれた。まあ、その前にふっていたけど。

 で、どうやら二人は親族のようだ。先輩がおばさんと言っていた。さらに、先輩は五十里くんと仲が良い。あの状態で電話をかける相手なのだし。先生も、五十里くんと親しいのだろう。あの馬鹿と称していたし。

 そして、これが重要ポイント。

 二人は、五十里くんが私に噛み付いたことに対しては、あまり驚いていない。普通なら、人間が人間に噛みつくことは異常であるのに。

 でも、二人はまるで、五十里くんが噛み付くことは当たり前のように話している。五十里くんの噛み癖(?)を理解している。

 つまり……どういうことだ?

 状況はわかったが、答えはさっぱりわからない。

 私は、みやこ先生の白衣を引っ張った。

 

「あの……」

「ん?なぁに、文野さん」

「先生達は、何なんですか?」


 曖昧過ぎる私の問いに、みやこ先生が大きな目をぱちりと瞬かせる。そして、紅い唇をにっと歪めた。


「あら、いい質問。こっちも答えやすいわ」

「へ?」

「私達はね、食人鬼の一族なのよ」

「……はい?」


 しょくじんき。何だそれ。

 私はぽかんとする。一条先輩は「みやこさん、それ言っていいの?」と眉を顰めた。


「あら、もうこんな状況なんだもの。変に誤魔化すより、はっきり言った方がいいじゃない」

「いや、でも普通、信じないだろ」

「それは文野さん次第よ。……食人鬼。意味わかる?」

「え?いえ、何ですかそれ」

「簡単に言うと、人食い鬼よ。カニバリズム。人を食べるの。人肉をね」

「人肉……」


 ああ、だから五十里くんは私がおいしそうとか言ってたのか……って、まさかそんな漫画みたいな馬鹿な話。

 私は「冗談言わないで下さいよ」と言いかけて、みやこ先生の冷笑や、一条先輩の肩を竦める様子を見て、言葉を引っ込めた。冗談を言うような雰囲気じゃなかった。


「……本当なんですか?」

「信じるも信じないもあなた次第よ」


 都市伝説を語る誰かのように、みやこ先生は軽く答える。

 普通なら信じない。一条先輩の言う通りだ。

 だが、私の腕に巻かれた包帯と、その下でまだずきずきと痛む傷口が、五十里くんの異常な行動が現実であることを示している。


「……あの、ゾンビとかってわけじゃないですよね。噛まれたら感染するとか」

「やぁね、あれは映画の中だけに決まってるじゃない。食人鬼とは別モノよ。食人鬼は感染しないし、単なる血筋だしね」


 あはは、何言ってんのー、というノリでみやこ先生が笑う。でもどっちも人肉を食べるところは同じだと思う。

 頭の中で突っ込む私に構わずに、みやこ先生が話を続ける。


「あたしや誉は分家だから、そこまで食欲は無いけれど。でも、この馬鹿は――」


 みやこ先生が、長い足で五十里くんを示した。


「直系でね。一族でも血が濃いのよ。先祖返りって言われるくらいにね。食欲もあるから、私と誉が監視役に付いていたの」

「監視……」

「生徒を襲わないようにね。まあ、近頃の若い女の子は色気づいちゃって、色々人工物で飾り立ててるじゃない?この馬鹿はそれが苦手だったから、そう簡単に手出しできないと思ってたんだけど」

 

 整髪料や香水をしていない――ちゃんと、女の子の匂い――

 五十里くんの言葉を思い出す。


「あなた、この馬鹿……司と同学年なのよね。たぶん、身近に苦手じゃない子がいたから、司も気になったんじゃないかしら」

「はあ……」


 なるほど。化粧と香水で飾り立てた女子が苦手なら、確かに私は五十里くんの好みのタイプに当てはまったのだろう。

 むろん、食欲的な意味で。

 ……とても納得したが、虚しい。


「まあ、そういうことだから、できれば司があなたを食べ……噛み付いたことは、あまり周りに言わないでほしいわ。司が一般生徒を襲ったってばれたら、あたしも司も誉も、学校を出て行かなくちゃならないの」

「はあ……」


 食人鬼とかいう突飛な話は俄かには信じられないが、五十里くんがちょっと異常だってことはわかった。

 そして、五十里くんの異常なところを、みやこ先生や一条先輩が隠したがっていることも。

 ならば、私が取った方がいい行動は――


「……わかりました。誰にも言いません。そもそも、誰に言っても信じないと思うし」


 今回の件を無かったことにすることだ。腕は痛いが、病院に行くほどではない。

 だいたい、「五十里くんが食人鬼」なんて言ったところで、信じる者はいるまい。私の方が異常者扱いされるだけだ。それに、五十里くんだけでなく、みやこ先生や一条先輩を敵に回すのも怖い。それこそ、ひっそりと跡形も残さず食べ……もとい消されてしまってはかなわない。泣き寝入り上等。命と安全の方が大切だ。

 きっぱりと言った私に、みやこ先生はにっこりと笑う。


「物分かりが良くて助かるわ」

「その代わり、五十里くんとは今後できれば関わりたくないので、私に近づけないで下さい。っていうか、ちゃんと監視してて下さい」


 さっきみたいに噛み付かれるなんてもう御免である。

 そう思って言った矢先、五十里くんが声を上げる。


「いやだ!」


 突然の大声に、みやこ先生も一条先輩も、私も驚いた。いつだって物腰柔らかな王子様が、声を荒げるなんて初めてだ。

 五十里くんは、一条先輩に押さえられた首をぐぐっと上げて、顔を私の方へと向けている。


「そんなの嫌だ!」

「嫌だじゃないだろ、司!つーか、お前、鎮静剤くすり打ってんのにこの馬鹿力……!」


 一条先輩が五十里くんの首を押さえつけながら、呆れたように言う。


「文野さん、嫌がってるだろうが。だいたい、お前ふられてんだし諦め……」

「諦められないよ。だって、初めて好きになった女の子なんだ。ここまで食べたいと思ったのは、文野さんだけなんだ!」

「……」


 熱烈な愛の告白である。

 同時に、嬉しくない宣告である。

 食べたいのが前提なのか。五十里くんの好き=食べたいなのか。そんなの受け入れられるわけがない。

 青ざめる私の気持ちを察したのだろう。一条先輩は五十里くんの頭をすぱんと引っ叩き、みやこ先生は私を庇うように前に出る。


「ほんっとごめん、文野さん!こいつには後できっちり言い聞かせておくから」

「司、あんた、いい加減にしなさいよ。女の子を怖がらせるんじゃないわよ」


 だが、五十里くんは諦めなかった。

 鎮静剤を打ってあるはずなのに、一条先輩が押さえているはずなのに、這いずってこちらに近づいてくる。

 褐色の目を見開き、ぎらぎらと赤く血走らせて床を這う様は、まさに悪鬼、ゾンビ。

 異様な五十里くんの様子に、みやこ先生も一条先輩も顔を強張らせた。


「ちょっ、おいっ……!」

「文野さんに嫌われるくらいなら……」


 紅い目が、私を捉えた。


「君を殺して、僕が食べる」

「っ……」


 そこは『君を殺して僕も死ぬ』が常套句なんじゃなかろうか。どこまで食欲優先なんだ。

 頭の中で突っ込みながらも、怖すぎる五十里くんの宣告に、私は鳥肌の立った手で先生の白衣を握りしめた。


「せ、先生っ!何とかして下さいよ!!」

「するわよ!誉!」

「わかってるよ!」


 みやこ先生の合図に、一条先輩がポケットから小さな注射器のようなものを出して、五十里くんの首に突き立てた。

 五十里くんは「ぐっ」と小さく呻いた後、それでも五十センチほど前に進んで、ようやく動きを止めた。

 床に伏せた五十里くんの背中に、ほとんど馬乗りになって押さえつけていた一条先輩が、額の汗を拭う。


「信じらんねぇ……こいつ、二倍量の鎮静剤打っても動くとか……」

「愛の力ってやつじゃないの」


 みやこ先生は大きく溜息を吐き、私の方を見やった。

 

「……ねえ、文野さん。少し話が――」

「じゃあ、私は帰りますね!あとはよろしくお願いします!」


 みやこ先生の言葉を遮って立ち上がろうとする前に、肩を掴まれて再びベッドに座らされる。両肩をがっちり押さえたみやこ先生が、私の顔を覗き込んで微笑む。


「少し話があるの。いいかしら?」

「……何ですか」


 逃げられないと悟った私は、若干目を逸らしながら聞き返した。私の聞きたくないアピールはあっさり流され、先生が告げる。


「あのね、たぶん司は、あなたのこと諦めないと思うの。私や誉が言っても聞かないと思うの」


 でしょうね、と心の中で返す。


「このままだと、あなた本当に食べられちゃうかもしれないわ」

「そこを何とかするのが先生達でしょう!?」

「何とかしたいけど、さっきの見たでしょ。やっぱり分家じゃねぇ、直系に本気出されたら敵わないかもしれないから」

「監視役!交代!」

「あらあら、あたしを学校から追い出す気?その前に、司が満足するようにいろいろ手配してあげようかしら。これといった特徴のない地味な女子生徒一名が行方不明になるとしたら、どんな理由がいい?」

「……」


 完璧な脅迫である。

 見かねた一条先輩が、みやこ先生を窘める。


「おばさん、ちょっとそれはさすがに……」

「みやこさんと呼べ。まあ、それはともかく……司やあたし達がこの学校から出ても、司はあなたを諦めないとは思うわよ。そうなったら、あたしも誉も、あなたを守ることはできないわ」

「……」

「だからね、取引しましょう。この学校にいる限り、あたし達は司があなたを食べないようにする。だからあなたは、極力司を暴走させないようにしてくれないかしら?」

「……それ、どういうことですか?」

「司と付き合って」

「……」

 

 無理です、と答えたい。

 だが、ここで断れば、私は今後、行方不明の女子生徒になってしまうのだろう。

 無言の私に、みやこ先生が言葉を足す。


「食人鬼の、青少年期の一時的な暴走で稀にこういうことはあるらしいわ。司はまだ、まともに女子を好きになったり付き合ったりしたことが無いから、性欲や食欲が混ざって自分でもよくわかってないんじゃないかしら。だから、それが落ち着くまで、しばらくの間だけでいいから」


 ね?お願い?というみやこ先生の強迫に、私は頷くしかなかった。




***




 こうして私は、食人鬼である美少年・五十里くんと付き合うことになった。

 翌日、五十里くんに告白の件を了承すれば、満開の花が背後に見えるような尊い笑顔で喜ばれたものだ。あの悪鬼はどこ行ったと問いたいが、彼の中にいることは間違いない。


「ありがとう、文野さん!大事にするからね!」


 大事の意味がわからない。大事に育てて食べるという意味だろうか。

 わからないが、日々の交わす会話に、肉の話が度々出るのには最近うんざりしている。



「ねえ文野さん、地鶏もおいしいけど、やっぱりブロイラーの方が柔らかくて食べやすいと思うんだ」

「……あまり運動しすぎるなってこと?」



「文野さんは牛肉好き?和牛はサシが入って柔らかくて、確かに美味しいよね。だけど外国では、和牛を運動させて、あえてサシを少なくしているところもあるんだって。美味しいらしいよ!」

「…………少しは運動しろってこと?」



「文野さん知ってる?九州の黒豚には、焼酎を飲ませているんだって!……あ、沖縄のアグー豚だったかな?泡盛?とにかく、お酒を飲ませると肉質が柔らかくなるんだって!文野さんは……あと四年か……」

「………………(二十歳までの命は保証されたようだ)」



 こんな調子で、五十里くんとは少しずつ仲良くなっているように思う。

 今後、彼の暴走が納まる日がくるのか、あるいはやっぱり食べられてしまうのかは、今の私にはまだわからない。


 私を食べたい五十里くん。

 とりあえず、早く彼から解放されて、平凡で安全な日々が戻って来ることを願っている。





最後の方は駆け足になりました。

主人公があまり恋愛していないので、ジャンルがホラーかコメディか恋愛か悩みましたが、とりあえず一方通行の恋愛ということに。



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[良い点] 笑いがとまらない! めちゃくちゃおもしろかったです。 [一言] フィクション限定で好きな相手を食べる(食欲)という行為が好きなので、直球ど真ん中の楽しさでした。シリアスに転ぶかと思いきや、…
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