魔法少女はパンツとともに
6
掲げた右手に握られた黒い布。
逆三角形のそれは、ついさっきまで誰かの肌に密着していたことをあらわすように、ホカホカとした温もりをたたえている。
それは…ノアのパンツだった。
「ニャーーーーーーーーーー!!?」
下半身の違和感に気づいたノアから、声にならない叫び声があがる。
そのわずかな隙を、俺は見逃さなかった。
「受け取れ!ひよりッ!!」
渾身の力で放り投げたそれ―――パンツを、ひよりがキャッチする。
「まったく…女の子に女の子のパンツを投げつけるとか…ご主人様はやっぱり、度し難い変態ですね…」
「だけどそのおかげで、俺たちは勝利できる。―――だろ?」
「かっこよくなんかないですよ。このロリコン」
そう悪態を尽きながらもひよりは、オレが作り出した絶好のチャンスに、微かな笑みをうかべる。
「魔力供給…いきます」
かぶっていたベレー帽を投げ捨て、黒い布―――ノアのパンツを広げると、ひよりはそれを思いっきりかぶった。
瞬間。
ゴウッ!とひよりの周りにつむじ風が巻き起こった。
ひよりの胸に浮かぶ青い魂が、一回り大きく膨張し、輝きを増してゆく。
先ほどまでノアにつけられたいくつもの傷も、驚くべき速さで塞がってゆく。
「―――!?」
自分の下半身に気を取られていたノアが、慌ててひよりの方に向き直る。
その顔からは、さっきまでの余裕がみるみるうちに消えてゆき、一筋の汗がつーっと滴り落ちた。
「ちょっと、意味わかんないんだけど!なんで…なんで苺ぱんつちゃんの魔力が!?」
「私も非常に不本意ですが…女の子のパンツをかぶると魔力が上昇する。それが、私の能力らしいです。」
「でも、だって、魔力は長い年月をかけないと蓄積できないって、団長が…」
あからさまにうろたえるノア。
一歩、ひよりが足を踏み出した。
動揺を隠し切れず、一歩後ずさるノア。
「問答は無用。―――いきます」
次の瞬間、爆ぜるような勢いでひよりが駆けだす。
その速度は、先ほどまでのひよりを遥かに上回っている。
「―――ッ!?」
急接近からのムチがしなるような右回転蹴り。
かわし切れないと悟ったノアは、魔力をこめた左腕でそれをガードする。
―――が
「ぐッ……!?」
グラリ、と、ノアの上半身が揺れる。
ひよりの蹴りに込められた魔力が、ノアの防御のそれを上回ったのだ。
相殺しきれなかった魔力が防御ごしに、ノアにダメージを与える
「―――ッ!」
間髪入れずに襲い来るひよりの蹴り、蹴り、蹴り。
先ほどまでより速度も、威力も、格段に上がったひよりの蹴り技は、さながら川の流れのように一部の隙もみせず、ノアを飲み込もうとしている。
かわすことすらできない。防御しても、それを突き抜ける威力でダメージを与えられてしまう。
蓄積されるダメージ。このままではいずれ、致命的な一撃をもらってしまうに違いない。それならば。
「―――のぉッ!!」
ノアはあえて防御を捨てた。
全魔力を攻撃に特化。今までのどの突きよりも鋭い、最速の突きがひよりの首をめがけて繰り出される。
予想を超えた速さの突きは、いかな魔力が上がったひよりと言えど、紙一重で避けるしかなかった。
「―――ッ…!?」
そう、紙一重で、避けてはならなかったのだ。
ノアの顔に勝利の喜色が浮かぶ。
「“射出する”―――」
短剣を握る右手の手首に赤の魔力が膨れ上がる。
「“赤”!!」
膨大な魔力が爆発し、亜音速まで加速された短剣がひよりの首めがけて射出される。
絶対不可避の一撃は、ひよりの首に吸い込まれるように突き刺さり、血飛沫を舞い散らせる―――
―――はず、だった。
「……え?」
勝利を確信したノアの目が驚きに見開かれる。
確かに首元にまで達したはずの短剣は、しかしそれ以上進むことはなく、二本の指にしっかりと挟まれ、静止していた。
「なん…で。どうして?あたしの“射出する赤”は絶対に避けられないはずなのに…!」
戦闘中であることも忘れて喚くノア。その足をひよりは容赦なく払う。
「プギッ!」
頭から倒れこみ後頭部をしたたかに打ち付けるノア。その上に乗っかるとひよりは、ノド元に先ほど受け止めた短剣を突きつける。
「…どうやらあなたは、自分の技の特性を少しもわかってないみたいですね」
「とくせい…?」
「“射出する赤”はあくまで不意をつくための技。どの攻撃に紛れて飛んでくるかわからないからこそ、不可避の二撃目なのです。必ず打ってくるとわかっていればただの一撃目の延長…防ぐのはカンタンですよ。」
「あ…」
そう、ひよりには全て読んでいたのだ。
ひよりの攻撃をかわすことも、防ぐこともできなくなれば、ノアは必ず防御を捨てて、攻撃を仕掛けてくる。
短絡的なノアのことだから、絶対の自信をもつ“射出する赤”を必ず放ってくる。
そして、必ずくると分かっている不意打ちの技は、それはもう、不意打ちではない。防いでくれと言っているようなものだ。
「あなたの技は、不規則なステップやフェイントを交えてこそ生きる高度なもの。……まだまだ未熟でしたね。ノア=ノクトラント」
「……ふぐっ…」
「…フグ?」
「…ひぐっ…またみじゅくっていっだ…団長もいづもノアのこと……みじゅくって…苺ぱんつちゃんまで…ふぐぅ…!」
悔しさで真っ赤になったノアの顔から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
「う〝え〝え〝え〝え〝え〝え〝え〝え〝ん!!」
さっきまでの獰猛な殺意がウソだったかのように、泣きじゃくるノア。
と、それを見て、短剣を突きつけたままオロオロするひより。
「あ、あのっ…何も泣くことないじゃないですかっ…」
「う〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝あ〝ん!!」
ほんの少し前まで死闘を繰り広げていたとは思えない、二人の11歳の少女を見ながら、オレはほっと胸をなでおろす。
何はともあれ、ひとまず決着はついたみたいだ。
ズキズキ痛むあばらを抑えながらオレは、二人の少女の元に駆け寄っていった。
夜のとばりが落ち、闇に包まれた平原の一角に、焚火の明かりが揺らめいていた。
スライムやゴブリンなど、やはり多くのモンスターは火を嫌うらしく、モンスター避けと、暖をとるのも兼ねて、俺たちは火を起こした。
俺たち、と言っても、俺もひよりも、火のおこし方などわからない。
だからほとんどの作業は、ノアを含む盗賊達がやってくれた。
あの戦いの後、盗賊達は手のひらを返したように俺たちに服従した。
戦闘力に絶大の信頼を置いていた頭領娘―――ノアが屈服させられ、俺たちに全面降伏を申し入れたため、盗賊達もそれに従う形になったのだ。
俺たちが油断した所で再び襲ってくる可能性も考えたが、圧倒的な力をみせつけたひよりが、俺のすぐ後ろをボディガードのように張り付いているので、その可能性は低いとみていいだろう。
そしてもう一人、ボディガード……と言うよりは、ペットのように張り付いてくるヤツがいた。
「ねぇねぇ、伊織兄ぃはー…好きな子とか、いる?」
「いや、あのさ、近っ…もうちょっと離れて」
「えー!なんでー!別にいいじゃん!」
あの戦いの後、ノアは、11歳どころか5歳児並みに泣きじゃくり続けた。
このままではモンスターが近寄ってきてしまうため、何とか泣き止ませようと、先の戦いでの良かった所を褒めまくり、何度もハンカチで涙をぬぐってあげたところ、なぜかなつかれてしまったのだ。
「いや、あの、犯罪…っていうか、お巡りさんきちゃうから」
「オマワリさん?……あれー?もしかして、伊織兄ぃ……あたしがくっついて、ドキドキしちゃってる…とか♪」
うん、めっちゃドキドキしてるよ。逮捕されるんじゃないかってね。
それと、さっきから右半身に刺さる強烈な殺気も、ドキドキする原因かな。
「子供にくっつかれてドキドキするなんて…とんだ変態ですね」
殺気とともにとんでくる、ひよりの罵声。
そんなひよりはノアとは対照的に、微妙な距離を保ちながら俺の右隣に座っている。
「半分はひよりのせいだけどな…(殺気的な意味で)」
「えっ…!わ、わたし?」
なぜかひよりの顔が赤くなる。
「そ、そうですか、半分はわたしのせい……そ、それじゃあ、さっきの言葉は撤回します。ご、ご主人様は、変態じゃありません……」
すすっ、と、わずかに距離を縮めて座ってくるひより。
「???」
先ほどまで発していた殺気が急速に薄れていく。
一瞬前までとは打って変わってひよりは、機嫌良さそうに鼻歌を歌っている。
(機嫌がよくなることがあったのか…?さっぱりわからん)
自分が生み出したキャラクターなのに、ひよりの気持ちがさっぱり理解できない。
でも、それも当然か。
いろいろあって忘れていたが、具現化したひよりと出会ったのは、たった2時間ほど前なのだから。
俺は荷物の中から液晶タブレット―――ディメンションノートを取り出す。
タブレットの電源はOFFになっているが、ひよりは相変わらず具現化したままだ。
どうやら、一度具現化したものはしばらくの間、実体化したままでいられるようだ。それに期限があるのか、永久に実体化していられるのかは、わからないが。
そういえば、盗賊達は俺のことを“召喚術師”とか呼んでいた。
ゲーム知識を総動員するなら、その場に存在しない物や現象を、特別な手法で出現させ、使役することができる人を“召喚術師”と呼ぶ、といったところだろう。
その盗賊達が言う“召喚術師”と、ディメンションノートに描いたもの(ひより)を具現化できる俺の能力が全く一緒かはわからない。
だが、この異世界に飛ばされて、俺に与えられた能力が、この世界でいう“召喚術師”のものに近いであろうことだけは、なんとなく推察できる。
―――と、ディメンションノートをしげしげと眺めながら考えていると、右隣に座っていたひよりが、不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「……どうかしましたか、ご主人様?」
月明りに照らされた少女の顔は美しく、ささやくような吐息が頬にかかり、図らずも俺は動揺してしまった。
「あ、いや、何でもない…!そ、それより!ひよりは何ともないのか?さっき受けた傷とかは……」
「それなら、さっき魔力供給をした時に塞がっているので、心配ご無用です。それより……」
一呼吸間をおいて、訝しむようにひよりは言う。
「わたしはご主人様の傀儡です。」
「傀儡…?」
「はい。ディメンションノートによって召喚された傀儡……。今すぐ実体化を解いて消すこともできますし、新たに傷のない状態で召喚し直すこともできます。ですから、傷の心配をするのは、おかしなことかと。」
さも当然かのように、少女は言う。
戦いの最中でもそうだったが、ひよりは、自分のことを召喚された傀儡―――“モノ”でしかないと思っているようだ。
「違うだろ…傀儡かもしれないけど、ひよりは生きてる。傷ついて痛そうだったら、心配だってするよ」
「心配……よくわかりません」
小首をかしげて、一時考え込むひより。
「わたしはご主人様のために召喚された傀儡です。ですから、傷がついたり、もし死んだりしても…また新しい姿で召喚しなおしてくださればよいのです。心配する必要などないと思いますが…」
主人の命令であれば死すらいとわない。
平然とそう言ってのけた少女に、俺はわずかな苛立ちを覚えた。
「ひよりは…死ぬのが怖くないのか…?」
「死は、私にとって生物のそれとは意味合いが異なります」
「また召喚しなおせば、生き返れるから…?」
「はい。正確には、一度命を失うと、それまで蓄積した経験や記憶も失われます。初期状態にリセットされるというわけです。」
「死んだら記憶が全部なくなる…?」
「そうです。ですが、ご主人様を守るための代償としては安いものです。私にとって死とは、その程度のもの…ということです。」
少しの躊躇いもなく、まっすぐな瞳で少女は言う。
そのあまりに毅然とした…拒絶にも近い態度に、俺は続く言葉を失った。
さっき感じた苛立ち。あの正体は、ひよりに気持ちをうまく伝えられない自分に対してのものだったのかもしれない。
よほどやりきれない顔をしていたのか、ひよりが再び心配そうに俺を覗き込む。
「あ、あの、私は、ご主人様のためなら何でもする、ということが言いたかっただけで…その、すみません。」
さっきとは一転、年相応にしょぼくれるひより。
アホか俺は。11歳の少女相手に何を感情的になってるんだ。
ひよりは俺を命がけで守ってくれると言ってくれてるんだ。感謝こそすれ、それを責めるなんて筋違いもいいところだ。
「いや…こっちこそ、ごめん。ひよりは、一生懸命俺を守ろうとしてくれてるんだよな」
俺が素直に謝ると、一瞬、ぱあっと顔を輝かせて、その後また、いつものようにクールなそぶりにもどって咳払いをする。
「べ、別に、一生懸命ではありません。ただそれが傀儡の役目だからで…」
突き放すような態度をとりながらも、口元が少しにやけてる。
わかってもらえて嬉しい。そういった気持ちが素に出てしまうところが、どんなにクールぶっていても、まだ11歳の少女であることを隠しきれていない。
そんな光景にほほえましさを感じて、俺のほうまで気持ちが和らいでしまう。
「ん…そういえば、さっき命令であれば何でもするって言ってたよな?」
ついでだから、さっきから気にかかっていることも聞いてみよう。
そう思って俺が何気なく問いかけると、ひよりはビクリと肩を震わせた。
「し、しますよ。それが傀儡の役目ですから…」
「それって今でもいいの?」
「い、今ですか…!?」
キョロキョロとあたりを見回したあと、なぜか真っ赤になってうつむくひより。
「で、でも、みんな見てますし…その、夜もまだ早いですし…」
「???」
また会話が嚙み合ってないようなので、俺は用件をきりだす。
「その。ご主人様っていう呼び方、どうも慣れなくてむず痒いというか…普通に伊織って呼んでくれない?」
「呼び方……?」
一瞬固まったのち、再び真っ赤になりながら汗をかくひより。
「な、なんだ。呼び方ですか…それならそうと、早く言ってくれれば…」
「ひより…?」
「わ、わかりました!でも、私にも傀儡としての矜持があります。ですから、ここは間をとって“伊織様”と呼ぶことにしましょう」
「はぁ…まあ、いいや」
出会ってまだ数時間程度だけど、これから異世界を生き抜いていく仲間として、ひよりのことを少し理解できた気がするし良しとしよう。
そう思っていると、今度は左半身に殺気を感じる。
「……むぅ。伊織兄ぃ、さっきから苺パンツちゃんとばっかり話してる…」
「そ、そう?」
「大人の会話、というやつです。ノアにはまだ早いです。」
ひよりが勝ち誇ったような笑みを浮かべると、煽り耐性が低いことに定評のあるノアは真っ赤になりながら気勢を上げる。
「あ、あたしだって大人の会話できるもん!」
無い胸を反らしながら仁王立ちになって宣言すると、俺の左肩にしなだれかかるようにしてノアが囁きかける。
「伊織兄ぃ…あのね、あたし、今後の事について提案があるんだけど…」
ノアからの提案ということで、すでにろくでもない予感しかしないのだが、一応耳を傾けてみる。
小声で耳元にささやきかけるノアのそれは予想通り、ろくでもないものだった。
「あ・た・し・のこと、買わない?」