苺パンツvs黒パンツ
5
「クロス…カウンター…!」
短剣が刺さった左腕から血を流しながら、ひよりが呻くように言った。
正直、俺には何が起こったのかわからなかった。
確かに、ひよりのカウンターは頭領少女の頭をとらえていた。
だが、気が付くと、ひよりの左腕には短剣が刺さっている。
エルボーで確実に軌道をそらしたはずの短剣が、だ。
不可思議な現象に危険を感じ取ったのか、バックステップでノアとの距離をとるひより。
「ひゃあぁ…ガードしたのに脳がクラクラする…まともにくらってたらあたし、死んでたかも」
ノアの方もノーダメージではなかったようだが、明らかにダメージを負ってしまったのはひよりの方だ。
「……ッ」
ひよりは一気に短剣を抜き取ると、セーラー服の襟もとに巻いてたスカーフを解き、手と口を使って、左腕の根元にきつめに巻き付ける。
止血の応急処置は済んだが、血が完全に止まったわけではない。
刻一刻と体力を奪っていく出血は、長時間の戦いには致命的だ。
ならば短時間で決着をつけなければならない。だが、ノアの不可思議な攻撃の正体がつかめず、こちらから攻撃を仕掛けるにはリスクが高すぎる。
ジリ貧、というヤツだ。
「…つまんなーい。あたし、どっちかってゆーと攻めなんだよね。苺パンツちゃんは、受けっぽいよね」
「…何の話です」
「そっちが攻める気ないなら、こっちからいくよ、って話!!」
再びノアが疾駆する。
短剣から繰り出される突きの嵐。
しかし、今度は紙一重で避けることはできない。大きく間合いをとり、常に視界に短剣を捉えながら避けるため、カウンターも狙えず、ただただ、出血により体力が奪われてゆく。
「―――シッ!!」
今までよりも格段に速いノアの突き。
それを紙一重でのけ反り避けるひより。
そう、“紙一重で避けてしまった”
瞬間、俺の魂魄眼が捉えたのは、短剣を持ったノアの右手首に集まる、赤色の光。
「避けろひよりッ!!!」
「―――ッ!」
反射的に宙に体を放り出すひより。ビュンッ!という風切り音、地面に深々と突き刺さる短剣。
「チッ…避けたか。それに、お兄さん、視えてるね?」
そう…確かに視えた。
短剣による突きが避けられた瞬間、ノアという少女は確かに、手首の力だけでその短剣を投擲した。
それもあり得ないスピードで。
「…攻撃を避けられた瞬間、魔力で手首を強化して、人の域を超えた速度のスナップで短剣を射出する…そういう仕組みか」
「正解。おにーさんも、変わった“眼”を持ってるみたいだね」
そう言うとノアは、腰のベルトから追加の短剣を抜き出し、手の上で躍らせる。
「実力者であればあるほどさぁ、攻撃を避ける動作に無駄がないわけ。無駄がないってことは、つまり距離が近いってこと。めっちゃ近距離からあり得ないスピードで短剣が飛んで来たら…絶対に避けられない、でしょ?」
確かに、避けたと思ってた攻撃が突然角度を変えて襲ってきたら、それはもう不可避と言っても過言ではない。
「“射出する赤”―――それがあたしの能力。ってだんちょーが言ってたっけ…」
わずかの間、彼方を遠い眼で見つめる少女。しかしその瞳はすぐに、獰猛な猛獣のそれへと戻り、ひよりを捉える。
「さぁて、そろそろ終わりかな?苺パンツちゃんッ!」
ノアが猛然と迫る。
容赦のない連撃。
さっきよりもさらに上がったスピードに、もはや距離を置くことも、ギリギリでかわすこともできず、ひよりの体には徐々に傷が増えてゆく。
突き、突き、突き。そしてわずかでも隙を見せれば“射出する赤”が致命傷を狙う。
ノアの絶対不可避の猛撃に、ひよりの体は血の赤で染まってゆく
「くそっ…!」
どうにか、どうにかしないと、このままではひよりは殺されてしまう。
自分の生み出したキャラクターが、俺を守るためにこの世界に現れた少女が、傷つき、命を奪われる。
それを黙って見ていられるわけがない。
だけど、あのノアっていう少女の戦闘力は尋常じゃない。
絵を描くしか能のない、いちオタクの高校生が何かしたところで返り討ちにあうだけだ。
それじゃあ、俺には何ができる?どうすれば、ひよりを守ることができる?
「あうっ…!」
3発目の“射出する赤”を避けきれず、脇腹に深い傷を負ったひよりは、バックステップでノアとの距離をとると、その場に膝をついてうずくまってしまう。
「ひよりッ!」
耐えきれずに駆け寄ろうとする俺を、ひよりは左手で制する。
「こっちは危ない…です…ご主人様は、自分の身を守って…」
「そんなこと言ってる場合かよ!今、傷の手当てを…」
「手当…?」
キョトンと、まるで見当違いな言葉を聞いたかのように、不思議がるひより。
その反応に、俺は違和感を覚える。
「そうだよ…そんなに血を出したら死ぬかもしれないんだぞ。はやく手当を―――」
「でしたら、私のことは一旦殺してください。」
息が詰まる。思考回路が一瞬停止する。
今、この子は何て言った…?一旦殺してください?
「私は…ディメンションノートに召喚された存在…でしかありません…一旦死ねば、体は消滅しますが…再び召喚されれば…この世界に顕現できます…そしてそれが…唯一の勝機です…」
勝機?違う、そんな話じゃなくて―――
「私が死んで…ノアがご主人様を狙う瞬間…必ず隙が生じます…その瞬間に、再び私を…召喚してください…その隙をもって…全力で仕留めます」
「何…言ってんだよ…一旦お前を殺せ、だって…?」
「はい。それしか勝つ方法は…ありません…ですから―――」
「そんなこと、できるわけないだろ!!」
思わず叫んでいた。
怒りが込み上げてくる。目の前の少女が、自分をまるでモノのようにしか扱っていないことに。
だが、そんな怒りをあらわにした俺に対しても、少女はあくまで冷静だった。
「…では。ご主人様には…他に…生き残る策があるとでも…?」
「―――ッ…!」
何も言い返すことができなかった。
目の前の11歳の少女は、生き残るためにどこまでも冷静な意見を言っている。それなのに、年上の俺ときたら、ただ感情で喚くだけ。
愚かなのは、俺だ。
「…大丈夫…です。私はご主人様の召喚物…何度この身が滅びようとも…召喚に応じて…蘇ることができます…」
―――違う。そうじゃない。俺が言いたいのは…
ふらりと、血まみれの少女が立ち上がる。ノアとの間に、あくまで俺を守るかのように、立ちはだかる。
「それでは…作戦通り、お願いします。それから…この身では一旦、お別れですね」
胸が締め付けられる。何もできない自分の不甲斐なさに。
「―――また、私を召喚してくださいね。」
言葉が出そうで出ない、何か伝えなきゃいけないのに。
「…それではさようなら。このロリコン」
そう言い残して。
ひよりは地面を蹴り、最大速度でノアへと接近する。
ムチのように鋭い下段蹴り、からの、渾身の上段蹴り。
それをかろうじて左腕でガードしたノアから、余裕の笑みが消える。
「…苺パンツちゃん。はいすいこうのじんってやつ?」
「排水口じゃありません、背水の陣です。それと…苺パンツって呼ぶのはやめて…くださいッ!」
舞うような連続蹴りがノアを襲う。
しかしそれらは、決して細心の一撃ではない。見る者が見れば一目でわかる、自身の防御を無視した、特攻の一撃。
次の瞬間か、はたまたその次の瞬間か、いずれにせよ遠くない未来にひよりは致命傷をくらって、命を落とすだろう。
俺には何もできない。ひよりが傷つき、命を落とすのを、黙って見守ることしか、できない。
「――――――ッ!」
悔しさに奥歯を噛みしめる。
自分の不甲斐なさ、力のなさをここまで悔いるのは初めてかもしれない。
現実世界でオタクだと馬鹿にされた時も、将来の夢を漫画家だと言って教師に否定された時も、ここまでの悔しいと思ったことは無かった。
異世界に来て、ディメンションノートから自分の描いたキャラクターが現れて、それと喋って、触れあって、自分の描いたものに命が宿る、その奇跡に…感動した。
それなのに、その奇跡が―――自分の生み出した一人の少女が、傷つき、殺されるのを、黙って見過ごすしかない?
「ふざ…けんな…」
少女の命を犠牲にするしか、勝つ方法はないだって?
「そんなこと…させるわけ…ないだろ!」
考えろ。
考えろ、遠崎伊織。
お前は式宮ひよりの生みの親だ。彼女のことを、彼女の秘密を誰よりも知っている。
式宮ひより。「魔法少女はパンツとともに」の主人公。11歳でまだ子供なのに、子供っぽい言動や服装を何より嫌う、ちょっと背伸びをした少女。
ある日、妖精のリムルと出会い、魔法少女同士の戦いに巻き込まれ、自らも魔法少女となる。
少女たちの魔力はパンツに宿る。新品のではない、あくまではいているパンツにこそ魔力は宿る。だから、彼女たちはお互いのパンツを巡って、魔法バトルを繰り広げ―――
「――――――あ…」
僅かな閃き。
やがてそれは、俺の中で可能性に変わる。
ある。たった一つだけ、ひよりを犠牲にせず、ノアに勝つ方法が。
そう確信した瞬間。
俺は迷わず地を蹴っていた。
死闘を繰り広げる二人の方向へ。
「おっらああああああああ!!!」
全力の疾走。普段使わない大腿筋が軋む。それでも、1秒でも早く、1cmでも先に、目的の場所に着かなくてはいけない。
目の前に迫る短いスカートと革製のベルト。そこに思いっきり俺はタックルをかます。
「なッ…!?」
「ご主人様!?」
防御を無視したひよりの特攻。それが、ノアの集中を奪い、僅かの隙を生じさせる。
そこに俺のタックルが炸裂する。
だが。
(ビクともしねえ…!)
11歳の少女の体とは思えないほど、その体幹はしっかりしていて、まるで巨木にタックルをかましたように、1mmとも動くことはない。
自然、俺はノアの下半身に縋りつく形となる。
次の瞬間―――
「ゴフッ!?」
強烈な膝蹴りが顎に叩き込まれ、意識が刈り取られる。
続いて腹。赤色の魔力を纏った蹴りが直撃し、胃の内容物をすべて吐き出す。
最後に胸。一回転からの回し蹴りが肋骨を何本か粉砕し、俺は5mも後方に吹き飛ばされた。
「ご主人様ッ!!」
ひよりの悲痛な叫びが、昇天しそうになる意識をかろうじてつなぎとめる。
傍から見たら、突進をかましたあげく、見事に返り討ちされただけの意味不明な行動だっただろう。
「ご主人様!無事ですか!?」
それでも意味はあったはずだ。俺が、アレさえ手放していなければ。
揺れる意識の中で、俺は確かに離さずアレを握っていることを確認すると、ゆっくりとその手を上げる。
「ひより…俺たちの、勝ちだ…!」
多大な犠牲を払ってノアから奪ったソレを、俺は高らかに掲げる。
手のひらサイズの漆黒の布。
それは。
ノアのパンツだった。