51.古典的な罠
『オードの警戒と警鐘』
初めて訪れたファガス大森林ではあったのだけれど、良くも悪くも普通の森だった。
過酷な環境で有名なファガス大森林は、確かに鬱蒼とした木々は他のうっとうしく感じられるものの他の森と大差が無いように感じる。
定期的に戻ってくる斥候からも大した報告はない。こうなってくると張り詰めた緊張の糸も自然と緩まるり、周りの手下どもは気の抜けたような間抜け顔を晒していた。
天を見上げれば、青々と茂る葉から垣間見える空は晴れているし、多少視界が狭く感じられるぐらいで、噂に聞こえる荒々しい森の獣共も、今のところ珍しくもない角うさぎくらいしか見かけていない。
そんな森に入り数時間、私の足取りは重くもなければ軽くもない。
というより、先に魔族の襲撃で壊滅した開拓地まで馬を使うので、まだ自身の足を使ってもいないのだけれど。
狩人達は道案内の名目で先頭に配置し、私は陣形中央の最も防御が厚いところに居るのだが、狩人達の挙動を把握できないのは失敗だっただろうか。
手下に見張らせるだけなのは幾分不安ではあるが、エミリーに私は警戒されているだろうし、彼女を人質にしてカッサバを抑える計画を考えれば警戒させすぎるのは避けたい所だ。
加えて考えていかなければいけないのはアリア領軍だ。
ダンジョンを見つける最大の障壁と思って来てみれば、影も形も無いときている。
これが一番の予想外だった。
私たちの軍は砦に詰めていた凡そ600名だが、アリア側からしてみればこれをただ撃破するだけならともかくせん滅しなければならない。
私たちのうち、一人でもダンジョンの存在を王国軍に届けることが出来れば、間違いなく王国軍は全軍をもって戦争を仕掛けて来る。
大金を生むアリアと待望のダンジョンが大義名分のもと手に入るのだから、最大戦力の『将軍』を投入して必ず手に入れようとするだろう。アリア領としては、自治権を守るためにそれだけは避けたいはずだ。
とはいっても、もし私たちの軍をせん滅するとなると2000名ほどは最低でも必要になるだろう。
何せ、一人も逃がせないのだから大軍を用意して、森の中でも網の目を潰すが如く包囲網を作り事を運ばなければならない。
だが、そんな大軍がいるような拠点も、罠も、足跡さえも発見できない。
……うーん、アリア領軍、動かなさすぎる。お姫様のように、禁薬で頭がやられてしまってる訳でもあるまいに。
私たちが森に入りきった時期を見計らって街から出立し、後ろから奇襲して狩人との挟撃を狙う?
でも、それなら『奴』からの情報にそうした動きがあることが私に届くだろうし、狩人側を先に対応することでどうとでも出来る。
仕掛けて来るならもう少し先だろうし、そうした気配がないか斥候にもう少し細かく報告するように伝えほうが良さそうね。
森に入り3日が経過した。
森の獣に注意するよう兵に指示をしつつ、実際はアリア兵の奇襲に備えていたのだが、何かが起きる気配は結局感じ取れずにいる。
むしろ警戒しすぎて進軍が遅くなり、墓穴を掘っているようにも思える。
狩人たちから「最近は獣もあまり出ないですよ」と部下伝手に忠告を受けてしまった程だ。
「あら、そうなの?」と笑って受け流さなければならない事も、正直釈然としない。
とはいえ、どういう意図があったにせよ、行軍が進まないのはよろしくないのも事実だ。
夜襲にだけは注意しつつ、昼間は行軍を急ぐ方が良いかもしれない。
森に入りさらに3日、まず訪れたのは、先に魔族軍によって壊滅したアリアの『元』開拓地だった。
えっと、ド……ドなんとか村だったはずだ。あんまり名前には興味が無いから忘れちゃった。
扉はすべて破壊されており、柵や壁には大きな爪痕が残されており、通りを歩いていると其処らかしこでわずかに残る死臭や腐臭を感じる。
遺体などは見当たらない。埋葬したのか、獣共に食い荒らされつくしたのか。
そもそも、『前職』の関係上、こんな廃墟や仄かに残る血生臭さなど日常でしかなかったわけで。
ただ、お金に変えられそうな物が多少残っていたのが、せめてものお慰みといったところか。
狩人たちからの目が多少気になったが、そんなことは関係ない。有難く頂戴しよう。
死人には、物もお金も必要ないでしょう?
廃村を出立してからさらに数日。
ついに道がなくなり、馬が使えなくなった。
今私は、新しく仕立て上げた『山賊王』の腕を抱き込みながら”しな”を作って歩いている。
スキルのためとは言え、一枚布で作られた薄手のドレスを茂みや枝に引っ掛けないようにするのも面倒だ。
廃村には馬の世話係として数人の手下を残したのだが、もし私が万が一にも死ぬようなことがあれば、アリアへの嫌がらせとして王国軍に走らせる役目もある。狩人達へのけん制でもあるのだけれど、特に反応なし。やはり手ごたえが無い。
アリア領軍は相変わらず姿かたちをあらわさず、獣との遭遇も全日程合わせて2度ほど熊に出くわしたぐらいで軍に欠員もなし。はたから見れば、それはもう順調な行軍に見えることだろう。
だが、私は気に食わない。
この気持ち悪さは何なんだろう。
状況があまり良いと思えない。
何というか。
何というか、演じたくもない舞台に上げられているような感覚が途絶えない。
私が思い描いている通りの絵なのに、構わず上塗りされているかのような気持ち悪さ、不快感。
いや、そう思わせること自体が何かのスキルや策略の可能性もある。
…、この予感ともとれるもどかしさを手下に迷いなんか見せたって良いことは一つもない。
落ち着ついて、思いつく限り一つ一つ整理してみよう。
まず、このまま私たちがダンジョンの確保に成功すれば、王国軍(というか私たち)のカーネルの街の占領は免れない。
『聖女』という懸念材料はあるが、『ダンジョン』の存在はあまりに魅力的だ。
それなのに、なぜアリア領軍はおろか協力者であるはずの狩人たちにも動きがない。無さすぎる。
もちろん、こちらが多数の圧力をかけているのが一因ではあると思う。
兵数、政治的手段、街への備え等手札は揃っており、私たちが有利であることは間違いない。
だけど、私たちが徐々に有利になっていくのにも拘わらず、いまだに狩人からもアリア領軍も何の対策もせず、焦っている様子もなく泰然とした様子なのは何でなの?
つまり、この状況をひっくり返す何かがこの先にあるのか、もしくは…
「まーた難しい顔をして……姉さんは心配しすぎじゃねえですか。進みが早くて被害も無いんだ、結構なことじゃあないですか」
新しい『山賊王オード』の傍ら、腕に抱かれる私に声をかけた男が一人。
私が『山賊王オード』だと知る者は少ないのにも拘わらず、私に小声で話しかけてきた男は、私の護衛役筆頭の『花びらのペタス』だ。
武器は大小さまざまな針を使うが、実際の戦いではその針に塗られた謹製の毒が本命で、刺された毒針の跡が、花弁のように広がる様からつけられた字名だ。
どうやら、長年の付き合いからか、私の微笑みの裏に隠した本心を読み取ったらしい。
「結構も過ぎると、気持ち悪さが勝っちゃうのよ。お願いだから、油断だけはしないで」
このぺタスも、周りから見れば『山賊王オード』の側近のように見えるのだろうが、緊急時には私を護衛しつつ逃げる手はずになっている。
戦闘や逃走補助に関してとても優秀で、盗賊としての空気を読み取る力も悪くない。
「……おい、ペタス。周りの兵士に聞かれないようにしろよ。今の『山賊王』は俺なんだからよ」
そういったのは私を片手に抱き込む『現在』の山賊王オードを勤める男だ。確か首都で活動する際に『オード』として使っている者だったはずだ。
演技の技能は高いのだが、他の能力は平均的かそれ以下。
名前は…何だっけ?
「へっ! タタン、姉貴が悩んでるのに、全く気づかねぇお前が口出すんじゃねぇよバーカ」
「何?」
偽のオードが間の抜けたような声を上げ、私を見遣った。
そうだ、この男はタタンとかいう名前だった。どうにも、替えの利く人材の名前を覚えるのは苦手だ。
「姉貴、何かお悩みで?」
「まあね。だけど、お前に話して解決するような問題じゃあないのも事実ね」
私のにべもない返しにタタンが「ぐっ…」と言葉に詰まる。
それを聞いていたペタスが
「へっへへ、だから言ったろーがバーカ。そんで姉貴、何かやった方がいいですかい? 今のうちに、あのエミリーとかいう女狩人を手籠めにしちまいますか?」
「……仕掛けとしては有りね。出来ればダンジョンにたどり着くか、正確な場所が分かるまでは控えたいところだけど。……其々の狩人に着けてあった見張りから、何か面白いこと聞けてない?」
「あぁー、それがさっぱり…。あのジジイとローブのガキがたぶん『倉庫』持ちだっつーことと、ジジイの強さが半端ねえってこと、エミリーっつう女狩人の実力はとびぬけて高いわけじゃねーってことぐらいっす」
ペタスが申し訳なさそうな報告の声を聴きつつ考える。
『倉庫』の能力自体はものすごく珍しいものじゃない。魔術の適正がある者が真っ先に習得を目指すものの一つだからだ。
となると、カッサバは素手で闘うと聞いていたが、もしかしたら武器ないしは魔法を使えるのかもしれない。
やはりカッサバについては一番の懸念事項だ。逆に言えばこのイカれた強さのジジイさえ封じ込めれば良い。あのトモヤとかいう子供がどれほど強かろうと、カッサバ以上ということは無いだろう。
エミリーの実力はあの中では一番低い。孤立させることが出来れば、手練れ数人で抑え込めると見た。
……とはいえ、少しは相手の動きを見たい。
「特に目新しい情報は無いわね……引き続き監視を怠らないように指示しておいて。多少強引でもいいから情報が欲しい。なんなら、監視がバレた時の反応を見てみたいわね」
「うーす。とりあえず見張りには発破かけとくっすわ」
「頼むわね」
ペタスがお気楽そうに手を上げ、後ろの軍の中に消えたのを見届け、再び前方を見据える。
こちらの十数メートル先を歩く少年少女と老人。
周り一面が敵なのにも拘わらず、森に入った当初と同じように談笑しながら歩くその姿に緊張は見受けられない。
その姿は、やはりどこか不気味なものを感じずにはいられなかった。
さらに数日。
狩人達もアリア軍も相変わらず動きが無い。目的地までは、もう残り1、2日間程だと聞いている。
もうすべて自分の思い過ごしだと思う方が楽なのではと思い始めた時だった。
普段は離れて私の護衛をしているペタスが、さりげなく私のすぐ後ろに着けると、小声でつぶやいた。
「姉さん、呪術師のガキが来ます」
「そう。あなたは私の合図があるまで後ろで動かないで」
ペタスの言う通り、前を見れば先頭にいたトモヤがこちらに近づいてきた。
特に気負っているようにも見えず、表情も薄い笑みを浮かべている。
その姿に不審な素振りはない。
だが、私の直感がその笑みに騙されるなと言っている。
何かを決断するように訴えかけてくる。
だが、私は半ば長期戦を覚悟していた。この瞬間に持ち合わせている情報が無い。
その場その場で対応だなんて、本当にそれで良いの?
こんな迷いを抱えたまま相対してよいか分からない。だが、もう相手は賽を振り始めている。
トモヤは私が腕を絡めている『山賊王』にちらりと目を向けながら、私に向かい口を開いた。
「こんにちは。いい天気ですね」
「……ええ、こんにちは。晴れが続いてくれて助かるわね。泥濘の行軍だなんて御免だから」
「おい坊主、俺を無視して女に話しかけるなぞ良い度胸じゃねえか」
タ…タ……タなんとかが横で何か言っているが、私もトモヤも聞いてはいない。
内心の迷いを隠すように笑顔を顔に張り付けた私に、トモヤは何かを見透かそうとするかのように瞳を私から動かさなかったが、直ぐににこりと破顔した。
「同感です。個人的にもここでの雨は余り良い思い出が無いので…」
「そう。……ところで、何か入用なの?あなたから直接お話があるのは珍しいと思うのだけれど」
「ああ、一つはもうすぐ目的地に着きそうだってことと、オードさん。……ああ、そちらの男性の事ではないので悪しからず。ええと、失礼じゃなければパトリシアさんと呼ばせてください」
「あら、あなたのような小さな紳士に名前を憶えていただけるなんて光栄ね……それで、もう一度聞くけど何か御用?生憎呪術の研究に私を使いたいのなら、生娘じゃないし遠慮してくれるかしら?」
そう言うと、トモヤは数瞬の間だけ言葉を止め、やがてポツリと、「こちら側のジョークは難しいな」と聞こえた。…こちら側?
こちら側というのは何のことだ?狩人達の事か?軍人と狩人は確かに住む世界が違うとは思うが、もっと大きな意味にも聞こえる。と、そこまで考えて一つの噂を私は思い出した。
そうだ、このトモヤという少年は確か…。
と、考えを続けようとした矢先、トモヤが「まあ、いいか」と一つ頷き口を開いた。
「えー、あなたの呪術への偏見はともかくとして、お互いもう探り合いもうんざりでしょう?ですから、このあたりでもういいかな、と思ったんですけど」
ついに狩人側も動きだした!
ここだ。
ここが、勝負所。
情報を引き出しつつ、もしこのトモヤが”そう”ならダンジョンと同じく利用出来るかもしれない。
「あら、何の事かしら?もうそろそろ、目的の場所なのでしょう?」
「本当のところを言いますと、あなたたちの目的地……ああ、まどろっこしいな。 ぶっちゃけて言うとダンジョンは”もう”ないんですよ」
ダンジョン。ついにトモヤはそう言った。
この言葉をお互いに濁し続けていたのは、ダンジョンを一番最初に発見したのが国王軍だとして、占有権を主張し、アリア両軍全体に正当性を主張することが出来る。
アリア領軍からしてみても、即時開戦を避けて時間を稼げるし、対応を協議することが出来るためお互いにとって都合が良い。
だが、いち狩人が今の状況で認知していいものでもない。
そのその言葉を使った以上は、もう王国軍としてはもう看過出来ない。
ダンジョンを初めに見つけたのは王国軍でなければならないのだから。
……だが、それも、それすらも今はどうでもいい。
”ダンジョンがもう無い”
どういうこと? この期に及んで嘘や張ったりが通用するなどは考えていないだろう。
かといって、言葉通りに受け取るのはもっと無い。
ダンジョンが『ある』ことはアリア司令官の慌てぶりや狩人達の行動、『奴』からの情報から考えても間違いない。いま少し行ったところにダンジョンはあるはずなのだ。
だが、私にはトモヤが嘘をついているようには見えない。
幾百の嘘を見てきた私の本能が、それが真実だと告げている。
駄目だ、分からない。この少年の言葉の意図を読み切れない。
「……あの、聞こえていますか?」と、トモヤが少し眉を下げて私を見上げる。
このような衝撃的な事にも拘わらず、トモヤはまるで世間話をするかのようだった。
幾分歩みがぎこちなくなった私と違い、トモヤの歩みには淀みがない。
「姉さん」と後ろにいるペタスから困惑するような声が聞こえる。うるさい。今、私の邪魔をするな。
何か喋らなければと思い、私は考えを放棄して直接聞くことにした。
答え次第では、砦へ踵を返す事も視野に入れなければいけない。
「……”もう”、とはどいうことかしら?」
「いやあ、そのままの意味ですよ。あったんですけど、自分たちが潰しました。なので、あなた達をここに連れてきたのは別の理由があります」
つまり、これはやはり罠なのか? いや、罠ならなぜ自分にはそれを話す?
私の身柄が目的? 確かに、私の状況を正確に把握しているのなら多少は王国への人質として効果はあるだろうが、貴族と『将軍』の動きが予測し辛いし、私の軍もまだ本隊が王城に残っている。良策とは言い難い。
再度、聞き返す。
「……別の理由?」
「そう、別の理由です。……ああ、ここですここ。あの木を目印にしていたんです。」
と、一本の木を指すために、少年の手が水平に伸ばされたと同時に私はあらんかぎりに吠えた。
「全軍!! 散開せよ!!」
「起動、『範囲指定落下罠』」
私の叫び声に交じりながらも、少年の声が僅かに聞こえた瞬間、『ガコン』と何かが外れる音が聞こえた。




