6.うちの子
次の日は、いつもの時間に、いつもより気持ちよく目が覚めた。
よく眠れたからだと思うと複雑だ。
ベルの様子を見ると、まだぐっすり寝ている。起こさないように、自分の蒲団を片付け、朝の仕事をする。
家に戻って、ベルの様子を再び見ても、まだ寝ているようだったので、食事の支度を始める。
目の隅でもぞもぞしだしたベルが、見えた。
「ベル、おはよう。」
といいながら、手を休めずに、朝の挨拶をする。
少し顔を上げ、こちらのほうを見ると、はっとしたように起き上がろうとする。
慌てて、ベルのそばに行き、蒲団ごと押さえ、
「そのままで良いから、今日は、もう少し寝ていよう。ご飯ができたら、起きよう。」
寝るジェスチャーとご飯を食べるジェスチャーをしながら、言う。
「‘*#$%&、・・・’&*¥+>」
「そうそう、キラソウンチャ、と、オジロスナァレォ」
たぶん、寝ると食べることを言ったのだろうと、見当をつけて、ベルのまねをして言ってみる。少し笑みがベルの顔に浮かんだ。
よし、つかみはOKだ。
ぽんぽんと、蒲団の上から軽くたたいてベルを横にする。
ダイニングに立ち、朝食の続きを作り始める。なんとなく、鼻歌を始めてしまう。浮かれている。
ベルのほうを、伺うと、おとなしく蒲団で横になっている。
さぁ、おいしいご飯になれ!
テーブルに並べて、ベルを起こしに行く。朝の様子だと、食事ぐらいは、起きられそうだった。たった4,5日で、子供の回復はめざましい。
寝床で、口をゆすがせると、手を貸して、起き上がらせトイレに連れて行った。案外一人で、大丈夫そうだった。これなら、いいだろうと、ダイニングテーブルにつかせると、並んでいる食事に目を輝かせている。
作った甲斐がある。
今日は、パン食だ。いくらかぎこちないが、おいしそうに、食事を取る。
人に食べてもらうのが、こんなにうれしいことを忘れていた。
以前は、おばあちゃんが、食事を作ってくれていたが、おじいちゃんの世話に手をとられるようになり、必然的に、可奈が作るようなった。そのたび毎に、おばあちゃんもおじいちゃんも、おいしいと喜んでくれた。その顔を、見てこちらのほうが、喜びでいっぱいになった。作り甲斐があるってもんだった。
2人が逝って、ついぞ、忘れていた感覚が思い出された。
さぁ、お昼は何にするかな!!
食事が終わり、歯だけは磨かせようと、洗面所に連れて行く。歯の磨き方をざっと教えて、椅子に座らせて、歯を磨いてやる。うがいをさせて、顔を洗い、再び蒲団に寝かせる。これだけで、疲れてしまったようだ。蒲団を軽くたたいて
「キラソウンチャ」
と言うと、瞑っていた目を開いて、少し笑みを浮かべた後、
「‘*’&%+¥」
と言う。
「アーネルハゥ」
とこちらも、言い返す。「おやすみなさい」か「ありがとう」だろうと勘で考える。目を瞑ったまま、口元が笑ったので、「ありがとう」のほうだったのだろう。
そうだ、忘れないうちに、単語帳を作っておこう。
使っていないノートを自分の部屋から持ってきて、今日覚えた単語を書き付ける。
まだ、合っているかどうかもわからない、たった3個だが、これからどんどん増えていくのだろう。ベルとの距離もどんどん近づいていくのだろう。
楽しみだ。
ダイニングのカウンターの隅に置く。
ベルのことは、さておき、今日の段取りを考える。おばあちゃんが歳時帳を作っていた。自身のためというより、いつかは残される可奈のためのものだと、今ならわかる。折につけ、時折、不意におじいちゃんとおばあちゃんの愛を感じて胸をつく。おじいちゃんも、畑や田んぼ、山の仕事の歳時帳を作ってくれてあった。ありがたい。おばあちゃんは、時期にとれる果実や野菜、薬草の採れるところやその調理法が、丁寧に記されている。
果実といえば、イチゴの件では、新たな発見があった。家のイチゴは路地栽培と言うか、東の生垣の崩れた石垣の上に植えてあった。砂漠との境界線で砂漠側となり駄目になったと思っていたのだが、不思議境界線は家の敷地を囲む塀や石垣、生垣の外枠20cmが範囲だと、わかった。
イチゴの収穫時期になって何気なく見たら、イチゴの葉がわさわさしていた。
葉の陰から赤いイチゴが鈴なりだった。
おいしくいただきました。
家の裏にある山の裏側には小さい滝のある沢が東に向かって流れているのだが、砂漠に突入すると、砂漠に吸い込まれるように急激に水量が減り、なくなる。
今では、家の敷地を外れたところ、沢が砂漠に突入したあたりで、この世界の草が茂り始めている。
そんな沢だが、おじいちゃんが元気な頃は、友人とよく岩魚やうぐいなどの川魚をとり、家の囲炉裏で塩焼きにして酒盛りをしていた。おじいちゃんの命日に一周忌のつもりで、自分も何とか一匹小さい魚を釣った。釣って塩焼きにして、供え、お経の本を見ながら、お経を唱えて冥福を祈った。作法通りでないかもしれないが、おじいちゃんの好物だったのだから神様も許してくれるだろう。ちなみに、我が家の墓は、家の裏の山の中にある。裏の小道を10mほど行ったところに、先祖代々の墓が、並んでいる。あと2ヶ月もすれば、おばあちゃんの一周忌になる。その前に、おばあちゃんの新盆か。なんかやることが沢山だ。まぁ。お坊さんに来てもらうわけでもないので、本当に形ばかりだが。
いやそれより前に、ベルの身内がいるのなら、探しに行かなければならないなぁ。
とりあえず、ベルが元気になってからだ。
ベルが寝ているうちに家のことや、外のことを済ませる。最近構ってやれなかった、異世界同士であるハクたちに餌を与えがてら、遊んでやる。ゴムボールを転がすとサッカーのようなことをするようになった。器用に、足とつばさを使い、時には飛んで、時には駆けて、5羽+1人で3:3でやるのである。結構いい運動になる。ただ今日は、野球のノックのように、ひたすら、可奈が投げて、鶏たちが返すという遊びにした。
・・・おもしろいのか?
30分ほど相手をしてやり,そのまま,ボールをハクに預けると,エキサイティングなことを勝手にやるようになっていた。ベルが、部屋から身体を起こしてこちらを眺めているが見えた.
目が,覚めたんだ。
もう、起きられるかな。今日は、昼間のうちに、風呂に入れてしまおうと、計画を立てる。
日本の暮らしは、驚異と喜びを持って、ベルに受けいれられた。
「これを右に回すと、冷たい。左に回すと、熱い。」
と言いながら、水道の取っ手を回し、手で受けながら、水とお湯を出す。
「%&=~。T64%$.。=9~¥。;?5;*」
目をまん丸にしながら、一回一回可奈のほうを見る。
「そうそう、ぃくらゆゅん。ふぁるんけ。らくぃほぉ。さぁばくぅん。」
真似をして、言うと、水道のトッテを右、左に動かしながら、同じ言葉を何度も言う。
今日の言葉の収穫は、右、左、冷たい、熱いだ。
忘れないうちに、ノートに書いておこうと、キッチンのカウンターの上からノートを取り、書き記す。
「*#$%()(&%$#“」
「ベルも書いておきたいのかな?じゃぁ、ベルにも筆記用具を用意しようか。あっその前に、手を拭いて。」
「+@%$#“」
おとなしく、見よう見まねで従う。
「さて、ちょっと、ここに座って待っていて。」
キッチンの椅子に座らせる。家の北側の囲炉裏を切ってある部屋に行く。納屋から出した物を置いておいた。その中に、自分が、小学生のときに使った筆箱や下敷き、教科書、ランドセルがあった。一緒にしまってあった絵本と、筆箱、下敷きをランドセルに入れると、急いで引き返した。それを、おとなしく座って可奈を待っていたベルの前のテーブルに置く。そして、リビングのサイドテーブルの下から予備のノートを出す。目を輝かせながら、不思議そうにそれらを眺めるだけで、手を出さないベルに、ランドセルを開けて、中のものを取り出す。たぶん、ベルの様子からランドセルのようなものは、見たことがないのだろうと考えて、こちらの言葉を使う。
「ランドセル」ランドセルを指していう。「鉛筆」「本」「ノート」と次々と言うと、「本」のところで、
「&%$~:@+」と言ってきた。
よし、「いぎゅにゅぁちゅ」だな。他は、
「らんどせる・・・えんぴちゅ・・のぉとぉ」と指を指しながら言っていく。
「えらいぞ!!」
思わず、頭をなで繰りながら、誉めてしまう。頭に手を伸ばした瞬間、一瞬びくりと首をすくめたが、それもすぐとけた。こちらも、ぎくりとした。
この子は、叩かれると、思ったんだ。
こんなことが、日常的にあったんだ。
力を抜いて、安心して頭を撫でられているベルの頭ごと、胸が詰まって抱きかかえてしまった。そっと背中を撫でる。
「えらいぞぉ」
「&5$#“」
・・・わからない。でも、胸から放して、顔を覗くと笑顔である。
こちらも、にっこりしてしまう。
ノートと鉛筆の使い方を、教え、絵本を出す。
絵に添って書かれている言葉に、自分の言葉を、書くように言う。
理解が早い。
早速それらしいことを、書き始めた。
ふたつ、みっつ書いたところで止める。可奈がノートに、書いているあることを見せる。
「食べる」「寝る」「ありがとう」の三つの単語を言いながら、示すと鉛筆を持って、その後ろに、異世界語を書き込んでいく。
「うちの子は、天才だ!!!」
再び、頭なでなでしてしまう。
年にしたら、おそらく7歳から10歳だろうと思う。所作が綺麗なところから、良い所の出であるとわかる。
なぜ、こんな子どもが、1人あんなところで行き倒れていたのか?
世界のどこかでストリートチルドレンの報道がよくされている。でもそれは、自分の身近ではない。
ありえない。
ありえないけど、現実が今目の前にいる。
自分が、すべての子を、どうこうできるとは思えないが、今目の前にいるベルという子を守ることはできる。
日本語を教えるより、可奈が現地の言葉を覚え、コミュニケーションをとったほうが良いと、最初から決めていた。
小さな子どもである。
この世界にいて、現地の言葉を忘れてしまっては、今後生活に困ってしまう。言葉を大人が使うように、全部知っているわけがないが、生活に困らない分の日常的言葉は、覚えていそうだった。その上思いがけなく字も書けることは、もうけものである。
身体が、長旅に、耐えられるようになるまで回復したら、とりあえずベルの身内を探しに行こう。いずれにしても、ベルが成人するまで、べルの生活を見張って居よう。現地の生活が満足いくものでなかったら、身内の人とよく相談しよう。いざとなったらここで生活させてもいい。
このまま、帰したら元の木阿弥だ。
と思っていた時期がありました。
2週間もすると、話がなんとなく通じるようになってきた。ベルの連れなどは、いないようだった。
細かい状況は、さすがにわからなかったが、どうやらベルは、この砂漠のどこかの領主の一族だったらしい。そして、一族の中でも不遇の立場だったらしい。その領地が、襲われて、一族のものは、逃げたり、殺されたりしたらしい。
その中で、ベルは、1人抜け出し、逃げたのだが、残念なことに、悪いやつに捕まって、奴隷か何かにされそうになり、明日、売られるというときに、うまいこと、又、逃げることができたらしい。
でも、逃げる先は、町の外。砂漠しかなく、次のオアシスへ逃げるために、賭けに出たようだった。ところが、迷ってしまい、砂漠へ砂漠へと、砂漠の奥に足を踏み入れ、もう死ぬだけだと思っていたところへ、可奈が来たということらしかった。
すべて「らしい」がつくが。
可奈の有り余る想像でおぎなってなしたストーリーだ。
それでも、ベルが身内の者が全くいない孤児だと確定した。
絵本を見ているとき、お母さんと2人の子どもの絵があった。
おそらく、「おかあさん」「お姉さん」「弟」と異世界語で言った後、可奈の顔を見て、異世界語で、「おかあさん」と呼んだ。最初は、何を言っているのかわからなかったが、すがるような瞳で見つめられ、お母さんが恋しいのかな?と思っていたら、
「かな、おかあさん」と続けて言われた。
いやいやいや、私まだ、27だけど。百歩譲っても、おねえさんだろう。
でも、その目は、反則である。
スルーは簡単に許されないような切なさが溢れている。
ベルには、母親やそれに近い存在がいないのだろう。目に透明な膜が張り始めてしまった。
「いいよ。ベルは、私の子どもだよ。」
目を見つめながら、微笑んだ。目に透明な薄い膜が決壊した。一粒の綺麗な涙がポロリとこぼれた。指でぬぐってやると、にっこり笑顔で、「おかあさん」と、とても大事そうに、言葉を口にした。
胸を射抜かれた。
うれしいやら、恥ずかしいやら誇らしいやら、責任ものしかかる。
自分自身がたいしたものでないことは、重々知っている。ちゃんと、ベルのお母さんをやっていけるか心配だ。まぁ、できないことは、できなくて仕方がないが、できることは、精一杯やってやろうじゃないか。引きこもりだけど、27の大人らしく。
これで、身内を探しに行くということはなくなった。さらに、人の町へ行くのも、ベルの話を聞けば、躊躇われる。この場所を知られるのも、怖い。当分の間、ベルには、自分だけだが、我慢してもらおう。子どもの情操教育うんぬんは、命あってのものだね。