03 臆病者の一族
ネジハワック周辺、武神の一族の集落。
150人程の集落は村の長を中心とした生活であった。
彼等は皆が皆、戦う術を持つ一族である。
独特の気配、独特の足運び、独特の視線、独特の間合い。
腕に覚えのある者であれば、この村は魔境と言うであろう。
そして、アロンソ=ドルトネスもまたこの村を魔境だと思う一人であった。
アロンソは2メートル近い巨躯を持つ。
筋肉の鎧を纏った様なガッチリとした肉体。
それは力強さの証であり、アロンソ自身も己の肉体を戦う者として鍛え上げた自負があった。
だが、この村に入ってからはその自身は揺らぐ。
この村の者達は背が高いものでアロンソよりも頭一つ背が低い。体つきもアロンソから比べれば貧弱と言えるだろう。
だと言うのに、己の勘が警鐘を鳴らすのだ。
それは村の男衆だけではない。
女人どころか、自分の胸程の高さしかない子供にまで本能が危険を訴えてくる。
それが恐ろしい。
『アロンソ……恐れるな』
無意識の震えを感じ取ったのだろう。
アロンソの脳に直接に巌の様な男の声が響く。
己の半身である存在を意識してやっと震えが止まった。
「すまん、シュウキン。無様な姿を見せた」
『礼には及ばん。お主はどっしりと構えていればいいのだ』
「……今からこの様子では話にならんな」
アロンソは周囲を見渡す。
見た目は長閑な村だ。
畑仕事をする者たち。
走り回って遊ぶ子供たち。
洗濯物を干す女たち。
一見してみれば何処にでもある風景。
だと言うのに雰囲気だけがまるで戦場の様にピリピリと張り詰めている。
子供はこんなに静かに走るのだろうか?
女たちの動き一つ一つがこんなにも隙のない動きをするのか。
日常の中にある非日常の影が垣間見える。
そして、そんな彼らが警戒を向ける先はアロンソ達だ。
連れて来た二人の部下もこの雰囲気に呑まれて委縮しきっている。
アロンソですら呑まれるのだからそれも仕方ないとは言える。
「ウェールキン、バーガン、落ちつけ」
厳つい顔をした一見無頼者に見える男、ウェールキンとどこからどう見てもチンピラにしか見えない男、バーガンはアロンソに声を掛けられて引き攣った笑みを浮かべる。
「た、隊長……ここは本当になんなんですか?」
「ウェールキンの言うとおりです。正直言って此処はヤバいですよ……」
見るものが見れば大の大人ですら恐れる強面の男達が二人揃って圧倒的な強者に怯える子犬にしか見えないのは笑えてくる。
先ほどまでの自分を客観視してしまい、二人を叱咤するにはバツが悪い。
だから叱咤するよりもアロンソは自身を取り戻させるという方向で声を掛ける。
「俺達はなんだ? ウェールキン」
「ほ、誇りあるレスニスグニルクスリフの戦士です」
「そうだ、レスニスグニルクスリフの勇猛な戦士だ。だが、それだけではないだろう? 俺達をもっと簡単に説明できる言葉があるだろう。バーガン」
そこまで言えば二人は漸く震えを抑えることに成功する。
「……蟲者です」
「そうだ、俺達は人を越えた存在だ。だから恐れることはない。情けない姿を見せることは許さん」
そう口にするがアロンソ自身も含めて情けないと思っている。
この村にはただの人間しかいないと言うのに戦場の覇者である蟲者が怯えるなど、なんの冗談だと強張った表情で笑う。
しかしながら、部下の二人はそれに気付いた様子も無く体の緊張を解いたようだ。
アロンソ達は村の最奥にある大きめな建物、屋敷と呼ぶには小さすぎるそれは村の長である男が住む場所だ。
三人の前を先導して歩く男はアロンソ達のやり取りになんの反応も見せていない。
普通の者であれば、蟲者と聞けば怯える、媚びるなどの反応を見せると言うのにだ。
それにアロンソは恐ろしさを感じたが、すぐに頭の片隅に追いやる。
「こちらの建物に村の長、オコシ様がいらっしゃいます。暫しこちらでお待ちを」
先導していた男が建物の中に入っていく。
それから一分ほどして再び扉が開かれた。
「お会いになるそうです。オコシ様の部屋までご案内しますのでこちらへどうぞ」
# # # # # #
アロンソ達が案内された部屋は執務用の机と来客の対応をする為の応接セット以外は何も置かれていない部屋だった。
「よくぞこんな辺鄙なところまでお越しくださいましたな。私がこの村の代表をしています、オコシであります」
「レスニスグニルクスリフから参った、アロンソ=ドルトネスだ。こちらの二人は部下のウェールキンとバーガンだ」
ウェールキンとバーガンが頭を下げる。その表情は青を通り越して白い。
それもそのはずだろう。
目の前の男、オコシから感じる重圧は戦場ですら感じた事のないほどのものだった。
(武神の一族というのは化物か……?)
アロンソですら気を張っていないと心が折れそうになる。
それほどまでの圧倒的な差がアロンソには感じ取れた。
部下の二人にとっては生身で蟲者に相対したようにしか思えないだろう。
「こんな辺鄙な村にまでわざわざ騎士様が来ると言うことはよっぽどの理由がございましょう。一体どのような御用があるのですかな?」
目の前にいる人物は髪の毛は少し白くなり始めた初老で、人が良さそうな声をしている。
だが、その纏う気配はそんな好々爺然としたものではなく、蟲者ですら怯え竦ませるまさに化物。
そのギャップがまた恐ろしいとアロンソに思わせる。
(なるほど、これは王がなんとしても手に入れたいと思うだけの存在だ)
初めは武神の一族などという大層な名で調子に乗る恥知らずな一族だと思っていた。
それをアロンソは心の中で撤回する。間違いなくこの一族は武神の一族だろう。
アロンソですら『鎧化』してやっと互角になるかどうか。
間違いなく、生身の人間であれば間違いなく最強と言えるだろう。
武の神と呼ばれるのも納得ができた。
だからこそ、アロンソは気持ちを引き締める。
「今、ロレンシア大陸は戦乱の時代を迎えております。レスニスグニルクスリフの王はそれを憂いております」
「そうでしょうな。こんな辺境の土地にまで各国の緊張状態が伝わってくるほどですから」
「ええ、このまま戦争が激化するようであれば多くの血が流れるでしょう。無辜の民が無為に散っていくでしょう。それを我らは避けたい。一刻も早くこの大陸を平定し、平和な世界を作りたいのです。そのためにも貴方達武神の一族の力をお借りしたい」
「平和の為に……ですか」
「ええ、平和の為に」
アロンソは間違いなく本心で語っていた。
戦争が終われば無為に人が死ぬことはない。
平和な世界になれば多くの子供が笑って暮らせるだろう。
その為に、戦争を終わらせなければならない。
圧倒的な力があれば、出来るだけ流る血の量も減らせるはずだろう。
武神の一族が力を貸してくれれば、レスニスグニルクスリフが大陸を平定することも不可能ではないだろう。
だが、アロンソの想いを告げたところでオコシは頷かない。
「申し訳ないが、力を貸すことは出来かねる」
「理由をお聞きしても?」
アロンソが尋ねると、オコシは口を開いた。
「『我が正義の名の下に』、『我らが王の慈愛が世界を救う』、『巨悪を討ち滅ぼす為に』、『この大陸の未来の為に』、『平和の世の為に』」
オコシの言葉にアロンソは戸惑う。
そんなアロンソを見てオコシは笑う。
「貴方以外にも来ているということですよ」
「……他の国に助力するということですか?」
「勘違いなさるな。我らはどの国にも力を貸すことはない」
「では?」
オコシはアロンソに背を向けて執務机の背後にある大きな窓から空を見た。
暫くして「少しだけ我らの成り立ちを話しましょう」と言うとアロンソの顔を見る。
向けられた顔は先ほどまで感じていた武人としての顔ではなく、どこか疲れて草臥れてしまった者の顔であった。
「我々武神の一族はまだロレンシア大陸が発見される前、旧大陸、ガンディワナ大陸での戦乱を起源としています」
オコシは今だけは昔語りをする老人のような顔と優しい口調で語る。
それがアロンソへの誠意だった。
アロンソの語る本心とは別に、国の思惑があるだろう。
こう言った武人であり夢を語る者を使いに寄越す国の行動には反吐が出るとオコシは思っている。
だが、目の前の武人は好ましい。
だからこそ、オコシは伝えたいと思った。
「我々の祖先は戦いに疲れていたのですよ。明日もしれぬ身、友は気付けば死んでいる、家族は汚され、自分の手は血に塗れている。そんな世界に嫌気が差したのです。しかし、力が無ければ生き残れない。力が無ければ意思を貫けない。それを先祖たち目で見て知っていたのですよ。なぜなら正義は力が無くては為せないのをどの国も行動で知らしめているのですから」
オコシの語る言葉にアロンソはしっかりと耳を傾ける。
それは部下の二人も同様だ。
アロンソ達もオコシの誠意を感じ取ったようで一言一句聞き逃すまいとしていた。
「我々は力をつけることにしました。それは力で平和を得る為ではありません。自分達が敵わないと分からせる為の手段です。我々は戦わない為に力をつけたのです。積極的に力を振おうとは思いません。我々は自分達の身を守るので精一杯なのですよ。世界は我々を武神の一族などと言いますが、本当は臆病者の集団なのです。なぜなら戦うことから逃げたのですから」
そうしてオコシは再び窓から外を見る。視線は空を向いてはいなかったが。
アロンソはオコシの視線の先を見る。
そこには仲睦まじい若い男女が歩いていた。
そのタイミングを見計らってオコシは「あれは私の息子とその許嫁です」と言った。
オコシはアロンソの視線の先に気付いているのだろう。それをアロンソも驚くことはない。この男ならそれくらいやってのけるとこの短い間で分かったからだ。
「私たちはこうして細々と小さな幸せを営んでいくだけでいいのですよ。大陸の平和など、世界の平和など、我々の手には大きすぎる。正直荷が勝ちすぎると言うものです。それに、私達が手を貸せば平和になるなどとは思えません。それなら、とうに我らがこのロレンシア大陸に逃げてくることなどなかったでしょうから」
そう言ってオコシは再び武人としての、武神の一族の長としての顔になる。
彼の誠意はこれで終わりだ。アロンソはそれをちゃんとそれを感じ取った。
「……助力は叶わなかったと、王にお伝えしておきます」
「申し訳ない」
「いえ、気になされるな」
アロンソはウェールキンとバーガンを引き連れて部屋を後にする。
その背中にオコシの声が聞えた。
「力なき意思は何も貫けない。意思なき力はただの暴力だ。意思ある力こそが世界を変える。それはいい意味でも、悪い意味でも。だからこそ、貴方の確固たる意思ある力を私は好ましく思いますよ」
それはオコシなりのアロンソへの激励の言葉であったのだろう。
アロンソは「ありがとうございます」と振り向かずに告げる。
外で待っていた案内に連れられ、オコシの家を後にする。
窓から見た男女と廊下で出会う。
お互いに頭を下げ、すれ違う。
「カガリお兄様、今日の夕食はアカシお義母さまとタキがお作りしますね」
「ああ、楽しみだ。タキの料理も母さんの料理も美味いからな」
アロンソは自分の都合で今ある平和を壊そうとしていると気付いてしまった。
「友よ、私は間違っているのだろうか?」
『さてな、私には分からんよ。だが、あの武人は正しいか、間違いかを伝えたのではないのではないか?』
ここは、彼らなりの平和があるのだろう。
国ごとに平和があって、それを壊しているのは国の重鎮たちなのかもしれない。自分たちの正解を押し付けて、他人にとっての間違いを迫る、そういう行為なのだと。オコシは伝えたかったのではないだろうか。
そう思った故に、彼らを巻き込んではならないとアロンソは思った。
「さて、王にどう伝えればいいのやら……なにか案はあるか?」
「さあ?バーガンはどうだ?」
「さあ?それよりもさっきの二人、なんか危ない関係じゃなかったか?」
「……こういう村では近親婚とか普通なんじゃないのか?」
「もしかしたらそういうプレイなのかもしれん」
三人は色々な意味で頭を悩ますのであった。