02 まだ、幸せが続くと思っていた頃
―――時間は少しだけ遡る。
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大陸歴1007年。
それは人類が新大陸を発見してから1007年もの時が経っていることを意味している。
約1000年前にあった大陸の発見は、少ない土地を奪い合う戦国時代を生きる人間達にとって救いとなるかのように思えた。
その大陸の名前はロレンシア大陸。
発見者である冒険者、ウェドガー=ロレンシアの名前をとったその広大で未開拓の大陸に新天地を求めて当時の人間が多くがこぞって移住した。
白紙の大陸に国境を自分の思い描いた線を描くことを夢見た人間達は、やはり戦うということをやめることはできずにいた。
誰かの物であれば奪えばいいと、それが当然だと思っているからだろう。
そんな折、人類は新大陸で運命の存在と出会う。
それは蟲鎧と呼ばれる存在であった。
彼等は不思議な生き物である。1メートル程の体長をもつ巨大な虫である彼らだが、その見た目に反して知恵を持ち、文化を持ち、社会性を持っていた。
人よりも強い力を持ち、人よりも優れた生命力を持つ彼らだったが、彼等の本質はそこにはない。
依存生命体、とでも呼ぶべきなのだろうか。
彼等は他の生き物と寄り添い歩むことが本能として刻まれているようであった。言ってしまえばある種の寄生生物とでもいい変えられる。
そして、人間との出会いは彼ら蟲鎧にとっても大きな転機となったようである。
今まではロレンシア大陸の知的生命体の頂点であった彼等は、彼等と同等の知能を持つ生き物との邂逅は終ぞなかったようだ。
そして、依存生命体である彼等にとって、その差は埋めがたい不満のようなものがあったらしい。依存する先が自分よりも劣る存在。全てが自分達が優れている種族にとってそれは苦痛でしかなかったようだ。
そして、人間との出会いは彼等のその満たされぬ本能を沈めることが可能だった。
蟲鎧は依存生命体だ。
依存対象である生物に力を与える生き物だ。
どういう原理かは分からぬが、蟲鎧が依存する対象に承認を得るとその生き物と蟲鎧の間に繋がりができると言う。
その繋がりは大きな力を依存対象に与える。
それこそ、幼虫が成虫へとへと変貌するかのように。
人は大きな力を得る。
蟲鎧は本能を満たす。
それはまるで契約の様であった。
後に人はその契約めいたものを『人蟲の契儀』と言うようになる。
そして人蟲の契儀を結んだ人間を人も蟲鎧も越えた存在として畏怖の念を込めて『蟲者』と呼んだ。
人は争うことをやめられない種族である。
そして、蟲鎧は依存対象を守ろうとする。
故に蟲者は戦場の覇者として君臨する。
一騎当千の死神が戦場を更に激化させる。
言うまでも無く、戦争は拡大していった。
人の歴史は戦いの歴史である。
それはどれだけの時を経ても変わらない。
長い時を経て、平和は必ず終わる。
人は時間の流れに逆らえず、歴史を忘れるのだ。
それは繰り返し。
平和と言う物は戦争の合間にある息継ぎでしかない。
まるで人間の記憶の奥底に刻まれたかのように。
何度も何度も人は争いを繰り返す。
闘争と人は切っても切り離せないものなのだろう。
だが、戦うことを選ばない為に戦う力を得た一族がいた。
力のあり方を忘れずに継承した一族。
戦いと言う本能から逃れようとした者達。
それ故に異端と恐れられ、武の神と例えられる一族。
彼等は武神の一族と呼ばれていた。
彼等は戦いの無い地を求め、新大陸が発見されると知るとすぐさまロレンシア大陸に移住した。
しかしながら人間の戦いの歴史からは逃げ切ることは叶わなかった。
それはある意味で仕方のないことかもしれない。
恐れるものを、届かない者を、震えながらにして、怯えながらにして。
人はそれでも排斥しようとする者だからだ。
力ある者を、人は手中に収めようとし、手に入らないのなら誰かの手に渡る前に壊してしまおうと考えるのは人の性なのかもしれない。
故に、悲劇は起きる。
その悲劇を引き金に、世界の在り様が大きく変わることを、まだ誰も知り得なかった。
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ロレンシア大陸中心部。
そこには青き炎が山から噴き出し、生き物が浸かればたちまち身体が燃える湖がその麓で広がる秘境、ネジハワックと呼ばれている場所があった。
美しくも険しき自然に囲まれた場所に、武神の一族の集落はあった。
そこは生きて行くには辛い場所である。
人よりも強靭な生命体である蟲鎧ですらここを拠点とする者は例外を除いていない程だ。
だが、武神の一族は人と言う脆弱な種でありながらもそこに順応していた。
武神、などと呼ばれてはいるがここに暮らす者は穏やかな気質の者ばかりであった。
もともと、彼等は自衛のために、抑止力としての力を得る為に力を求めた者達の末裔だ。
今の世の流れに逆らう、傾奇者たちの血を色濃く受け継いだ者たちである。
力の恐ろしさを知るが故に、力を知りつくす。
そんな彼等は持つ力とは対照的にただ静かに暮らしていた。
「カガリお兄様、お弁当をお持ちしました」
「ああ、タキ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」
仲睦まじい二人。
タキはカガリを兄と呼ぶが血のつながりはない。
若い世代の武神の一族は彼らしかおらず、まるで兄妹のように共に育ったが故、そう呼んでいるだけであった。
カガリは薪割りを継続する。
斧を振り下ろしては薪を置き、また斧を振り下ろす。
その繰り返しを延々と続ける。
動作に一切のブレは無い。
そんなカガリの姿をタキは見つめる。
薪割りを終えるとカガリは軽く息を吐き、タキへと向き直る。
「そんなに見ていて面白いものじゃないだろうに」
「そんなことはありません、タキはカガリお兄様のお姿を見ているだけで十分ですので」
カガリの言葉にそう返すタキは頬笑みを浮かべている。
本心から言っているのがカガリにも分かったので、女心はわからないものだと思いながらも「そんなものか」と納得する。
「お弁当を食べましょう。今回は私も手伝いましたの」
「そうか、それは楽しみだ」
カガリはタキの隣に腰をおろし、弁当の包みを解く。
カガリを見てニコニコと笑うタキ。
タキはカガリが食事を楽しみにしているのを知っているからだ。
食事時だけはまるで子供のようにはしゃいでいる姿は普段の武人らしい雰囲気との差が激しく、それが家族であるものしか見られないものだと思うと嬉しいのである。
そんなタキの様子に気付く様子も無く弁当を頬張るカガリ。
本人は気付いていないが、「美味い、美味い」と無意識に言っている。その様子もタキは見ているだけで幸せになれる。
「カガリお兄様、どれがタキの作ったものだか分りましたか?」
「そうだな、どれも美味かったが……煮物じゃないか? 少しだけ味付けが普段と違った様に感じた」
カガリがそう言うとタキは蕾だった花が開くような笑顔を見せる。
「正解です、カガリお兄様。隠し味にタキの愛情をたっぷりと注いだのです」
「少しだけ甘かったのはそれかな?」
「ええ、タキの愛情としてお兄様の好きな『蜂』の蜜を数滴入れたのです」
「なるほどな、芋の味が普段よりも引き立っていて美味かったぞ」
「ありがとうございます」
そんな話をしながら、筒にいれて来た茶で一息を吐く。
30分程経ったころだろうか。
腹も落ちついてきた頃合いである。
二人は打ち合わせをしていたかのように談笑をやめた。
「さて、そろそろ食後の運動でもしよう。タキ、相手をしてくれ」
「ええ、カガリお兄様。今度こそ一本くらい取らせて貰いますわ」
二人は立ち上がると場所を移す。
薪割り場とはから歩いて数分ほどの場所にある開けた場所。
そこには様々な武器が置かれている。
ここは鍛練場だ。地面には様々な武器が置いてある。
そんな色気のない場所ではあるが、二人きりの空間だ。
広場の中央で向かい合う二人。張り詰める空気。
お互いの視線は絡まり合う。こんな場所でも甘い空気が少しだけ漂う。
二人の呼吸が重なると同時に。
パンッ!
その甘い空気ごと、音を立てて破裂した。
それは踏み込みの音。そしてお互いの手と手がぶつかり合う音。
まるで予め決めてあったかのようにお互いの攻撃を知りつくしたような動きにそれが演武なのではないかと知らぬものがみれば錯覚するだろう。
しかし、それは見るものが見れば一撃一撃に必殺の威力が込められたものだと気付くはずだ。
これは、互いを互いに信用しあっているからこそできる動きであった。
カガリとタキの顔には笑みが浮かんでいる。
その顔を見れば番がじゃれ合っているように見えるだろうし、お互いにとってもそのようなものだった。
お互いが守り、守られる関係。
それを実感できる時間なのだ。
これは、愛を確かめ合っていると言っても過言ではない。
武神の一族は、戦いから逃れる為に力を得た一族だ。
それは矛盾である。
戦いを嫌うと言うのに、戦う為の力を持つ。
だからこそ誰かが間違った道を歩まぬように、武神の一族は己を矛とし、盾とするのだ。
最強の矛と最強の盾をぶつけ合う意味などない。
どちらも持てば、矛盾はなくなるのだから。
他者の要求を退け戦う為の力と己の意思を貫き守るための力。
その為に、己を磨き続ける。
「流石カガリお兄様。ならば私は武器を使わせていただきます」
「構わない、こっちも使うから」
お互いが一度距離を取る為に相手とぶつかり押し出す。その反動で後ろに下がる。
お互いの足元にある武器を適当に足で掬い上げる。
カガリが手にしたのは片手で扱いやすい汎用的な長さの剣であり、タキが拾い上げたのは突くだけでなく、穂先の横に刃がついた薙ぎ切ることもできる形状の槍だった。
「行きますよ」
「来い」
タキの踏み込みと同時に腰を捻りながら繰り出される突き。
まるで一瞬伸びたかのように錯覚するほどの一撃をカガリは半身になりつつ、剣を当てて逸らす。
それを見たタキは、身体を回転させながら槍を薙ぎ払いつつ引き戻す。
引く時に穂先の横の刃で斬りつけつつ、槍を引き戻す。
カガリはそれを飛びあがることで避け、引き戻される槍と同時に肉薄する。
タキは回転の最中、その勢いを使って斜め下から掬いあげる蹴りを放つ。当たれば頭骨を砕くような勢いに堪らずカガリは勢いを殺して蹴りの間合いに入らないことで攻撃をかわす。
その隙を突くように今度は回転の勢いで引き戻された槍が再び横薙ぎに振るわれる。
カガリは剣で槍を受け止めるが、衝撃を受けきれずに弾き飛ばされる。
だが、ただで吹き飛ばされたわけではない。
吹き飛ばされると同時に剣を投げる。狙いはタキの伸びきった腕だ。
その攻撃にタキもまた槍を手放す。
再び離れた間合いに二人は目線を交錯させて笑う。
それは絡み合うような視線。
やっていることは色恋事とは無縁のはずなのに、二人の纏う空気はまさにそれだ。
「剣と相性のいいはずの槍でもカガリお兄様には届きませんか」
「かなり際どかったけどな」
「届いてないことには変わりませんもの。そこに魔術が加わったらそれこそ手も足も出ませんわ」
「いや、手も足も出ないことはないだろうに」
「そうですね、手から足からも出ますからね」
「そう言う意味じゃないんだが……」
苦笑をうかべるカガリにタキは笑みを零す。
「今日は魔術なしでとことんお付き合いくださいませ」
「腰が立たなくなるまで付き合ってやろう」
「お手柔らかにお願いしますね?」
タキが上目づかいに言う。
言葉の上では睦言のようにも見えるやりとり。
だが、場所は閨ではなく鍛練場である。
これから情事を重ねるわけではない。
汗をかき、影を重ねてぶつかり合うと言う意味では似たようなものではあるが。
お互いの言葉に笑いつつ、二人は息を吐きながら足を踏み出すのだった。
無邪気に、ただ幸せを感じながら、今を生きていた。
まだ二人はこの先に起こる悲劇など知らず、この先も幸せがずっと続くであろうことを信じていた。