01 青い空、赤い大地
皆さん、虫は好きですか?
私は嫌いです。
追記
戦闘描写を頑張って行きたいと思っています。
何かしらご指摘がありましたら感想、またはメッセージにてご教授ください。
大陸歴1008年。
ロレンシア大陸はかつてない大戦乱時代へと足を踏み入れようとしていた。
勿論、局地的ではない大陸全土を見渡すような俯瞰した視点から見れば、このロレンシア大陸で戦争が起きていない日は存在しない。
どこかで夥しい量の血が流され、老若男女問わず物言わぬ骸が生産され、蠅がそれを苗床とし蛆を産み落とす。
蛆が腐肉を喰らい、犬は骨までしゃぶりつくす。
どこまでも人は欲深く、貪欲である。
求め、求め、求め続け、その果てにある満たされた感情は未だ知らずにいた。
それもそのはずだ。
この大陸の平和を謳いながら、平和とは程遠い戦争をやめる気はない。
人の幸せを願いながら、人の僅かな幸福さえも踏みにじり殺していく。
彼等の謳う正義は、悪は何処にも無い。
視点が切り替わればお互いが悪であり、正義である。
第三者から見ればお互いをお互いが悪だと決めつけ、自らが正義だと主張しているにすぎない。
どちらが正義でどちらが悪かを決めるのは一つだけだ。
力である。
力こそが全て。力が無ければ悪であり、力が無ければ死ぬだけだ。
それを最もよく知るのは戦場を駆ける兵だろう。
彼等は死にたくない。生きていたい。
だからこそ剣を振う。自分と同じ想いを持つであろうただ、立場が違うだけの『敵』を切り捨てる。
自分達と同じように彼らに待っている人はいるかもしれない。
だが、知ったことではない。
手心を此方が加えたところで、向こうが手心を加えるとは限らない。
それに、それをしたところで何もならない。
戦争の結果によっては自分を待つ人も死ぬかもしれないのだから。
誰もかれもが自分の周りのことだけで精いっぱいなのだ。そこに見ず知らずの人間の事を慮ることなど出来はしない。
そんな余裕のある者もまた力のある者だ。
力が無ければ何もできない。
人の心配すら出来ない。
誰かを守ることもできない。
誰かを救うこともできない。
なにより、生き残ることすら出来ない。
だから生きる。生きることを考える。
ただ我武者羅に一つの事を考えていれば万に一つでも生き残ることができるから。
それだけを考えて、兵士たちは走り続ける。
だが、壁があれば走ることは出来ない。
目の前に聳える壁にぶつかってしまえば死んでしまう。
かといって、立ち止まっても死んでしまう。
戦場に聳える高い壁。
それが見えるか見えないかが、生と死を隔てている。
「お、おしまいだ……」
誰かが呟いた。それはいま此処に居る者達全員の心の代弁だった。
意思なき者は足を止める。その一瞬の間だけ、命が繋がった。
走り続けていた者達の首がまるで毬のように跳ね飛んだ。この世からあの世へと、一足先に旅立った。
鬨の声が上がる。
一方は士気が上がり、もう一方は士気が下がって行く。壊滅的、というほどまでに。
「死にたくねえ!俺は……! 俺は……!」
兵士の一人が叫んで逃げた。それは砂漠の砂に吸われる水の様に、士気の落ちた兵士たちの心に染みわたった。
すると、ダムが決壊するかのように戦線は崩壊する。
絶望という壁が立ちはだかった時点で自分達の命運は決まったのだ。
自分達の国は滅びる。援軍は望めない。
だから逃げる。誰が沈む船に乗り続けると言うのだろうか。
そんな奴はよっぽどの馬鹿か、船に大切な者がいない奴だけだ。
家族と逃げて運よく生き伸びられればそれでいい。
だから我先にへと逃げ出していく。ほんの僅かな希望に全てを賭けて。
転んだものは踏まれて死んでいく。
転ばなくても背後から射られる矢に殺される。
追撃に追いつかれ斬り殺される者もいる。
そのどれにも該当しない者は死神の鎌を振う絶望、収穫時の稲穂のように、軽々と命を奪われる。
それは一騎当千。
たった一つの存在がその言葉を体現するかのように生と死の境界を生み出していた。
大きさ3メートル程の巨躯を持つ異形。
金属の様な光沢と堅牢さを持ちながら、生物的な生々しさとしなやかさを持ち合わせた甲殻。
ズッシリと重厚な太さを持った四肢は見た目に違わず怪力を誇り、その腕が振るわれる度に軽々と命が散らされていく。
だからと言って動きが鈍重かと言えば、否、であった。
地面を踏み割り、馬の走る速度を軽々と追い越し、間合いを詰める様は現実味が乏しいとさえ感じる。
戦場に響き渡る奇怪な音は空気を激しく、そして素早く叩く音である。
音の発生場所は戦場を支配している異形の者の背後から聞えている。
薄く、しかし強靭な翅がその巨躯の背後に存在しており、その重量を宙に留めることが可能な程の浮力と勢いを与えている。
その異形は人の形をした蟲であった。
頭部から生える、天を貫かんばかりの一本の角の存在がその異形は『兜』と呼ばれる存在だと見て分かる。
そして、ただの人にとって、それが分かったところでどうしようもない。
黒い剛腕の掴む槍の穂先には百舌の贄の様に貫かれた死体が死を垂らしてぶら下がっている。腕が振るわれ、穂先から飛んだ死体はその身体を弾丸のようにして他の命をも巻き添えにしていく。
その様が逃げるものに絶望を与える。
戦場の覇者に、逃げ惑う者は狙いを定められないように祈ることしかできない。
蟲者。
それが死神の名前だった。
鎧蟲と呼ばれる巨大な蟲と一体となり、人の領域からはみ出した人外。
人蟲一体となった者を蟲者と呼び、畏怖の眼差しで人は見る。
敵に回せば死神、味方にすれば救世主。
戦場を支配しているのは蟲者だ。蟲者を生身で倒すことなどほぼ不可能だ。
蟲者を一人倒すまでに万単位の人間が死ぬ。それを勝利と呼ぶには無理がある。
蟲者に対抗するには蟲者しかない。
この戦場には蟲者が二人いたはずであった。
対立しあう蟲者の片割れがいない。
それはつまり、蟲者同士の戦いが決着したということであり、それと同時に戦場の趨勢も決まったということであった。
槍が振り回され死の旋風が吹き荒れる。
剛腕が振われなぎ払われる。
一方的な蹂躙劇が繰り広げられていた。
だが、そんな蹂躙も長くは続かなかった。
なぜなら『兜』の蟲者が動きを止めて空を仰いでいたからだ。
突然の死を振りまく暴風が凪いだ時間に、誰もが何事かと『兜』の視線を追う。
――そこにはもう一体、異形の化物が存在していた。
見た瞬間に、誰もがゾクリと背中に冷たい汗を這わせた。
凄まじい重圧。圧倒的なまでの存在感。それが見る者を竦ませ、怯えさせ、戦意を挫く。
その姿はまるで、魔王。
そこに居る者達の視線を浴びながら、もう一体の異形はゆっくりと、だが確実に高度を落とし、戦場へ死を振りまく為に降臨する。
『兜』の蟲者と比べると細身である。しかし、弱そうな印象はない。むしろ鋭角なその肉体が『兜』よりも攻撃的な印象を見るものに与えていた。
二対の翅が奏でる風を叩く音は、生みだす風の強さを物語っている。
そして黒と金の甲殻は今まで見たことも聞いたことも無い姿だった。
「何者だ?」
『兜』の蟲者が誰何する。
黒と金の蟲者はその問いには答えず、ゆっくりと構えを取る。
右腕を天に翳し、左腕を地に降ろす。
天と地にそれぞれの腕を伸ばした構え。
その構えの名前を破天砕地の構えと言うことを、『兜』の蟲者は知らない。
だが、油断のならない相手だと言うことはその構えの隙のなさから窺える。
そして、相手が戦意を持って此処にいるということは明確であった。
その時、今まで聞えなかった声が聞える。
人蟲一体となった『兜』の蟲者の人の方ではなく鎧蟲の方が喋り掛けたのだ。
『気をつけろ、あれは……『蜂』だ』
「なっ!? 『蜂』だと……!?」
『兜』の蟲者が驚きに声を漏らす。
『蜂』とは未だかつて人と『人蟲の契儀』を行ったことがない鎧蟲だと言われていた。
『蜂』は気位が高く、他の生物に依存することなく生きて来た異端の鎧蟲であった。
そして、『蜂』は既に存在しない存在であるはずだった。
なぜなら『蜂』という鎧蟲は一匹残らず滅ぼされたからだ。
だからこその驚愕であった。
では、目の前に居る存在は一体なんなのだ。
確かに滅ぼされたとされる鎧蟲の生き残りだというのか。
――まるで、亡霊ではないか。
そんな考えが『兜』の蟲者である男の脳裏に浮かんで、嫌な汗がじっとりと流れる。
『蜂』の蟲者のとる構えからは精神的だけでなく、物理的な重圧をも生み出していた。それは気と、魔力が合わさった強者の覇気と言える。
『兜』の蟲者は、無意識に握りしめている角槍を握り直した。
『兜』の蟲者の戦う姿勢が、心構えが、そのどちらもが整った頃合いを見計らったかのように、『蜂』の蟲者から『蟲の報せ』が響く。
蟲の報せとは鎧蟲が使う意思の疎通の方法で、どういう原理か分からないが遠方でも聞える言葉である。鎧蟲同士や蟲者への会話は声よりも遠くまで届けることができる。
「カガリ」
『『蜂』、ジャクホウ』
蟲に報せにで聞えて来たもの、それは誰何への返答である名乗りであった。
この蟲者は突然の闖入者ではあったものの、武人であると言うことには変わりない、ということだ。
これが例え亡霊であろうと、討ち倒せる存在なのだと理解する。
何を怯えていたと言うのだろうか。
誰であろうと前に立ちふさがるのなら退ければいいだけの、簡単な話であった。
「エドレヘドレフ帝国、帝国騎士団所属、クラネリオス流槍術、ジュリアス・アドルレッド」
『『兜』、トウソウ』
身の内からある感情が湧きあがる。
それは歓喜。強い相手と戦えると、武人としての血が騒いだのだ。
しかしそれを理性で押しとどめる。
目の前の相手は『気をつけろ』と、友が言ったのだ。
だからこそ感情を抑え、闘気を鋭く研ぎ澄ます。
ヒュウ、と息を吸い込み―――。
「ハァッ!!!」
翅で空気を叩き推力を得る。放たれた矢のように突き進み、腰を支点に身を捻り右手に握る槍を繰り出す。その際に魔力を練り込むことで槍に旋風が纏わりつく。
クラネリオス流槍術蟲者技「鏃貫抜」。
それは人ならざる蟲者であるが故に出来る踏み込みと、人だからこそできる魔術の複合武技。
槍が風を切り裂き唸りを上げる。
狙うは喉元、一撃必殺。どれだけ硬い甲殻であろうとも貫く意思を込めて繰りだした。
カガリは反応出来ずに破天砕地の構えを動かすことも無く――。
否。
槍が喉元を貫くかに思えた瞬間、槍の軌道が変えられる。ごく自然と、あたかもその軌道を描くのが当然と言った様に勢いを流された。
いつの間にか地を向いていた左腕が同じく風を纏い、円を描くように動き、ジュリアスの放った槍の軌道を変えていたのだ。
あらぬ方向に勢いを流された為に姿勢が崩れる。空中では足を使って姿勢を整えることが出来なければ堪えることもできない。
それは致命的な隙になる。それがわかっている。だからこそ蟲者でしかできぬ方法、翅を広げ、空気を叩き、無理矢理に体勢を戻そうと無茶をする。
それを狙っていたこのように天に掲げられていた右腕が鉄槌と見紛うような勢いで振り下ろされる。
『兜』の甲殻を持ってすればこの程度、一撃くらいなら耐えられると考え、すぐさまそれを否定する。
『避けよ!!』
「ォォォォォッ!??」
トウソウが叫び、その叫びに逆らうことなく躱そうとする。しかし体勢が崩れていたところで、咄嗟の判断が遅れたために避けることは叶わない。
なので槍の柄でその一撃を受ける。
鎧蟲であるトウソウの一部であるその槍は振り下ろされた一撃を受け止める、ことはなく無残に砕かれる。
あまりの出来事にジュリアスは言葉を失くす。その呆然とした隙だらけの胸部に猛烈な一撃が見舞われる。
甲殻、それも最も分厚い胸部を打ち、さらにはその衝撃を浸透させてくる。
最早疑いの余地はない。
目の前の敵はジュリアスよりも強いのだ。
「カハッ……」
『なんという一撃……!!』
明滅する視界。驚愕の声を上げるトウソウ。
目の前では右手の掌から生まれ出た細い剣を握るカガリ。
あれがおそらく『蜂』の蟲器であろう。
武神は左半身を前にして右半身を隠すように構える。
カガリの手に握る剣の視認が、ジュリアスからは難しくなる。
更には左手を前に突き出し、嫌でも意識が左手に向けさせられる。
『蜂』の翅が広がり、空気を切り裂く音がする。
――来る!!
ジュリアスは砕かれて短くなった槍を構える。
その瞬間、ジュリアスの顔の目前に剣が迫っていた。
「グゥゥゥッ!!」
この剣が投擲されたものだと気付き、剣を槍で弾く。
それだけでは流しきれず顔を捻りなんとか躱す。
しかし、それで窮地を脱したのではない。むしろ今の一撃は本命ではない。
目の前には既にカガリが迫っていた。
「浸鎧透掌」
カガリの拳が再び胸部に吸い込まれる。
その瞬間、体の内側がぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような衝撃がジュリアスを襲った。
『兜』の堅い甲殻が災いし、その衝撃を逃がす先がなく内側で暴れさせてしまったことでダメージが瞬間的に増幅したようだ。
次の一瞬には背部甲殻が爆ぜ、翅が千切れ飛ぶ。浮力を失った巨躯が重力に引かれて落ちていく。
抜けきらない痛みに身体を動かすことが出来ずにそのまま墜落し、地面にたたきつけられた。
「こ、これほど…までと…は…ッ!」
『我が甲殻……が、三割ほど…持って行かれたぞ……』
天を仰ぎ、ジュリアスとトウソウはその先に在る敵の姿を見る。
カガリは優雅に、されど雄々しくその身を空へと翻し、一度天高く飛びあがる。その姿が遠く点の様に小さくなったところで一気に降下してくる。
カガリの平坦な声が、蟲の報せによって耳に届けられた。
「天魔」
瞬きにも満たない時間を経て、カガリがその身を大地へと落とす。
その瞬間、大地が揺れ、砕かれ、蹂躙された。
ジュリアスとトウソウは幸いにも、痛みを感じる前に命を失っていた。
だから、この後に起きた虐殺を見ずに済んだ。
# # # # #
ロレンシア大陸南部で起きた小さな戦争の結果は酷いものだった。
エドレヘドレフ帝国とエイナッツアクソル聖国で起きた争いは、どちらにも夥しい数の被害を生み出したことで終結する。いや、終結したわけではない。
戦争そのものをすることができなくなったのだ。
国家自体がこのロレンシア大陸から姿を消してしまったのだから当然であろう。
一体何が起きたのか、各国の者達は憶測を重ねた。
その災厄から命からがら逃げ出し、諜報員に捕えられたものたちの証言は俄かに信じがたいものであった。
曰く、たった一人で両国を滅ぼした。
曰く、悪鬼の如き強さを持っていた。
曰く、悪鬼はロレンシア大陸全土を滅ぼすつもりだ。
荒唐無稽な証言。それを口にする者達は皆が皆、錯乱しているようだった。
信じるに足る情報ではない。だが、それに近いなにかがあるのは確かであった。
# # # # #
真っ赤に染まった大地。
命あるものはなく、屍で築かれた山の上で一人と一匹は空を仰いでいた。
青い空。雲ひとつない青い空。そこには何一つ澱みはない。
混沌とした大地のことなど何一つ関与しないその空は平和そのものだった。
それに比べて大地はどうだ。
そこに暮らす人はどうだ。
平和、幸福、正義、慈愛………。
数々の綺麗な言葉で飾り立てられた欲望。
欲に塗れた汚き思いだけだった。
だから一人と一匹は汚き大地から目を逸らす様に空を仰ぐ。
世界は変革の時を迎えようとしていた。