2
プロットを書くときはタイトルから決める。
女性に迫るときに野郎共が言いがちな「お前じゃなきゃダメなんだ!」という台詞のように、「タイトルが決まらなきゃ書き出せないんだ!」と俺は声を大にして言いたい。
ぶっちゃけ癖。
いつの間にか身に付いてしまった悪癖と言っても差し支えない。
もっと言っちゃえば、決めるって言ったって「降ってくる」のを待つだけだかんね。
降ってきたそれをちょちょっと加工してゴーサインが出たタイトルに沿った物語を創作していく。それが俺、患井かたるの創作スタイルだ。
プロットに時間取られるって前に言った気がするけど、苦悩しているー、頭がごちゃごちゃだー、もう何も考えられないそうだ寝ようー、とは降ってきたタイトルを基にしているときはならない。
プロットを作る体力が致命的に不足しているだけ……。
アイデアは出てくるのに三十分を越えたら赤ゲージに突入……。
んで寝ちゃう……。
「やっぱり寝てんじゃないかーい!」
スターンッと居眠り中の生徒にチョークを投げつける熱血先生昭和版にリスペクトを表して右手に握っていた鉛筆を机に叩きつけた。
ころころころと短い鉛筆は転がって、大ダメージを与える面が表に向いてラッキー! じゃねーっつの!
「……今の一連の所作は神子に知られたら確実に叩かれるな」
アンチ一人ノリツッコミとはやつのこと、アンチ巨人も真っ青な嫌いっぷりだ。
先日神子に要再考の烙印を押されたプロットの改良作業。
キャラクターの再考よりもとりあえず先に全体構成、物語の展開の仕方を固めてしまいたかったので手をつけた。
んだけど、やはり、今日も、進みが、わるーい。
「王道を織り交ぜるって大変なんだな……」
……違うな、王道を織り込む自体はそんなに難しいことじゃない。完成しかけていたプロットが難しくしているんだ。
デビューを直前に控え、展望も方向性も決まっていたアイドルグループに、突如横柄な事務所上層部から厄介な注文をつけられて苦難しているプロデューサーのようだ。
六月末までに応募する予定でいる今作『うみの果てはひとをめぐる』は、思いついた瞬間に『これだっ!』と今までにない手応えがあった。
……何も書いていないのに手応えというのはおかしな話だけど、タイトル至上主義の俺は行ける、これなら勝てるって思ったんだ。
でもいざプロットを作り始めてみたら進まないのなんの。
実を言うと、この間初めて神子に見せたのは終盤で苦しくなってやっつけで完成させて、とりあえず提出してみただけだったりする。
予定調和のようにダメ出しを食らったが、内心ではそりゃそうだ、と潔く批評を受けとめていた。自分が納得していないプロットにゴーサインを出されても困るからだ。
そういう意味ではダメ出しを食らって良かったと思う。
むしろ俺はあのとき、神子にダメ出しを受けに行った。俺の死角にあるだろう課題に光を当ててもらうために。
「くおー! 無理に王道織り込もうとしてもうまくいくわけないか!」
開き直れ! いいの? いいの!
これ以上は時間を不毛に費やすだけだ。決めた、構成はこのままでいこう。そこに人間味溢れるキャラをぶち込めば見栄えが変わってくるはずだ。
今までの自分とは一味違う作品が見られるはずだ。
「もう三時だし寝よ」
ふて寝するようにベッドに潜り込んだ。
……一次落ち、しないよな?
五月もいよいよ下旬に差し掛かり、教室でも制服のブレザーを脱ぐやつが目立ち始めた頃、朝のHRのあとに今年度初の席替えが華々しく執り行われた。
「よっ、かたる。お隣さんじゃん、よろしくー」
ラノベ主人公指定席、窓際の一番奥から中央の一番奥に移った俺の右隣の住民は神子だった。悪友みたいなテンションで絡まれる。肘でこつこつと肋骨を突かれる。
「これで授業中も色々相談乗れるよ? プロットも一気に固めちゃおうぜー」
意気揚々と協力を申し出る神子……言いにくい……。
「お前に言わなきゃいけないことがあるんだ、実は……。…………神子?」
俺を見ているようで見ていない視線を追って後ろに振り向く……と。
「せっせ、せっせ」
「あぁあああああ!?」
「ひゃぅっ!?」
鞄から出した教科書を机の中にしまう作業に夢中だった赤い瞳が俺の大声によって狼狽えて、きょろきょろと挙動不審になる。
「ご、ごめん! なんでもないんだ!」
「ひぃっ!?」
華奢で細い膝に落ちた教科書が面積足らずでずるっと床に落ちる。
素早く拾った現代文の教科書の表に記されてあった彼女の名前……。
「凪原……ミケウリールさん」
「……は、はい」
「びっくりさせてすみませんでした」
「……はい」
教科書を受け取るために伸ばした手は、白くて、小さくて、心がふわぁってなった。あかんロリコンになってまう……。
「手ぇ出してんじゃねえかたる!」
「ぐぇっ」
神子に襟首を後ろから引っ張られて息が詰まる。
「げほっ、ごほっ、何っ、しやがる!?」
「ミケちゃんはみんなのアイドルなの……男女問わず必要以上に親密になっちゃいけない暗黙の了解があるのを知らないの……? 一人だけ不可侵条約破って侵略しようったってそうはいかないんだから……!」
「…………ひゃぃ」
殺意すら宿った鋭利な目つきと脅迫的な態度に圧倒される。不可侵条約なんて初耳だよ! って言ったら何をされるか分かったもんじゃない。
俺を十分に委縮させてからお面を取り換えたように表情を百八十度穏やかものへと変えた神子は右手をぐーぱーさせながら、
「ごめんねミケちゃん。馬鹿が馬鹿で本当にごめん」
「あっ、神子ちゃん近くだったんですか!」
狼狽えた表情が波に流されるように失せて、瞬間明るみを帯びる。
「びっくりしましたけど謝ってくれたのでもういいですよ。えぇっと……ワズラー君も悪気があったわけじゃないんですし」
「誰だよワズラー」
どことなく漂う東北楽天ゴールデンイーグルスの香り!
「ハッ、しし失礼しました!」
「おらワズラー、ミケちゃん脅してんじゃねえぞ!」
「間違いを正しただけだよねぇ!? お前もワズラー使ってんじゃねえよ!」
「語感が良かったんで、つい」
「定着しそうだからやめてくれ」
プロフィール欄に『患井かたる(通称ワズラー)』なんて書かれたくない。
「申し訳ありませんでした、名前を間違えてしまうなんて最低です……」
「そこまで落ち込まなくてもいいよ、別に」
「紛らわしい名前してるかたるが悪いだけだし」
「どこが紛らわしい? さっきから凪原さんの肩持ち過ぎだ」
言動と性格も若干変わってるし。こんな激情型人間だったっけ?
しかし俺、凪原さんに名前ちゃんと憶えられてなかったんだな……ちと落胆。
「俺の名前は患井かたるだよ、ワズラーじゃない」
「あ、そうでした! 見たことも聞いたこともありますです!」
それはよかった。全く知らないで首を傾げられたらポッキリ心が折れかねない。
「リストに載ってましたもんね!」
「クラス名簿のこと? 外国人かぶれした言い方ぐべぇっ!?」
「凪原さんの前では言論統制行うから肝に銘じておけ」
「暴力ヒロインやめろって言ってんじゃん……お腹はダメだって……」
「ミケちゃんどうしたの? 口抑えて?」
見れば可愛らしく両手で口周辺を覆っていた。さながら親友の秘密を意図せずしてバラしてしまった子供のように。
「あ……んと、口臭チェックです。食後ですので」
「ミケちゃん口臭気にしてた! 大丈夫だよ、何も臭わないよ!?」
「あ、そうでしたか、それは朗報です。……ほっ」
「そこまで安心するんだ……」
凪原さんは文字通り胸を撫で下ろしてみせた。……え、ちょっと変な子なの?
たとえ変でもこれだけの可愛さがあるなら……。
…………。
………………あり!
「ほ、ほらっ、授業始まりますし席に着きましょうよっ」
「というわけだ神子、俺の机に座るのはそろそろよせ」
昼休みの男子かお前は。
「はいはい……かたる、くれぐれも授業中ミケちゃんに変な気起こさないように」
差さんでもいい釘を差して席に戻った神子だった。流石の凪原さんも困って愛想笑い。今、この場を乱しているのは他の誰でもないお前だよ、やらかしそうなのはお前だよ。
左隣が凪原さんになったことは俺にとって非常に都合が良い。
一週間前までは遠目からしか観察することができなかった凪原さんが、今日からはちょっと瞳を左に寄せるだけで間近に捉えることができる。キャラ作りも進むというものだ。
「(凪原さんのせかせかした動作、可愛いなぁ)」
幼い容姿の影響か、ただ黒板の内容をノートに書き写すにしても子供が大人に置いて行かれないように必死になっているように見えて萌える。
これまでの観察で分かったことは、凪原さんは勉強熱心で、授業にもかなり身が入っているということ。勉学に励むひたむきな姿勢はポイント高い。今は数学だけど、これがもし国語だったりしたら日本語覚束ない子が躍起になっているように見える。
ちなみに凪原さんの見た目は完全に外国人で昨日海外から越してきましたと言われても違和感ないが、実際問題ハーフなだけで日本語はペラペラ。生まれはドイツ、育ちは幼少期から日本だって聞いたことがある。
横から聞こえるカリカリと書き殴りまくっている音を無視できない。
人気出そうな可愛い女の子を描くのに打ってつけな子だよなぁ、と改めで自分の具眼に感心。容姿もいいし、いい子っぽいし。みんなから愛されているのも頷ける。
板書している振りをして時々凪原さんの所作で印象に残ったことをノートの隅にメモる。
そういえば俺は俺で勉強頑張ってるからな。テストで点取れないんだから平常点稼ぎ頑張らないと。
「(凪原さんはどんな風にノート取ってんだろ?)」
ふと気になる。
まあ着替えを覗くわけじゃないし……ちらっと見ちゃえ。
『東京湾沿岸から一キロ離れた水上に浮かぶ人工島《第一学園島》への行き方は二つ。一つは東京アクアラインの直行便を利用すること。一つは川崎市沿岸から伸びた《中曽根大橋》を通るバスを利用すること。ただし、通常《第一学園島》に住む数十万の学生は学期間休業を除いて島を出ないので、これらの手段は外部からの客人がほとんどである』
俺は何も見ていない。
……も、もちっとだけ。
『日々異能開発に取り組む学生の集う《第一学園島》に異端と呼べるような新入生が来島したのは夏の終わり、八月三十日の《創島祭》の日。この日、すずみ明秀は《創島祭実行委員会東海岸東條地区ブロック》の一員として海岸の警備に当たっていた。しかし、船乗り場は南の南栄地区にある上に、《第一学園島》の周囲は海底から発現させている目には見えない《遮断壁》によって完全防護されている。警戒心ゼロでぼんやりと水平線を眺めていたすずみだったが、そのとき海の向こう側から赤い彗星が飛来してきて―――?』
「飛来してきてどうなん」「ひゃぁっ!?」気付けば思いっ切り覗き込んでいた俺に凪原さんが大仰に万歳する。クラス中の注目が俺たちに集まる。
「どうしたお前らー? 患井もお前、近くに寄り過ぎじゃないか? いくら凪原が可愛いからと言って」
フランクな社会教師の一言で教室に爆笑の渦が巻き起こる。けど、頭は今の今まで見ていた超ラノベ的ストーリーで埋め尽くされているので恥も感じない。
凪原さんが落としてしまったノートを拾おうとすると、ばちんっと払われた。
「…………触らないでください」
柄にもなく怒気に満ちた声色で、耳まで、頭皮まで、いっそ頭部全体まで真っ赤になった凪原さんは死ぬほど恥ずかしそうに涙さえ浮かべていた。
「……すまん」
でも言い訳させてくれ。
……厨二ドストライク。すごく、気になっちゃったんだ。