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学生が放課後に駄弁る場所と言えば教室やファストフード店、それに公園が一般的だ。周りの喧騒もかえって落ち着く。マナーの悪い騒ぐやつは、嫌だけど。
……嫌だけど、それも今に限っちゃ許容できるかもしれない。
「かたる君って猫舌なの? コーヒー冷めちゃうわよ?」
「あっ、いえそんなことは……いただきます」
金のラインが入った純白のカップを間違っても落とさないように両手で大事に口元へ運んで、とっくに対猫舌仕様にまで下がった無糖のホットコーヒーを飲む。
コクがっ……コクがなんか違うっ……! これが深みのある味ってやつなのか……。
日も傾いた午後四時半、隠れ家的な店構えをした如何にも敷居の高そうな喫茶店。
BGMはしっとりとしたクラシック、客層は歳食った女性が主。
そんなマダムリアスな雰囲気に呑まれながら、目の前には全校男子憧れの的と呼んでも過言ではない三年の洒落古謳歌先輩が優雅に佇んでいる。
おかしいな、男女は違えど同じブレザーを着ているはずなのにどうしてこうも洒落古先輩は店内の風景に溶け込んでいるんだろう。最早一部と化してるきらいさえある。
「もしかしてじゃなくても、こういう店は経験ない?」
嵩の減ったカプチーノを静かに置いてから後ろ髪を払い、肘をついて合わせた両手の甲の上に顎を乗せる。
こういう店は経験ない? って、初めて風俗行ったときに言われそうだな。
いやだっ、俺ったらこんなところではしたない!
「ないです、全く。初めてです」
「へぇ、私はよく使うんだけどな」
「確かにコーヒーの味は抜群ですけど頻繁に通うような場所でも……」
半年に一回とか、自分へのご褒美へとして訪ねるような場所だと思う。
「お金も馬鹿みたいに飛んでいきますし」
「出費は結構痛いけど、場所代も含んでいると考えれば妥当よ」
「場所代?」
なんだそのカラオケボックスに行っても歌わないで部屋だけ借りるみたいな。
最初疑問に思ったけれど、先程明かされた洒落古先輩の正体を思い出して合点が行く。
「これこれ。ここが一番集中できるの」
と、洒落古先輩は鞄から表紙に何も書かれていないノートを一冊取り出す。
「プロットですか」
「そ。内装の雰囲気とか、創作する気を駆り立ててくれるのよねー」
「ああ、分かります。捗りそうですもんね」
創作向きだろうけど慣れなきゃ作業進まないだろうなあ、この雰囲気。
「ちょっと書き込み失礼」
「どうぞ」
パッと使えそうな案でも浮かんだかな? 俺なんぞに断りを入れてページにシャーペンを走らせる。
店内筒抜けの駅直結喫茶店とかでたまーに書き物してる女の人見かけるけど、ああいう人たちってみんな洒落古先輩みたいにラノベのプロット書いてたのかもな。
……いやいや、ないって。
だとしたら日本怖いよ。そこらじゅうに同族がいることになる。
「(しかしこんな美人がワナビとはね……)」
ワナビ。
ライトノベル作家志望者を意味する名詞。
発祥元はネットスラング。
辞書には載ってない。
つーか載る前に廃れるかもしれない。ラノベ業界の将来なんて分かんねーぞ?
「(聡明っぽく書き物をしているけれど、その中身は女の子とイチャラブ……)」
いやらしく視線を紙面へ送ると、『ヒロインが落ちるまで』『主人公は指フェチ』『浴衣がはだけておっぱいの谷間露出』などなど、ジャンルが『ラブコメ』と予想できるようなメモ書きが次々と足されていく。
「男子的には平淡な廊下で都合良くこけて肌露出ってあざといと思う?」
「男子じゃなくてもあざといと思うんじゃ……覗いてるのバレてました?」
「視線には敏感な体質だから。サイテー。執筆中に部屋に家族が入ってくる恐怖も知ってるはずなのに」
「ぐっ、そんな例え出されたら心が痛んで仕方ないですよ! はいごめんなさいすみませんでした!」
「しっ、声大きい」
マダムたちの迷惑そうな目線が集中する。場を弁えて、しばらく黙ったまま作業的にコーヒーを飲み続ける。
「……こんなもんかしら。ごめんね、待たせちゃって」
十分も経たないうちにメモ書き終了。
「同じ境遇なんで理解してますよ」
「早く抜け出したいけどね、ワナビなんて」
「案外ワナビが一番楽しいのかもしれませんよ? 編集とのドロドロもないし」
「ふふっ、そうかもね。ところでかたる君ってPNどんなの?」
「俺のPNですか? 本名そのまま流用してますよ」
「勇気あるわね。知り合いに見られたらどうしようって思わない?」
「まだ二回しか一次選考通ってませんし心配するだけ無駄です。逆に聞きますけど、洒落古先輩は――」
「ストップ」
すっとしなやかに伸びた指先が俺の唇とキスする寸前で止まる。
「かたる君の前の私は私であって私じゃない、ってスタンスで今後行かせてもらいたいの」
真剣な表情で言い切ってから、一転不敵に微笑む。
「だから私のことは、よりはと呼びなさい」
「よりは?」
「萌える橋と書いて萌橋、ひらがなでよりは。合わせて萌橋よりは――それが私のPNよ」
「…………」
きゃぴきゃぴしていた。申し訳ないですけど先輩には致命的に似合わないっす……。