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推敲が終わり、仕上がった最終稿を何度も読み返していたら時間的余裕がゼロになった。
六月末日締め切り当日、レターパック510を郵便局に預けてきたその帰り道。
「自分史上最高傑作が出版社に届く前に弾かれるなんてことは……」
「弾かれても次に回されるだけでしょ。それにそもそも日本郵便がしっかり今日の消印を押してくれるから七月入っても受け付けは有効だよ。消印有効を信じて」
「膨大な量の郵便物に紛れて消印が七月一日付けになるんじゃ……」
「女々しい! そんなに言うなら締め切り当日に出すな!」
「読み返しまくってたら遅れちゃったんだよ、仕方ないじゃん!」
「それも女々しい! 男は黙って初稿投稿!」
「さてはお前初稿のボロボロ具合を知らないな?」
初稿で完璧に仕上げてしまう人は作家全体で見てもほんの一握りだろう。
「これに懲りて次作からは締め切りの二週間前には応募しちゃうことだね」
「できたらいいな」
「できないに一票」
「お前から言っといてそれかよ」
「だって不可能なことを敢えて要求したんだもん。そうでしょ?」
「……ああ、無理だな。お前の判断が正しいよ」
これからもきっと俺は締め切りスレスレ応募のスタイルを続けるんだ。
早く応募しようという気がないわけじゃない。それでもなんだかんだで締め切りまであったはずの余裕が消えて……。
「今日から数日はレターパックの追跡で忙しくなるな……」
「だから心配しすぎだってば! 追跡しても消印が今日付けか明日付けかは分からないし!」
「だまらっしゃい! ひとまず俺が欲しているのは原稿が無事に到着したという安心感なんだ!」
「……もう好きにしなよ」
俺の度を過ぎた心配性に呆れ笑い。度を過ぎてる? 過ぎてるか? ワナビってみんな応募時はこんな感じに落ち着かない精神状態になるんじゃないの? 今度よりは先輩と瑠璃兎に聞こう。
そんな結論に至ったとき、俺の数歩前を歩いていた神子がくるっと右足を軸に振り向いて、「そういえば」と軽快に口を開いた。
「次の作品はどうするの?」
「それは王道かニッチかってこと?」
「ことだね」
うぅん、難しい質問だ。
「……ぶっちゃけ全く構想してないんだよ、次」
「新作乱造病に終焉の気配か?」
「そんな病気患ってねぇ。Bダッシュで『二次元』書いたから体力切れっつうかな、エネルギー切れ? 一か月で長編日本書いたからな」
「ワナビが弛んだこと言ってんじゃないよー、休んでたらデビューがその分遠のくぜ?」
神子が肘で俺の脇を小突く。編集が作家に新作をせっつくようだ。
……編集と作家?
「俺とお前の関係をそのままラノベにしてみるのも面白そうだな」
「えっ、出演料取るよ?」
「がめついなぁ、冗談だよ」
よりは先輩のような学園ラブコメ――今度は一人の女の子との純愛のラブコメでもいいし、瑠璃兎のようながっちがちの厨二異能でも悪くない。
予定は未定だけど、まあどうせ明日か明後日には書きたいものが浮かぶ。
それまでは――それまでなら休んでも。
「(まっ、休むって言ってもゲームとラノベなんだけどな……)」
「ただいまー」
帰ってきたのは神子んちじゃないよ、俺んちだよ。
「自然な流れで俺んち来たけど何すんだ? まだ午前中だし、昼飯挟んでずっと遊ぶ気か?」
「まだ午前中なのはかたるが朝から私を郵便局に付きあわせたからでしょうが。適当な頃合いに帰るよ。……例えば宮川大輔がサッポロビールを飲む時間とか」
「夕飯食いかねない勢いじゃねえか!」
「いいんじゃない? 食べてきなよ」
玄関で喋くっているとリビングからエプロン姿の母さんを呼び寄せてしまった。
「えっ、いいんですか!」
「一人増えても変わんないしね。姫子には私から言っといてあげる」
姫子ってのは神子の母ちゃんのことだ。親子で名前似てて分かりやすいだろ?
「どもでーす! ついでに昼ごはんもいいですか?」
「かたるが作るからいいわよ」
「母さんっ!?」
俺の料理スキルで作れる主な品々……ぶっかけうどん、出来合いのソースをかけるだけのパスタ、そば、ひやむぎ、ソーメン。
……大した手間じゃないしいっか。
「あ、あとかたる、お部屋にお友達上げてるから」
母さんが去り際に衝撃的なことを言い残して言った。
「はっ!?」
「あ、言われてみれば見慣れない靴が……見慣れない? いや見たことない?」
玄関を振り返って、靴箱の陰になるように置かれてあった二足の女性モノの靴を見入る。一つは小学生が履くような華奢なサイズの真っ白の翼めいたデザインがされた靴、もう一つはインテリ女子大生が履いていそうな作りのしっかりした黒靴。サイズは大人。
「まさか……」
知り合いの顔が二人浮かぶ。
「急ごっ!」
「お、おう!」
階段をダッシュで駆け上がり、その勢いのままドアを思い切り開ける。
『お待ちしておりました』
俺の部屋に見知った美少女が二人、旅館でおもてなしをする女将さんのように居住まいを正して頭を下げた。服装は私服なのにその礼儀正しさと本物っぽさから、一瞬二人が着物を纏っているように錯覚してしまったくらいだ。
……これなんのドッキリ?
「二人ともどうしたの?」
「ドッキリですから」
「ドッキリだもの」
「マジでドッキリかよ」
「え、ドッキリ!?」
分かっていないのは純粋で素直な神子だけだった。俺と瑠璃兎とよりは先輩からぷぷっと笑いがこぼれる。
状況が飲み込めてない俺と神子に対して、よりは先輩が徐に切り出した。
「仲直りしたんですってね。大変めでたいことね」
「は、はあ……しましたよ。神子に許しを乞いましたよ」
「神子さんもよく許してあげてくれました! 今後も空気を気にせずこの家に来ることができます! っというわけで……はい、これどうぞ」
瑠璃兎が一枚の封筒を俺に手渡す。得体の知れない怖さを覚え躊躇しつつ受け取る。
「神子、お前が開けてくれ」
「ビビリすぎ……まあ私もちょっとは怖いけど」
律儀に糊付けされた封筒を手でビリッと破って、さかさまにし中身を出す。
「バスカードと……時刻表?」
「バスカード何枚あるんだこれ。一、二……六?」
しかも全部中途半端に使われてる。残額は全部三桁前半だ。
「交通費はあげる。これで往復足りるはずよ」
「……メッセージ性を読み取りました。間違ってたら言ってください」
交通費やるからこの時刻表の行き先のまるで囲んでいる場所にやるから行ってこいと?
よりは先輩と瑠璃兎は満面に笑みと共に頷いて、
『題して、仲直りよかったね! たまにはゆっくり温泉でも如何?』
……まるで囲まれていた行き先が定山渓だったのは言うまでもない。
そういやよりは先輩とそんな話したっけなぁ……。
『明日でいいっすか?』
『もちろん今日! 即日で行って下さいです!』
『今日原稿出してきたんでゆっくりしたいんですが』
『だから温泉でゆっくりすればいいじゃない』
『家の風呂でも』
『ならば切札を切りましょう』
『え? 瑠璃兎それは……』
『なんでも一つ言うことを聞かせる権利を行使します!』
現在に、至る。
「……混浴は入らないからね」
「誰が誘うか!」
午後二時過ぎ、俺と神子はバスに揺られて定山渓へと向かっていた。
ここが大都会札幌かと疑いたくなるような特盛の自然に囲まれた温泉の地――それが定山渓。登別と並んで著名な温泉地じゃないかな?
道中の自然の風景を車窓から眺めていると、ラノベを読んでいた神子がぽつりとつぶやいた。
「……かたるって進歩しないよねー」
「え、なんで俺喧嘩売られたの?」
「このお上手なラノベを読んでたら昨日まで読んでたかたるの新作がへたっぴに思えてへたっぴに思えて」
「プロと比べられてもなあ」
「ほんと、へたっぴ」
笑いながら冗談色強く言っているので注意しようにも注意できない。
「ああそうだよへたっぴだよ進歩ねえよかたつむりだバーロー!」
だから拗ねる。
……短絡的だと自分でも思う。
「……あ、そういえばいつものやつ聞いてなかったな」
「ああ、いつものやつね。分かった分かった」
感想は山ほど聞いたけれど、いつものやつは聞いていない。
恒例、神子さんの結果予想会!
「んで、どうよ? 俺の、どこまで行くと思う?」
へたっぴとか罵られたから、当然のように……。
俺の感触とは真逆のこときっと遠慮なく、言うんだと思う。でも受け止めよう。それが第三者から見た俺の評価なのだから。
神子は少しも考える素振りを見せず、ラノベに視線を落としたまま言った。
「落ちるだろうね」
具体的な数字を言わないままそう言ってから。
ラノベをパタンと閉じて。
ふぅと一息入れて俺の目を見て、
少し嬉しそうな表情で。
「二次で」
*
「かたる君がいなくなった隙にちょっとガールズトークしましょうよ」
「唐突ですね、出会って間もないっていうのに」
「フレンドリーな先輩、嫌いじゃないでしょ?」
「むしろ好きです。お話しましょう……でも、私ガールズトークに提供できそうなピンクな話題ありませんよ?」
「かたる君がいないときにガールズトーク、この意味分かんない?」
「男子がいたら恥ずかしいからじゃないんですか?」
「違うわよ、鈍いわね、ラノベ主人公並みに鈍いわね」
「ワナビっぽいツッコミ! かたるがたまに使ってるやつだ!」
「ほらほらそうやって話題逸らす方向に行かないの。単刀直入に聞くけど、あなた、かたるくんのことどう思ってる?」
「………………幼馴染としか」
「他には?」
「………………家が近所同士」
「もう一声」
「………………ラノベ見てやってる側の見てもらってる側」
「それ! ねぇ、あなたどうしてそこまで熱心なの?」
「熱心って……そんな適当ですよ、テキトー。気分気ままにやってますよ」
「適当な仕事振りには思えないんだけどね……かたる君の話を聞く限りじゃ」
「それはかたるの感じ方の問題で」
「聞けばあなた、毎日のように足を運んでいるらしいじゃない?」
「運んでますけど、何も毎日原稿の面倒見てるってわけじゃ……」
「聞き方を変えるわ。神子さん、あなたどうして毎日のようにかたる君の家に足を運ぶの?」「習慣としか……」
「年頃にもなって? 毎日顔が見たいからとかじゃないの~?」
「やっ、根も葉もない疑いかけないでください! 違います、違いますから!」
「時にあなたはすごく出席日数に対して真面目らしいわね」
「親がうるさくって。休みたいんですけど」
「かたる君の顔が見たいからとかじゃなく?」
「っ……」
「……え、本当に? 図星?」
「ちっ、ちちち違いますから! 断じて!」
「今時珍しい隠し下手ね」
「これ以上何か言ったら憧れの先輩と言えども殺める!」
「…………はぁ、分かったわ。まあそろそろかたる君も戻ってくるかもしれないし……」
「(ほっ)」
「じゃあ最後に一つだけ」
「えぇ!? 終わったんじゃなかったんですか!? これ以上いじめないでくださいよぅ」
「あら可愛い。じゃ、本当に一つだけ。好きな人のタイプは?」
「やっぱりそういうのか!」
「何々が得意とか、何々が魅力とかそんな簡単な感じでいいから」
「誘導尋問じみているのは気のせいじゃ」
「気のせいだから。ほら、足が速いとか顔が良いとかいくらでもあるでしょ」
「…………ううーん、なんだろ」
「(真剣に悩んじゃった)ゆっくりでいいわよ」
「どうせなら他人が分からないような表現にしたいですね……よりは先輩が想定してなかった言い方に」
「そんな言い方されたら期待しちゃう」
「ちょっと黙ってください。…………ああ、えっと、うん、これかな」
「思ったより早かったわね、で、何? かたる君が帰ってくる前に!」
「し……」
「し?」
「しょ……」
「しょ? じれったいから一回で!」
「やっ、急かさないでくださいよもう言っちゃいますからね! 私が好きなのは小説がへたっぴなぐぎゃぁ!?」




