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九州が梅雨入りしたらしい。
朝の報道番組。気品のある顔立ちをしたお天気お姉さんが今日も気象図の前に立って、大学教授が講義で用いるような指し棒を九州上空でぐるぐる回して指し示す。
梅雨ねぇ……北海道には縁のない言葉だ。
「ふわぁ……」
「お兄ちゃんごっつ眠そうだね」
大きなあくびをすると、対面に座って朝食のシリアルを貪っていためもりが言う。
「昨日もまた、飲みましたね?」
「ハマってるCMの影響すぐ受けるのお前の悪い癖だぞ」
「ガンガンガン速で、検索ぅー!」
「続けてボケなくていいから」
地上波でやらないようなCMを次々と……。
「普通に、『にぃに、昨日は遅かったの?』って甘えるように言えばいいんだよお前は」
「しれっとフェチを交えるのお兄ちゃんの悪い癖だよ。悪癖お互い様だよ。そいで昨日は遅かったの?」
「遅かったの。だから眠いの。しかしお前は今日も顔色いいな、流石高血圧」
「朝強い=高血圧みたいに言わないで! 老人みたいじゃん!」
ガリッガリッガリッと怒りの度合いを表すようにシリアルを噛み砕く。
「お兄ちゃんってさ、定期的に眠そうな時期続くよね」
「ん、まあ……そうか?」
「毎年この梅雨時六月と夏休み明け、それに九月はどんよりしてるイメージある」
……この妹なかなか鋭い眼を持っている。
俺の周りの女子はどうしてこう眼や勘が優れているんだろう。生きにくい。
「なんか夜更かしする理由があるの?」
「特にないな、そういう風に体が作られてるんじゃないか?」
「わー嘘っぽーい」
「ほっとけ」
「あ! ほらやっぱり何か隠してる! さてはベースケなドーガをあぁっ!?」
「ほれ見ろ暴れるから……」
シリアルと一緒に掬っていた微量の牛乳が制服のスカートに落下。
「シミ! シミ! 冗談じゃないって!」
ティッシュである程度拭いて、洗面所にタオルを取りに行った。この隙にさっさと朝ごはん食べちゃお……ちなみに俺の朝食は白飯に納豆、それとところてんだ。
朝食を終えて、髪型のセットとか諸々準備を終えて家を出る。
「俺、眠そうだったな……」
事実眠い。
昨晩も遅くまで何をしていたかというと……まあ分かるだろうが執筆だ。
本日月曜。一昨日昨日の休日は部屋に籠って書きまくり、その甲斐あってなかなかの量を書くことができた。一応言っとくと、50KBくらい。
……50KBって、自分でもびっくりだよ。通常は30KBで息切れするのに。
これで累計120KBに到達……進み具合はムカつくほどに順調。平日のノルマ10KBを続けられているのもでかい。大抵週に二、三日は数字が落ち込むのに、それも先週は一日しかなかった。それ以外の日は最低でも10KBの文量を稼いでいる。
「このペースだと週末には上がるかも分からないな」
もしそうなれば自分史上最速か? いや違うか。今日でもう書き始めて十日くらい経ってるもんな。
俺の最速はきっかり十日間。高一の頃に記録したこの大記録は未だ破られない……。
「うーっす今日も朝から肩を落としてお前は中年窓際族かっ」
バシーン! と威勢のいい挨拶と共に背中を叩かれる。
神子だ。めもり並に朝強い神子だ。
「おはよう今日もうざいくらい元気ですねこの幼馴染野郎」
皮肉たっぷりシニカルに笑う。……が、神子はさらりとかわすようにスルー。
天気良いなぁ、とか確かに曇り一つない空を見上げながら誤魔化す。
「んで? 最近どうよ?」
「えらい上機嫌だな」
「ふっふっふ、分かる? 分かっちゃう?」
うっぜぇ。何? 彼氏できたの?
「これから幼馴染を尻に敷けると思うとうきうきが止まらなくって」
「はぁ? なんだそれ、俺がお前に頭上がらなくなるみたいな」
「事実そうなるんだから。まあドキドキしてなって」
ドキドキっていうか、ぞわぞわする。朝っぱらから何されんの。
神子は鼻歌で音楽として成立していないただの音を奏でながら、肩に掛けていた紺色のスクールバッグから一冊のノートを取り出した。
創意工夫は特に見られない普遍的なB5サイズのノート。
無題無記名。表面からは中身が全く分からない。想像もつかない。
「ん? そういやお前にしては珍しく目の下に隈が」
決まって八時間以上は眠る神子に寝不足という言葉は縁がないはずなんだけど。
「これも全部かたるのためさ」
「俺のため……んー」
「えー? 分かんないの? ……ほらー、いまアンタ悩んでることあるでしょ?」
「悩み?」
悩み、もしくは気に病んでいること……。
来週に迫った中間テストはなんかもうどうでもいいし、ゲームもここ一か月は手つかずだから攻略で詰まっていることもない。
「ないと思うけど……?」
「あーもー強がっちゃってー、面倒臭いなぁ。かたるが一番熱心なことは何?」
こいつはこいつで俺の口を割らせようとしていて面倒臭い。そしてこの質問で、こいつが俺に何を言わせようとしているのかがはっきりした。
「ラノベ関係か」
「そそ! プロットで悩んでんじゃん。それは悩み事に数えられないの?」
「あっ」
「ほらね、言ったじゃん!」
俺のドジを茶化すように神子は指を差して笑う。
悪い神子、そうじゃない。俺が声を上げたのは、お前に言わなきゃいけない大事なことを思い出したからなんだ。
プロットで悩んでいたことを忘れていたんじゃなく。
もうプロットは完成済で、本編の執筆取り掛かっていることをお前に伝えるのを忘れていたんだ。
忘れたなんて自己防衛甚だしい表現を使うのはやめよう。
棚上げして、目を瞑って、ひたすら逃げてきた。
これが正しい。本来はそうでもないのに、引っ張り過ぎたせいで切迫された精神がより深刻に問題を捉えるようになってしまった。
「これね、新作のプロット作りの参考になればいいなってちまちま授業中とか放課後の時間使って書き溜めてきたんだ。昨日の夜に残りの書きたいことはガーッと書いて完成。これを基にまたプロット作り再開しよ? 目指すは二次選考突破、おーっ!」
「神子……」
「いやぁ、ここんとこ全然音沙汰なくて心配だったからさー。善は急げって言うじゃん? 寝る間も惜しんで幼馴染のために尽力したよね。つーわけで、ほい」
受け取って?
バレンタインデーに女の子が意中の男子にチョコを渡すみたいにノートを差し出す。
相当書き殴ったらしく、形が水に浸した本のように歪んだノート。
気持ちのつまったチョコレートよりも、俺にとってはずっと価値のありそうな代物。
「……悪い、もっと早く言っておくべきだった」
いつまで経ってもノートに触れようとしない俺を見て眉をひそめる。
「……俺、先週からもう書き始めてんだ」
「はっ……はぁぁぁ?」
言った。言ってしまった。神子の語調が強まって、苛立ちが顔を覗かせる。
「いやでもプロットは? できてないでしょ」
「自力でなんとかした……それで、ある程度固まったから書いちゃおうって」
「…………進捗度は?」
「半分以上。初稿がもう少しで終わりそう」
「半分以上!? 最速じゃない!?」
「最速じゃない……最速じゃないけど」
待てよ、なんで怒らないんだ。もっと罵れよ。
今まで一緒に作ってきたのに、俺の方からアドバイスを求めていたのに勝手に独りよがりに作業を進めて、その上準備してきたアドバイスノートも無下にした。責められても俺は文句を言えないし、悪罵のシャワーを受け入れるしかないんだから。
なのに、神子はどういうわけか朗らかで。
「お前、怒んないのか?」
「なんでさ? かたるが勝手に進めたから? いいじゃん別に。作家が自分の作品の方針を自分で決めて書き出すことのどこに矛盾があるの?」
「俺たちの場合共同作業みたいなもんだったろ。……書いてるっていう報告も遅れたし、裏切りだよな、これ」
「ちょちょ待って待って重いって! そんなやめてよ謝るの」
怒るどころが逆に優しく接してくる。
ずーんと沈んだ俺の肩に手を置いて声を掛けてくれる。
「私が勝手に、好きでかたるに協力してただけ。好意的に捉えたらこれは親離れみたいなもの。アドバイス無しに発進したのって初めてじゃん? それはそれでいいことだと思うんだよね。たまに編集に逆らうような度胸ないと、この先作家になったあと苦労するよ?」
「…………」
「ノートだって同じ。子供が自発的に動くことを予想しないで、なんでもかんでもやろうと出しゃばる過保護な親と一緒」
「……出しゃばるなんて」
お前が出しゃばってるように感じたことは一回もない。
うじうじ考えていたせいで言えなかった。神子が間を開けずに紡いだ。
「いいからいいから、これ以上この話題について話すのやめよ? 私が一種の勘違いで出しゃばって、かたるに変な気を遣わせちゃった――これで風呂敷を閉じよう」
「違うお前は」「でもね、それはそれとして書いてるよのアナウンスくらいは寄越せ! 隠すなんて水臭いことすんな! ノートの労力も無駄になったし!」口を開いたタイミングが重なって、俺の台詞が神子の快活さに塗り潰される形となる。
……気にしないで、いいのか。
ちゃんと俺の非をこいつに認めさせなくて。
神子が悪いという結末でぷち問題を締めくくっても。
いいのか……?
「それは謝るよ。恥ずかしくて言い出せなかったんだ」
「今更私相手に恥ずかしいとか思うんだ。あ、これ。もう無意味だと思うけど飾りにでも使って」
もったいない精神で神子がノートを俺の胸に押し付ける。
「飾りにゃ役不足な飾り気のない見た目だけどな。うん、ありがたくいただくよ」
申し訳ない、と心の中で強く思いながら受け取った。
「折角決まった作品の方針にブレを生じさせるかもだから、中身は見ないように。もうホント、置物として、あるいはお守りとしてどうぞ」
屈託のない笑顔を浮かべ、神子は声を上げて笑う。
一方の俺は、一応笑顔を作っているつもりだけど鏡を見たらどうだろう。意に介せず歪に微笑んでいる自信がある。だって笑えないから。
迷い渦巻くすっきりとしない気持ちのまま、俺は学校へ向かう。




