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その2 朝から女子の手をニギニギ

「……ねぇ、西君は本当に入らないの? 生徒会」

 おずおずと、遠慮がちの上目遣いで尋ねる牧野。頷いてみせたところで「本当に?」と返される。何だか昨日の和久宮みたいだ。

 そういえば、牧野はいつも爽やかな空気を纏っているのに、今は仄かに澱んでいる……これは心に抱いた後ろめたさゆえか。

 僕はその曇り雲を払いのけるべく、混じり気のない本音で語った。ちょっと冗談めかした口調で。

「牧野だって見てたら分かるだろ? 僕は生徒会に向いてない。ああやって群れて活動するのが性に合わないんだ。今んとこ部活も入る気ないしさ。まあ、孤独を愛する一匹狼っつーか?」

「アハハ、それ格好いいね!」

 雲の切れ間から覗く光のような、牧野の明るい笑い声。やっぱり牧野には笑顔が良く似合う。

「牧野は頑張れよ。留学したいんだろ?」

 初日の会合で、生徒会への志望動機を尋ねられた牧野は、凛とした眼差しで夢を語っていた。

 牧野の家は『シェ・マキノ』というフレンチレストランを経営していて、それは田舎者の僕を除く全員が知っているくらいの有名店らしい。牧野は将来を見据えて、学生のうちに英語を完璧にマスターしておきたいそうだ。

 生徒会に入れば交換留学生として手を上げやすくなるし、イベントや会計業務にも携われる。牧野にとっては良いことずくめだ。

 ちなみに僕は同じ質問をされたとき「お腹が痛いのでトイレで考えてきます」と言って逃げた。ほとぼりが冷めた頃にそろりと戻ったはずが、また同じことを聞かれてしまったため「僕がやりたいのはトイレの改装です。なかなかウンコが流れないのは大問題だと思います」とか適当に言って、先輩方から恐ろしい目つきで睨まれた。

 ちょうどその時、遅れて到着した三年のイケメン生徒会長が、

「おっ、なかなか面白い意見が出てるじゃねーか。コレ言ったの誰だよ」

 と、ホワイトボードに記された僕の意見に目を留めて、豪快に笑い飛ばしてくれたものの、その直前の空気の悪さたるや……思い出すだけで吐き気がする。

 膨らみきった自意識と、『人の上に立ちたい』という欲望でドロドロの、コールタールみたいな空気だった。一人一人は普通の奴っぽいのに、どうして群れるとああなるんだか。

 はぁ、と思わずため息が漏れる。

 すると牧野はそれを深読みしたようで、形良い眉をキュッと寄せて。

「でも西君、もしかして私に席を譲ろうとしてくれてるんじゃないかって……役員推薦を貰えるのって、クラスに一人だけだから」

「いや、ありえないって。さっきも言ったけど、僕はあの組織に全然興味ないし、何より今はクラス委員だけで精一杯だからさ。もちろんクラスの仕事も楽しんでやってるけど」

「西君、皆からすっかり頼りにされてるもんね。うちの委員長カッコイイって他のクラスでも評判だよ?」

「えッ、マジで!」

「まあそう言ってるの、だいたい男子だけどね」

「……そっか、うん、まあそれでも嬉しいよ」

 がっくりと肩を落とす僕に、牧野はクスクス笑いながらフォローを入れる。

「でもね、最初のミーティングで柳さん――三年の副会長が言った台詞聴いて、わたしは西君のことイメージしたの。たぶん“人の上に立つのが相応しい”って、西君みたいな人のこというんじゃないかなって」

「そんなに褒めても飴玉くらいしか出て来ないぞ?」

 そう言って僕は、ポケットに収まっていた非常食のミルクキャンディーを差し出した。途端に牧野は口元を綻ばせる。

「……って、飴玉なんかじゃごまかされません。わたし本気でそう思ってるんだよ? 西君がうちの学校を引っ張ってくれたら――そうだ、秋の会長選に立候補したらいいよ! 他の生徒会役員と違って、会長は独立したポジションなの。最初のミーティングでもだいたい分かったと思うけど、会長は良い意味であの組織から浮いてるっていうか、“一匹狼”タイプっていうか……でもあの会長ってすごく仕事できる人なんだよ。あの人が引っ張ってくれるなら、わたしも頑張れそうって思うし」

「なるほど、牧野があのイケメン会長のファンなのは良く分かった」

「もう、違うって! 確かに尊敬してるけど、そういう意味じゃなくて」

「モチベーションなんて何だっていいだろ? 自分の夢のためでも“恋愛”のためでもさ。それが結果的に皆のためになるなら」

「う……そう、だけど」

 もごもごと口ごもって、俯いてしまう牧野。

 タフなように見えて繊細な牧野は、たぶん自信を失っている。例の柳副会長の仰々しい演説のせいか、「自分は生徒会に相応しくないのでは」と。

 この手の性格はうちの妹にも共通するから、対処法はもう分かっている。抱えたストレスを溜めこまないうちに吐き出させること。そしてとにかく笑わせてやることだ。

「まあ、あまり考え込まないで挑戦するだけしてしてみろよ。僕も牧野が立候補するときは全力で応援する。ウグイス嬢でも何でもやってやるからさ」

「西君がウグイス嬢って、全然似合わないよ」

「そうか? 化粧でもすれば、意外とイケる気がするんだけどな」

 割と本気で言いつつ顎をしゃくる。ツルンとした滑らかな肌触りは、ヘルシーな野菜生活の賜物だ。

 顔つきだって、たいした特徴のないあっさり眼鏡……という自己評価は、もしかしたらちょっと甘過ぎるのかもしれない。

 牧野は「西君が女装ってウケるッ」と容赦なく笑い転げた後。

 目尻に浮いた涙を、桜色の指先で拭って。

「ありがと。西君、優しいね」

 その一言で、空気がスウッとクリアになる。

 トレードマークの笑顔を取り戻した牧野は、ゆっくりと一歩前へ。

 いつもの距離感よりもう三十センチ近づいて……僕の手をそっと握った。

「え……?」

「選挙の練習。どうか、牧野美緒をよろしくお願いします」

「あ、うん、よろしく」

 と、ギクシャク返事をしてしまう僕のヒットポイントは、既にレッドゾーンだ。心臓がありえない速さでバクバクと動きだす。

 皆には『植物萌え』なんて言ってしまったけれど、本当はそうじゃない。僕は三次元の女子を良く知らないだけなのだ。ずっと四次元の方にかかりっきりだったから。

 牧野の手はほっそりしているくせに、触れると温かくて柔らかくて……脳みそがとろけそうになってくる。

「ね、西君」

「ん?」

 一瞬で消えるかと思った手の温もりが、なかなか離れない。手のひらから伝わる牧野の体温が、少しずつ上がっていく。

 そして至近距離で見上げてくる牧野の瞳も、ふっくらとした頬も、艶めく唇も……全てが熱を帯びていく気がして。

 このまま牧野を見てるのは、ヤバイ。

 そう分かっているのに、どうしても目を逸らせない。

「牧野……?」

「西君が誰を見てるのかは、分かってるよ。だけどわたし」

『おはよーマモノ!』

 ――バゴンッ!

 と、脳内に恐ろしい爆音が鳴り響いた。瞼の裏にチカチカと火花が飛び散る。

 あたかも場外ホームランの野球ボールが、僕の頭にクリーンヒットしたかのようだ。いや、ぶつかったのはボールより細長い物体。後頭部の一点が発火しそうなほどジンジンする。

 当然、犯人は分かり切っている。

 史上最悪に空気の読めない、アイツだ。

『朝から女子の手をニギニギして、えっちだね! おさかんだね! こどもでも作るのか? まあうちの子に手を出さない限りは、ジャマしないケドー』

『邪魔してる! めっさ邪魔者!』

 僕の手の届かないエリアまでパタパタ後退する妖精に向かい、思わずオープンマインドで叫んでしまった僕は、まだまだ『三次元の女子』が理解できていない素人だった。今フォローすべきはそっちじゃないというのに。

 牧野の手を思いっ切り振り払ってしまった、という事実に気づくも、後の祭り。

 唖然とした表情で僕の視線を追った牧野は、すぐに見つけてしまった。“妖精”を透かした向こう側に、いつも通り花瓶を手にした和久宮の姿を……。

「いや、違うんだ、僕は」

「――ごめん西君、今の何でもないから。じゃあわたし仕事してくるね!」

「あ……」

 脱兎のごとく逃げ出してしまう牧野。

 朝日の差し込む爽やかな教室には、頭を抱えてしゃがみ込む僕と、クスクス笑う妖精、そしてどことなくふわふわした足取りの和久宮だけが残された。

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