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その6 女子高生を盗撮するマモノ

「で、次はどっち曲がんだよ」

「……あの、ここで結構ですから」

 この問答はもう何度目だろう?

 薄闇に包まれた住宅街の細道で、僕は頼りなく揺れる自分の影へとため息を落とした。

 僕の右隣には、マンションの大家さんに譲ってもらったママチャリ『桜子号』。引いて歩くだけでカラカラと音がする年代物だが、パクられる心配が無いという点でたいへん重宝している。

 買い物に便利な大きめの前カゴには、僕のショルダーバッグではなく、ずっしり重たい本革の学生鞄が。

 その向こう側には、ほっそりとしたもう一つの影。

 大事な花瓶をしっかり胸に抱え、チラチラとこっちを伺いながらついてくる和久宮。幸い貧血は治まったようだし、軽いウォーキング感覚で付き合ってはいるものの。

「本当にもういいです、すぐそこなんで……」

 さすがにしつこい。遠慮がちな感じがむしろウザい。こっちの振ったネタには一切食いつかないくせに、このネタだけは饒舌ってのがまたイラッとくる。

 これが有刺鉄線ガードか。なるほど、気分的にもの凄く消耗させられる。

 一応相手は可愛い女子だとか、また倒れないよう優しくせねばとか……全てがどうでもよくなり、僕はぶっきらぼうに言った。

「あっそ。じゃあ勝手に右行くぞ。僕は生まれついての右曲がり派だからな」

「う……ひ、左です」

「最初から素直に言えっつーの」

「すみません……」

「つーか、同級生なんだしいいかげんその敬語やめてくれないかな。あと僕は南先生に頼まれてんだよ、和久宮がちゃんと家に入るところを動画に撮って送れって」

 全く中途半端な信頼だった。でもその指令がなければとっくに任務を投げ出していただろう。

 南先生が言ったとおり、和久宮はか弱そうに見えて相当な頑固者だ。まるで踏まれても踏まれても折れない野の花みたいに……。

「ん?」

 ちょうどそう思ったタイミングで、通りかかった空き地にあの花を見つけた。

 薄紫色の小花は背の高い雑草に追いやられ、電信柱の影にひっそりと、しかし逞しく咲き誇っている。

 僕はそこで足を止めた。自転車のスタンドを立てて、小花の傍へと歩み寄る。

 和久宮もこのときばかりは文句を言わず、黙って僕についてくる。いや、僕を押しのける勢いで小花の方へにじりよる。

 どんだけこの花が好きなんだ……と、いつもの僕ならイヤミの一つも漏らすはずが。

 今は僕自身が、この花に魅了されていた。ベストポジションを和久宮に譲ってやらないくらいには。

「和久宮、一つ訊いていいか」

「あ、ハイ」

 馴染みの花を見て心が和んだのか、和久宮は珍しく素直に頷く。

「……どうして和久宮は、この花を摘んでくるんだ? 他の花じゃなくて」

 僕はもう一度、空き地全体を見渡した。

 住宅一軒分程度のさほど広くないそのスペースは長年放置されているようで、まさに雑草たちの天国だ。小花の近くには、タンポポなど生命力の強そうな草花が群生している。

 にもかかわらず、あの花に固執する理由は――

「理由は、別にないです」

「……そっか」

 若干の落胆。でもこれは想定内だ。

 もしかしたら和久宮にも“アレ”が視えているんじゃないか、なんて思ってしまった。そんなわけがないのに。

 僕は眼鏡を外し、小花の生えている茂みにジッと目を凝らした。ほどなくして、スウッと女性のシルエットが浮かびあがってくる。ロングヘアの綺麗な女性だ。

 それは一人の幽霊。

 この世への未練や人間らしい欲望の全てが消え去り、澄み切った美しい光を放つ――天使の卵とも呼べるような存在だった。

『あら、珍しい。わたしの姿が視えるのね?』

 オープンマインド。僕は心の声で応えようとする。「貴女はどうしてその花に憑いてるんですか?」と。

 しかしそれをリアルな声が遮った。

 消え入りそうなほど小さい、でもハッキリと意思を含む声が。

「好きなの」

「え?」

「理由はないけど……好きなの、この花が。見てるだけで勇気を貰える気がして……」

 あえなく遮断された、天使に繋がる細い糸。キラキラと輝く光の礫を残し、天使の姿は薄闇の中に溶けてしまった。

 僕はちょっと残念に思いつつも、真っ正面から和久宮に向き合った。

「うん、分かるよ」

「え……」

「僕も好きだな、この花」

 目には視えなくても、和久宮は心で感じているのだろう。あの天使のくれる優しい光を。

 たったそれだけで、少なからぬ親近感が湧いてくる。

 和久宮も似たようなことを考えているのだろうか。今までは決して合わせようとしなかった視線が、今は真っ直ぐ僕へと向けられている。大粒の瞳は大きく見開かれ、ぱちくりと素早い瞬きを繰り返す。

「それって、本当?」

「本当だよ」

「だって、男の人なのに」

「偏見だろ。男だって花くらい好きになるよ」

「でも」

「しつこいな、僕は三次元の女子よりよっぽど植物萌え派なんだよ。お前は聞いてなかったんだろうけど、自己紹介でも『リアル草食男子』って名乗ったくらいだ。趣味は山籠もり、特技はサバイバル生活、特にオリジナルの野草料理は絶品だって」

 我ながら微妙だと思っていたこの特技、都会暮らしのもやしっ子たち(主に男子)には凄まじく新鮮だったらしい。おかげですっかり頼れるアニキ扱いだ。

 そういえば、牧野が話しかけてくれたのも野草料理ネタがきっかけだったなと、関係ないことを思い出したとき。

「本当にそうなんだ……」

 まだ疑うのかよ、と文句を言いかけて僕は固まった。驚きのあまり眼鏡がずり落ち、口が半開きになったまま。

「私も、そうなの。人より植物の方が好き……なんか、嬉しい」

 囁きと共に生まれたのは、花開くような可憐な笑み。

 それは、和久宮が初めて見せた、女の子らしい素朴な笑顔だった。

 真っ赤に染まった頬に浮かび上がる、小さなえくぼ。恥ずかしそうに手のひらで口元を隠す仕草が、やたら可愛らしい。

 僕の中で『良くできたお人形』という第一印象が一気に覆される。和久宮の存在が“三次元の女子”としてクッキリ認識される。

 と同時に、何やら心臓がバクバクと騒ぎだし……。

 ――なんかヤバい! これ以上こいつ見てたら、ヤバイ!

 パッと顔を背けた僕は、その先に思わぬものを見つけてしまった。

 電信柱の陰から、目を爛々と輝かせてこっちを覗き見する一人の美女……もとい、さっきの天使さんを。

『告白? 告白しちゃうの? やーん、ドキドキッ』

 僕はオープンマインド……せず華麗にスルー。再び和久宮に向き直った。

 そして、いつも通りのぶっきらぼうな口調で告げる。

 嘘偽りのない、僕の本音を。

「あのさ、和久宮。学校でもそうやって普通に喋ってろよ。いくら人が苦手っつっても、下手に壁作ると余計目立つんだぞ?」

 瞬きだした星々を背景に、和久宮が僕を見上げる。頬を染め、大粒の瞳を潤ませて。

 これもまた、映画のワンシーンのような光景。しかも今の僕は邪魔者じゃなく、しっかりこの映画の登場人物になっている。

 僕は大きく息を吸い込み、頭の中に浮かんだ台本を読み上げる。

 山田先生の策略に乗せられてしまうのは悔しいけれど……仕方ない。

「勉強する時間が惜しいって気持ちは分かる。でも今みたいにガンガン詰め込むやり方は、かえって効率が悪いと思うんだ。……まあ僕もそういう勉強法なんかは得意な方だし、何なら空いてる時間に勉強見てやってもい」

「イヤ!」

 グサリ。

 想定外のタイミングで飛んできた言葉のナイフが、僕のドキドキフレッシュな心臓をあっさり貫いた。

 思わず胸を抑えてしゃがみ込むと、斜め上からさらなる攻撃が。

『えっち! ヘンタイ! 近づくな!』

「えっち! ヘンタイ! 近づくな!」

 グサグサグサッ。

 もうダメだ。無理だ。立ち上がれない……。

 いつの間にか完全復活した妖精が、和久宮のつむじに仁王立ちしてクスクス嗤う。背後からは、天使さんの容赦ない笑い声も響く。ヒドい。ヒド過ぎる。

 オープンマインド。僕は心の赴くままに言葉の礫をぶつけてやる。

『――ああそうだ、男ってのはえっちでヘンタイな生き物なんだ悪いか! 文句があるなら男を造った神様に言え!』

『はぁー? マモノのくせにカミサマ語っちゃうとかないわー』

『今さら引くな! ……つーかお前さぁ、ちょっとは空気読めよ。さっきの話、割と真面目に言っ』

『あーお腹減った。じゃあまたね、マモノー』

 全く空気を読まない妖精の号令により、和久宮はくるんと踵を返した。そしてふわふわと雲の上を歩くような足取りで、空き地の斜め前にある古びた木造アパートへ向かう。

 今の話、和久宮はどのくらい覚えてくれているんだろう。自転車のカゴからしっかり鞄を取っていくあたり、最低限の理性は残っていそうだけれど……。

 なんて分析は後回し。

 僕はいそいそとスマホを取り出し、錆ついた階段を上るその後ろ姿を動画撮影した。

 まるで女子高生を盗撮するヘンタイストーカーみたいに。

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