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その3 意外なターゲット

 翌朝、僕は和久宮と共に第二保健室を訪れていた。南先生から緊急の呼び出しが入ったからだ。

 内容はもちろん“瀬川副会長”の件。

 メンタルの弱い和久宮にはあまり聞かせたくない話だけれど、犯人かもしれない人物の情報ならば、知らないよりは知っておいた方がマシだろう。

「二年A組、瀬川正博。両親が七年前に離婚してるから、以前の名前は高峰正博。……和久宮さん、聞き覚えはある?」

「はい。私が以前、半年ほどお世話になっていた方です。たぶん、又従兄になるんだと思います」

 怯えを滲ませながらも、ハッキリと語る和久宮の声。

「だけど、正直その方のことは良く覚えていません。私、小学生の頃の記憶があまりないんです。たぶん……辛かったから忘れようとして、本当に忘れてしまったんだと思います。昔から私は、親戚の人たちに嫌われてたんです。“疫病神”って言われて。今の両親に出会うまでは、お祖父さましか優しくしてくれる人はいませんでした」

 花瓶を強く抱きかかえながら淡々と独白する和久宮。

 すっかり血の気を失ったその表情は、本物の日本人形のよう。つむじには、ムギコが泣きそうな顔で止まっている。

「花事件の後、いろいろ思い出したんです。そういえば私のあだ名って疫病神だったよなぁ、きっといっぱい恨まれてるなぁって……私が傍にいるだけで、その家に悪いことが起きたから。たぶん瀬川先輩のご両親が離婚したのも私のせいで」

「――関係ない」

 反射的に、口を挟んでいた。

 人形の顔をしていた和久宮が、その一言で感情を取り戻した。つぶらな瞳が戸惑いに揺れ、みるみるうちに涙が浮かんでいく。

 僕は念を押すように、もう一度告げた。

「そいつらの事情にお前は一切関係無い。だいたい、小学生の女の子が離婚原因ってアホかっつーの。あと疫病神っていうのも嘘っぱちだ。なぜなら今この僕が最高にハッピーだからな」

「でも、怪我させちゃって、おうちにお邪魔して、いっぱい迷惑かけて」

「二人分の飯は美味い。圧力鍋がフル稼働してる。……それだけで充分だ」

 我ながら説得力の無い台詞だった。でも本当のことはさすがに言えない。

 可愛い女の子が傍にいてくれるのが何より一番の幸せだ、だなんて……。

『可愛い女の子が傍にいてくれるのが何より一番の幸せだ』

「可愛い女の子が傍にいてくれるのが何より一番の幸せだ」

 ……。

 ……。

 ……今誰かが、ものっそい恥ずかしい台詞を言った気がする。

 幻聴? もしくは僕の心の声?

 だとしたら、目の前で真っ赤になってプルプル震えている和久宮は何なのか。その脇で笑いを堪えてプルプルしている南先生は……。

 和久宮の頭にいたはずのムギコが見当たらない。そして僕の頭がツンツンされている。

 ということは。

『……ムギコ、僕のこと操ったなッ』

『だって、ケーヤクしたでしょ? マモノもあえかを幸せにするって。マモノがそう言ったら、あえかは幸せみたいだから言ってみた』

『そういうことは心の準備ってもんがあんだろーがぁぁぁぁ――!』

 空気の読めない羽虫を捉えるべく、右腕を自らの頭上に伸ばしかけた僕は、無意味に片手を上げたポーズのまま固まった。

「あの、ありがと……」

 正面からふわんと飛んできた、綿菓子みたいな甘い声。

 僕は口を半開きにしたままそれを傾聴するのみ。

「私も、今が一番幸せだよ。西園寺君と一緒にいられて……」

 ……。

 ……。

 ……南先生、忍び足で部屋を出て行こうとするのはやめてください。

「と、ともかく、瀬川の奴に和久宮を狙う動機がありそうなことは良く分かった。選挙が終わるまで、あいつの動きには要注意ってことで。うちの住所も割れてるし、最悪“同棲”って噂になるのは覚悟しとけよ?」

「うん、分かった」

「あんまり悪い噂が立つようなら、桜子さんに出張ってもらおう。何らやましいことはないって証明してくれるから」

「いいじゃない、別にやましいことがあったって。人間だもの」

 再び忍び足で戻ってきた南先生が、ニヤニヤしながら悪魔の囁きを落とす。僕は溜め息混じりに正論を返した。

「……人間である前に、今は同じクラスの生徒ですから」

「でもホントはギュッてしたりチュッてしたりしたいんでしょ? ん? どーなの?」

 ……南先生、やめてください。和久宮が鼻血吹きそうです。

 ていうか、この人絶対わざとやってる。

 まあそれが、南先生なりの和久宮に対する『情操教育』だってことは理解できなくもないけど……。

「いずれにせよ、和久宮の身の安全が第一です。僕だって四六時中ボディーガードできるわけじゃありませんし、もし変なヤツがうちに現れたときは相談しますから」

「分かった。そのときは警察へ行きましょう。和久宮さんのことも責任持ってうちで匿うわ。その間、同居人は追い出すから気にしないでね」

 という、南先生の頼もしい一言でミーティングの幕は下りた、はずが。

「まあ、あまり若い二人の邪魔はしたくないけど。そろそろ和久宮さんにも保健体育の授業が必要かしらね……フフフ」

 その瞬間、のぼせ切った和久宮がくらりと倒れた。


 ◆


 立候補締め切り、二日前。

 瀬川副会長のもたらした不気味な予言を警戒し、僕はなるべく学校でも和久宮に張りついていた。

 そんな中、奴は動いた。

 あたかも僕の行動を全て見抜いていたかのように。もしくは、こうなることを最初から分かっていたかのように……。


 昼休み、第二保健室で弁当を食べ、そのままカウンセリングを受けるという和久宮を残して教室へ戻ると、何やら騒ぎが起きていた。

「何言ってんだよ!」

「ふざけんな!」

 整然と並んでいたはずの机がぐちゃぐちゃになっていた。クラスメイトたちは誰かを取り囲み、容赦ない罵声を浴びせている。

 僕は彼らの目を覚まさせるべく、あえて声を荒げた。

「何やってる! 関係無い奴らは席に戻れ、当事者だけここに居ろ!」

 一ヶ月前とは違う、新米委員長ではなくなった僕の声に、皆はしぶしぶと従った。

 教室の中央に残されたのは、数名の女生徒たち。

 メインは中等部持ち上がり組の女子――最初はアンチ和久宮だったやつらだ。しかしその先に蹲るのは和久宮じゃなく、意外な人物で。

「……牧野?」

 スカートが汚れるのも気にせず、牧野は埃っぽい床にへたり込んでいた。

 力無く俯いた横顔にはとっくに涙の筋が何本も生まれ、乾く端から流れていくのが分かる。僕を認識しているだろうに、決して合わせようとしないその視線が向かうのは、握りしめている一枚の紙だった。

「委員長、別にうちらは牧野に何か暴力振るったりしたわけじゃないから」

「とにかく見てやってよ、ソレを」

 皆に促されるまま、僕はゆっくりと牧野に歩み寄った。そして牧野の手から、ぐしゃっと潰れたその紙を強引に奪った。

 皺を伸ばし、プリントされた細かい文言に目を走らせた瞬間、全ての事情を理解できた。

「懇親会のお知らせ、か。生徒会の選挙打ち上げ用だな。これがどうした?」

 努めて冷静に、穏やかな口調で問いかける。だんまりを決め込んだ牧野に代わり、女子グループの一人が説明した。

「さっき、あたしの机の中に入ってるの気付いたんだ。最初は牧野の机と間違えて誰かが入れたんだろうなって思ったけど……それ良く見たらおかしくない? だって『参加費無料』って書いてあるのに、場所は牧野のお店でしょ? あそこ普通のランチでも五千円以上するのに、どうして生徒会の面子が無料で使えるの?」

 しごく真っ当な糾弾だった。

 ただ重箱の隅をつつけば、今まで見て見ぬふりをしてきた悪しき慣習が、ようやく露呈したというだけのこと。

「お前らが怒ってる理由は良く分かった。ただちょっと落ち着け。牧野の話も聴いてやりたい」

 基本的に皆は善良な人間だと思う。でも義憤にかられると暴走する。多人数で団結すればなおさらだ。

 湧き上がった怒りは行き場を求めて渦を巻く。

 泣き崩れた牧野の姿は、なんと嗜虐性をそそることか……。

「牧野、泣かないで話してみろよ。どういうことだ?」

「……言うことなんて、何も、ないよ。わたしが悪いの……」

 短くしゃくりあげながらも返事をする牧野。暗く澱んだその声は、教室を暗闇へと導いて行く……否。

 確かにこの教室は暗い。真っ昼間だっていうのに、他の教室に比べて暗いんだ。

「おい、ちょっとそこにいる奴、教室の電気消せ!」

「は?」

「いいから早く! あと皆このまま動くなよ、一分だけ固まってろ!」

 意味不明な捨て台詞と共に、僕は教室を飛び出した。そして用具倉庫からいつもの脚立を取り出す。今まで二回、僕自身もお世話になったそれを教室後方に設置し、慎重に作業を行う。

 一本の、毛色が違う蛍光灯を抜きだす。

 僕の放つ殺気に気押されたのか、皆は静かに僕の行動を見守る。渦中の牧野でさえ、伏せていた瞼を上げて。

 蛍光灯の縁、ソケットに差し込む部分を良く見れば、小さな黒い穴があいている。その中には、ありえないほど小型で精密な、怪しい装置が組み込まれていた。

 ――盗聴器だ。

「牧野、これを取りつけたのはお前だったな。確かゴールデンウィーク前に」

「そう……だけど、違う、わたしは」

「誰に頼まれた? この作業も、懇親会の手配も」

 一瞬目を見開いた牧野は、小さく首を横に振った。「そんなわけない」と自分に言い聞かせるように。

 そして。

「皆、ごめんなさい」

 掠れ声でそう呟き、頭を下げ、人の輪を強引にかきわけて走り去った。

 教室に残された皆が抱くのは、苦い罪悪感と、不気味な怖気。

 誰が何のために、この教室に盗聴器なんてものを取りつけたのか……僕には分かっている。犯人が誰なのかも、その目的も。

 奴は視ている。蛇のように舌舐めずりしながら僕たちのことを。

「絶対、許さない……!」

 大事な証拠品ということは頭から抜け落ちていた。僕はその装置を渾身の力で踏み潰す。

 グチャッという破砕音と同時に、周囲からため息が零れた。皆は声を拾われるのを恐れて息を詰めていたのだ。

 ここにいる全員が被害者だ。

 そして、牧野一人を加害者扱いするのは間違っている。そんな信念を持って、僕は口を開いた。

「まだ入学したばかりの牧野が、何かできるわけがない。全部“上”からの命令だろう」

 すると、渦中の女子が噛みついた。

「そうかもしれないけど、牧野んちにも利益があることは確かじゃん! それに和久宮さんの事件だって、犯人は牧野じゃないかって噂が――」

「あー、ちょっと待て」

 饒舌になりかけた彼女に無理やり楔を打ち、僕は首を横に振った。それ以上口にしちゃいけないと。

 この噂を流した犯人も、僕には分かってる。

 ただ証拠が無い。有罪にしろ無罪にしろ、決定的な証拠が。

 となれば、ジャッジするのはここにいる生徒一人一人の気持ちだ。

「皆はこの教室で、牧野を見てきただろう。不確かな噂と、お前らが実際その眼で見た牧野の姿、どっちを信じる?」

 シン、と静まりかえる教室。

 皆それぞれに思うところがあるんだろう。やり場のない怒りをぶつける相手を失い、視線を彷徨わせるばかり。

 さっきの女子が、ポツリと呟いた。

「だけど、生徒会のことは許せない。片棒担ごうとした牧野のことも」

「だったらお前は逆らえるのか? 部活の先輩からの“頼まれごと”を」

「……ごめん、逆らえない、と思う」

 素直に認めた彼女に、僕は頷き返した。

 そして心のままに告げる。全身全霊、嘘偽りの無い感情を。

「問題は今の生徒会の体質にある。自分たちの意のままに動く後輩を引き入れて、洗脳して、予算を不正に流用して……そんなくだらない組織、ぶっ潰してやる……!」

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