その4 狐と蛇との騙し合い
ゴールデンウィークを目前に控えた、四月最後の金曜日。
僕は牧野と共に校舎の階段を上っていた。目的地は、生徒会室の隣にある小会議室。
入学直後に一度だけ顔を出してそれっきりの、生徒会ミーティングに顔を出すためだ。
「西君が一緒に来てくれるのは嬉しいんだけど……でも、どうしていきなり?」
人気のない階段の踊り場で、牧野が尋ねた。
軽く小首を傾げるだけで、さらりと揺れるショートカットの黒髪。大きな瞳をいぶかしげに細めて僕を見つめてくる。
こうして怪しまれるのも無理はない。僕は生徒会に対してとことん無関心を貫いていたから。たぶん牧野がいなければ、話題にすらしなかったはず。
その無関心さは、僕だけじゃなく生徒全体にもまん延している。だからこそ、会長が憂えるような仕組みができあがってしまったわけだ。
僕は「どうして?」の問いかけの論点をずらし、こんな返事をした。
「もう一回、選挙の仕組みが知りたいと思ってさ。今年は何人立候補するんだ?」
「ちょうど十人かな。役員推薦付きで、たぶん各クラスから一人出ると思う。会長は誰も推薦しないって言ってたし、クラス内での調整も楽だったみたい」
「その役員推薦ってヤツ、牧野も貰えるんだよな?」
「うん、副会長の柳先輩がくれるって。でもわたしが狙ってる役職は会計なんだけどね」
なるほど、と頷きながら、僕は頭の中に役員リストを描いていく。
生徒会長――このポジションは独立して強い権限を持つため別枠。例えるなら大統領みたいなものだ。
副会長以下の役員は、学年をずらした最低三人がタッグを組む。仕事量の多さもあるが、その方が引き継ぎの効率が良いからだ。
会長一名、副会長二名、書記四名、会計四名。今の生徒会はこの十一名で成り立っている。
そこに加わる新入生は五名。
推薦は十名に出るから、推薦組だけでも半数は落選することになる。決して一般生徒の投票も疎かにできない。
「あと一応確認なんだけど、『役員推薦なし』の生徒も選挙に出られるんだよな?」
「んー、たぶん居ないと思うよ。もし出たいと思っても条件的に厳しいんじゃないかな、二百人の推薦人集めるって。全校生徒の一割だもんね」
「そりゃそうだな。まあそういうルールに設定したのも、クラス委員だけのインターン制度も、全部“出来レース”にしたいからってことだろーな……」
僕の感想に、牧野も苦笑を漏らすのみ。そのレースに参加できた側の立場からすると、複雑な気分になるのも分かる。
結局、生徒会に入れるかどうかは『入試の成績』でほぼ決まってしまう。クラス委員になれるかどうかで。
無事インターンをこなして、役員からの推薦を貰えることになったとして、次のハードルはいかにクラス外からの票を引っ張れるか……これも『推薦人』の威光で決まる。
十一月の本選挙はともかく、五月の補欠選挙など上級生はほぼ無関心だ。となると、特定の部活動などの組織票が勝敗を分ける。
つまり、生徒会役員の中でもより権力の強い“副会長ポスト”の二名――三年の柳先輩、腰ぎんちゃくこと二年の瀬川先輩からの推薦を貰えれば、勝利はほぼ確定となる。
そして組織票を投じた団体には、予算の増額など口約束が交わされている、と思われる。
「……やっぱ生徒会ってうぜぇ、めんどくせぇ、ちょー帰りたい」
「アハハ、頑張れ一匹狼くん」
ポンと背中を叩かれ、僕は口をへの字に結んだままその部屋に足を踏み入れた。コールタールみたいにドロドロした、欲望が渦巻くその場所へ。
すると一秒後、さっそくドロッとした塊がやってきた。
「牧野君、待ってたよ! 例の懇親会の件なんだが……っと、君は?」
「一年A組の西園寺です。三年の柳副会長ですよね、ご無沙汰してます」
無視されなかっただけマシなのか、それとも虫扱いでスルーされた方がマシなのか。
柳先輩は、まさに苦虫を噛みつぶしたような、という顔をして僕を睨みつけた。身長で負けているのを気にしてか、ちょっと踵を浮かせて。
ビジュアル的には、僕と同じく草食系眼鏡男子……のはずが、あちこちに不自然さを感じる。無理やり無造作に仕上げた髪型とか、流行とはいえ太すぎる眼鏡フレームとか。
顔立ちはキツネ系。小ざっぱりとして清潔感はあるものの、その分神経質っぽい印象も与える。
実際この先輩は、神経が細かいと思う。
「ああ思い出したよ。確か生徒会に入ったら『トイレの清掃』をしたいと主張していたのが君だったね」
「清掃じゃなく改装ですけど」
「分かってる、わざとだ。清掃の方が君には似合うと思ってね」
……というネチネチした会話に、牧野を遠ざけてまで持ち込むあたりが。
まあサシでの会話は、こちらも好都合。
会議室の隅、午後の柔らかな日差しが当たる窓辺の一画で、僕は密かに計略を進める。
「ところで今さら君は何をしに来たんだ。もうあらかたの仕事割り振りは済んでる。雑用はトイレ掃除くらいしか残っていないぞ」
「牧野のサポートですよ。そろそろ選挙も近いですからね」
「ああ、なるほど。牧野君のためにウグイス嬢を引き受けるとか言ったらしいね。楽しみにしているよ」
ククッと喉を鳴らして笑う柳先輩。まさに『狐目の男』という感じの、いやらしい笑顔だ。
その程度の嫌がらせで激昂するような人生は歩んでない。
でも、ちょっとくらい反撃したくなるような人生は歩んでいたりする……。
僕は軽く周囲を伺った後、柳副会長の肩に手を置き、耳元にそっと囁きかけた。
「それで、柳副会長はどうするんです? 立候補するんですか?」
「な、何の話だ」
「会長代理ですよ。出るんですよね? そうしたら副会長の席が一つ空きますけど、その人員はどうするんです?」
カマをかけるにしては飾り気のない台詞。それが返って胡散臭さをマスキングしてくれる。
柳先輩は一瞬ビクッと震えたものの、すぐにいやらしい笑みを取り戻して。
「フン、随分と耳が早いな。だが今さらのこのこ顔を出しても、時すでに遅しだ。既に副会長の後釜は決まっている」
「そうですか、それは残念」
「本当は牧野君に引き受けてもらいたかったんだが、まあ仕方ない……」
ことさらネチッとしたその一言に、僕はピンと来た。
コイツ、牧野のこと狙ってやがる……。
そう察したところで、僕にはそれ以上踏み込む理由も権利もない。もしコイツが紳士らしからぬ振る舞いをしたなら話は別だけれど、今のところは黙って引くしかない。
胸にチリッとした痛みを感じつつも、理性でそれを抑えつけた直後。
「――柳さん、なぜこんなヤツと話してるんです?」
二年の副会長である瀬川先輩が、いかにも腰ぎんちゃくらしいカットインをしてきたため密談終了。柳先輩は「せいぜいウグイス嬢を頑張りたまえ」と高笑いしながら立ち去った。
残った瀬川先輩の方は……僕の肩にするりと指先を這わせ、感情の視えない蛇のごとき眼差しで囁いた。
「貴様、何を企んでる……?」
その瞬間、背筋にゾクリと怖気が走った。
瀬川先輩は、良く見るとシャープで整った顔立ちをしている。なのに、そんなことを感じさせないくらい陰鬱な空気を醸し出す。見つめられるだけで沼地に引きずり込まれそうだ。
「ウグイス嬢の件なら、まだ具体的には考えてませんけど?」
絡みつくようなその視線から逃れるべく、僕は一歩後ずさりした。表面上は穏やかに、おどけた笑みさえ浮かべて。
すると瀬川先輩は無言のまま僕をジッと見据えた後、無言のままくるりと踵を返した。
ほっそりとした後姿が人混みに紛れたのを確認し、僕はホッと一息。
アイツは単なる腰ぎんちゃくじゃない、もしかしたら柳先輩をも凌ぐ実力者かもしれない……そんな情報を脳内にインプットした。
それから顔見知りの他クラス男子に挨拶し(女子にはなぜかちょっとビビられ)、ミーティングが始まる五分前に牧野の隣へ着席。
牧野はB組副委員の女子と楽しげにお喋りしていて、その表情には一点の曇りもない。ドロドロと澱んだ空気の中、一服の清涼剤といった爽やかな横顔を見つめながら僕は思った。
牧野はまだ、会長の離職を知らない。
当然、僕と会長の密約も……。
僕が突然「会長推薦で立候補するからウグイス嬢はできない」と言ったら、牧野はどんな顔をするだろう。また泣かせてしまうかもしれない。「嘘つき」と罵倒されるかも。
ネガティブな想像に、胸がギリッと締め付けられる。
でも柳副会長以下、出来レースにあぐらをかいてる奴らを出し抜くためにも、情報はギリギリまで抑えておくべきだ。
さっきのカマかけだけでも危ない橋だった。いくら牧野が信用できるヤツだとしても、真相を話したならきっと動揺する。切れ者の瀬川先輩あたり、牧野の態度から何かを察してしまうかもしれない。
もうしばらく、僕はトイレ改装を望むアホキャラでいよう。
あとは牧野にうんと優しくして、少しでも裏切り前の貯金を溜めておこう……。




