その1 新米委員長の悩み
「おっす委員長。なんか俺の机ガタつくんだけど、交換できないかなぁ」
「委員長、頼む、宿題見して! 代わりに漫画貸すから!」
「あのさぁ委員長、オレの悩み聴いてくんね……?」
かの聖徳太子は、同時に七人との会話ができたらしい。
しかし僕には三人が限界だった。
「――机の交換は後で用務員さんに依頼しとく。宿題は分かんないとこだけ聞きに来い、漫画は遠慮なく借りる。悩み相談は深刻ならカウンセリング室行け、そうじゃないなら昼休みにじっくり聴いてやる」
教室に足を踏み入れるやいなや、わらわら寄ってくるクラスメイトたち(全員男子)を次々と捌き、朝っぱらから走り回った結果、ようやく始業五分前に着席できた。思わずぐったりと机に突っ伏してしまう。
と、耳元に軽やかなクスクス笑いが届いた。
「おはよう、西君。相変わらずの手腕だね」
「あー、牧野か……おはよ」
のそりと顔を上げてみれば、そこにはショートカットが良く似合うボーイッシュな美少女、牧野美緒がいた。
すらりと長い腕を机につき、くっきりしたアーモンド形の瞳を猫のように細めて、僕を斜め上から見下ろしてくる。その眼差し一つで、チューイングガムのCMみたいに、澱んでいた周囲の空気が洗われていく。
「西君のおかげで、副委員のわたしには全然仕事回って来ないんだもん。ホント助かってます。肩でも揉んであげよっか?」
薄い桜色のマニキュアが塗られた指先が、すっと伸ばされる。
僕は咄嗟に身体をのけ反らせて。
「べ、別にいいよ。そこまで疲れてないし」
と、根暗な感じで拒絶してしまうあたり、まさに草食系眼鏡男子……。
こんな時「マジで? じゃ頼むわ」と軽く答えられたら、どんなにハッピーな人生が送れることだろう。三次元の女子(家族以外)から公衆の面前で肩をモミモミされるなんて、まさに夢のようなシチュエーションだというのに。
「遠慮しなくていいよ?」
「いや、平気だし」
反射的に断ってしまう自分が憎い……。
でもあと一回誘われたらオーケーしよう。これは僕自身の気持ちうんぬんではなく、かの有名な三国志における“三顧の礼”に倣ってだな……。
と密かな決意をするも、牧野はその手をあっさり引っ込めてしまった。そして制服の青いリボンタイをいじりながら、恒例のクスクス笑い。
「西君のそういう真面目なとこ、わたし好きだなぁ」
「……あ、あんまりそういうこと言うな。誤解を招く」
「いいよ、わたしは。誤解されても」
ブスリ。
言葉のナイフならぬ、言葉の弓矢が心臓に突き刺さった。この手の攻撃に耐性が低い僕のヒットポイントは既にレッドゾーンだ。
入学してから早一週間。皆が僕を「委員長」と呼ぶ中で、牧野だけはちゃんと名前を呼んでくれる。しかも「西園寺君だと長いから“西君”って呼ぶね!」とニックネームなんてつけてくれたりして。出会ってすぐにそんなことを言われたもんだから、僕は『東京の女子ってスゲェェェ!』と心の中で叫んでしまった。
……でも、誤解しちゃいけない。
牧野の優しさは僕にだけ向けられるわけじゃない。これは男女平等かつ分け隔て無い『人類愛』なのだ。
それを『八方美人』と揶揄する声も聞こえるけれど、誰に対してもオープンマインドな牧野は、僕にとって充分尊敬できる存在だった。
まあ、そんな牧野にも“天敵”といえる相手がいるのだが……。
「それで、アイツの方はどんな感じ?」
「んー、一応『おはよう』って挨拶すると、ちっちゃい声で返事はしてくれるよ。それ以上はまだ厳しいかなぁ。あんまり目も合わせてくれないし」
ヒソヒソ声で報告し、牧野はふわりと視線を泳がせた。つられて僕もそっちを向く。窓際最後列、眩い朝日が差し込む教室の特等席へ。
そこに座っているのは、一人の小柄な少女だ。
騒がしいクラスメイトたちとは一線を画し、彼女は一人黙々と勉強している。紺色のブレザーにさらりとかかる、絹糸のような長い黒髪。俯くとその髪が頬に落ちて、周囲と彼女を隔てるカーテンになる。
いや、カーテンなんて生ぬるい物じゃない。あれは有棘鉄線だ。
ぼんやりと、そんなことを考えていると。
「……そんなに気になるの? “あえかちゃん”のこと」
「え」
「だったらわたしなんかに頼まないで、自分で声かけてくればいいのに」
唇を尖らせた牧野が、なぜかジト目でこっちを睨みつけてくる。僕が言葉に詰まっていると「まあ別にいいけど」と不機嫌そうに言い放ち、短過ぎるスカートを翻して走り去ってしまった。
一瞬、パンツが見えそうだった。
……というアレはさて置き。
牧野が居なくなり、再びどんよりし始めた周囲の空気。僕は行儀悪く頬杖をついたまま、窓際最後列を見やった。
……気になるかと言われれば、気になる。
山田先生からあんな話を聞かされなくても、たぶん気になっていたと思う。
「和久宮あえか、か……」
古語で“儚いもの”をさす「あえか」という名の通り、彼女はガラス細工みたいに繊細な女の子だった。
透き通るような白い肌も、幼さを残すつぶらな瞳も、紅を引いていないのに赤い唇も……全てが危うげな儚さに満ちていて、周囲の視線を否応なく引きつける。
まるで良くできた人形。もしくはおとなしく慎ましやかな生粋の大和撫子。
そんな彼女の第一声は、かなり強烈だった。