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その1 ひび割れた心

 昨夜、テープと包帯でガチガチに固めてもらったのが功を奏したらしい。

 第二保健室で肩の包帯を解いて貰った僕は、一言。

「うん、痛くない」

「えッ嘘でしょ? 本当は痛いのに無理してんでしょ?」

「してませんよ。そもそもそんな嘘つく理由もないですし」

「絶対負けられない試合があって登板したいとか」

「ないです。僕、帰宅部だし」

 あまりにショックだったのか、「こんなのありえない、亜脱臼が一晩で治るなんて……どうして? 患者がヘンタイだから?」とかぶつぶつ言い続ける南先生。その隣では、丸椅子にちょこんと腰掛けた和久宮が、安堵のため息を吐いている。

「僕、昔から傷の治りは早い方なんですよ。新陳代謝が良いんだと思います。あとたぶん」

 自家製オリジナルレシピの丸薬が効いたのでは……というあやしい一言は控えておいた。

 すると南先生は、

「そうよ、私の華麗なるテーピング技術のおかげね。こう見えて整体の学校じゃ“ゴッドハンドクラッシャー”って恐れられてたくらいだし」

 ゴッドハンドをクラッシュしたらマズイんじゃ、というツッコミも控えておいた。せめてテープ貼り直しが終わるまでは。

「ハイ終了。どんな感じ?」

「あ、すっごい楽です」

「痛みを感じないにしても、なるべく動かしちゃダメよ? 特に筒状の物を上下に動かしたりする行為は厳禁!」

 確かに腕はいいと思うけど、その性格には問題あり過ぎなんじゃなかろうか。

 良く良く考えると、いくら人気の少ない特別校舎だからって、こうも他の生徒が寄り付かないのは……。

「ついでに背骨の整体もゴキッとやってく? 身長十センチくらい伸ばしてあげるわよ?」

 カウンセラーの眼力で何かを察した南先生が、両手をわきわきさせる。僕はすかさず立ち上がった。

「じゃ僕はこれで。後よろしくお願いします」

「あ……」

 こぼれ落ちたか弱い声の主は、もちろん和久宮だ。捨て犬みたいに寂しげなこの声色は、和久宮のメンタルを如実に現している。

 僕は上着を羽織りつつ、横目でチラッと和久宮を観察した。

 今日の和久宮はかなり顔色がいい。昨夜はぐっすり眠れたようだし、僕が適当に作った和風の朝定食も「おいしい」と残さず平らげた。胸ポケットには押し花もあるし、妖精も元気いっぱいに飛び回っている。

 例の隣人ストーカーに関する報告も終わった。

 南先生は昨夜のうちに奴の個人情報を押さえたようで、「地獄をみせてやる……」なんて頼もしいお言葉を吐かれていた。奴があのボロアパートから引っ越す日も近いかもしれない。

 奴が花事件の犯人かはどうかは不明だけれど、ひとまず落ち着いたことは確かだ。

 あとは和久宮の心のケアを兼ねたカウンセリングのみ。

 よって、僕の出番は終了。

 ……だというのに、この後ろ髪を引かれる感覚は何なんだろう。

 もう一度チラリと和久宮を覗き見ると、タイミング良く目が合った。お互い弾かれたように顔を逸らす。

 何となく、昨夜のえっちなアレの余韻が漂っている気が……。

 朝食のときも、新婚さん的な匂いがした気が……。

『むっ、何やらえっちなニオイ』

 と、妖精が鼻をひくひくさせたので、僕はそそくさと退散した。


 ◆


 教室に向かう間に、僕は頭の中を整理する。

 昨日のストーカー野郎は、本当に花を荒らした犯人なんだろうか?

 確かに隣人なら、和久宮があの場所で花を摘んでいる姿も目にしているはず。でもそこを荒らしたとしても、奴にメリットはほとんどない。昨夜のように部屋へ上がり込もうとする方がよっぽど楽だし効果的だ。

 では、花を荒らした犯人が別にいるとしたら?

 そいつは和久宮に恨みを持つ者とみて間違いない。

 以前、和久宮に告白して振られたという男子の誰かだろうか。それとも和久宮のことが気に入らないと陰口を叩いていた女子なのか。

 昨日のリアクション的には、和久宮にも心当たりがありそうだった。そのあたりは南先生がカウンセリングで聞きだしていくだろうし、報告を待とう。

「つーか、そもそも和久宮は狙われやすいんだよなぁ……」

 ファンクラブなんてものができるほどの容姿に、ふわふわと浮世離れしたあの性格。今後も無駄に目立ちまくったり、恋愛がらみのトラブルに巻き込まれるのは避けられない気がする。

 でも、今みたいに僕がべったり張り付き続けるのはどうなんだろう……?

 昨夜うちに連れてきたことは、緊急避難ということで南先生も納得してくれたけれど、さすがにこのままってのはマズイ。

 というか、僕の行動は既にクラス委員の範疇を越えている。お節介は僕の性分だけど、あまり過保護になり過ぎるのは相手のためにならない気がする……。

「うーん、いったいどうするべきか……」

「あれ、西君?」

 悶々と悩みつつ教室に一歩足を踏み入れると、軽やかな声が滑り込んできた。

 と同時に、ガチャガチャという鈍い金属音が。

「おはよう牧野……って、どうしたよ、脚立なんか持ち込んで」

「蛍光灯、取り替えてたの。この一本だけね。生徒会でLEDのテストするからって」

「そういう危ないことは僕がやるって」

 と、うっかり過保護系発言をしてしまったものの。

「何言ってんの、怪我人のくせに。大丈夫、私けっこう運動神経良いんだから。その怪我が治るまでは、クラスの力仕事は任せてね!」

 キラキラと輝く太陽みたいな牧野の笑顔。

 眩しさに目を細めながら、僕は呟いた。

「牧野って、カッコイイよなぁ」

「アハハ、それ良く言われる」

 細くしなやかな腕で、錆び付いた脚立を豪快に折りたたむ。その際に膝を立てるから、スカートが捲れてパンツが見えそうになる。

 自ずと僕はその美しいふとももに目を奪われる。これは非常に目の保養、いや目の毒だ。

 思い切って、素朴な疑問をぶつけてみた。前から薄々感じていたけれどあえて口にしなかったことを。

「牧野って電車通学だよな。そんな短いスカート穿いてて、痴漢にあったりしないのか?」

「何よいきなり……まあ、痴漢は出るよ、けっこう日常茶飯事で」

「え、マジで? どーすんの?」

「普通に逃げるけど。場所移動したり、鞄でガードしたり、あんまりしつこいときは腕掴んで『やめてください』って言ったり」

「……確かに普通だな」

 普通過ぎてツッコミを入れる隙がない。

 僕がうーんと唸っていると、脚立を畳み終えた牧野がポロッと漏らした。

「……そういうところ、あえかちゃんとは違うかもね。あの子って普通じゃないし」

 珍しく、チクッと棘を感じる発言だった。

 外した蛍光灯の前にしゃがみ込んだ牧野の横顔は、さっきまでの明るさが一転、分厚い曇り雲に覆われている。

「だって普通なら、昨日みたいなことにはならない。体調が悪いなら学校休めばいいってだけのことでしょ。もし途中で具合悪くなったとしても、電話通じるようにして、早めに誰かに助けてもらえば……」

「それはもう済んだことだし、和久宮も反省してるから」

「西君は分かってない。あの子、何か変だよ!」

 もうやめとけ、と諌めようとした言葉が、寸前で凍りついた。

 俯いた牧野の目尻に、今にも零れ落ちそうな涙を見つけて。

「最初から、そう思ってたの。あの子が自己紹介であんなこと言ったときから。普通に大人しくしてれば、誰もそこまで構ったりしないのに、自分で目立つようなことしてトラブルを引き寄せて。なのにどうして……」

 古びて薄汚れた蛍光灯。それを強く握り締める牧野の手も、埃にまみれていく。

 僕には止められなかった。牧野の心のひび割れを。

「どうして西君が、こんな目にあわなきゃいけないの? 西君だって勉強も一人暮らしも大変なのに、毎日あの子の世話ばっかりで怪我までして……もうやだ! やだよ……」

 ついに決壊した牧野の涙腺。紅潮した頬を透明な雫がつうっと流れていく。

 泣かせてしまったというのに、ほんの少し嬉しく思えてしまうのは、きっと僕の性格が悪いせいだろう。

 まだ出会ってからたったの三週間。それでも僕のために真剣に怒って、涙まで流してくれる人がいる。四次元の皆との優しくて穏やかな関係とは違う、熱くて激しいマグマみたいな感情に……僕は感動していた。

「牧野、泣くなよ」

 ブレザーのポケットからハンカチを取り出し、牧野へ差し出す……その手が、グイッと引かれた。

 気づけば僕は、牧野の腕の中に閉じ込められていた。

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