その4 ちっぱいは正義
放課後、僕は隣接する商業科の校舎へ向かっていた。一つのミッションを完遂するべく。
頭に叩き込んだ校内見取り図及び、ターゲットの特徴を再確認しつつうろうろすること五分。目当ての人物を発見。
ターゲットリンクされた男子生徒は、僕の姿を認識するや脱兎のごとく逃げ出した。
当然、見失うようなヘマはしない。ロックオン!
「うわッ、こっち来んな! 俺は関係な――ぐぼぁッ!」
リノリウムの床をぎゅーんとスライディングして奴にタックルをかました僕は、逃げられないようがっちりとヘッドロックを決めたまま、男子トイレの個室に引きずり込む。
薄暗く小汚いその場所は、いかにもいじめの温床になりそうな空気を醸し出していた。この『裏稼業』にはおあつらえ向きだ。
「商業科二年F組、場更一先輩ですね?」
「いいい、いったい何のつもりで、こんなコトをッ」
「分かってるはずですよね? 僕を見て逃げ出したってことは」
便器の上に腰を落とし、ガクガクと震える場更先輩。若干ぽっちゃりしたタヌキ顔には玉のような汗が浮かんでいる。
僕はニッコリと微笑んだ。もちろん営業スマイルじゃない、本気の笑みだ。
「確認したいことがあります。上着、脱いでください」
「……ッ!」
ブレザーの胸元を必死で隠そうとする場更先輩。その動きを読んでいた僕は、一瞬早く掴み取った。左胸の内ポケットに収まった生徒手帳を。
それを奪われると同時、場更先輩はがっくりと項垂れた。
挟み込まれていたのは一枚のラミネートカードだ。僕はそれを抜き取り、読み上げる。
「“あえかたんのちっぱ……身体的成長を見守る会”会長・一文字バサラ。これはご自身の物で間違いありませんね?」
「……ああ、そうだ」
「会員数は約五十名、主に商業科二年男子が中心。活動内容は、和久宮あえかのちっぱ……身体的成長をチェックすること。合ってますか?」
「お、俺たちは別に何もしてない、ただあえかたんをこっそり見てただけだ! 俺たちだけじゃない、『わくみゃんFC』も『あえか親衛隊』も――」
「言い訳を聞くつもりはありません。普通科一年A組クラス委員、西園寺冬夜の名において命じます――今後、和久宮あえかへの直接的接触は一切行わないこと」
「ぐふ……ッ」
僕の台詞は氷の呪文となり、場更先輩のハートに突き刺さった。結果、場更先輩のヒットポイントは既にレッドゾーン。
僕は丁重に手帳を返しつつ、ダメ押しの宣告をした。
「万が一この警告を破った際には、先輩の体重が一日で半減する特別な薬草をサプライズプレゼントしてあげます。あと、和久宮あえかに対して不穏な動きをする人物を見つけたら僕に教えてください。報告を怠った際には先輩の下半身が一生」
「――分かった、分かったから!」
涙目でそう叫び、はぁはぁと荒い息をつく場更先輩。僕は自分のメアドを残して速やかに立ち去る……はずが。
「待て、一つだけ教えてくれ、西園寺!」
「何ですか?」
「お前がこんなことをするのは、例の噂が真実だからかッ?」
「噂、とは?」
「昨日の夜、あえかたんが男に襲われかけたって……しかも犯人はうちの生徒だって」
……僕はその噂の口止めも、丁寧に依頼しておいた。
◆
薄闇に包まれる、静かな住宅街。犬の遠吠えが遠くたなびくその道を、僕はのんびりと歩いていた。
右隣りには愛用の自転車・桜子号。その前カゴには僕のショルダーバッグ……ではなく、ずっしり重たい黒革の鞄が。
「……あの、ここで結構ですから」
「そんなこと言うと、右に曲がるぞ」
「う……ひ、左で」
いつかと変わりばえしない会話を繰り広げながら帰宅する、僕と和久宮。全ては南先生に指示されたミッションだ。
――和久宮に見知らぬ男を近寄らせるべからず。
そのためには僕が身体を張るしかない。
ファンクラブを脅すのも、こうして……激痛に耐えるのも。
『マモノーマモノマーモノー。今日のご飯マーボドーフ』
ガンガンガガン! ガンガンガガン!
妙ちくりんな歌と共に、妖精が僕のつむじのあたりをゲシゲシ蹴っ飛ばす。
ちっこい身体のくせに、どこからこのパワーが出てくるんだろう。この足技、リーゼント先輩が起こしたミニ地震とも共通するモノがある。
ちなみにあのミニ地震、うちの校舎しか揺れなかったということで『地下の不発弾が爆発したのでは?』という噂が流れたものの、真相は藪の中。
『ねぇ、マモノ。マモノもマーボドーフ好き?』
『ああ、好きだぞ』
『そっかぁ……マモノはやっぱり腐ったモノが好きなんだなッ』
そう言って、愉しそうにクスクス笑う妖精。さっぱり意味が分からないけれど、まあちょっとずつ仲良くはなってきた気がする。オープンマインド、としっかり意識の切り替えをしなくてもナチュラルに会話ができるくらいには。
放課後、僕は教室に残って和久宮の勉強を見てやりつつ、妖精とのコミュニケーションをとる。そして薄暗い夜道を家まで送り届ける。それがここ数日のルーチンになっていた。
当然和久宮は「そんなの申し訳ないです!」と頑なに拒絶したのだが、中学三年間お世話になりっぱなしだった南先生及び、腹をくくった俺の意思には逆らえず。
妖精に対しても、『和久宮の勉強を見てやるだけ! 絶対えっちなことしません!』と百回くらい言って、背後からノートを覗き込んだり、並んで歩くことくらいは許してもらえるようになった。無意味にガシガシ蹴っ飛ばされるけれど。
いや、無意味ってこともないのかもしれない。僕が絡まれる頻度が増えるのと比例して、妖精が和久宮を操ることも目に見えて減ってきたから。
冷静に考えてみると、妖精は単に遊び相手が欲しかっただけという気がしないでもない。花瓶から出られない状態だったのが、天使の花パワーを得て自由に飛び回れるようになって、嬉しくて仕方なかったというか。
まあいずれにせよ、和久宮にとっては災難としか言いようがない。もちろん僕にとっても。
「えっと、着いたんで……」
「ん、また明日な」
「ハイ、ありがとうございました」
ペコッと頭を下げ、鞄を取って走り去る和久宮。妖精も『またなマーボー』と挨拶しながら飛んでいく。
僕はそんな二人を見送った後、自転車のスタンドを立てた。そしてズキズキ疼く頭頂部を擦りながら空き地の中へ。
小花の前でしゃがみ込み、眼鏡を外してジッと目を凝らす。これも密かなルーチンワークだ。
最初に出会ったあの日以降、天使の姿は現れていない。もう成仏してしまったのかもしれないと思うものの、どうしても諦め切れない。
なぜこんなにも、あの天使に会いたいのか……理由は分かっている。
ホームシックだ。