その3 中二病はウイルスである
「和久宮さんが夢遊病、ねぇ……?」
昼休み、第二保健室を訪れた僕は、暇そうにスマホをいじっていた南先生に助けを求めた。
当然その内容は、妖精に取り憑かれた――もとい、夢遊病になった和久宮についてだ。
最初は正直に妖精の話をしようと思ったのだが、『ようせ』と三文字言った時点でブハッと吹かれたので、時間のロスを考慮し科学的なニュアンスに変換しておいた。
「はい。昨日も言いましたけど、ときどき自覚なく暴言を吐いたりする感じで……今朝本人に確認してみたら『最近眠りが浅くて、ときどき夢と現実がごちゃ混ぜになる』って。でも暴言については一切覚えてないらしいんです。昨日倒れたときのやりとりも、僕と何か言い争ったって曖昧な記憶はあるらしいんですけど、具体的にはさっぱり……」
一旦そこで言葉を切り、僕は淹れてもらったお茶を一口。まろやかなお茶の甘みに癒される。
今朝の和久宮は、昨日みたいに逃げたりしなかった。恥じらいつつも僕の質問にしっかり答えてくれたし、昨日家まで送ったこと――あの花が好きだと伝えたことや、その後の提案についてもちゃんと覚えていて「前向きに考える」と言ってくれた。
そんな感じで、何となくほんわかした空気になったところで妖精登場。『うちの子に近づくな!』と番犬みたいに吠えられ、慌てて距離を置くはめに。
あのまま強引に話を続けようとしていたら、また和久宮の身体を操って、僕をヘンタイ呼ばわりしたに違いない。
それを他人に見られたらアウトだ。今度こそ僕の人生が終わる……。
「とにかく、今の状態はすごく危ういと思うんです。本人にとって都合のいいことしか覚えてないっていうのは」
僕をヘンタイ呼ばわりしたことは、和久宮にはとうてい言えなかった。素の和久宮はどこまでも清く美しいお嬢さまだ。たぶんそれを知ったらホームランボール直撃レベルのショックを受けるだろう。
もちろん、愛用の花瓶に妖精が住んでいることもTPO的に控えておいた。もう少し信頼関係を築いてから、と。
なんせ目の前の凄腕カウンセラーも、そこだけは信じてくれないのだ。和久宮にまで電波扱いされるのは辛すぎる。
「夢遊病か……うーん、なんだかしっくりこないなぁ」
南先生は細く整えられた眉を寄せ、斜め上を睨みつけながらぶつぶつ呟いている。もぐもぐとせわしなく口を動かしながら。
それは僕が『貢物』として持参したニコチンガム。リーゼント先輩が食べつくした後のおさがりになるけれど、三次元的には新品なので問題無し。
ちなみにコレを渡したとき「私の欲する物をピンポイントで持ち込むとは、さすが凄腕占い師……」とかぶつぶつ呟いていたので、僕は極秘資料の流出を確認。まあ別に知られても構わないけれど、どうせなら妖精の話も信じてくれと言いたい。
「ああそっか、なるほどね……ずっと疑問だったけど、ようやく謎が解けたわ!」
「何ですかいきなり」
「和久宮さんの正式な病名よ。コレ、もしかしたら、大掛かりな手術が必要かもしれない……」
一瞬、マズイと思った。バカ正直に相談しなければ良かったと。
科学のルールに当てはめれば、和久宮の症状は確実に精神病、もしくは脳の障害を疑われても仕方がない。
やはりここは僕が何とかするべきなんだ。あのクソ生意気な妖精を……。
「すみません、やっぱり今の話は」
聴かなかったことに、という台詞は、ニコチンパワーを得た女帝の前にあえなくかき消された。
「ええ、皆まで言わずとも分かってるわ。これは和久宮さんだけの問題じゃない、今や全国的に広まってるウイルスのせいだから」
「ウイルス?」
「そう、思春期のピュアな少年少女に蔓延するウイルス性の病気……和久宮さんは――中二病よ!」
「……えっと」
「最近急に豆乳病が改善したのも、オカシイと思ってたの。たぶん和久宮さんは、辛すぎる現実から逃避する方法を見つけたんだわ。白昼夢という名の異世界で、えっちな魔物と闘うという方法をね……フフフ」
「違いますって。和久宮はただ妖精に取り憑かれてるだけですよ。そもそも豆乳病が治ったのも、和久宮ん家の近くに住んでる天使さんが癒やしの光を与えた花のパワーで」
「そういうの、いいかげんウザイ」
ザクッ。
言葉のレイピアが僕の心臓を貫いた。
確かにウザイけど、本当のことなのに……ウザイって……。
あからさまに凹んだ僕に、南先生がダメ押しの解説をする。
「あ、西園寺君は中二病じゃなくて高二病ね。中二病と違ってちょっと捻くれてるというか、『別に信じてくれなくてもいいや』って開き直ってるあたりが」
「信じて欲しいんですけど! ていうか和久宮がリアルにヤバいんで、具体的な対策考えて欲しいんですけど!」
僕は二つの例をあげてみた。英語と数学の授業中に起こったエピソードだ。
今朝妖精には『勉強の邪魔だけはしないこと』と強く言い含めておいたけれど、ヤツの脳みそは米粒サイズだから、三日も経てば忘れるに違いない。
なんせヤツにとって今の和久宮は、自分の思い通りに操作できる『巨大ロボ』なのだ。しかも和久宮を『敵』から守ってやってるつもりなのが始末に負えない。
「このままじゃ和久宮、来年の特待生枠厳しいですよ。しかもこの先、他の奴にも暴言吐いたりしたら、ますます微妙な立場に……」
自分で言いながら僕はブルリと震えた。その光景がやたらリアルにイメージできて。
世の中、僕みたいな草食系男子ばかりじゃない。もし和久宮に言い寄った男が、頭ごなしにヘンタイ呼ばわりされて逆上でもしたら……と。
僕の懸念を感じ取ったのだろう。南先生は珍しく真面目な顔で頷いた。
「分かった、こっちでも対策考えるから少し時間をちょうだい」
「お願いします」
「ただね、もしこれが西園寺君の言う“妖精”の仕業だとしたら、もう私の手には負えないわ。専門の施設で診てもらわないと」
冗談を封印した南先生の言葉は、やはりリアルで……重かった。
和久宮は、本当にこの学校に居られなくなるかもしれない。金銭的な問題だけじゃなく、別の理由で。
両親のことであんなにも苦しんでいるのに、さらに傷つくかもしれないなんて。
本当の和久宮は、素朴な笑顔の似合う普通の女の子なのに……。
ギリッ、と唇を噛み締める。血がにじむくらい強く。
「……僕が、何とかします。和久宮を守ります」
自然と零れた台詞は、我ながら死にたくなるほど格好良かった。
南先生も「西園寺君かっけー!」と爆笑するほどに。