07
「晃……ちゃん?」
ドアの向こう側には、人が近づいて来る気配がしている。
ペタペタと軽快なサンダルの音を響かせているのは、たぶん担任の鈴木先生だろう。
いつもと変わらない、教室の朝の一コマ。
なのに、なぜ、そんな表情を見せるのか。
――どうしたの?
と、続けようとした言葉は、ドアを開けて入ってきた人物を目にしたとたん、喉の奥に引っ込んでしまった。
教室に入って来た人物は、男性二人。
一人は、優花の予想通り、やせぎすで眼鏡をかけた穏やかな風貌の社会科教諭、担任の鈴木始先生。
そして、問題は、もう一人の人物だった。
身長は、百七十五センチ程度。
少しクセのある燃えるような赤毛と、深い水底のようなディープ・ブルーの瞳のコントラストが、否が応にも人目を惹く。
青年、
と言うよりは、まだ充分少年の面影を残した華奢な容姿は、まるで宗教画に描かれた無垢な天使を彷彿とさせた。
「えー、以前から説明してありましたが、今日は留学生を紹介します」
席に着いた生徒たちから上がるどよめきに、納得気に頷きながら、鈴木先生は静かに口を開いた。
「アメリカのロサンゼルスの姉妹校からの交換留学生の、リュウ・マイケル・タキモト君です。彼は日本語、英語共ぺらぺらです。生の英語に触れるよい機会ですので、、みなさん、積極的に仲良くしてください」
ニコやかに説明をする先生の声が、どこか遠くで聞こえた。
「リュウ・マイケル・タキモト、です。一ヶ月という短い期間ですが、皆さん、どうぞヨロシクお願いします」
外見通りの、やや少年めいた透明感のある甘い声音が、流暢な日本語を奏でる。
そう。
まるで、楽器の演奏を聞いているような、そんな、耳に心地よい声音だった。
タキモト……リュウ?
優花の知らない名前だ。
知らないはずなのに、心の中で呟けば、何故か、胸の奥がざわつく、不思議な名前。
「――まさか、な。ただの偶然……か?」
「え?」
隣の席で上がった、耳朶を掠める意味不明な独り言のような晃一郎の呟きに、優花は、小首を傾げた。
そんな優花の反応に気付いた晃一郎は、口の端を上げると、隣の席から手を伸ばして『くしゃくしゃ』っと無造作に優花の頭を撫でる。
「いや、何でもない。お前は、何も心配するな」
伝わる、大きな手の平の温もりと、くすぐったい感触に優花の胸を過ぎるのは既視感。
――心配って……、え?
その動作があまりに自然だったので、優花の反応は、ワンテンポ遅れた。
えっ、
えええーーっ!?
あ、頭、撫でられたっ!?
ギョッとして、思わずのけぞり、頭を両手で覆う。
確かに、泣き虫だった子供の頃は、こうやって頭を撫でられた覚えはある。
『大丈夫だから、泣くな』
そう言って、何かにつけメソメソっと涙を零す弱虫な自分を励ましてくれた、幼なじみの優しい手の感触が、大好きだった。
でもそれはあくまで、小学校低学年くらいまでのことで。
今は、お年頃の高校三年生。
いくら幼なじみだといっても、教室でこの行動は、常軌を逸している。
否。
教室でなくても、充分、優花の常識からは外れている。
こ、こ、こ、晃ちゃんっ!?
恥ずかしさで、優花の顔にサッと朱が上った。
やっぱり変だ、
変過ぎるっ!
ぱくぱくぱく、と。
酸欠の金魚みたいに口を開け閉めしなががら、信じられない思いで晃一郎の顔を見上げると、その瞳には悪戯小僧のような、少年めいた楽しげな色合いが浮かんでいる。
か、か、からかわれた?
「別に、からかったつもりはないからな」
頬杖をつきながら、晃一郎は、実に楽しげに微笑んだ。
「え……?」
――今、私、声に出して言ってないよ……ね?
まるで、『心を読んだ』ようなその台詞に、優花はパチクリと目を丸める。
瞬間、プッと、晃一郎は、耐えかねたように小さく噴出した。
「ほんっと、分かりやすいよな、お前って」
どうやら、心を読まれたわけではなく、表情を読まれていたらしい。
なんだか、酷くバカにされているような気がする。
「どうせ、分かりやすいですよーだ。晃ちゃんみたいに、難しい頭の構造してないもん、私」
むーっと、
優花が頬をふくらませてぶーたれていると、教壇の方から鈴木先生ののんびりとした声が飛んできた。
「えーと。取り込み中に悪いけど、委員長。しばらく滝本君の案内役、お願いできるかな?」
もちろん、委員長とは優花のことではなく、晃一郎のことだ。