01
「――優花? おい、優花?」
自分を呼ぶ聞き覚えのある低い声音に、優花の意識は、ゆっくりと浮上した。
ハッとして視線を上げれば、心配げに覗き込む晃一郎の視線とかち合った。
真っ直ぐ向けられているのは、はっきりとした二重の、明るいライト・ブラウンの瞳。
サラリと、柔らかそうな金色の髪が、端正な目元に落ちかかっている。
慣れというものは恐ろしいもので。最初は違和感走りまくりだった、この、目の覚めるような明るい金色の頭髪を見ても、あまり驚かなくなってしまった。
右耳につけられた、幅一センチ程の銀色のクリップ式イヤリング、イヤーカーフが、蛍光灯の明かりを受けて、キラリと鋭い光を放っている。
ブラック・ジーンズに、白Tシャツ、足元は白いスニーカーというラフな服装。
上に羽織っている白衣の胸には、『Dr.御堂晃一郎』と書かれた顔写真入の、ブルーのネームプレートが付けられている。
――ああ、そうだ。
ここは――。
優花は、ゆっくりと、室内に視線をめぐらせた。
今、優花が居るのは、地上四階地下十階、
半分地に埋もれたドーナツのような不思議な形状の、国立医療研究所の地下二階にある、一室だ。
優花のリハビリ専用に使われている、十二畳ほどの広さのオフホワイトの清潔で簡素な室内には、優花と晃一郎の二人しか居ない。
優花は、その部屋の中ほどに敷かれた、運動用のマットの上に仰向けに寝転んでいた。
身体全体を包むのは、いつもと変わらない、リハビリ後の倦怠感だ。
――あれ?
なんだろう。
ふと走った違和感に、優花は、眉根を寄せた。
今、私、もしかして、何か、夢を見ていた?
そんな気がするが、一向に思い出せない。
気のせい?
「おーーい、起きてるか?」
優花の枕元にしゃがみこんだ晃一郎は、自然な動作で左手を伸ばすと、優花の右頬を『ぷにーっ!』っと、引き伸ばした。
「起きてふ起きてまふー。っへか、ほっへた痛ひんへふがっ?」
――どうして、晃ちゃんも玲子ちゃんも、人のほっぺた伸ばしたがるのっ!?
『もちもちでちょっと癖になるのよねー』
とは、三日と日を空けず顔を出す玲子の言だが、晃一郎がどう思っているのかは、さすがに聞いたことが無いから分からない。
「リハビリの後には、水分補給」
ほら、と、
愉快気な笑い声と共に、ほてった頬にあてがわれた、冷たいペットボトルの感触が心地良い。
この世界にパラレル・スリップして、およそ二ヶ月。
目覚めてからは、一ヶ月あまり。
暦の上ではもう九月。
既に秋に突入しているが、残暑はまだ厳しい。
もっとも、まだ、外出の許可が下りず、完璧にエアーコンディショニングされた研究所の中から出たことがない優花には、あまり、季節の移ろいは感じることが出来ない。
優秀な医師でもあるという晃一郎のかなりスパルタな指導の下、
リハビリの甲斐あって、大分動くようになった身体を『よいしょ』と引き起こし、優花は、おどけたように晃一郎の顔を覗き込む。
「ありがとう、晃ちゃん――。じゃなくって、御堂先生。今日は、サービス満点だね」
「ばか言え。俺は、いつでも『女には』サービス満点だ」
ニッと、晃一郎は、優花の表情を真似て、おどけたように口の端を上げる。
「あ、一応、女だとは思ってくれてるんだ?」
「女だろ? 違うのか?」
からかうような声音に、優花は、むーっと、頬を膨らませる。
「女ですよー、一応」
生物学的には。
彼氏いない暦十五年。
色気は、皆無な、中三女子ですが。
優花は、味気ない濃紺のスェットスーツに包まれた、発展途上な自分の身体を見下ろし、少しばかり自虐的な、乾いた笑いを浮かべる。
この世界の晃一郎は、優花よりも三歳年上の十八歳。
優花のいた世界では、高校三年生の、まだ学生の年齢だ。
だが、社会に出る年齢が十代前半と低いこともあってか、目の前にいる晃一郎から受ける印象は、優花の感覚だと既にもう、立派な大人のものだ。
優花のいた世界の晃一郎も、女の子にはモテモテだったが、三歳年上の、この世界のスーパー晃一郎は、輪をかけて超絶的にモテまくっていた。
理知的な美人研究者とか、
妖艶な女医とか、グラマーな看護師とか、可愛らしい患者とか。
――あ。
そう言えば、患者の中には、明らかに人妻とおぼしき色っぽい女性も混じってたって、玲子ちゃんが言ってたなぁ。
出歩く場所が制限されている優花が知ることの出来る範囲は限られていて、主な情報源は『アレは、只の女好き!』」と公言してはばからない玲子なので、 少しばかり独断と偏見が加味されているが、それを割り引いても、この一ヶ月と言うもの、晃一郎の周りにはいつも女の影が絶えなかった。
まあ、確かに、優花から見ても、一方的に言い寄られている感は、否めないが。
『来る者拒まず去るもの追わず』的なスタンスは、どちらの世界の晃一郎にも共通したところかもしれない。




