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【黄昏の記憶】~ファースト・キスは封印の味~  作者: 水樹ゆう
第三章◆異 変 《Accident》
33/37

13

「用は、すんだんだろう? 聞きたいことがあるから、鏡で遊んでないでちょっと来い」

「って、え、ええ? ここ女子トイレっ」

 文句を言う隙もあらばこそ。

 いきなり女子の聖域に乱入してきた晃一郎に、むんずと手首を掴まれた優花の頭からは、今しがた自分を見舞った怪異現象に対する恐怖心は、一気にすっ飛んでしまった。

「こ、晃ちゃん?」

 そのままズンズンと人気の無い、廊下の突き当りへと連行された優花は、やっと足を止めた晃一郎の顔を驚きの眼で仰ぎ見た。

「な、なに、晃ちゃん、どうしたの?」

 晃一郎の表情は、真剣そのもので、優花はわけもわからず、鼓動が早まるのを感じた。

『女子トイレに乱入してまで急いで聞きたいほど重要なこと』など、想像もつかない。

「お前、思い出したのか?」

「へ……?」

 いきなり浴びせかけられた端的な質問に、優花は間の抜けた声を上げた。

 端的過ぎて分からないのだ。

「何を?」

 本気で首を傾げる優花の表情をじっと見つめていた晃一郎は、はぁーっと一つ大きなため息をついた。


「いや、いい。……って良くはないか。変な波動が飛んできたからてっきり……」

「え?」

 ヘンナハドウ?

 聞き拾った、晃一郎の呟きの意味が分からず、優花はきょとんと目を瞬かせる。

 ワシャワシャワシャっと、大きな手のひらで自分の前髪をかき回し、再びため息をついた後、晃一郎は意を決したように、もう一度口を開いた。

「質問を変える。今日、何かいつもと変わったことはなかったか?」

 朝、起きた瞬間から、

 いや。

 起きる前から、変わった事尽くめの今日の出来事を思い出しながら、優花は、 晃一郎の質問の意図が分からないまま、すうっと、晃一郎の髪を指差した。

 変なこと、ダントツトップは、やはり、今目の前に居る幼なじみの、目にも鮮やかなこの金髪頭だ。

 一瞬、うっと言葉に詰まった後、晃一郎は質問を続ける。

「俺のことはいい。他に変わったことは、なかったのか?」

「変わったこと、って言われても」

「大事なことなんだ。ささいなことでもいいから、思い出せ」

「う、うん……」

 何だか分からないが、晃一郎の真剣すぎる眼差しに、優花は自分も真剣に考えなければならないと言う義務感に襲われ、一生懸命記憶の糸を手繰り寄せた。


「ええっと……」

 とりあえず、晃一郎と手に手をとって逃避行、

 なんと、キスしちゃいました!

 な夢は、置いといて。

 まずは、一つ目、

「体育の時間に、顔面レシーブして、卒倒した」

 優花は右の手のひらをパーに開き、数えるために親指を折りこむ。

 二つ目、人差し指。

「うーんと、音楽室へ行く途中、誰かに押されて階段から落ちた……でしょ?」

 三つ目、中指。

 チラリと、晃一郎の、渋い表情を盗み見、

「リュウ君に告られた」

 早口に言う。

 それと、四つ目は――、

 織り込もうとした薬指は、躊躇うように途中で止まる。

 ついさっき、トイレで起こった怪異現象を思い出し、背筋にゾクリと悪寒が走った。

 こ、これは、

 これは、気のせいかもしれないし。

 うん、言う必要はないよね?

「こんな……感じ?」


「――それで、全部か?」

 晃一郎は、優花の目を見据えて、静かに問うた。

 声音は、静かだが、

 言外に、『もっとあるはずだ思い出せ!』と言うオーラが滲み出している。

 だが、いくら考えても、思い出せないものは、答えられない。

「う、うん。たぶん、全部だと思うけど……」

 もごもごもごと、尻つぼみに消える優花の返事の後に、痛いくらいの沈黙が落ちた。

 何かを、迷うように揺れていた自分を見つめる晃一郎の茶色の瞳が、すうっと深い色味を帯びたように見えて、優花は、息を飲んだ。

 ドキン、と鼓動が大きく跳ねる。

 この人は、本当に、自分の知っている、『御堂晃一郎』なのだろうか?

 普通に考えれば、わくはずのない疑念が、優花の鼓動を更に早めていく。

「晃、ちゃん?」

 不安になって、優花は、良く知っているはずの、幼なじみの名を呼ぶ。

 晃一郎の表情が、痛みに耐えるかのように、わずかに曇った。

 だが、それを振り切るように、ぎゅっと目を瞑り再び開けたとき、その瞳に宿っていた迷いの成分は、綺麗に払拭されていた。

 その変化を、息も出来ずに見守っていた優花の頬に、晃一郎は、静かに左腕を伸ばすと、そっと手のひらで撫でた。


――え?

 まるで、壊れ物に触れるように、密やかに。

 頬に伝わる、少し冷たく感じる長い指の感触が、優花の中の何かのスイッチを押す。

 クラリ、と視界が傾いだ。

――あれ?

 やだ、何これ?

 貧血?

 クラクラと、揺れる世界。

「ごめんな……」

 グルグル巡るのは、呪文のように紡がれた言葉と、頬に触れた指の感触。

 そして、脳裏に浮かぶ、一面の鮮やかなオレンジの色彩。

 それはまるで、沈み行く夕日を抱く空のような、どこか切ない、黄昏の色。

 すうっと、吸い込まれるように、意識が闇に落ちていく。

 優花の足元から力が抜けて、カクンと膝が前に落ちる。

 その華奢な身体が床に倒れこむ間際、晃一郎が優花を抱きとめた。

「晃……ちゃん?」

 もう時間がないのだと、

 そう呟く、晃一郎の声は、既に、深い眠りに落ちた優花には届かなかった――。




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