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「結婚を前提に」
ケッコン?
ケッコン……って、なんだっけ?
「……ふぇ?」
突飛すぎる申し出に、優花の口から意味を成さない間抜けな声が零れ出す。
「ですから、結婚を前提にお付き合いしましょう」
始めは、変な空耳かと思ったが、違ったらしい。
自分がいきなりプロポーズめいた告白をされていることにようやく気付いた優花は、信じられないように目を大きく見開いた。
「は……、はいっ!?」
「冗談で言っているのではありませんよ? 今回の日本留学の目的の一つは、結婚相手を見つけることにあるんですから」
え、えーと、
えーと、
「ゆーかは、ボクのことが嫌いですか?」
「き、嫌いだなんて、そんなことないよっ」
むしろ、好感が持てる。
でも、異性として『好きだ』といえるくらいには、リュウのことを知らなすぎる。
――なんて答えれば、いいの!?
年齢イコール彼氏いない歴、十七年。
突然、降って湧いたようなモテキ到来に、優花は対処できずに焦りまくった。
「あら、まあ、まあ……」
ニッコリと、
斡旋した見合いがうまい具合に纏まりそうな親戚のおばちゃんのごとく、満面の笑みを浮かべる玲子の横で、晃一郎が『ちっ』と、低い舌打ちを鳴らす。
「……んなことだろうと思ったよ。中身は一緒か、邪気のない笑顔を振り撒きやがって、シスコンの腹黒天使が」
口の中でブツブツと毒付く浩一郎の呟きを聞き拾ったのだろう、玲子が興味を惹かれたように片眉を上げた。
「ん? 腹黒って誰が?」
「何でもない。独り言だ気にするな」
「ふーん」
尚も、興味津々といった風情で注がれる玲子の視線をスルーして、晃一郎は足を止めたまま固まっている優花の頭をペチリと叩く。
「ほら、そう言うのは後にしろよ。ただでさえ遅刻なんだからな」
一瞬かち合った晃一郎とリュウの視線が火花を散らしたように感じたが、きっと優花の気のせいだろう。
「ほーら、足を動かす!」
「あ、ごめんっ」
不機嫌丸出しの晃一郎の声に、優花は慌てて足を踏み出した。
音楽の授業は、散々だった。
まずは、遅刻について苦しい言い訳をし、
心配の反動で怒り大爆発な教師のお小言をたっぷりと聞き、
さすがに『罰に、バケツを持って廊下に立っていなさい!』
とは言われなかったが、考えようによってはもっとタチが悪いもので。
顔は笑っているが、目は微塵も笑っていない、かなりひきつった表情の教師には、
じゃあ、留学生のタキモトくんの歓迎の意を表するために、君たちに何か一曲、歌ってもらおうかな』
などど、とんでもない注文を出されて、皆の前で大声で校歌を歌う羽目に陥った。
まあ、そのお礼にと、リュウが演奏してくれた、ピアノのなんとかと言う聞き覚えのあるクラシック曲は、素晴らしく素敵で、主に女子のため息と熱い視線を集めていたが――。
優花にとっての救いは、眠る暇も無かったことだ。
そんな怒涛の音楽の授業は、あっという間に嵐のように過ぎ去り、しばし憩いの小休止。
午前中最後の授業、
歴史の前の休み時間。
女子トイレの鏡の前で、手を洗い終わった優花は、長ーい、ため息をついた。
「はぁーーーっ……」
なんか、疲れた。
どっと、疲れたよ。
鏡に映る自分の顔も、心なしか、げっそりとやつれて見える。
「何、ため息なんてついてんのよ、優花。せっかく訪れた春が逃げてくよー」
「それって、逃げてくのって『幸せ』じゃなかったっけ?」
「そうとも言うね」
他人の不幸は蜜の味ならぬ、他人のトラブルは小説ネタの元。
優花の降って湧いた婚約話に、玲子の表情は水を得た魚のごとく生き生きとしている。
「で、どうするの? 情熱のアメリカン・ボーイのプロポーズへの返事は」
「玲子ちゃんの、イジワル」
「ふふふー」
優花のせいいっぱいの反撃の言葉も、なんのその。
ごろごろごろ、と、性悪猫は、マタタビを与えられて喉を鳴らしている。
「どうしようもこうしようも、ないよ」
お付き合いしましょうだけならまだしも、
いきなり、結婚を前提にって……。
リュウのことを嫌いなわけじゃないから、無下にも断れない。
ワケの分からない夢の連続に、白昼夢。
プラス、晃一郎の、挙動不審。
続く、階段転げ落ち事件。
追い討ちの、リュウの告白。
いったい、今日はなんという日なのだろう。
天中殺ってやつだろうか?
正直、優花の心のキャパシティーは、いっぱいいっぱいで、もう飽和状態。
「はぁあぁあぁあぁーー……」
魂が抜け出そうなくらいの、何度目かの大きなため息を吐き出し、優花はガックリとうなだれた。




