08
時間には厳しいが、他のことには比較的融通がきく担当教師のフリーな性格を反映して、音楽の授業は、基本的に席順が決まっていない。
だから、教室に早く着いた順番に、生徒は自分の好きな席に座っていくことになる。
教師からなるべく離れた後ろの席から座りたいのが人情で、恐らくは最後に到着するはずの優花たちは、おのずと最前列の真ん中辺りにしか座れない。
最前列は、内職もしにくいし、体育のあとの疲れを癒す居眠りも出来ない。
常ならばため息モノの出遅れだが、今の優花には、救いの手に感じられた。
――よし。
ここはいっそ、最前列でしっかり授業を受けよう!
今度こそは、ぜったい居眠りしたりしないぞ!
心のなかで自分に気合いを入れ、階段を降りようと、足を一歩踏み出したときだった。
トン――!
と、背中が、強い力で『誰かに押された』。
否、『突き飛ばされた』。
――えっ!?
っと、声を発す暇もなく、体がフワリと、宙に投げ出される。
玲子とリュウは、すでに、十数段下の踊り場付近を歩いているし、晃一郎も、数段、先を降りている。
授業もあと数分で始まろうとしている廊下に、人気は無かったはずなのに。
それでも優花は、背中に走った、あきらかに『誰かに意思的に突き飛ばされた』感覚におののいた。
バレーボールを、顔面でレシーブするレベルの話じゃない。
打ち所が悪ければ、夢見るどころか、永遠に夢すら見られない状態に陥るかもしれない。
悲鳴さえ上げる暇も無いはずなのに、
妙に冷静に分析している自分に、優花は驚いてもいた。
――ああ、あの時と、一緒だ。
三年前の、事故のときと。
まるで、スローモーションのように、妙に長く感じる一瞬の時の流れ。
待っていたのは、逃れようの無い悲劇――
「優花っ!?」
驚きと言うよりは、もはや怒声に近い晃一郎の呼び声が耳朶を叩き、優花は、我に返った。
数段下に居る晃一郎の振り返る背中が、一気に眼前に迫る。
う、うわっ、
ぶつかるーーーーっ!
このままでは、晃一郎もろとも、十数段下の踊り場まで真っ逆さまだ。
それだけは避けたいと思うが、夢の中の異世界の物語じゃあるまいし、超能力者ならぬ優花には、どうすることもできない。
重力に引かれるまま、落ちることしか出来ない優花は、ぎゅっと目を瞑った。
ドン――、と、
優花の予想通り、他人の身体にぶつかる鈍い音が上がり、全身に衝撃が走った。
そして再び、その人物もろとも、更に下に落ちる感覚に、優花は泣きたくなった。
自分だけならまだ我慢できる。
でも、他人を、
それも、近しい人間を巻き込んでしまうのだけは、耐えられない。
――ううん、絶対、嫌だっ!
感情の爆発と共に、視界から色彩が消えた。
全身を走り抜けるのは、灼熱間。
それに耐えながら、優花は、目の前に居るはずの人物を求めて必死に手を伸ばし、触れたと感じた瞬間、無我夢中でその体を抱き締めた。
『止まれ!』
と、念じたのか、それとも『浮け!』と願ったのか自分でも定かではない。
ただ、一瞬だけ、重力のクビキから解き放たれたかのように、身体が浮いた――、
ような気がした。
が、それは、気のせいだったかもしれない。
なぜなら、結果的に、優花はものの見事に晃一郎を巻き込んで、踊り場まで転がり落ちたのだから。




