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【黄昏の記憶】~ファースト・キスは封印の味~  作者: 水樹ゆう
第三章◆異 変 《Accident》
27/37

07

「女の子の眉間に縦ジワは、可愛くないぞー」

 先を歩き出した晃一郎の背を追いかけるように、優花は慌てて足を踏み出した。

「べ、別に、構わないから、ほっといてよ! それより、もう、頭、撫でたりしないでよね! 私は『ポチ』じゃないんだから!」

 って、あれ?。

『ポチ』って……?

 無意識に発したその名前が、一般的に犬に付けられるものだとは認識している。

 が、今まで優花は『ポチ』という名の犬を飼ったことはなく、知り合いの飼い犬にも該当するものはない。。

 どうして、その名が心に浮かんだのかが分からない優花は、自分の発言の不可解さに改めて気付き、思わず足を止めた。

 そんな優花の様子を、やはり足を止めた晃一郎が、じっと見つめている。

 その真っ直ぐな眼差しに視線がつかまった優花は、身動きができなくなってしまった。

「ポチって?」

 晃一郎の、静かな、抑揚の無い声音が、人気がなくなり閑散とした廊下に、吸い込まれるように溶けていく。

「……ポチ……?」

 細い記憶の糸を辿るように、優花は、その名をもう一度つぶやいた。

 瞬間、鼻腔をくすぐったのは、そこに漂うはずのない、むせ返るような金木犀の花の甘い香り。

 その香りに引き寄せられるように浮かんだのは、まあるいフォルムの、白い綿毛のような、小型犬の愛らしい姿。

 はちきれんばかりに振られた、小ぶりの尻尾。

 足元に纏わりつく、柔らかな体毛と、少し高めの体温。

『ユーカ。あそぼう、ユーーカ!』

 舌ったらずの、可愛らしいハイトーンの声が、自分を呼んでいる。

 そして、込み上げるのは、紛れもなく『愛おしさ』。

 空中を乱舞するのは、大振りの白い羽根――?

 ――なに このビジョン。

 こんな犬、知らない。

 知らないはず、なのに。

 臭覚から始まり、視覚、触覚、そして聴覚。

 味覚以外の感覚をフルに刺激され、まるで『見せられている』かのような、鮮やかすぎるビジョンに、優花は、混乱の極地で身動きできない。

 頭が、くらくらする。

 足下が、フラフラと、おぼつかない。

 ――まさか、私、

 今、夢見てたりしないよね?

 もしかしたら自分はまだ、部屋のベッドの中で、眠っているのかもしれない。

 今までのは、全部夢の中の出来事。

 金髪の晃一郎も、パラレル・スリップの記憶も、留学生のリュウのことも、全てが、想像の産物。

 そう――、思えるなら、苦労はしない。

 夢と割り切るには、全てがリアルすぎて、

 浮かぶビジョンが、あまりに鮮明すぎて、

 今、自分が見ているモノが現実なのかすら、わからなくなる。

『永遠に覚めない夢』

 脈絡もなく、いつだか、玲子が貸してくれたSFホラー小説のタイトルが、脳裏を掠めた。

 無限ループする世界の中で、主人公が静かに狂っている様が、酷く怖かったのを覚えている。

 ――ゾクリ、と、恐怖に、背筋が凍った。

「おい――」

 次の瞬間、晃一郎の不機嫌そうな声と共に右頬に走った痛みで、優花は尻尾を踏まれた子猫のように、飛び上がった。

「立ったまま眠ってるのか、お前は?」

「ふぎゃっ!?」

「なに、ボーっとしてるんだよ。音楽の授業、始まっちまうぞ!」

「いだい、いだいっ、いだいってば。晃ひゃん、ほっぺ伸びるー!」

 これは、現実だ。

 絶対、間違いなく、現実以外の何ものでもない。

 夢で、こんなに、ほっぺたが痛くなるはずはない!

「優花ー、御堂君、時間がないっつうのに、何、じゃれついてんのよ? 急がないと遅れるよ!」

 先に教室を出た玲子が、『おいでおいで』と、階段の降り口で手を振っている。

 その声に急かされるように、優花と晃一郎は、やっと移動を再開した。

 せわしない。

 でも、この際、優花にはその移動のせわしなさが、ありがたかったりする。

 余計なことを考えずにすむし、まさかいくらなんでもこの状態で眠くなったりはしないだろうから。

 むしろ、音楽室に着いてから、授業中の方が危険度が高い。

 心地良い音楽をBGMに『ねんねんころりよ』と、うっかり眠りこけてしまいそうだ。

『次に見る夢はヤバイ』

 優花の勘が、そう告げていた。











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