03
「次は、AチームとCチーム、集合ー!」
審判席から、体育教師の張りのある声が飛んできて、優花の隣に座っていた玲子は、ゆっくりと腰を上げた。
「次の試合、アタシのチームだから行くけど、優花、大丈夫?」
心配げな玲子の問いかけに、優花はどうにか口の端を上げ『平気だよ』と、両手を振った。
「ほら、晃ちゃんも、それに、リュウくんもいるし」
優花の言葉に、リュウは穏やかな笑みで答え、晃一郎は、ウンウンと頷く。
「そーそー。心配ないから、行ってきな」
しっしっ! とばかりに、
たった今まで玲子が座っていた場所にどっかりと腰を落ち着け、左手をひらひら振る晃一郎に、玲子は険のある鋭い視線を投げつける。
「あんたが居るから、心配なんでしょうが、干し草頭!」
「干し……草?」
とげとげしい玲子の態度と言い草が少しばかり勘に触ったのか、晃一郎は眉間に浅い縦ジワを刻んだ。
「干し草が嫌なら、ヒヨコ頭でもいいけど。ヒヨコじゃ可愛すぎるでしょ。馬にかじられる干し草で充分よ」
「……なんか村瀬、今日は、やけにつっかかるよな?」
「つっかかってんのは、そっちでしょう? 大体ね、今日のあんたオカシイよ? そもそも、その頭の金髪化。それからして、かなーりオカシイ!」
――やだ。なにこれ?
二人のやり取りを見ていた優花は、ドキリと身をこわばらせた。
玲子は、晃一郎にはなんとなく態度が冷たい。
今までも、そう感じることはあったが、あくまで『そうなのかな?』と感じる程度であって、今のよう正面切って、露骨に批判するような言葉をぶつけることはなかった。
「お前なぁ、他人様に向かって『オカシイ』とか言っちゃいけないって、幼稚園の先生に教わらなかったか?」
「あらぁ? オカシイ人にオカシイって言って、何が悪いかな? アタシ、嘘やお世辞が嫌いな性分なのよね」
いつになく激しい舌戦を繰り広げる晃一郎と玲子の姿に、否が応でも優花の脳裏に浮かぶのは、先刻夢に見たパラレル・ワールドの二人の姿。
消しようのない既視感は、不安の種を大きく膨らませていく。
どうしても、夢に引きずられてしまう。
そんな自分の思考を振り切るように、優花がギュッと唇を噛んだその時。
「おーい、御堂! 人数足りないから、お前Cチームに入ってくれ!」
体育教師の鶴の一声が、無限ループしそうな舌戦に、終止符を打ってくれた。
「なんで俺が……」とブツブツと口の中で文句を言いつつ、優花の隣から立ち上がろうとしなかった晃一郎は、玲子に引きずられるように、コートに引き出されて行く。
その姿を、優花は、ぼんやりと目で追った。
皆から少し離れた壁際に残されたのは、優花とリュウの二人。
「隣に座ってもいいですか?」
ニコリと柔らかな笑顔で問われ、優花の鼓動はドキリと跳ね上がった。
異性に対する恋愛感情的なものからではなく、そこに宿る既視感に、跳ねた鼓動は変なふうに乱れてしまう。
向けられる瞳は、深い海の底のような、ディープ・ブルー。
すべてを優しく包み込んでくれそうな包容力のある、この深い瞳の色。
やはり、知っている気がする。
「あ……、うん。どうぞ」
コロンだろうか?
微かな甘い香りを身に纏って、優花の隣にフワリと腰を下ろしたリュウは、愉快そうにコートに視線を走らせながら、予想外のセリフを吐いた。
「ああいうのを、『夫婦漫才』と言うんですね」
「……え?」
夫婦……漫才?
リュウの唇から飛び出してきた意外すぎる単語に、優花はキョトンと目を丸める。
「コウとレーコの二人のことです」
コウとは晃一郎、レーコとは玲子のことだろう。
そういえば、優花のことも最初から「ゆーか」と、名前で呼んでいた。
「ゆーか」と呼ぶときだけ、若干、声のトーンに甘さが加味されている気がするが、おそらく優花の気のせいだろう。
アメリカと言うお国柄か、知己を得た人間を、ファースト・ネームで呼ぶのが彼の流儀らしい。
「夫婦漫才って、知ってるんだね、リュウ君」
「ええ。大ファンです。楽しいですよねアレは。ただの喧嘩のように見えて、その奥に込められている愛憎模様が、なんとも言えず楽しいです」
「愛憎……」
晃一郎と玲子の愛憎模様とやらを想像して、思わず優花は小さく吹き出した。
「やだ、リュウ君ってば、日本語上手すぎ」
「そうですか? 褒めてもらえて嬉しいです」
意外だが楽しい話題に、自然と優花の気持ちもほぐれていく。
そんな優花の表情の変化を捉えたのか、リュウは、ホッとしたように呟きを落とした。
「よかった」
「え?」
リュウとの会話を楽しみながら、ほどほどに白熱するバレーの試合を目で追っていた優花は、その呟きの意味を掴みかねて、反射的に、すぐ隣、斜め上方にあるリュウの顔に視線を向けた。
穏やかなディープ・ブルーの瞳には、安堵の色が見える。
「やっと笑ってくれたので、よかったと思って」
――心配してくれたの?
それで、わざと明るくなれる話題をふってくれたんだ……。
「ありがとう」
「何がです?」
「ううん、なんでもないよ」
――優しい人なんだな。
そう思った。
他人を労われる、優しい人。
一ヶ月。
短いか長いか良く分からない期間だけれど、きっと、リュウくんとは良い友達になれる――。
優花は、そんな確かな予感を抱いた。




