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【黄昏の記憶】~ファースト・キスは封印の味~  作者: 水樹ゆう
第三章◆異 変 《Accident》
21/37

01

「優花ー。おーい、優花ってば!」

 ――あ、玲子ちゃんが呼んでる。

 すうっと意識が浮上しはじめて、そんなことをぼんやりと考えていたら、いきなり顔面が冷たい感触に覆われて、寝ぼけた意識は、一気に覚醒した。

「うひゃっ!?」

 冷たいっ!

 顔面、正しくは、額から鼻の頭にかけて置かれ濡れた冷たい物体を、反射的に払おうとした優花の手よりも早く、誰かの手がそれを外してくれたようだ。

 開けた視界いっぱいに広がるのは、自分を心配げに覗き込む、顔、顔、顔。

 声の主、玲子に、晃一郎。

 それにリュウもいる。

 その他大勢のクラスメイトに、一人だけ混じっている厳つい顔の成人男性は、体育教師の飯田先生。

「あ……れ?」

 私、どうしたんだっけ?

 事故にあって、パラレル・スリップして……。

 あれ?

 夢と、現実が、ごっちゃになって、優花は混乱してしまう。

「大丈夫、優花?」

「大丈夫……って、なにが?」

 濡れタオルを片手に、心配げに問う玲子の表情が、安堵したように緩んだ。

「もう、何寝ぼけてるのよ。バレーボールを顔面でレシーブして、ぶっ倒れたのよ、優花」

「ほんと、ゴメンな、如月。わざと狙ったんじゃないから……」

 玲子の後ろから、済まなそうに詫びるクラスメイトの男子は、おそらく、あの弾丸スパイクの打撃主だろう。

「あ、平気平気。ちょっと、びっくりしただけだから、気にしないで」

 心底申し訳なさそうに頭を下げるクラスメイトに、優花は、ぶんぶんと手を振る。

 そうか、私、また夢を……。

 だぶん、ボールがぶつかったのは、きっかけに過ぎない。

 一時間目の居眠りの時と言い、この夢の見方、と言うより落ち方は異常だ。

 何か尋常ならざる力が働いているような気がしてならない。

「保健室に行くか、如月?」

 気遣わしげに問う体育教師に、優花は否と、頭を振った。

 そうだ、ここは高校の体育館。

 優花は、体育の授業で、バレーボールの試合をしていたのだ。

 それで、弾丸スパイクを顔面でレシーブして、昏倒した。

 現実に立ち返って、ホッと安堵する心の片隅に侵食するのは、恐怖。

「あ、大丈夫です。少し休んでいれば平気です……」

 今は、一人でいたくない。

 もしまた、あの夢に落ちてしまったら――。

 胸をよぎるのは、映画のような夢を見ることへの、ドキドキワクワクするような期待感ではなく、言いようのない不安感。

 あの夢の続きは、見たくない。

 怖い。

 あの夢は、怖いから、嫌だ。

「そうか? 無理をするなよ」

「はい」

 幾分、青ざめた表情で、それでも笑みを浮かべると、優花は再び始まるバレーの試合を見学するべく、体育館の隅の壁際へと足を向けた。

 ピーッ!

 ゲーム開始のホイッスルが響き、再開されたバレーの試合を、見るともなしにぼんやりと見ていた優花は、隣に腰を下ろした人の気配に、ハッと顔を向けた。

「玲子ちゃん……」

「はい、スポーツドリンク」

「え?」

 校内でドリンクの自動販売機があるのは、学食だけだ。

 ――わざわざ、学食まで行って、買ってきてくれたの?

 でも、流石に授業中に、ジュースを飲むわけには……。

 ぽん、と手渡されたペットボトル入りのスポーツ飲料と親友の顔を、優花は、交互に見比べる。

「先生の許可はとってあるから、心配しないで飲みなよ」

『優花の考えなどお見通し』、

 そんな笑みを浮かべる玲子の顔を見ていたら、夢の中で逢った、栗色の髪の玲子のことを思い出してしまった。

 目の前にいるのは、黒髪の玲子。

 そう、こっちが本物。

 今が、現実なんだ。

 ギュッと、ペットボトルを握る手に力を込める。

 右手も右足も、身体のどこにも異常は感じない。

 そう、アレは夢なんだ。

 想像の産物。

 だから、怖がることなんて無いはず。

「ありがとう、玲子ちゃん」

 心から礼を言い、コクリと、スポーツ飲料を一口口に含むと、ほのかな甘さが喉に染み渡った。

「あー、美味しいー」

 思いの外、喉が渇いていたらしい。

「そうでしょうとも、そうでしょうとも」

『アタシのおごりなんだから、美味しくないはずがない』と、おどけて胸を張る玲子の、自分を元気づけようとしてくれている気遣いを感じて、心が軽くなる。

 もう、夢のことには触れたくない。

 そう思いつつも、聞かないではいられなかった。

「……ねえ、玲子ちゃん。私、どのくらい気を失ってた?」

「え?」

 意外なことを聞かれたように、玲子は、小首をかしげる。

「あ、なんだか、夢を見てた……ような気がするんだ。だから、寝言でも言ってたら嫌だなぁって」

「夢? って、アタシがタオルを濡らして戻ってきて顔に乗っけたらすぐに目を開けたから、たぶん、二、三分だと思うけど?」

 二、三分?

 そんな短い時間に、あれだけの内容の夢を見られるものなの?

 死ぬ間際の人間が、それまでの人生を、走馬灯のように、一瞬で見るという。

 でも、それは、既に実体験して記憶に刻まれているビジョンを瞬時に再生するようなものだから、優花にも、なんとなく理解できる。

 けれど、もともと無いデータを再生することは、物理的に不可能なのではないか。

――じゃあ、私が見たのは、ただの夢じゃないってこと?

「優花、その夢って、どんな夢なの?」

「え? ああ……」

 少なくとも、そういう方面に関しての知識は、優花よりも玲子の方が遥かに多い。

 一人でウジウジと悩んでいるよりも、話だけでも聞いてもらった方が、事態は良い方向に行くかもしれない。

 玲子に心配げに問われた優花は、少し迷ったが、夢のことを話すことにした。

 一笑に伏されようが小説のネタにされようが、そんなことには、かまっていられない。

 正直、もう一人で抱えておくには、重すぎたのだ。



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