08
声だけを聞いていた時、きっと優しい人なんだろうと思っていた鈴木博士は、想像通りの人だった。
鈴木始。三十八歳。
勤務医ではなく、研究をするのが仕事の、医学博士だそう。
それで晃一郎が、『先生』ではなく『博士』と呼んでいたのだ。
ちなみに、優花が今いる場所も、病院ではなく研究施設なのだとか。
鈴木博士は、ひょろりと背が高くて、細身のキリンを思わせる穏やかな風貌の持ち主で、理知的で落ち着いた大人の雰囲気と、少年めいたメガネの奥の黒い瞳が印象的な、とても素敵な人だった。
どこかの、本能丸出しの狼くんとは、雲泥の差だ。
その狼くんも、キリン博士には頭が上がらないのか、
「じゃ御堂君、優花ちゃんを、ベッドに寝かせてあげてくれるかな」
と、ニッコリ笑顔で博士に指示されても、文句を言うでもなく、素直に「はい」と真面目くさった顔で答えると、晃一郎は、優花をベッドに横たえた。
「……やはり、四肢の運動能力の回復には、リハビリに時間がかかりそうかな?」
手足にうまく力が入らないのを見て取ったのか、博士が思案気にそう言うと、なぜか晃一郎が、「はい、特に右手足が弱いですね」と、又も真面目くさった表情で答える。
――右手足が弱い?
どうして晃ちゃんが、そんなことを知っているの?
浮かんできたのは、さっきのセクハラ行動。
もしかして、あれで、気付いたのだろうか?
でも私自身は、ただ手がうまく上がらないだけしか感じなかったけど?
チラリと、博士の傍らに立つ晃一郎へと首を動かして視線を走らせると、やはり至極真面目な表情を浮かべている。
さっきまでのセクハラ大魔王と、今の晃一郎の、あまりのギャップの大きさに戸惑っていると、博士から声がかった。
「優花ちゃん、三十秒ほどですむから、体を楽にしてそのままでいてね」
「は、はい!」
視線を戻して、横たわったまま少し緊張気味で頷くと、博士はベッドヘッドに備え付けられた小型のキーボード状の端末を、軽やかに操作した。
『診察』と言いっても、聴診器を胸に当てたりする訳ではなく、ベッド自体に診察機器が組み込まれているらしく、優花は、ただ横になっているだけで済んでしまった。
これで、診察ができてしまうというのは、自分が居た世界よりも、かなり医療技術が進んでいる証拠で、おそらく、そのおかげで命拾いをしたのだろうと、優花は思った。
あっと言う間の診察の後、
「うん。体の傷じたいは、ほぼ完治しているね」
との、鈴木博士のお墨付きを貰うことができた。
ただ、三週間の間寝たきりだったので、体力と筋力が落ちていて、しばらく休養とリハビリが必要だとも言われた。
三週間。
――全然、実感がわかないや。
「それで、手が思うように動かなかったんだ……」
思わず、肩の力が抜けてしまった。
もしもこのまま、体が元に戻らなかったらどうしようかと思った。
「まあ、せいぜい地道にリハビリを頑張るんだな、優花」
って、偉そうにあんたが言うな、ヒヨコ頭!
と睨みつけていたら、博士がやっぱり邪気の欠片もない微笑みたたえて、凶悪この上ないことを言い放った。
「そうだね。リハビリに関しては、御堂君がついているから大丈夫だろう。彼はこう見えても、腕の良いドクターだからね」
「は……い?」
誰が、なんですって?
ニコニコと穏やかな笑で言葉を続ける博士は、けっして冗談を言っているふうではない。
「ああ、まだ君は知らなかったんだね。御堂君には私の研究の助手をして貰っているんだが、彼は、優秀な研究者でもあり、第一線で活躍する新進気鋭の医師でもあるんだよ」
「は……?」
「特にリハビリ関係には強いから、安心して任せると良いよ」
「はい!?」
な、なんで中学生が、研究助手でお医者様っ!?
瀕死の錦鯉のように、口をあんぐりと開けたまま固まっている優花に、博士が説明してくれと所によると、基本的に同じような世界のパラレルワールドでも、まったく同じわけではなく、少しずつ違いがあり、この世界は優花の居た世界よりも医療技術とESPの開発が進んだ世界のようだ。
ESPと言うのは、超能力のことで、ESPを使う人をESPERと呼ぶ。
『少しずつ違う』部分には、人の年齢も含まれていて、なんとこの世界の晃一郎は今十八歳。
――どうりで、視線の位置が上だと思った。
ここの世界では、十歳で優花の居た世界の大学程度までの義務教育が終わり、その後、本人の希望及び適性に合わせて職業に就くのだそうで、晃一郎は、十二歳で医師免許を取得後、免許取得の際に書いた論文が認められ、是非にと乞われてこの国営の研究所にやってきた有望株。
おまけに、この世界で五人しかいない貴重なESP特Aというランクの能力者なので、『SA特別国家公務員』と言うかなり凄い肩書を持っているのだとか。
つまり、国きってのエスパーで若手のホープ、期待の星!
それが、ここの御堂晃一郎。
――じ、冗談でしょ?
なんなの、このスーパーマンぶりはっ!?
優花は、ただただ、呆然とするしかない。
「ああ、俺の事は、御堂先生って呼んでくれていいから、如月優花さん」
ニンマリと、悪魔がほくそ笑んでいる。
これを悪夢と言わず、何と言うのか。




