02
「あれ? リュウくんは?」
そういえば、晃一郎の姿も見えない。
「リュウくんは? じゃないよ。初めての授業で居眠りこいてる案内役に呆れて、傷心のアメリカン・ボーイは、どこかにいっちゃいました」
「えっ!?」
痛い現実を突きつけられて、リュウに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
いくら、物怖じしないように見えるアメリカ男子でも、留学初日の最初の授業で、案内役が居眠りなんて、悪いことしちゃったな。
これで、日本が嫌いになったりしたら、どうしよう。
などと、
一人、優花が心の中で反省モードに突入していたら、玲子がニヒヒと、人の悪い笑みを浮かべた。
「って、いうのは冗談で、次の体育の授業の準備で、更衣室にいきましたとさ」
「そっか……。悪いことしちゃったなぁ」
ため息混じりで言う優花の顔色は、冴えない。
正直、さっきの夢は、心に重かった。
今まで、夢に見たことなどなかったのに、どうして?
それも、授業の最中に見るなんて。
今朝の夢と言い、夢見が悪すぎる。
「優花? 本当に大丈夫なの? やっぱり保健室行った方がいいんじゃない?」
保健室なんて、とんでもない!
ついうっかり寝込んで、あの夢の続きを見たりしたら、それこそ笑えない。
ついつい、夢に引きずられて考え込んでしまう優花はそれを払拭するように、意識して笑みを作って、勢いよく立ち上がった。
「ううん、平気。体育始まっちゃうから、着替えに行こう!」
二時間目の体育。
通常は、男女別に行われる授業は、ニューフェイスの留学生、リュウとの親睦を兼ねての、男女混合バレー大会となった。
バスケットと言う案も出たが、多数決で、男女の体力差が出にくいバレーに決まったのだった。
適当に分けたチーム編成で、ただの偶然かなんの策略か、優花はリュウと同じチームになった。
おまけに、晃一郎も一緒だったりする。
「この、寝坊助ー」
と、晃一郎には、頭をグリグリ掻き回されるし、リュウはといえば、なんとなくよそよそしい。
優花を挟んで、晃一郎とリュウ。
教室の悪夢再びだ。
「さっきは、ゴメンね、リュウくん」
ゲーム開始直後。
たまたま隣り合った時に、心から詫びる優花に向けられるリュウの表情は柔らかい。
「気にしないで。授業って、眠くなりますよね」
でも、最初は感じなかった微妙な距離感が、否が応にも、自分がしでかしたことを、優花に実感させる。
今日は、もうぜったい居眠りしないぞ!
そうすれば、あの夢の続きを、見ることもないんだから。
よし!
と、ゲームに集中しようとしたその時。
バシュッ! っと、
斜め前方で、敵方前衛の男子がスパイクを決めた重い打撃音が上がった次の瞬間、
ゴイーン!と、顔面にものすごい衝撃を感じる間もなく、世界は暗転。
『ゴメンな、優花……』
なぜか、すまなそうに詫びる晃一郎の声が聞こえた気がした。
そして、
優花の意識は再び、深い深い眠りの中へ引き込まれていった――。
――イヤ。
見タクナイノニ――。
夢は、再び現実となって、動き出す――。
「優花、何を食べるか決まったかい?」
運転席から、笑いを含んだ父の声が飛んできて、優花は眉根を寄せた。
流れに乗って走っていたバイパスがもうすぐ終わり、車は直に市街地へと入る。
さすがに行く先を決めないと、運転手の父が困ってしまう。
「う~~ん。どうしようかなぁ」
「なんでも良いのよ。食べたい料理を言ってみなさいよ。何もこれが最後ってわけじゃないんだから」
クスクスと、楽しげに笑いをもらしながら言う母に向かい、「だって、迷うんだもん」と、口を尖らせてみる。
食後のケーキが食べられるのは、洋食よね。
「イタリアンか、フレンチ……う~~ん」
どうにか二つに絞れた。
最後は……、やっぱりフレンチが良いかな?
フルコースって言うのを一度食べてみたかったんだ。
よし、決まった!
『お父さん、フレンチのフルコース!』
そう、勢い込んで言おうとした正にその時だった。
えっ――?
視界に、信じられないようなものが入ってきた。
緩い左カーブに差し掛かった時だった。
すぐ前を走っていた、大きなトレーラーが、ぐらりとバランスを崩し右側の車輪がフワッと浮かび上がった。
瞬きすらできなかった。
スリップし、横ざまになったトレーラーの最後部に付けられたプレートの『危険』の赤い文字が、スローモーションで大きくなっていく。
夜気を裂いて響き渡る、甲高いブレーキ音。
父の、母の、そして自分の、声にならない悲鳴が上がり、
耳をつんざく轟音とともに、世界がグルリと回転した。
永遠とも思える、一瞬の恐怖の静寂。
その静寂を蹴破って、鉄と鉄がぶつかり合う重い衝突音が空気を震わす。
まるで作りたての飴細工のように、あまりにも簡単に、ひしゃげ潰れていく車体。
鼻をつく、ガソリン臭。
口腔に広がるむせ返るような、鉄の味。
何が起こっているのか理解する暇もなく、
襲いかかるどうしようもなく圧倒的な力に、振られ揺さぶられ叩きつけられ、
やがて、視界が赤く染まった。
なぜか、痛みは感じない。
あまりに深すぎる傷は痛みを感じないのだと、そう教えてくれたのは、晃ちゃんだったか。
優しい幼なじみの面影が脳裏に浮かんだとたんに、背筋を這い上がってきた恐怖心に全身が震えた。
――やだ。
死にたくない。
私、まだ死にたくないっ!
それは、生物としての死への恐怖。
純粋な、生への渇望。
『優花!? お前、優花なのか!?』
――晃、ちゃん?
『大丈夫だ、必ず助かる。だから頑張れっ!』
朦朧とした意識の下で優花が最後に聞いたのは、なぜかその場には居ないはずの、幼なじみ、御堂晃一郎の驚きに満ちた声だった。




