01
――ああ、夢だ。
夢を見ている。
それも、絶対見たくない、残酷な悪夢を――。
そう、忘れもしない、あれは三年前。
中三の夏休みだった。
昼間の猛暑の名残りをまだ充分に残した、肌をじっとりと濡らすような蒸れた空気に包まれた、そんな夕暮れ。
車の窓越しに流れ行く、夜の帳に包まれる間際の空は、燃えるような茜色に染まっていた。
『受験勉強の息抜きに、たまには家族みんなで外食をしよう!』という優花の提案で、父が久々に車を出すことになったのだ。
祖父母は、三人で行っておいでと、笑顔で送り出してくれた。
運転席は父。助手席が母で、運転席の後ろの座席が一人娘である優花の指定席。
七歳くらいのころに、『わたしも、助手席に乗りたいっ!』と父に言ったら、『助手席はお母さんの指定席だから、大きくなったらカレシに乗せてもらいなさい』と、やんわりと笑って断られたことがある。
今にして思えば、日頃あまり語らない人だった父の、母に関する数少ない『のろけ』だったのだと思い当たる。
仲睦まじく並んで座る両親の後姿は、ちょっと気恥ずかしいけどホッと安心できるそんな光景で、その一時は、確かに幸せな、かけがえのない、大切な時間だった。
共働きで忙しい両親と外食に出かけるのはかなり久しぶりで、とてもウキウキしていた。
目的地は、市の中心にあるレストラン街。
日本食はもちろん、中華からインド料理まで、世界のありとあらゆる食が味わえることが売りのこのレストラン街に訪れるのは、これで何度目だろうか。
料理好きの『お祖母ちゃんとお母さんコンビ』のおかげで、誕生日には手作りケーキや特製料理が並ぶ家なので、外食自体数えるほどしかしたことがない。
最後に来たのは中学の入学祝いで、祖父母も一緒。和風料亭で、珍しい『豆腐料理尽くし』を堪能した。
うん、あれはとっても美味しかったなぁ。
今日は、何にしようか?
中華も捨てがたいし、イタリアンも食べてみたい。
エビチリ、フカヒレ、春巻、スパゲッティー、ステーキ……。
うう~っ、迷うなぁ。
料理を選ぶ権利を貰えた優花は、いつものごとく優柔不断の虫が発動して、この期に及んで何料理にするか決めかねていた。
「優花、何を食べるか決まったかい?」
運転席から、笑いを含んだ父の声が飛んできて、優花は眉根を寄せた。
流れに乗って走っていたバイパスがもうすぐ終わり、車は直に市街地へと入る。
さすがに行く先を決めないと、運転手の父が困ってしまう。
「う~~ん。どうしようかなぁ」
「なんでも良いのよ。食べたい料理を言ってみなさいよ。何もこれが最後ってわけじゃないんだから」
クスクスと、楽しげに笑いをもらしながら言う母に向かい、「だって、迷うんだもん」と、口を尖らせてみる。
食後のケーキが食べられるのは、洋食よね。
「イタリアンか、フレンチ……う~~ん」
どうにか二つに絞れた。
最後は……、やっぱりフレンチが良いかな?
フルコースって言うのを一度食べてみたかったんだ。
よし、決まった!
『お父さん、フレンチのフルコース!』
――ダメ。
――コレ以上、思イ出シテハ、ダメ――
夢と現実の狭間で、優花はたとえようもない恐怖心に駆られて、頭を振った。
「ゆう……優花!」
自分を呼ぶ声に、すうっと、夢の世界が遠のいていく。
「優花ったら、起きなさいよっ!」
友人が自分を呼ぶ声に、ハッと現実に引き戻された優花は、呆然と声の主を見つめた。
少し癖のあるセミロングの黒髪と、小麦色の肌。
黒縁メガネの奥の意志の強そうな綺麗な二重の瞳が、呆れたように自分に向けられている。
「玲子……ちゃん?」
「玲子ちゃんじゃないよ。何、一時間目から居眠りこいてるのよ?」
「ほえ……?」
居眠り?
まだ、寝ぼけた思考が、現実に帰りきらない。
「ちょっと、大丈夫? なんだか顔色悪いよ?」
あ、そうか。
現国の授業を受けていて……。
「優花?」
「あ、ううん。平気平気。やだなぁ、ついついウトウトしちゃった」
まさか、リュウの心地よい声音に眠りに引き込まれたとは言えない優花は、『あははは』と、引きつった笑いでごまかした。
猫にカツオブシ。
こんな絶好の小説ネタを、玲子に提供してしまったら、後々面倒なことになるに決まっている。
幼なじみと海外留学生との間で揺れる、恋に悩めるヒロインの役になるのは、御免こうむりたかった。
あの手の話は、読む分には楽しいが、自分で演じるのは羞恥心の許容量を遥かに超えている。
それに、玲子のことだから、ドロドロでろでろの、ミステリーサスペンス仕立てにされてしまう可能性もなきにしもあらず、だ。
身近な人間と、ラブあまストーリーを演じるのも嫌だが、血みどろの復讐劇を演じるのは、もっと嫌だ。




