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【黄昏の記憶】~ファースト・キスは封印の味~  作者: 水樹ゆう
第一章◆脱  出 《Escape》
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09


「ってぇ。すっげぇなー。こんな静電気、ギネス申請ものじゃないか?」

 立ち上がりざま、『おーいてっ』と、ブツブツ文句を言っている割には、左手をフリフリする晃一郎の、のほほんとした表情に、危機感はまったく見られない。むしろ、なぜか、楽しげにさえ思える。

「静……電気?」

 優花は呆然と呟き、駆け寄った体制のまま、その場に立ち尽くした。

 ――そんな、生易しいものだった、今のが?

 静電気どころか、雷が落ちたと言っても過言ではないくらいの、ものすごい衝撃。

 少なくとも、今まで、優花は、こんな現象は見たことがない。

 その場にいた誰もが、優花と同じように、違和を感じたのだろう。

 しんと静まり返っていた教室に、ざわめきが、波紋のように広がっていく。

「晃……ちゃん、大丈夫なの?」

 おそるおそる尋ねてみれば、「平気平気。ただの静電気だから」と、ニッコリ満面の笑みで返された。

 どうあっても、ただの『少し大きい静電気』で、収めたいらしい。

「Are you all right?」

 笑みを刻んだ表情のまま、完璧な発音でさらりと言うと、晃一郎は、片膝をついたままのリュウに、左手を差し出す。

「大丈夫です。本当、すごい『静電気』でしたね。御堂くんは親戚に電気ウナギでもいるんですか?」

 リュウは、晃一郎の差し出した左手を取ることはなく、身軽に立ち上がると、これまた完璧な発音の日本語で答えを返す。

 その顔に浮かぶのは、満面の、エンジェル・スマイル。

 ライト・ブラウンとディープ・ブルーの瞳が、真っ向から対峙する。

 うわー、なにこれ?

 一見、和やかそうな雰囲気の下に流れる、そこはかとない不穏な空気。

 優花には、見えない火花が散ったのが、見えた気がした。

「そっか、静電気か、静電気……」

『納得した』というよりは、『納得したい』といった風情で呟きながら、黒板の前でヨロヨロと立ち上がった人物に、皆の視線が集まる。

 教室内で唯一の成人男性で、責任者でもある担任の『鈴木先生』は、ずれた黒縁メガネを指先で調整し、教室の隅々に視線を巡らせると、ほっとしたように頬を緩めた。

「皆さん、ケガはないようですね。では、気を取り直して。御堂くん、あ、せっかくだから如月さんも、タキモトくんの案内役をお願いしますね」

「は……い?」

 私も?

 いきなり自分にお鉢が回ってきた優花は、キョトンと目を丸めて、鈴木先生と晃一郎とリュウの顔へ、順繰りに視線を走らせる。

 鈴木先生は、他意のない穏やかな笑顔で。

 晃一郎は、どこか憮然とした表情で。

 そしてリュウは、満面のエンジェル・スマイルで応えると、自然な動作で優花の方へ、右手を差し出した。

「どうぞヨロシク。えっと――」

「あ、優花、如月優花です。宜しくお願いしますっ」

 小首をかしげるリュウに、優花はぺこりと頭を下げて、右手を差し出す。

 先刻の静電気総動がチラリと脳裏をかすめ、少しばかりドキドキしたが、電気が走ることもなく無事握手は成立し、どうして、自分が教壇の前で、留学生と挨拶を交わしているのかよくわからないまま、狐にでもつままれたおももちの優花は、やや引きつり気味の笑顔を浮かべた。


 一時間目の現国。

 優花は、少しばかり困った状況に置かれていた。

 別に、教科自体には問題ない。

 問題なのは――。

「ゆーか。これはどう言う意味ですか?」

 と、漢字や単語をピックアップしては、興味津々で質問を投げてくる留学生・リュウの存在だった。

 担任から案内役を頼まれた手前、隣の席で机をくっつけて、世話をやくのは別にかまわない。

 でも。

「ええっと、これはね……」

 こうも至近距離で顔を覗き込まれると、他意はなくても、ドギマギしてしまう。

 ちなみに、晃一郎の隣ではなく、優花の隣の席なのには、リュウ本人の強い要望が反映されていた。

 優花を挟んで、晃一郎とリュウの席があり、玲子曰く『両手に花だね』ということになる。

 確かに、二人共、タイプの違うイケメンで優花の立場を羨ましく思う女生徒は多かったが、別に、この状況を優花が望んだわけではない。

「あ、じゃあ、これは?」

 ヒソヒソヒソ。

 耳元に落とされる、優しい声音は、酷く心地よい。

 リュウにしてみれば、他の生徒の邪魔にならないようにとの配慮なのかもしれないが、間近にこの声を聞いていると、思わずうっとり――と、すうっと、眠りに引き込まれそうになる。

 って、あれ?

 やだ。

 本当に、眠くなってきちゃ……。

 眠りに落ちる寸前の倦怠感に襲われた優花は、我知らず、こっくりと船を漕ぐ。

 突然、反応しなくなった優花の様子に、リュウは何事かと、その顔を覗き込んだ。

「ゆーか?」

 揺り起こそうと、のばしかけたリュウの手は、『コツン』と、机の上に投げ込まれた小さな白い紙片によって阻まれた。

 リュウは、器用に優花の頭上を超えてその紙片を投げ込んだ人物、晃一郎にチラリと、訝しげな視線を投げたが、紙片を広げ、中に書いてあるメモに目を通すと、『分かったよ』といったふうに、肩をすくめた。

 メモの内容を要約すると、『彼女は疲れているから起こすな!』で、詳細に言えば、『昨夜、彼女は俺と徹夜して疲れているから、起こすな!』だった。

 優花が知ったら目をむくこと間違いなしの文句が英語で書かれたメモは、リュウ以外は目にすることなく、その手のなかでグシャリと握りつぶされた。

 そんな二人のやり取りを知るべくもなく、

 優花は、異常とも思える、深い眠りの中へ引き込まれていった――。





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