00
忘れない。
たとえ、
すべてが消えてしまっても。
何ひとつ残らなくても。
この手は覚えている。
繋いだ手の感触を、
そのぬくもりを、
私は、
ぜったい、忘れたりしない――。
【黄昏の記憶】
~ファースト・キスは封印の味~
暮れなずむ、見慣れた街の向こう側へ、
沈み行く深紅に燃える夕日を、今まさに飲み込もうとする、夜の闇。
その闇にまぎれるように、急に下がりだした夜気に身を震わせる暇もなく、家路に急ぐ人波を縫って、少女はひたすら走っていた。
一つ、
また一つ、
燈っていく街の灯りが、視界の先で激しく舞い踊る。
――苦しい。
足が、腕が、肺が、そして、心臓が。
もうこれ以上の負荷には耐えられないと、もう限界だと悲鳴を上げている。
でも、
止まるわけにはいかない。
はあはあと上がる息の下、湧き上がる、たとえようもない恐怖心。
怖かった。
足を止めたら、
追って来るモノに捕らわれてしまったら、
そこで全てが終わってしまう。
自分と言う存在を跡形もなく消し去られてしまう、そんな恐怖心。
耐えられたのは、たぶん、震えるこの手をギュッと握り締めてくれている『彼』の存在のおかげだ。
少女の手を引く、力強い大きな手。
伝わるぬくもりが、ともすれば挫けそうになる心を奮い起こしてくれる。
そう。
少女は、一人ではなかった。
街中を抜けた、人気のない森の道。
太陽の最後の残照が、少女の手を引いて走る彼のシルエットを、薄闇の中にくっきりと浮かび上がらせる。
均整の取れた、スラリとした体躯。
小柄な少女からすれば、見上げる位置にある彼の横顔。
無駄なモノがそぎ落とされたようにシャープな頬の輪郭と、高い鼻梁。
風を受けてなびく、サラサラな金色の頭髪。
その存在の一つ一つが、心を揺さぶる。
離れたくない。
ずっと、一緒にいたい。
こみ上げる想いが、懸命に動き続けていた少女の足を止める。
「!?」
驚いたよう振り返る彼に、全身で息をつきながら、少女は、ふるふると頭を振った。
「もう少しだから頑張れ!」
ギュッと握る手に力を込められても、再びふるふると頭を振った。
――だって、
このまま行けば、そこにあるのは『別れ』。
なら、それなら、
最後までこのまま一緒にいたい――。
「っ……」
言葉にできない想いが涙の雫となって瞳から溢れ出し、止めどなく頬を伝い落ちる。
立ちすくみ、ただ声を殺してしゃくり上げる少女を、彼は優しく引き寄せると、まるで壊れ物を扱うみたいにすっぽりと包みこんで、少女の頭にそっと顎を乗せた。
冷えた体に、じんわりと染み渡る彼の体温。
そのぬくもりに身を預けながら、やはり少女はなす術もなく泣くことしかできない。
「優花……」
少し困ったように、
そして諭すように、彼は少女の名を呼ぶ。
分かっている。
これは、誰でもない少女自身が選んだこと。
それでも、胸が痛い。
この期に及んで、このぬくもりを手放してしまうことが、迫りくるモノよりも怖いなんて。
――私っていつもこうだ。
優柔不断で、決意したつもりでも、すぐに心が揺らぐ。
こんなことじゃいけない。
残された時間が少ないなら、泣き顔でなんていたくない。
ほらっ、しっかりしろ、如月優花!
元気なのが、あんたの取り柄でしょうが!
顔を上げて、前を向かなきゃ!
ギュッと唇を噛んで自分に気合いをを入れ、精一杯の笑顔を作って、どうにか顔を上げる。
「ごめ……」
えっ?
詫びを言おうと開きかけた唇へ、不意に届いた柔らかい感触に、思わず思考が止まった。
驚きすぎた少女は、体を強張らせたまま目を瞬かせる。
『ごめんね』の言葉は、口から滑り出す前に彼の唇に遮られてしまったのだと、ぼんやりと理解した。
近づきすぎてピンボケだった彼の顔が少し離れて、呆然と見つめる少女の目の前ですっきりと像を結ぶ。
くっきり二重の色素の薄い茶色の瞳が少し照れたような色をたたえて、それでも真っ直ぐに少女の視線を捉える。
そして彼は微かに口の端を上げると、信じられないような台詞を吐いた。
「餞別に、貰っておくよ」
は、はあっ!?
「せ、餞別ぅっ!?」
――今の今まで『そんな気はこれっぽっちもない』ような涼しい顔で私の言うことをスルーしておいて、最後の最後に、こんなっ。
こんなの、不意打ちじゃないかっ!
「御堂晃一郎の卑怯者ーっ!!」
……って、
……あれ?