君と一緒に
暗闇に包まれた教室。
タワー型のパソコンが何台も並ぶ。ここはパソコン室のようだ。
テレビ画面の光だけを頼りにキーボードを打っていく人影。
教室にはパソコンの冷却ファンの音だけが聞こえる。
学校のパソコンには、電源を切った後に履歴などが全部、消える機能が付いている。よ
って、この犯行は見つからない。
パソコンにCDのインストールをしてデジタルカメラのコードを差込口に接続し、情報を
送り込む。
画面にはフランス人形の動画が映し出される。
おそらく、自分の家で撮影した画像だろう。
そして、マウスでカーソルを動かし、左下のメイルの『送信』というボタンを押した。
人影はニタリと笑う。
――愛なんて感情はこの世から消えてしまえばいいんだ。
木製の勉強机の上には文学と華道の本が乱雑に散らかっている。
その上で気持ちよさそうに突っ伏して寝ている青年がいた。
プルルル。
突然、携帯電話の着信音がなる。
青年はゆっくりと顔を上げて起き、散らかっている本を整理しながら、埋もれていた携帯電話を取り出した。
親指でボタンを押し、誰からのメイルなのか確かめる。
件名には『ルミ』という女友達の名前が書いてあった。だがアドレスが書かれていない。
メイルの中身を見てみると、
『私、明日、死ぬね』
と、書いてあった。
何かの悪戯だろうか? 青年は最初、そう思った。
華道部屋と書かれた掛け軸。
日本の趣のある襖を開けると、等間隔に並べられた、長方形型の茶色のテーブルが並んでいる。
皆、正座をしながら音を立てず、静かに剣山に花をいけている。
大半が女が占める中に青年も混じっていた。
青年の家は花屋なためか、幼い頃から花が好きで、数少ない日本の伝統を残している大学の文学部へ進学し、その道を究めるため華道部に入ったのだ。
パンパン!
女性の先生が手を叩いた。今日はここまで、と言って片付けるように生徒を促す。
ある程度、片付けられたテーブルを屈んで雑巾で拭いていると、
「ねぇ、ケイタ」
青年の名を呼ぶ声が横から聞こえた。
一旦、雑巾がけをやめて声が聞こえた方に顔を向けた。
そこには丸顔でパッチリと大きな目が印象的な少女が立っていた。
ケイタと呼ばれた青年の顔を見て、にっこりと微笑む。
「帰りに遊びに行かない?」
「……いいよ。暇だし」
やった、と少女は小声で呟いた。
「遊びに行くってどこによ」
いきなり、艶麗な少女が二人の間に割り込む。ニヤニヤ、としながら二人を交互に見やる。
「ハルカったら顔、真っ赤」
「やめてよ!」
ハルカは顔を赤くして怒る。
今年、ハルカはこの学校に入学してきた。ハルカは心理学部でケイタとは学部は違うがこの華道部で知り合い、話などしているうちにケイタが彼女を好きになり、しだいにハルカも好きになって交際が始まったのだ。
それをからかうのを毎回のように楽しみにしているのがルミというハルカの友達だ。
ルミは顔を赤らめるハルカを面白がって笑っている。苛めているわけではない。すぐ本気になって怒るハルカが可愛くてしょうがないのだ。
ふと、ケイタは昨日のメイルのことを思い出す。
『私、明日、死ぬね』
この元気な顔をみるかぎりでは、あれはいたずらだったのだろうか?
いつもと変わらない言動。ルミは普段、クールな人間だ。ハルカの前だけ笑顔を見せる。もし、あんなメイルを送るほど情緒不安定ならば笑顔なんてみせないはずだ。
この様子だと大丈夫そうだ。でも、少し心配なので後で電話でもしてみよう、とケイタは思った。
夕刻。
ケイタは硝子張りになっている学校の玄関前でハルカのことを待っていた。
皮のジャケットを着ていても秋風が肌にしみる。
彼女は勉強熱心でよく校内にある図書館に寄るって色々調べたりしている。一年生の中では屈指の優等生だ。ケイタは図書館という場所がどうも好きじゃないので、いつものように玄関先で待っている。
人の少ない玄関前で夕焼けの空を見上げていると、ケイタの名を呼ぶ快活な声が聞こえた。
振り返ると同じ学部でケイタと幼馴染のショウゴがこちらへ歩み寄って来る。
細い目に、少し彫りの深い顔という特徴的な顔をしている。
ショウゴは下駄箱で靴をはきかえながら、
「これから暇?」
と、元気な声で訊いた。
「いや、彼女と待ち合わせしてるから」
「そうかぁ……。いいよなぁ。ケイタはモテてよぉ」
そう言って残念そうな顔をした。
ケイタはショウゴの首から提げてあるカメラを見た。写真部の帰りか、訊こうとした。
ドンッ!
いきなり、腰まである長い黒髪の少女がショウゴの肩にぶつかった。
謝らずにそのまま去っていった少女に、ぶつかられた本人は悪態をついた。
苦笑しながらショウゴを宥めていると、ケイタの携帯電話の着信音が鳴った。
紺色のジーパンから携帯電話を出す。ハルカからのメイルだった。
『先生に大事なことを頼まれて、一緒に帰れそうにない』
そう書いてあった。
「優等生ってのは大変だな」
勝手にメイルを覗き、皮肉混じりにショウゴが言う。
「人のこと言ってる暇だあったら勉強しろよ。留年しそうなんだろ」
「わかってるよ。それくらい」
ショウゴはそう言うと口を尖らせた。次に、フッと小さく笑った。
「その留年しそうな俺は帰るよ」
と、言って笑顔で校門を出て行った。
本気で留年のこと考えているんだろうか。
ケイタは心配そうな顔で校門から去っていく彼の背中を見送った。
いつの間にか外は真っ暗になっていた。
腕時計を見ると針が午後七時を指していた。
暇だったのでルミに電話して、昨日のことを聞こうとしたが電話がつながらない。誰かと話している最中なのかもしれない。
「あれ!? ケイタ、待ってたの?」
ハルカは吃驚した顔で学校の玄関前に出た。
「待ってなくてよかったのに」
「いいんだよ」
ケイタは柔和に微笑む。
そうだ、とケイタは何かを思い出し、紺色のジーンズの右ポケットから何かを取り出し、ハルカに渡した。
「これ、私が欲しがってたストラップ!」
マラカイトのような石であしらわれたチューリップの形をした携帯ストラップ。
ありがとう、とハルカは嬉しそうに微笑んだ。
「帰ろうか」
と、ケイタが目線を校門に向けた時――。
目の前に黒い物体が落下し、物が潰れるような鈍い音がした。
ハルカがそれを見て耳を劈くような悲鳴をあげ、ケイタの腕にしがみついた。
頭から血を流すルミの姿。
昨日のメイルの予告どおり、彼女は自殺を図った。
さきほどまで、あんなに明るい笑顔を見せていたのに……。
翌日。
学校に警察が来て事件性がないか調べに来た。
昨日、ハルカは水島という担任の男性教師とパソコン室にいた。ケイタは学校の玄関前に居たのを何人かの生徒に見られていた。アリバイはちゃんとある。
今、ルミは意識不明の重体で病院にいる。
一応、警察にはメイルのことを教えた。今の時点では、ただの自殺未遂にされている。
自殺未遂になっているのは警察の調べで浮き彫りになったことが原因でもある。
ルミとショウゴが隠れて付き合ってたことだ。ルミは異性からかなり好感をもたれている。だから付き合っていることを知れば反感を食らうため隠していたのだろう。
嫉妬深いショウゴが前からルミがケイタに馴れ馴れしくしているのを気にしていて、誤解を生んだらしい。それで悶着になりルミの誤解が解けず、自殺に至ったとテレビで報道されている。
ケイタは自宅でクリーム色のソファーに座り、右手にリモコンを持ち、テレビとにらめ
っこしていた。
どこの番組も『○○大学 女子自殺未遂』を放送している。しばらくすると、学校関係者のインタビューが始まった。
ため息をつき、チャンネルを変えようとしたがやめる。
『ショウゴ君って、とても嫉妬深くて彼女も困ってたみたいなんですよ』
インタビューを受けている女子。顔にはモザイクがかかっていて、声は変声機で変えられている。
ケイタは小首を傾げた。
この子、見覚えがあるような……。
と、思った時、玄関のチャイムが鳴った。
ケイタはテレビの電源を消して、インターホンの受話器を取る。はい、と返事をする。
「ケイタか?」
聞きなれた声。すぐにショウゴだと判った。
でも本人か確かめるため、名前を訊くと彼は安堵の声をもらした。
「話したいことがあるんだ。いいか?」
「いいよ……」
「……今、家に誰かいるか?」
いない、と答える。せかすように、早く家に入れてくれ、とショウゴは言った。
その声はとても疲れきっているようにも思えた。
ショウゴは家に入る際、周りをキョロキョロと見渡していた。玄関の扉が開くと急いで家に入った。
いくら事件性がないとしてもマスコミに追いかけられるのではないか、と思ったショウゴは、黒いジャケットに白いパーカーのフードを目深にして来た。片手には黒いバックを提げている。
家に上がり、リビングのクリーム色のソファーに腰をかけている彼に、ケイタは外は秋風で寒いだろうと思いココア出した。
ショウゴの目の前のテーブルを挟んで同じ色のソファーに腰を下ろし、ケイタは話したいことって何か、と訊いた。
「証を立てたいんだ」
言っている意味がよく判らず、ケイタは小首を傾げると、彼は手に持っていたマグカップをテーブルに置いて急に立ち上がり、
「あいつは自殺するようなやつじゃない!!」
声を荒らげて、そう言った。
落ち着け、となだめてショウゴをソファーに座らせる。
ケイタは言ってる意味は判ったが一応、何の証を立てたいのか尋ねた。
「今、テレビとか学校で噂になってるルミの自殺未遂のこと。さっきも言ったとおり。あの程度で自殺するようなやつじゃない。だから身の証を立てたいんだ」
そういえば、ルミは色々な男と付き合ってきて「時間を返せ!!」「買ったものすべて返せ!!」など酷いことを言われてきたらしい。ショウゴの言うとおり、その程度で自殺するとは思えない。なら、これは殺人未遂ってことになるぞ、とケイタは思うと、眉をひそめた。
「お願いだ。ルミのためにも証を立てたいんだ!! 協力してくれ」
頼みはお前しかいないんだ、と付け足された。
ケイタはあごに手をあて考えた。
今、学校では何故か、ボクまで犯罪者みたいな目で見られている。ショウゴの証が立てば、ボクの潔白も晴れるだろうか……。
ケイタはう〜ん、と唸ってから答えた。
「……わかった。手伝うよ」
ショウゴはケイタの両手を握り、やっぱりお前は親友だ、と涙した。
「で、何か証拠になる物、持ってるのか?」
待ってました、と言わんばかりに、黒いバッグから何枚もの写真を出した。
流石は写真部。警察に見つからないように証拠になるものを撮ってきたらしい。
ケイタはその写真を一枚ずつ目を通す。ふと、ある写真に目が止まった。
映っていたのはフランス人形。次々めくると人形の写真ばかり。一つのストーリーにな
っているようだ。
机に向かうフランス人形が何かをしているまでで、写真は途中までしかなかった。
何故、途中までしかないのか訊くと、警察に見つかりそうになり、最後まで撮れなかったらしい。
「……不思議なんだよな」
「何が?」
と、ケイタは小首を傾げる。
「そのフランス人形の動画の時だけ、無題がなかった上に件名とコメント欄に何も書かれてなかったんだよ」
題名等に何も書かれて居なかった――誰かが外部から故意に送ったものなのか。
何故そのようなことをする必要がある。今の時点では判らない。
ケイタは目を凝らして写真を何回も見返す。
写真の端にとても小さな黒い点が映っている。ケイタは少し気になった。この点が何なのか。ショウゴに尋ねたが判らなかった。あまり、関係ないのかもしれない。
それよりも、彼女が瀕死の状態の前で写真を撮るなんて、人間性を疑うところだがすごく辛いのを隠して明るく振舞っているのには気づいた。もう、何年も一緒にいるのだから判る。証拠を探そうと必死な彼の姿を見ていると言葉にしなくても気持ちが伝わってきた。
――本気で彼女のことを好きだったんだ。
それから、写真を何度も見返したが結局、証拠になりそうなものは出てこなかった。
「――駄目だ!」
ショウゴは写真を宙に投げて、ソファーの背もたれに背中をつけて寄りかかった。
そもそも、これだけ少ない証拠で事件の真相を見つけようという考えが甘い、と思ってケイタは口に出してみた。
「じゃぁ、ハルカとエリナさんに頼んでみるか」
さっき、頼みはお前しかいないって言ったよな。
ケイタは半分呆れた顔で同意した。
ルミが自殺未遂を行ってから一週間が経とうとしていた。
大学の硝子張り玄関に向かって、ケイタはショウゴが家に置いていった写真を見ていた。
下駄箱の前に着き、靴を変えようとしたが、その前にあくびが出た。
証拠を探すのと学校の勉強で最近、あまり寝ていない。
目をこすっていると、軽く肩を叩かれた。
「……ケイタらしくないね」
次に、横から鋭い女性の声が聞こえた。
靴を履き替え、女性はケイタの後ろを通る。ケイタはそれを目で追った。
同じ文学部のエリナさん。絶対、名前の後に「さん」をつけないと何故か怒る少し変わ
った人だ。
綺麗なつり目とぷっくりとしたツヤのある唇。典型的な日本人の顔をしている。
ケイタに一度、背を向け、踵を返したエリナさんは心配そうに訊いた。
「あくびをするなんて珍しい」
「事件のことで寝る間を裂いてるから……」
そう言うとしっかり寝なさい、と怒られた。
ケイタはエリナさんの頬が腫れてることのに気いた。大丈夫か、と訊く。虫歯よ、と笑
った。
エリナさんは、たまに痣みたいな傷をつくってくる。ケイタが心配するたびに部活での怪我だという。
今回は虫歯か、とケイタも笑った。
「……それにしても嫌だ」
ケイタは怪訝な顔をする。
「ケイタは女たらし、だとか噂が流れてるじゃない」
「うん……」
「嫌じゃないの?」
「別にボクのこと判ってくれてる人だけに判ってもらえばいいよ」
その言葉に感慨深げに頷くと、
「私、信じてるから」
と、ケイタの肩を軽く叩いて笑った。ありがとう、と笑い返す。
ふと、ケイタは左耳にしてある紫い蝶のピアスに目がいった。
「今日は素敵なピアスしてるんだね」
「何、言ってるの? いつも、このピアスしてるんだけど」
頬を膨らませ、怒った表情を見せた。
「片方だけしかないの?」
「もう一つ無くしちゃって」
エリナさんは苦笑した。
その時――二人は何やら外が騒がしいことに気づいた。生徒たちが上を見上げて吃驚している。すると息を切らせながら血相を変えてハルカが走ってケイタの方に向かってきた。
「は、早く……上に……!!」
息が切れているせいか舌が回らない。ハルカは息を整えてから、もう一度、言葉を発した。
「……屋上にショウゴ君が!! フェンスを乗り越えて――」
「えっ!?」
ハルカの声を遮りケイタとエリナさんは驚く。
「自殺しようとしてるんじゃないの?」
エリナさんが狼狽しながら、そう言った。
ケイタは慌てて玄関を出て、上を見上げた。そこにはハルカの言ったとおり屋上のフェンスを乗り越え、虚ろな目をして今にも飛び降りそうなショウゴの姿があった。
「何をしている! 危ないからやめなさい!!」
大学の校門の前から水島先生が叫ぶ。ショウゴはまったく応じない。
ケイタは目の前にいるハルカとエリナさんを押しのけ、走って屋上に向かった。
一瞬、エリナさんの頭部から光るものが見えたような気がした。
走っている最中、ショウゴの言葉を思い出す。
『ルミのためにも証を立てたいんだ』
あんなこと言ってたショウゴが自殺を計るわけがない。何がどうなってるんだ!?
ケイタは屋上に繋がる階段を上ろうとした時、先輩、と引き止められた。
振り返ると、腰まである黒髪の少女が居た。日本人形のような風貌を持つ。
声と目元が誰かに似ている気がした。
確か、ルミが自殺する前にショウゴにぶつかって謝らなかった子だ。
「今、急いでるんだ」
「……サインに気づいてあげてください」
ケイタは小首を傾げた。
少女はそれだけ言って、去っていった。
屋上の入り口にいる野次馬を掻き分け、ショウゴの名を叫んだ。
「何、考えてんだよ。 馬鹿な真似はやめろよ!」
ショウゴは振り返らない。ケイタは焦る感情を殺し、彼に近づきながら優しく言った。
「笑えない冗談なんてお前らしくない。だから早く、こっちへこいよ」
その言葉にショウゴはゆっくりと振り返った。フッと冷笑をして、
「……お前はいいよな」
「どういう意味だよ?」
ショウゴはケイタの問いには答えず、腕を大きく横に広げた。
「……今までありがとう」
そう呟き、微笑を浮かべた。体が斜めになり、落下しそうになる。
ケイタはフェンスの間から手を伸ばし助けようとしたが、すでに遅かった。
――彼はそこにはいない。
心の苦痛を表すかのように「あー!!」と雄たけびをあげた。雄たけびが終わるとうつむき目をつむった。
ショウゴとは小学四年生の頃から一緒だった。辛いときは互いに助け合ったし、喧嘩もよくした。彼は唯一の親友だった。
何故、こんなことに……。
ケイタは悲しさのあまり涙もこぼれない目をゆっくりとあけた。
すぐに瞳に映ったのはフェンスの向こうにあるショウゴの携帯電話だった。
フェンスの間から手を伸ばし、携帯電話を取る。開くと未読の着信メイルが届いていた。
メイルの内容を確かめる。題名等に何も書かれていない。添付ファイルだけ付いていた。
まさか、と思いメイルの履歴を確かめる。
履歴には無題のメイルが何通か届いている。やはり、ルミの時と同じ人形。またしも黒い点が写っている。
無題のメイルに添付してあった動画をすべて見てみた。内容は勉強に苦しんで成績が伸びない子が自殺するという物語。どのメイルを見ても同じ画像だった。
二人は留年しそうだった。こんな画像で死んだってういうのか?
先生たちが野次馬を追い払っている隙を見て、入ってきたハルカとエリナさんがケイタの名を呼び、駆けてくる。
「ショウゴは?」
と、エリナさんが尋ねるとケイタは悲しい顔で首を左右に振った。
「……あの馬鹿」
エリナさんは消え入りそうな声でそう言った。
「その携帯、何?」
ハルカが訊く。
言葉が出ず、携帯電話を彼女に渡した。
フランス人形の画面のままになっていた。ハルカは再生ボタンを押す。
見終えたのか、これで死んだのかケイタに訊いた。
「……だと思う」
ハルカの顔つきが変わった。
「あの写真見てから思ってたんだけど、これはサブリミナル効果かもしれない」
聞いたことがあるが、中身は判らない。ケイタはそう答えた。
潜在意識などの境界領域に刺激を与える事で表れる効果。ただし、科学的には証明されていない。映画やテレビ放送では実在するものとして禁止されている。
心理学部一年生のハルカが説明した。
「……なんで気づいてたのに言わなかったの?」
エリナさんが詰問口調で言う。
「それは……」
フェンスに向かって後ずさりながら、自信がなかったから、と弁解しようとした時――黒いロングスカートのポケットからマラカイトのような石であしらわれたチューリップの形をしたストラップが落ちた。
石の部分がいくつか取れている。
「……ケイタの言っていた黒い点ってまさか――ハルカが犯人だったの?」
「ちっ違う!!」
と、叫ぶように言った。
黒い点――ケイタは眉をひそめ、ハルカを見た。
彼の視線に気づいたハルカは泣きそうな顔で、
「あなたまで疑うの!?」
「君は犯人じゃない。エリナさん、ボクは黒い点のことを関係ないと思ってショウゴにしか言っていない」
「何言ってるの? 言ったじゃない。最近、もの忘れ激しいんじゃないの?」
ケイタはエリナさんを見据え、
「犯人はあなただ!」
鋭い口調で言った。
「……証拠は?」
「エリナさんが言った黒い点――おそらく無くした片方のピアスの欠片。部屋を探せば欠片が出てくるだろう。そして……」
ケイタは急に、エリナさんに近寄る。
彼女の髪に触れ、金色に光る色、糸のようなものをつまみ出した。
エリナさんの表情が曇りだす。
「人形の髪。違うか?」
エリナさんが否定しようと口を半分、開きかけたがやめた。
ため息をつき、
「そう。私が犯人で正解だよ」
彼女は言葉を続ける。
「でも、犯人はもう一人いる」
そう言うと、橙色のチェック柄の胸ポケットから写真を出した。それをケイタに渡す。
見てみると、さきほどの黒髪の少女と明るい笑顔で一緒に映っていた。
よく見ると、目元がそっくりだ。
「その子、ユキって言ってね。私との関係は異父の妹なの。でも私の勝手なエゴに付き合わせただけだから、犯人とは言えないね」
エリナさんは言葉を続けた。
「私は母親から虐待を受けているの。この頬の腫れは虐待の跡。犯行の理由は、恋人が出来て幸せそうな、あなたたちを見ていて腹が立ったの。何故、私だけ辛い目に会わなきゃいけないんだって。それで、私と同じ学校に通いたいって言っていたユキが今年、心理学部に合格したのを聞いて、使えるって思ったの」
一拍置いてから、
「心のどこかでは判っていたの。私だけが不幸なんじゃないって。でも憤怒が勝っちゃっ
て制御できなくなっちゃったの。本当に申し訳ない気持ちで今はいっぱい。ケイタなら優しいから私を救ってくれると思ってた。だから最初にメイルを送ったの」
最後に、ごめんなさい、と言ってエリナさんは自分の顔を手で覆って泣き崩れた。
その後、エリナさんとユキは警察に自首をした。
ケイタはエリナさんの言葉を聞いて、虐待のことを深く考えるようになった。
虐待は弱いものいじめと同じだと思う。自分が辛い思いをして生んだ子供なのだから、ちゃんと愛情を注いでほしい、と心の底から思った。