27 第一王子の決心
前話「26 皇帝陛下の執心」ですが、順番入れ替えのため24話→26話へ再投稿しています。
「24 王子たちの旅行」「25 第二王子と贈り物」をまだお読みいただいてない方は先にお読みいただけると幸いです。
午後の陽射しがやわらかく差し込む居間で、ルカはそわそわと落ち着かない様子で窓の外を見ていた。
「……兄上、最近ずっと元気ないよね」
ぽつりとこぼした言葉に、向かいの椅子に座っていたセドリックが肩をすくめる。
「元気がないというか、思いつめてるな。政務の量が増えてるせいかと思ってたが、それだけでもなさそうだ」
アルベールも、むっとした顔で腕を組んだ。
「この前も、ボクがガラスを割ったのに怒らなかった」
「やっぱり変だよね?」
ルカは心配そうに眉を下げる。
「兄上が簡単に悩みを口にするタイプじゃないのが厄介なんだよな」
セドリックがため息まじりに言った、そのときだった。
「何のお話かしら?」
のんびりした声とともに、チヨが茶器を持って現れる。三人ははっとして、一斉にそちらを向いた。
「チヨ!」
ルカが駆け寄る。
「兄上のことなんだ。最近、何だか変で……」
「思いつめてる感じがするんだよな」
「そうね……」
チヨは少し考えてから、にっこりと笑った。
「じゃあ、私が聞いてくるわ」
***
城の庭園は、午後の光に包まれて静かだった。
よく手入れされた芝はやわらかく、色とりどりの花が咲きそろっている。木々の葉は風に揺れ、噴水の水音がかすかに耳に心地よかった。
本当なら五人で散策していたはずだった。
だが、気づけばルカは「向こうのお花、すごくきれいだから見てくる」と言い、アルベールは「あっちに珍しい蝶がいる!」と駆けていった。セドリックにいたっては、「じゃあ俺はあいつらが妙なことしないよう見てくる」と、いかにもついでのような顔で二人のあとを追っていった。
残されたのは、チヨとレオンの二人だけだった。
チヨはその背中を見送りながら、ふっと笑う。
(みんな、本当に兄思いなのね)
二人は庭園の奥にある白い石のベンチに腰を下ろした。
花の香りがほのかに漂い、そばの木陰がやさしい涼しさをつくっている。
チヨはしばらく黙って庭を眺め、それからぽつりと口を開いた。
「それで、何を悩んでいるの?」
レオンの視線が、ゆっくりと花壇の先へ落ちる。
「あなた、ここしばらくずっと難しい顔をしていたもの。弟たちも心配していたわ」
「心配をかけるつもりはなかったんだがな」
「そういうところが、余計に心配なのよ」
チヨがやわらかく言うと、レオンはかすかに苦笑した。
だが、その笑みも長くは続かなかった。彼は前を向いたまま、静かに言った。
「私は……即位しようと思う」
庭園の静けさの中で、その言葉だけが妙にはっきりと響いた。
チヨは驚いた顔をしなかった。ただ、静かにその言葉を受け止める。
レオンは少しだけ間を置いて続けた。
「本来なら、もっと早く決めなければならないことだった。父上が亡くなった以上、王位を継ぐのは私の役目だ。そんなことは最初からわかっていた」
低い声には、長く抱えてきた迷いの重さがにじんでいた。
「だが、覚悟がなかった。王になるということは、国を、人を背負うということだ。弟たちとすらまともに話せない、そんな自分が王になっていいのか……踏ん切りがつかなかった」
レオンは少しだけ肩の力を抜き、庭園の奥へ目を向けた。
「だが最近、あいつらを見ていて思ったんだ。私が立ち止まっている間にも、弟たちはそれぞれ前へ進んでいる」
そこで、彼の声がほんの少しやわらいだ。
「セドリックは、最近ずいぶん勉強を頑張っている。あいつは昔から要領がよくて、人づきあいも上手い。だがその分、何事にも本気になりきらないところがあった」
レオンは苦笑する。
「それが今は、面倒な政務の話にもきちんと向き合っている。投げ出さずに理解しようとしているし、この前の夜会でアルベールがいなくなったときも、とても頼りになった」
「ええ。あの子、気配りができるもの。もともと素質はあったのよ」
「そうだな。私より、ずっと社交の場に向いている」
レオンは苦笑まじりに言ってから、今度は少し遠くを見るように続けた。
「ルカも変わった。以前のあいつは、驚くほど内気だった。私の顔色ばかりうかがって、自分の考えを口にすることも少なかった。私がそうさせていたところもあったんだろう」
その声音には、わずかな悔いがにじんでいる。
「だが最近のルカは、見違えるほど明るくなった。よく笑うようになったし、自分の好きなものを隠さなくなった。……それだけじゃない。兄である私に対しても、きちんと意見を言えるようになった。……少し生意気ではあるがな」
レオンの口元が、わずかにやわらぐ。
「この前の夜会でも、アルベールを探すために、苦手なはずの貴族たちと自分から会話していた。以前のあいつなら、考えられなかったことだ」
「ええ。ルカ、ちゃんと強くなっているのね」
「ああ。あいつなりに、変わろうとしているんだろう」
レオンは静かにうなずいた。
「アルベールもそうだ。まだ子どもで、甘えるし、反発もする。目を離せばすぐにどこかへ行く」
「……そこは褒めるところはなかったのかしら」
「事実だ」
チヨがくすりと笑うと、レオンも少しだけ表情をゆるめた。
そしてまた、まじめな顔に戻る。
「だが、最近は少しずつ王族としての自覚を持ちはじめている。以前より、周りを見て行動することが増えた。幼いなりに、自分の立場を理解しようとしているのがわかる」
花壇の向こうを見つめながら、レオンはぽつりと言った。
「私が思っていた以上に、みんなちゃんと育っていた」
チヨはその横顔を見た。
誇らしさと、安堵と、少しの寂しさが、ないまぜになっているように見えた。
「だから、私だけが逃げてはいられないと思ったんだ」
チヨはしばらく黙っていた。
責任感が強く、不器用で、誰よりも家族のことを見ている人。
それがレオンなのだと、あらためて思う。
そして、ふっと微笑んだ。
「あなたって、本当に弟思いなのね」
レオンが少しだけ目を見開く。
「……そう見えるか」
「ええ、とても」
チヨはまっすぐうなずいた。
「セドリックのことも、ルカのことも、アルベールのことも、ちゃんと見ているもの。どんなふうに頑張っているのか、どこが成長したのか、ひとつひとつちゃんと知っているでしょう?」
レオンはすぐには答えなかった。
風が吹いて、木々の葉がかすかに揺れる。
「口では厳しいことも言うけれど、本当はずっと気にかけてきたのね」
「……兄だからな」
ようやく返ってきたのは、それだけだった。
だが、その短い言葉の中にある思いは、十分すぎるほど伝わった。
「ええ、そうね」
チヨはやさしく言う。
「でも、兄だからって、ひとりで全部背負わなくてもいいのよ」
レオンがチヨを見る。
「あなたには頼れる弟たちがいるでしょう。セドリックも、ルカも、アルベールも、あなたのことをとても心配して、力になりたいと思っているわ。それは……あなたが大事に思ってきたからよ」
チヨはやわらかく微笑んだ。
「だから大丈夫。あなたなら、きっといい王様になれる」
その言葉に、レオンは少しだけ目を伏せた。
何かをのみこむように、ほんのわずかに息をついてから、チヨを見る。
「……ありがとう」
その声は静かで、けれど不思議なくらいやさしかった。
チヨは少しだけ目を丸くして、それからやわらかく笑う。
庭園には穏やかな静けさが満ちていた。
風がそっと木々を揺らし、花の香りが淡く漂う。
二人はしばらく、何も言わず並んで座っていた。
***
庭園から戻るころには、日が少し傾きはじめていた。
穏やかな夕暮れの気配が満ちはじめ、花々もどこかやわらかな色合いに見える。
チヨとレオンが戻ると、少し離れた木陰で待っていた三人が、いっせいに顔を上げた。
ルカはそわそわと落ち着かない様子で立ち上がり、アルベールは待ちくたびれたようにぱたぱたと駆け寄ってくる。セドリックは腕を組んだまま壁にもたれていたが、その目はしっかりと兄の顔を見ていた。
レオンはそんな弟たちを見渡して言った。
「……心配をかけてすまなかった」
三人がそろって目を見開いた。
まず驚いたのは、その言葉そのものだった。レオンがこうして自分から、まっすぐ詫びることは多くない。
「兄上が謝るなんて、明日は槍でも降るのか?」
セドリックが半ば冗談めかして言う。だがその声音には、どこかほっとした響きもあった。
レオンはあらためて三人を見た。
「……お前たちに話しておきたいことがある」
そのひと言で、場の空気がきゅっと引き締まる。
ルカが小さく息をのみ、セドリックも腕をほどいた。アルベールまで、何か重大な話だと察したのか、口を閉じてじっと兄を見上げる。
レオンはゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。
「私は、王に即位しようと思っている」
一瞬、風の音だけが聞こえた。
誰もが、すぐには言葉を返せなかった。
それは決して悪い意味ではない。ただ、あまりにも待ち望んでいた言葉だったからこそ、すぐには信じられなかったのだ。
「……本当に?」
最初に声を出したのはルカだった。
その目が、みるみるうちに大きくなる。
「兄上、本当に……そう決めたの?」
「ああ」
レオンがはっきりとうなずく。
その瞬間だった。
「よかった……!」
ルカの顔が、ぱっと花が咲くように明るくなった。
「ほんとうによかった……! 僕、ずっと、兄上がどうするつもりなのか気になってたんだ。兄上は何も言わないし、でもひとりで考えこんでるみたいだったし……」
言葉があふれて止まらない。
「王になるのは兄上しかいないって、僕、ずっと思ってた。……だから、すごくうれしい」
その声には、心からの安堵と喜びがにじんでいた。
レオンは少し驚いたようにルカを見る。
以前のルカなら、こんなふうにまっすぐ気持ちを口にすることはなかっただろう。
その隣で、セドリックがふっと笑った。
「ようやくだな、兄上」
からかうような調子ではあったが、目はまっすぐだった。
「正直、いつ言い出すかと思ってた」
セドリックは肩をすくめる。
だが次の瞬間、その笑みは少しだけやわらいだ。
「……でも、決めたなら、俺はうれしいよ」
軽く言ったようでいて、その一言には重みがあった。
「まあ仕方ないな。兄上が王になるっていうなら、弟の俺が支えてやりますか」
「そうか。なら勉強の量を増やすか」
「兄上、それはお手柔らかに……」
セドリックは照れくさそうに、そしてどこかうれしそうだった。
その横から、今度はアルベールがぐいっと前に出てきた。
「じゃあ、兄上が王様になるのか?」
「ああ」
レオンが答えると、アルベールの顔がぱあっと輝いた。
「すごい!」
思わずぴょんと跳ねる。
「やっぱり兄上が王様になるんだ! そうだと思ってた!」
「そうか」
「うん! だって兄上、いちばん年上だからな!」
一瞬、全員が黙った。
チヨが吹き出し、ルカが「それはそうなんだけど」と笑う。セドリックも肩を震わせた。
だがアルベールはいたって真面目な顔だ。
「兄上が王様になるなら、ボクもちゃんとする。今までみたいに子どもだって言われないようにする!」
その瞳はきらきらしていた。
「勉強もするし、ちゃんと話も聞くし、勝手に走っていかない!」
「最後のだけでも守ってくれ」
セドリックが言うと、アルベールは「がんばるぞ!」と胸を張る。
その姿に、レオンの口元もゆるんだ。
ほんの少し前まで、守るべき幼子だとばかり思っていた末の弟も、彼なりに前を向いている。
みんなが変わっていく。
自分の知らないところで、自分が思う以上に、ちゃんと育っている。
それがうれしくて。
どうしようもなく、寂しかった。
「兄上?」
ルカが不思議そうに首をかしげる。
気づけばレオンは、三人をじっと見つめたまま黙っていた。
「どうしたの?」
「……いや」
レオンは静かに首を振った。
「お前たちが、思っていた以上に頼もしくなっていたんだと、あらためて思っただけだ」
その言葉に、三人は顔を見合わせた。
ルカがうれしそうに笑い、セドリックは少し照れたように視線をそらし、アルベールは「えへへ」と満足そうに笑う。
その顔を見て、レオンの胸の奥がまた静かに痛んだ。
「……ありがとう」
不意にこぼれたその言葉に、弟たちはそろってきょとんとした。
「兄上、今日はほんとにどうしたの?」
ルカが目をぱちぱちさせる。
「槍でも降るんじゃないか?」
「ボク、槍は嫌だ!」
チヨが吹き出した。
弟たちはまた笑う。
にぎやかで、穏やかで、何でもない家族の時間だった。




