25 第二王子と贈り物
昼下がり、チヨが部屋で刺繍糸を整理していると、扉がこんこんと控えめに叩かれた。
「どうぞ」
入ってきたのはセドリックだった。いつものように軽い笑みを浮かべているが、今日はどこか落ち着かない。
「やあ、チヨ。少し時間、あるか?」
「ええ、もちろんよ。どうしたの?」
チヨが椅子をすすめると、セドリックは礼を言って腰を下ろした。けれど、すぐに本題を切り出す様子はない。少しだけ迷うように視線を泳がせ、それから肩をすくめた。
「兄上のことなんだ」
その声は、いつもより少しだけ真面目だった。
「最近、かなり疲れているだろう」
チヨは頷く。
「そうね。あの子、顔にはあまり出さないけれど、無理をしているわ」
「帝国の動きが怪しいらしい。それに即位のこともあるしな。兄上はもともと抱え込む性格だから、また一人で全部なんとかしようとしてる」
軽口を叩くような調子ではあったが、その奥に本物の心配がにじんでいた。
チヨは、ふっとやわらかく目を細めた。
「あなたは本当に、お兄さん思いね」
「……まあ、あの人が倒れたら俺も困るからな」
セドリックはわざとらしく肩をすくめる。
「それに、最近は俺も勉強を見てもらってるし。礼くらいしたいんだ」
「まあ!」
チヨはぱっと顔を明るくした。
「素敵じゃない。とてもいいことだわ」
「ただ、問題があってな」
セドリックは眉を寄せた。
「女の子に贈り物をしたことはあるが、男相手は勝手が違う。何を渡せばいいのか、さっぱり分からない」
「なるほどね」
(それに、チヨが選んだ品なら、きっと兄上も喜ぶだろうし)
そんなことを思ったが、口には出さなかった。
「いいわ。任せなさい」
「頼もしいな」
「お買い物に行きましょう」
「今から?」
「贈り物は、思い立ったときが買いどきよ」
チヨはそう言って立ち上がった。
こうして、チヨとセドリックの買い物が始まった。
***
二人が入ったのは、城下でも評判の不思議な道具店だった。
店の中には、長く使っても曇りにくい鏡、いつまでも香りが残る小袋、手を汚さず火を起こせる石など、便利そうな品々が所狭しと並んでいる。
「へえ。面白いものが多いな」
「便利そうねぇ」
チヨは棚を眺めながら、ひとつの羽ペンを手に取った。軸には細かな銀の装飾がほどこされ、いかにも上等そうだ。
「まあ、素敵な羽ペンね」
セドリックも覗き込む。
「見た目はいいな」
「すごく軽いわ」
すると、店主がさっと近づいてきた。
「お目が高い! そちらは白霞鳥の羽を使った羽ペンでして、驚くほど軽いんですよ。長く書いても疲れにくい品でして」
「へえ、すごいわね」
だがセドリックは少し考えてから、首を振った。
「いや、やめておこう。兄上はこういう文房具に妙なこだわりがあるんだ。重さや持ち心地が少し違うだけで気になるらしい」
チヨは感心したように目を丸くした。
「よく見ているのね」
「兄上のことだからな。気に入らないのに無理して使う未来が見える」
「それはだめね。贈り物は、気持ちよく使ってほしいもの」
二人は羽ペンを棚に戻した。
次に店主が勧めてきたのは、紫色の小瓶だった。
「でしたら、こちらはいかがでしょう! 疲労回復に効く、特製の滋養薬で!」
「まあ、そんなものまで売っているの」
「はい。特に殿方には大変人気でして。夜も元気に――」
「待て」
セドリックが即座に止めた。
「それ以上言うな」
店主はにこにこと小瓶を差し出してくる。
「お兄さまが最近お疲れとのことでしたら、ぜひ!」
「だから、いらん!」
珍しくセドリックが本気で焦っている。チヨは事情が分からないまま、小首をかしげた。
「元気になるお薬なら、よいのではなくて?」
「よくない」
「どうして?」
「そういう問題じゃないんだ」
「何が問題なの?」
「説明しづらい!」
セドリックが額を押さえると、チヨはしばらく考え込んだあと、ぽんと手を打った。
「まあ、そういうこと。滋養が強すぎるのね」
「違うような、違わないような……!」
店主はなおも食い下がろうとしたが、セドリックは素早くチヨの肩を押してその場を離れた。
「行くぞ」
「そんなに慌てなくても」
店の奥まで進むと、少し落ち着いた棚にたどり着いた。そこには日常使いの品が並んでいる。
少ない油でも明るく灯る卓上灯、虫を寄せつけない香木の札、長く使っても曇りにくい眼鏡。
「こういう実用品のほうがいいかもしれないな」
「そうね。レオンは役に立つもののほうが喜びそうだわ」
二人で棚を見ていくうち、ふと同じ品に目が止まった。
小ぶりなティーカップだった。上品な深い藍色に、銀の細工がふちを彩っている。他のティーカップより厚みのあるつくりになっていた。
店札にはこうある。
『冷めにくい素材のティーカップ』
セドリックとチヨは同時に顔を上げた。
「これだ」
「これね」
***
夕方、執務を終えたレオンの部屋を二人で訪ねると、レオンは書類の山から顔を上げた。
「なんだ、二人そろって」
「俺とチヨから、兄上に贈り物だ」
セドリックが言うと、レオンは目を瞬いた。
「私に?」
「いつも頑張ってる頑張り屋さんに、ね」
「それに、勉強を教えてもらっているしな」
セドリックが包みを差し出す。レオンは訝しみながらも受け取り、丁寧に包装をほどいた。
中から現れたティーカップを見て、レオンは一瞬言葉を失った。
「……これは」
「冷めにくい素材を使ってあるそうよ」
「兄上、仕事のしすぎで茶を冷ますのが得意だろう」
「得意なつもりはない」
そう言いながらも、レオンの表情はやわらいでいた。指先でそっとカップのふちをなぞり、目を細める。
「いい品だな」
その声音には、素直な喜びがにじんでいた。
「ありがとう。大事に使う」
セドリックは、それを聞いて満足そうに笑った。
「そうか」
それだけなのに、どこかほっとしたような顔だった。
チヨも嬉しそうに頷く。
「温かいものを温かいうちに飲めるだけで、少し元気が出るものよ」
「……そうだな」
レオンはカップを見つめながら、小さく笑った。
「二人とも、ありがとう」
***
部屋を出たあと、廊下を並んで歩きながら、セドリックは軽く息を吐いた。
「思った以上に喜んでくれたな」
「ええ。とても嬉しそうだったわ」
するとチヨは、ふと思い出したように足を止めた。
「そうだわ」
「ん?」
チヨは小さな包みを差し出した。
「これ、あなたに」
セドリックは目を丸くした。
「え? なんで俺に」
「あなたも勉強を頑張っているでしょう」
「いや、でも、今日は兄上への贈り物を……」
「だからって、あなたの頑張りを見ないふりはできないわ」
セドリックは包みを受け取る。開けてみると、中には小さなしおりが入っていた。深緑の紐に銀の飾りがついていて、手に持つとほのかによい香りがする。
「ハーブの香りがするしおりよ。集中力を高めるんですって」
「……へえ」
「勉強のおともにちょうどいいでしょう?」
セドリックはしばらくそれを見つめていたが、やがてふっと笑った。
「嬉しいな、これは」
「よかった」
チヨはやさしく言った。
「あなたはいつも、お兄さん思いね。でも、自分のことも大事にしなくちゃ」
その言葉に、セドリックは少しだけ目を見開いた。
冗談めかして返そうと思ったのに、なぜかうまく言葉が出てこない。
「……自分のことも?」
「ええ。あなたも十分頑張っているもの」
胸の奥が、ほんの少し熱くなった。
こんなふうに自分のことまで見てくれる相手は、そう多くない。
セドリックが何か言おうとした、そのときだった。
チヨがにっこりと続ける。
「さあ、これをルカとアルベールにも渡さなくっちゃ」
セドリックの動きが止まった。
「……は?」
「二人も頑張っているもの。ご褒美は必要だわ」
セドリックはその場で見事に撃沈した。
ほんの一瞬だけ、自分だけが特別なのではないかと期待してしまった自分が馬鹿らしい。
だが、そんな自分を責めるより先に、笑いが込み上げてきた。
「はは……そうだよな。チヨらしい」
「何か言った?」
「いや。別に」
セドリックはしおりを大事そうに握りしめ、少し前を歩くチヨの背中を見つめた。
「自分のことも大事にしろ、か……」
そう呟いて、ひとり苦く笑う。
手の中の小さな贈り物が、妙にあたたかく感じられた。




