22 第二王子のお見合い
王城の一角が、妙にざわついていた。
廊下の先まで人が並んでいる。色とりどりのドレス、香水の匂い、ひそひそ声。華やかなのに、どこか殺気立っているのが不思議だった。
チヨはその長い列を見て、目を丸くした。
「まあまあ、すごい行列ね」
隣で見ていたルカが、少し呆れたように肩をすくめる。
「セドリック兄さまのお見合い希望者だよ。兄さまは顔も広いし愛想もいいから、特に人気なんだ」
ルカはそう言って、列の先に視線を流した。
「今日の会は、半分お見合い、半分品評会みたいなものかな」
「まあ、人をお野菜みたいに言って」
「兄さまの場合、売れ筋商品みたいな扱いなんだよ」
チヨはふうん、と感心したように頷く。
「でも、セドリックなら大丈夫じゃないかしら。女の子の扱いには慣れていそうだもの」
ルカはなんとも言えない顔をした。
「それとこれとは別なんだよね」
「そういうものかしら」
「そういうものだよ」
(セドリック兄さまには、好きな人がいるからね)
ルカは心の中で、つぶやいた。
***
朝から、嫌な予感しかしなかった。
俺――セドリックは、鏡の前で正装の襟を整えながら、深々とため息をついた。
「殿下、本日も大変よくお似合いでございます」
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくが、できればこのまま病に倒れたことにしたい」
従者が困ったように微笑む。
「本日はお見合い会でございますので」
「知ってる。知ってるから気が重いんだよ」
軽い恋の駆け引きと、正式な見合いは違う。
遊び半分の会話ならどうとでもなる。だが、家や立場や将来が絡んだ“本気の場”となると、急に息苦しくなる。
しかも今日は朝から、妙な噂まで耳に入っていた。
最近、俺のまわりにいる“ある少女”のことだ。
まったく、城というのは人の噂が広がるのが早すぎる。
そんなことを考えていたところで、扉が勢いよく開いた。
「セドリック様!」
飛び込んできたのは、三人の令嬢だった。
全員、明らかに怒っている。
「チヨ様という方がいながら、どうしてお見合いなどなさるのです!」
「そうですわ!」
「ひどすぎます!」
「……は?」
思わず、間抜けな声が漏れた。
なんでそうなる。
「そもそもチヨはそういう相手じゃない」
三人はぴたりと黙った。だが、納得した顔ではない。
「では、チヨ様のことはなんとも思っていないのですか?」
「……それは」
そこでなぜか口ごもる自分に、内心で舌打ちする。
俺は半ばやけになって言った。
「だいたい、チヨは兄上とくっつくべきだろう」
沈黙。
そして三人は一斉に顔を見合わせた。
「まあ……!」
「なんて健気……!」
「身を引こうとなさって……!」
またその反応か。
「いや違う、身を引くとかじゃなくて――」
「ご自分の気持ちを押し殺してまで、兄君を優先なさるなんて……!」
「セドリック様、なんてお優しいの……!」
「いや、だからそうじゃない!」
否定すればするほど、彼女たちの目は潤んでいく。
駄目だ。話が通じない。
俺は額を押さえた。
「頼むから、その妙な物語を勝手に作るのはやめてくれ」
三人の令嬢は、しかしすっかり感動した顔で胸に手を当てていた。
「セドリック様……健気……」
「そんな苦しい恋を抱えたまま、お見合いだなんて……」
「わたくしたち、胸が痛みますわ……!」
始まる前から、精神が削られていく。
結局、三人は「慰めが欲しいときは言ってくださいませ」とか「せめてお心だけでも報われますように」とか、完全に別の話に仕立て上げたまま去っていった。
扉が閉まったあと、俺は深く息を吐いた。
***
一人目の令嬢は、控えめによく笑う人だった。
二人目は、紅茶に詳しい人だった。
三人目は、刺繍が趣味だと言った。
四人目は、子どものころから王都の社交界に親しんできたらしい。
皆、美しく、礼儀正しく、非の打ち所がない。
なのに、どうしても比べてしまう。
この人なら、こういう場では完璧だろう。
でも、お茶を飲んでいて楽しいのはチヨだ。
この人は受け答えが上品だ。
でも、思ったことを遠慮なく言って、気づけば場を明るくしてしまうのはチヨだ。
この人は香水の香りが華やかだ。
でも、なぜか落ち着くのは、茶葉や焼き菓子の匂いをまとったチヨのそばだ。
失礼だとわかっているのに、頭の中から追い出せない。
疲れがたまったころに令嬢から尋ねられた。
「セドリック様は、どのような女性がお好みなのですか?」
軽い質問だった。
本来なら、いくらでも無難な答え方があったはずだ。
だが、その瞬間、気がゆるんでいたのだろう。
「そうだな……おばあちゃんみたいな人、かな」
口に出してから、凍りついた。
(何を言ってるんだ俺は……!)
目の前の令嬢が、引きつった微笑みを浮かべている。
「ち、違う! いや、違わないわけじゃないんだが違う! 今のは、その、安心感があるとか、包容力があるとか、そういう意味で――」
ああもう、最悪だ。
***
どうにか一人見送って、次の令嬢を迎える支度をしていた、そのときだった。
扉が開く。
俺は気を引き締めて顔を上げた。
そして、呼吸が止まった。
入ってきたのは、令嬢ではなかった。
「セドリック、お疲れさま」
チヨだった。
一瞬で、心臓が跳ね上がる。
どくん、と一度大きく鳴ったあと、今度は嫌になるほど速く打ちはじめた。
まさか。
まさか次の見合い相手が、チヨなのか?
そんなはずはない。そんなはずはないのに、頭が一度そう考えてしまうと止まらなかった。
もしそうだったら。
もし、本当にそうだったら。
この場で向かい合って、改めて名を名乗られて、趣味だの理想だのを聞かれて。
いや、そんなまどろっこしいことをしなくてもいいのかもしれない。
チヨがこの城にいて、朝に顔を合わせて、昼にお茶を飲んで、夕方には他愛もない話をして。
たまに弟たちを叱って、兄上を困らせて、俺には呆れた顔をしながらも世話を焼いてくる。
いや、そんなの今までどおりじゃないか。
夫婦として。
結婚したら、どうなる。
チヨと結婚したら――
(待て。何を考えているんだ、俺!)
「……セドリック?」
その声で、ようやく我に返る。
「どうしたの、そんなに固まって」
「いや……その……」
喉がひどく渇いていた。
聞きたい。だが聞けない。
“見合い相手なのか”なんて、口が裂けても言えるわけがない。
チヨは何も知らない顔で、机の上に盆を置いた。
「休憩でしょう? お茶とお菓子を持ってきたの」
「……うん、だよね」
当然だ。何回やればいいんだこのパターン。
なのに、落胆と安堵が同時に押し寄せてきて、自分でもどうしたらいいのかわからなくなる。
心臓はまだうるさいままだった。
さっきまで一瞬でも夢を見た自分が、ひどく間抜けに思える。
けれど同時に、その夢が妙に甘くて、捨てきれない。
チヨは俺の顔をのぞき込む。
「本当に大丈夫? 顔が少し赤いわよ」
「気のせいだ」
即答したが、絶対に気のせいではない。
こんな近くで顔を見ないでほしい。さっきまで結婚した姿を想像していた相手に、そんな無防備にのぞき込まれたら余計に困る。
チヨはそんな俺の動揺に気づいた様子もなく、お茶を注いだ。
「お疲れさま。ずっとお見合いするのも大変でしょう」
「……まあね」
「甘いものも食べなさい。頭を使うと疲れるもの」
「見合いでこんなに消耗するとは思わなかった」
「えらいわね。逃げ出さないで、ちゃんと頑張っているじゃない」
その言い方があまりにもやさしくて、胸がまた変なふうに疼く。
こんなふうに労われたら、もう他の令嬢と何を話したらいいのかわからない。
俺は焼き菓子をひとつ手に取り、苦笑した。
「……チヨが相手なら、こんなに気疲れしないんだろうな」
ぽろりと本音が漏れた。
チヨはきょとんとしたあと、ふわりと笑う。
「まあ。私は練習相手に向かないとか言ってたくせに。見直したのかしら?」
「そうじゃなくて、その」
そう言いかけたとたん、部屋にノックが響いた。
「殿下」
気まずそうに従者が入ってきた。
「次の令嬢か?」
「……それが」
従者は非常に言いづらそうだった。
「すべての令嬢が、お見合いを辞退してお帰りになられました」
「は?」
今度こそ本気で固まった。
「全員?」
「はい」
従者は視線を泳がせながら続ける。
「会場内で、セドリック様の好きな女性のタイプが『おばあちゃんみたいな人』という話が広まっておりまして」
「やめろ」
「さらに、その折にチヨ殿が会場の女性方へお茶とお菓子を配っておられました」
隣でチヨがきょとんとしている。
「まあ。私がお茶を配ったのが何かしら?」
従者はたいへん気まずそうに答えた。
「皆さま、その……“なるほど”と」
終わった。
完全に終わった。
「しかも先ほど、こちらのお部屋でチヨ殿とお話しされているご様子を、多くの令嬢方が覗いておられまして……」
従者はとどめを刺すように言った。
「会場では、“応援します”という空気になり、皆様お帰りになられました」
「……~っ最悪だ!」
チヨは困ったように俺を見る。
「大丈夫?」
「大丈夫に見えるか?」
「見えないわね」
「だろうな……」
***
その日の夕方。
兄上――レオンは執務机に向かったまま、いかにも何気ない口調で言った。
「見合いの令嬢に逃げられたらしいな」
俺はソファに沈み込み、疲れきった声で返す。
「仕返しか、兄上」
「さあ? 何のことだ」
レオンは口元だけで小さく笑った。
(まったく、誰のせいでこんなに悩んでいると思ってるんだ)
俺はしばらく黙ってから、天井を見上げた。
確かに、今日は散々だった。
思い出すだけで転げ回りたくなるし、しばらく城を歩きたくもない。
だがその一方で、婚約相手が決まらなかったことに、胸の奥にほんの少し安堵があったのも事実だった。
「……参ったな」
俺は苦く笑った。




