05
一瞬のことだった。
低い呻き声と一緒に吹き飛ばされ、木にぶつかるいかにも痛そうな音が辺りに響く。
「うわぁっ、ごめんなさいすんませんっ」
銀の燐光を纏いながら、慌てふためいて吹っ飛んだ誰かのところに駆け寄る俺。やばい、こんなのタミフルにばれたらまた怒られる。水鏡の前で正座させられて説教の嵐っ。
……て、……あー…ここ、異世界なんだっけ。
思い出して若干力の抜けた俺は、いやいやそういう問題じゃない、と頭を振って吹っ飛ばしてしまった相手に近づき誰なのか観察した(だってやばそうな相手だったら逃げないとじゃねぇ?)。それに、俺の『壁』の力はかなり強力だからいざとなったら治療しないと。通草ほどじゃないが、俺にも出来なくはないし。
そんなことを思いながら相手のすぐそばまで近づいたら、咄嗟に受身をとったんだろうな、声を漏らさず草の上に手をつきながら身体を起こしてる短い黒髪の男と目が合った。
「……誰? あ、じゃなくて本当すんません怪我ないっすか?」
立ち上がり、無言で服…っていうかマントを払って鎧の埃を落としてる男の様子に、大きな怪我がなさそうだと安心しながら俺は一度頭を下げた。条件反射だったから『壁』も結構強力なもんだったと思うのに、案外平気そうな顔をしてる。受身がうまいんだなって思いながら、出来るだけそっと全身を眺めてみた。
耳が見えるほど短い髪、整っちゃいるが結ばれた唇と眉間の皺からしてなんか固そうな感じの顔。髪も瞳も黒だけど、顔立ちはやっぱり外人だ(っつか、俺がここじゃ確実にガイジンなんだろうけど)。背はむっちゃ高いな、俺がここまで見上げるってことは190くらいあってもおかしくねぇ。カッコからして武人って感じ…とと、肝心なとこ、あ、やっぱ帯剣してるか。でもまぁ、こんな埃落としてるくらいだ、襲ってきたわけじゃないだろ。そう思って安心すると俺は体の回りを隙間なく包んでいた銀の燐光、『壁』を消した。
「迎えに来た」
身繕いは済んだのか、男は俺を見下ろしながら…え、今なんつった?
「迎え?」
「ああ。時間がない、行くぞ」
「へっ?」
言っておくが、俺は特別華奢でも小柄でもない、ごく一般的な中肉中背の高校生男子だ。体重だって60キロ超えてる。なのにひょい、くらいの気軽さで肩に抱え上げられた。
(なんだーっ俺は米俵かっ!)
あまりの衝撃に口を開けなかった俺が了承したと勘違いしたのか、男はそのままスタスタと歩き出す。高所恐怖症のケがある俺は下手に暴れて落とされるのが怖くて(『壁』を出したとしたって怖いのは怖いんだっ)、結局ライルの家までその格好でいたのだった。
「…あの、これ、荷物です」
それからはあっという間だった。
馬に乗ったことがないという俺の言葉に呆れたような目線を寄越した男と一緒の馬に無言で乗せられ、この展開に何からどう聞いていいのやらさっぱりになっちまって、つまりは何にも状況が分かってない俺に、寂しそうな顔をしたシェインが布袋を差し出しながら声をかけてきた。受け取ってあけてみれば、中にはシェイン手製だろうパンと数日分の衣服、それと元の世界から来た時に着ていた制服。
「あー、ありがとな。シェインのパン、うまいし好き」
俺は馬上からシェインを見下ろしながら、「こっちこっち」と更に近づくよう手招きした。すると素直なシェインは何の疑いもなく馬のすぐ隣まで来た。そんなに純粋で大丈夫なのかお兄ちゃんは心配だぜ、なんて一人ごちつつ馬上からふわふわの金髪をかき乱すように遠慮なくくしゃくしゃと混ぜる。
「わっ、トシオっ」
「わわわわっ」
……かき混ぜるのに集中しすぎて馬から落ちるとこだった。後ろにいた男が咄嗟に支えてくれたから平気だったけど、一気に間近に見えた地面に心臓がどきどきする。俺、こんな調子で旅なんぞ大丈夫なんだろうか。後ろで男はため息ついてるし。何だよ、文句があるなら直接言いやがれコンチクショウ。
「だ、大丈夫ですかトシオ?」
「だ、だーいじょーぶだーいじょーぶ」
安心させるつもりが心配されてどうするよ俺。内心自分に乾いた笑い声をあげながらも、俺は落ち着くよう自分の胸を手で撫でながらシェインに頷く。一度深呼吸しよう。すーはーすーはー。人っつー字でも手のひらに書いてみるか、これで落ち着いたためしねぇんだけど。
「トシオ」
さっきの嫌がらせに後ろの男に全体重を預け、手綱も離して本気で手のひらに文字を書こうとした俺だったがシェインの声に我に返った。目の前のことに集中しすぎちまうのは俺の悪いクセ。っていうか、悪いクセいくつあるんだ俺。
「元気でな、シェイン。いろいろありがとう」
ほんの数日前のことなのに、なぜか懐かしく思えてしまう。くるくるとよく働くシェインは、手間が増えただろうに文句一つ言わず表情にも出さず俺の世話をしてくれてこの世界のことを色々教えてくれた。自分が異世界に来た、なんてことをすんなりと納得出来てさほど寂しくなかったのもシェインのおかげだろう。お互いの知識のすり合わせにぐったりしたのも、今となっては笑い話だ。
「シェインに逢えて良かった」
だから、最後は笑ってくれや。元が美少年なだけに悲しい顔も寂しい顔も絵にはなるけど、どうせなら笑顔が見たいじゃんか。そう続けた俺に、「しょうがないですね」なんてちょっとだけ憎まれ口を叩いた後、シェインは精一杯の笑顔を見せてくれた。
「お元気で」
「シェインも、ライルの世話で過労死すんなよ?」
「はい、勿論」
結局、ロクな説明なしで顔も見せない(俺が逃げたせいだなんて絶対認めねぇぞ)薄情魔術師の名前を出せばシェインの顔が自然に綻ぶ。あらまぁ、本当にあの根性悪のこと尊敬してるんだなこりゃ。ちょこっと呆れた俺の背中の方から「行くぞ」と低い声がして、こげ茶色の皮手袋が手綱を取った。どうしてこういきなりなんだこいつは。つーかライルも俺様系だから寧ろシェインが珍しいのかこの世界では。そう思いながらも俺はシェインに手を振って、歩き出した馬の振動に若干びくつきながらも、もらった袋をしっかりと抱え直した。




