ライル01
銀色の光に包まれた少年が自室の宙空から現れたのは夜半過ぎだった。
「じゃあ、頼む」
あっさりと言ってのけた目の前で浮いている私と同じ顔をした使いは、光に包まれて胎児のように身体を丸めている少年をいとおしげに見つめてから燐光を残して姿を消した。魔術とは違うその波動の型には興味が沸くのだが…だからと言って、とんだ厄介者を預かりたかったかといえば全くの否だ。
やれやれ、と嘆息と共にまだ浮いたままの少年を自分のベッドに寝かせることにした。どういった仕組みなのか銀の燐光は彼の身体の下に支えるように両腕を伸ばすと急に消えうせ、一気に荷重に耐える羽目に陥り慌ててベッドへと横たえる。生憎腕力が有り余ってるワケでもなく、加えて予想していなかった事態に寝させるのが精一杯でかなり雑な動作になってしまったが、どうやら少年の眠りは相当深いらしく起き出す様子は見せなかった。それが彼のもともとの性質なのか、使いによるものなのか…そこまでは私の与り知るところではない。
ひょんなことから預かることになってしまった少年を見下ろす。多少は痩躯にも見えるが、全体的には年代に相応しいのびやかな体つきを、この世界とは違う襟の詰まった濃灰色の礼服のようなもので包んでいる。髪の色はくすんだ茶色だが大分痛んでいるようにも見え、肌の色や顔立ちはこの大陸のものとは明らかに違う、異世界の少年。
この少年が、か……そう考えると多少の感慨がわかなくもないが、信じられない気持ちのほうが強い。シャイアの勘違いだったのではないかと、彼女が間違えたことなどなかったにも関わらずそう思わずにはいられない。複雑な気持ちのまま少年に毛布をかける。この時期は朝方が冷え込む、風邪を引かれても厄介だ。私は今後行うだろう彼の地への結界でも術室で試してみるとしよう。
翌朝、早めに食事をとったが少年が起きてくる気配はなかった。私の部屋で人の気配を感じたのだろう、シェインは物言いたげな視線でそわそわと私を見つめている。その視線でどういった誤解をしているか瞬時にわかってしまい、内心ため息をつきながら髪を手櫛で梳いた。色事を外から持ち込む気力が今の私にあるワケがないのに、この子がそれに気づいていないことに目を薄く細め、見え透いた罠を仕掛けることにした。
「シェイン、私の部屋に客人がいる。近づかないように」
「……は、はい」
その、何処かかつていた我が家の姫君を思わせる可憐とも言える顔が瞬時に曇った。才は私を凌ぐかもしれないシェインだが、魔術師というにはあまりにも感情表現が素直すぎるのが欠点だ。それを美徳ととる人間のほうが多いのかもしれないが、魔術師の欠陥としては致命的と言える。
彼のその表情を確認してから、私は部屋に向かった。そろそろ、少年の様子を確認しなければいけないだろう。
自室に戻ってみれば、少年が怯えたように身体を縮こまらせていた。どうやら悪夢に魘されているようだ。
―――世話がやける。
「タミフル!!」
だが、そう必死に使いの名を呼ぶ少年の、異世界からの自覚なき訪問者という身の上を思えば多少は同情すべき点もあるかと、短く悪夢を払う呪文を唱えた。それが覚醒の引き金にもなったか、僅かに身動いていた少年の身体から力が抜け、やがて瞼が震えて目が開く。だが状況を把握できそうもないぼんやりとした表情に、「起きたか」と声をかけてみれば何を反芻したのかそれとも寝起きだったせいか、露骨に怯えたような仕草を見せ…しかしその後すぐにこちらを仰ぎ見るのはなかなか気が強い。そう思ったが私を見て口を開け放したままの仕草はその印象も否定する。
「―――俺、死んだの?」
……なんでそういう反応になるのか、理解不能だった。
「何だよどうしていきなり俺死んでるワケ? 全然そんな兆候も雰囲気もなかった気がめっちゃすんだけど。つーかそれなら死ぬ前にどうしてこそっと俺に教えてくんないワケ? 心構えっつーもんがなんもねーじゃんよ。エロ本もDVDも動画も処理してねぇし! 夢見てたら死んでたって、どういうオチなんだよおいっ」
寝起きにも関わらずよくそこまで喋れるものだ、と感心するほどに少年は興奮しながら捲くし立てていた。勿論、言っていることの半分も理解はしていないしするつもりもないが、私を使いと勘違いしているからこそなのだろうということはその乱暴とも言える言葉の端々に知っている者相手故の甘えが滲み出ていたから分かる。
「………こんな美形は一人だけかと思ったが」
やはり、あの使いの容姿は私に似せて変身したのではなく元々似ているということなのだろう、それが確認できたのは収穫だった。しかし、如何せん少年は煩すぎる。状況を分かっていないせいも多分にあるのだろうがそれを分からせるのは面倒だ。それに、私よりも適任の者がいるのだから使わない手はない。
「シェイン。いるだろう、おいで」
体を後方にずらして扉の裏に居るだろう彼に声をかけた。ああいう明け透けな言い方をすれば、幾ら制する言葉を使っても彼がここに来ずにはいられないことくらい承知の上、扉の前に在る気配は隠そうと努力はしているようだが私からすればまだまだ未熟だ。
「―――ライル」
罰が怖いのか入ってくるまで間があったシェインは、随分とバツの悪い顔をしていた。怖いというより恥じ入っているのだろう、その健やかな精神は私がとうに失ってしまったものだ。この子もいつか無くすのだろうかと、そうあるべきが当然なのにそれを何処か惜しむ自分がいることを私は自覚していた。
「安心しろ、この御仁の世話を任せる。…罰にはちょうどいいだろう?」
余計な心配をして『近づくな』という私の指示を破ったのだから。それに、この少年が心配だというならば、自分で見張っていればいい。私の意図が分かったのかシェインの頬がうす赤く染まるのを視界に入れつつ、部屋を出て行く。もうこの部屋で今のところ私にすることはない。
「タミフル!」
背中に私を呼んでいるであろう少年の叫び声がして、面倒で音を遮る簡易結界の呪文を唱える。誤解ならシェインがすぐに解くだろう。私は彼を守護する存在ではない。
―――シャイア。
彼が『私を毀す存在』だというのは、本当ですか。
今は居ない人にそう尋ねても、返ってくる声は当然なかった。




