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降り始めた時よりは弱いけど、間違いなく降り続いてる雨。まだ時折雷鳴が轟いて、その度に一瞬周りを太陽よりも眩しく照らす。
俺はいきなり現れたガルツァって名乗った人物に捕まってというか掴まって、船からは届かない中空に浮いていた(……なんてシュールな)。小刻みに揺れる甲板では、船を何とか動かそうとしている水夫たちとは別に、微動だにせず仁王立ちでこちらを真っ直ぐに見据える瞳がある。
「……誰と契約した」
騎士らしいけど、船の上だからなのか周りのみんなと―――つまり暗めの色を除けば俺とも変わらないカッコ。だけど、アイツに駆け寄ってくる誰よりも大きいせいか迫力のある無口男。低いけどよく通る声は、雷の合間を真っ直ぐ貫く。前髪の合間から雨粒が幾筋も顔に筋を作るけど、ゼメキスは瞬き一つしないでガルツァに詰問する。その瞳の強さに、聞かれてるのはガルツァの筈なのに俺のほうがドギマギした。
「あはははー、それを真っ正直に言うワケないでしょ? それとも『命令』する?」
ガルツァは、俺を抱きながらまた笑い出した。人をバカにしたような顔と声に至近距離から横顔を見れば、性別不詳というか、どちらでもない中性的とも言える顔はひたすら楽しそうだった。なんつーか…何かに熱中して楽しいってのとも雰囲気違う。どっか、高みの見物みたいな感じ? うん、この人と緊迫とか必死って無縁っぽい。落ちたくないからもぞもぞと抱きつく場所を微調整しながらそう認識。
「―――――目的は『それ』か」
「うん」
目を薄く細め、唇を引き締めてまるで唸るようなゼメキス。今までとは違う、声質というより感情から来る低い声。それにガルツァはあっさりと頷く。彼の暗い色の髪は、この雨の中水分を含んだ様子もなくさらさらと揺れてた。…ネレイドもそうだけど、何でこの世界のストレートの髪ってみんなサラサラなんだろか。彼の筋肉の動きを感じながら、そんな関係のないことを考える。
「だって『それ』は要らないでしょう。
君の誇りでありそれを打ち砕くモノ。
ローデンの国を腐らせ、無用な驕りを生み出すモノ。
最早『それ』を持つに相応しい『者』なんか誰もいない」
「ふざけるな!」
「魔術師が我が国を愚弄するか!」
「降りて来い、剣の錆にしてくれる!」
「誰か弓を持って来いっ」
詠うような流れるようなガルツァの言葉の意味は俺にはさっぱりだったけど、船上の皆の怒号にも近い反応よりも、押し黙り腕だけで皆を制しているゼメキスの顔から視線が離れなかった。
俺はこの世界のことなんて分からない。
どうにかこの世界で暮らしていけてるけど(てか寧ろ振り回されてる? お世話になってる?)、シェインやネレイドに色々と教わったけど、まだ夢みたいな気持ちでいた。いや、異世界だと実感してはいたけど、ここで出会った人は俺にとってはまだ、可愛いだけの、優しいだけの、ムカつくだけの、何処か夢の中の人みたいだったんだ。
けど、今は……違う。
捉えどころがないガルツァの、まるで肉食動物が獲物をいたぶるように響いた声音に、あの無口男の眼は確かに―――傷つけられ、心を抉られている。
それを見て、俺の胸がズキリと痛んだ。誰だって、誰かのそんな顔なんて見たくねぇって。たとえそれが米俵男だとしてもさ。
「何かいいなよ、ゼメキス。みんなが不安に思っちゃうでしょ? それとも僕の言うことを肯定する? まぁ、本当のことだけど」
「…安い挑発にのるほど、ゼメキス様は愚かではございません」
止めて欲しくてガルツァの服を引くけど、ただ縋るようにしか見えなかったのかまだ何かを話しかけていた。そこに、穏やかだけれどきっぱりと断言する声が響く。視線を巡らせてみるとゼメキスの隣にネレイドが雨に濡れたまま姿勢よく立っていて、さっきよりも厳しい顔を見せていた。それが確認出来れば俺は深く安堵の息を吐く。彼が傍にいれば大丈夫、そんな気がして。
「彼を、離せ。ガルツァ」
「嫌だと言ったらどうするのかな?」
ゼメキスの、張りのある低い声が耳に届いた。真っ直ぐに。まるで、さっきの傷ついたような眼が嘘みたいに。……ひょっとして俺の見間違い? そんなこと、ないと思うけど。そんな確信めいた思いが胸を掠める。
しっかし、やっぱガルツァはあっさりそんなこと言っちゃうワケだ。それって何か、相当根性悪い感じ。そう思いながらじとっとガルツァを見上げれば、今度は視線に気づいたのかにっこりと俺に笑いかけてくる。今の笑顔、なんか猫っぽい。
「―――『命令』を下す」
「ゼメキス様!?」
そんなことを考えていた俺の耳に入ってきた思いもしなかったゼメキスの返事に、俺より先に素っ頓狂な声を出したのはネレイドだった。おかげでタイミングを外された俺は何も言いそびれて沈黙する。けど、頭の中はぐるぐるだ。
ネレイドの声でも分かる、ゼメキスがしようとしてることはとんでもないコトなんだ。……俺が、間抜けにもガルツァに捕まったから? 俺のせい?
そんなの、駄目だろ。
俺のせいで、ヤバイことをさせるなんて、駄目だ。
またあんな眼をさせるのはイヤだ。
それくらいなら、それくらいなら―――
後は何も考えられなかった。
体が銀色に光る。俺を包む『壁』の発動。
「な…―――!」
驚いたガルツァの、腕を掴んでた力が予想通り緩む。怪我させなくて済むなって、頭のどっかで思った。傷が少なくてすむならその方がいい。
「トシオ!!!」
「――――――ッ」
誰の声も遠くで聞こえる。
俺は、更に強めた銀色の『壁』でガルツァを弾き飛ばして―――墜ちた。




