06
あー……誰か助けろ…………。
思わず命令形にもなる(誰に対する命令なのかは自分でもわかんねぇけど)。なんかもう、『助けて』って頼むほど殊勝な気持ちを置き忘れたくなるんだよっ。
ただでさえ慣れない馬なのに、こいつはシェインが見えなくなった途端思いっきり早駆けしやがるし、文句言おうにも下手すりゃ舌噛みそうになるしっ、それどころか内臓ひっくり返りそうになるしっっ、ケツは痛いし! しかもまた米俵扱いだったしな!!
そう。酔っ払った馬から降りることも出来なかった俺を、この男はまた肩に担いで船に乗せて今に至ってるワケで…。船室のベッドの上でとりあえずうつ伏せで横になってんだけど、この船がまた揺れるんだ。船酔いなんて、こんな初体験はいらねぇっての。
腕が手持ち無沙汰だったし枕を抱いて、なぜか同じ部屋にいる男に視線を向けてみる。まったくもって変わらず壁際にある机の上で何か書き物をしてるようだった。こんな揺れるところでよく出来るもんだ。勿論、感心してるワケじゃねぇし。嫌味の一つでも言ってやりてぇけど、腹に力を込めたら違うモンが出てきそうで黙って耐えるしかないのがツライ。あれか、寧ろ出しちまった方が楽になれんのか? いやいや、俺にだってなけなしのプライドってもんがある、根性だ根性。
あー、でも……うあー……誰か助けてくれー…………。
またぐらぐらと船が揺れて、今度はちょっとばかり情けない呻きになってた。声に出てなくて良かったよ。
船はその日結構いつまでも揺れていた。食事が部屋に運ばれたらしいけど、俺は気持ち悪くて枕から顔を上げることすら出来ず、でも吐くことはしたくなくて眠気がやってくるまで呻いていた。ようやく慣れ始めていた場所から放り出され、振り回されて何の説明もねぇのも結構精神的にしんどくて。
俺はこの夜心底元の世界に、桜花に帰りたいって、思った。
―――あ、あんま揺れてない。
目が覚めて最初に思ったのはこれだった。胃はちょっとだけムカムカするけど、我慢できないほどじゃない。あー、良かったー。
……あ、あいつもいない。
「大丈夫ですか?」
視線を巡らせて男がいないのを確認すれば二重に安堵。そおっと俺が胃を撫でてると急にそんな声が上から降ってくる。あの男? と思ったけど高めの声と丁寧な口調は間違いなく違ってて、目線を上げれば知らない顔が少しだけ屈んで俺を覗きこんでいた。
「船酔いがひどかったと聞きました。昨夜は随分荒れましたからね…今朝は持ち直してほっとしております。お加減は大丈夫ですか? 食事をお持ちしましたが、少しはお召しになれますか?」
肩辺りで切りそろえられた明るい艶のある栗色の髪が、この人の動きに合わせてさらりと揺れる。切れ長の目から来る鋭そうなイメージに合わない柔和な表情と、優しい声。思いがけず目の前に現れた人物に、その所作に、俺は視線を合わせたまま間抜けにも、返事をせずにじっと見上げてた。
いや、だってこんな美人滅多に見られるモンじゃねぇって。身長はよくわかんねぇけど、全体的に小作りに整ってる顔とか、澄んだ青い目の下の妙に色っぽいホクロとか、俺と似たようなカッコしてんのにオシャレに見えちまうスタイルの良さとか。思わず喉仏と胸確認しちまったもん。…うん、男だ。健全な青少年としては正直残念だ、と思ってもバチは当たらないと思う。
「…まだお疲れでらっしゃるみたいですね。乾パンを軟らかく煮てあります、良ければ冷めないうちにお召しになって下さい」
黙ってる俺に困ったのか、でもそんな表情をおくびにも出さずに目の前の美人さんはそれだけ言うと一礼して扉の方へ向き直った。きっと戻るのだろう、と思ったのに俺は彼の着ている服を咄嗟に掴んでいた。
うわ、俺何やってんだ!?
「どうかなさいましたか?」
いきなり服なんて掴んだからだろう、少し驚いていたような表情が華のように微笑む。でも俺は、別に用事があったワケじゃなくて、ただ、無意識に掴んじまっただけ。…多分、何となく離れがたいというか、そんな感じでいたんだ。え、あれ、何でだ俺、さっきからっ!
「えーと、その。……そのっ……」
微笑んだまま焦ってつっかえ出した俺の言葉にツッコミを入れることなく穏やかに待ってる目の前の彼。それが余計に俺のパニック万歳状態を助長してるって、多分知らないんだろうなぁ。いや、俺が悪いんだけど。用ないのに呼び止めてるし。なのにタイミングをはずしちまって、今更「何でもないです」なんて言えるわきゃあない。
えーと、そのっ、そのっ。―――そうだっ!!!
「…………メシ、じゃなくてごはん! ごはん一緒どうですか?」
具合が悪いと思っていた俺の唐突な提案にびっくりしたんだろう、彼はふ、と笑顔を消した。そうすると端正な表情のせいか一気に冷たく見えて、そのギャップに目を瞬かせる。やっぱり図々しいことを言ったんだろうか、そうだよな仕事とかあるんだろうし、謝ったほうがいいよな。
「では、私の分を持って参りますので、申し訳ないのですが少々お待ちいただけますか?」
俺が謝ろうと口火を切る前に穏やかな声で若干かぶせがちに答えてくれる彼に、俺は何回も頷いた。「そんなに頭を揺らしてはまた気分が悪くなりますよ?」と笑うと俺の食事が乗ってるトレイを窓際とは別のテーブルに置いて、丁寧な礼と共に一度部屋を出て行く。
あの男といた時の塞いだ気分が、大分上昇したなぁ。折角だから色々聞いてみよ。俺、シェインに聞いたこと以外何も知らねぇし。
ん、ていうか。まずは彼の名前だな。




